『岡部淳太郎』氏が気になる。検索すると詩人(らしい)岡部淳太郎氏がひっかかるわけですが、同姓同名ハンドルネーム(ってのも変だけど)なんだろうか…?*参考文献切込隊長BLOG(ブログ): 左利き差別「炎上」に見る書き手と読み手の美しい距離感http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/07/post_d3ad.htmlネタ元は今話題の国分太一くん、箸は右手で持とうよ : コメント。コメントの分析が面白い。後半酔って熱くなってるのが尚面白い。以下引用(国分太一くん、オレも左利きなんだ : コメント)に対して---------------- 横澤さん、あなた右利きだろ。批判されたからか知らないけど、なぜそんな姑息なことをするのだ。私の時代はそういうのが常識であった、いま左利きの矯正が問題になっていることは寡聞であって知らなかった、演芸の世界では左利きは忌み嫌われていて師匠から矯正されるのが当たり前であって、若い人たちは自由闊達で素晴らしいねと、何故一言が書けないのか不思議で仕方がない。(後略)----------------ちょwww本当に横澤氏が右利きだとすると、何その厚顔無恥wwwってことになるけどどうなんだろう。*ついでに気になったことを調べてみる※文献を正確に調べたわけでないので左利き矯正の由来はすっ飛んでる可能性がアリ左利きは右利きに矯正しなければいけないっていう考え方は何時・何故生まれたんだろう。左利きの矯正を進めよ - Yahoo!知恵袋で左利き矯正を推している人の言葉を見ると、『受け継がれている伝統に従った正しい持ち方がよいと思います。日本語では文字を書くとき 左から右へ、上から下へという筆順が伝統でしょう。』とある。けれど、それだけが理由ならば、左手で書いても左から右へ、上から下へ書けるし、わざわざ矯正するほどのことでは無い気がする。何故「左」の構えが?---------- それは武士の時代、左腰に刀を差していたことに由来しています。左腰に刀を差した状態から抜刀するには右手で刀の鍔元をしっかりと持ち、右半身にしながらでないと刀は抜けません。また、昔は左利きの人は右利きに矯正したといいますから、左利きの人にとって自然な構えというのがなかったのかもしれません。----------十刻通信 - 左利きと思うとき-----------昔の武士は左利きだろうが、刀は必ず左に差した。『壬生義士伝』の斎藤一は左利きで、抜きやすいように右に刀を差している。まっ、なかにはそんな無作法な馬鹿もいたかもしれないが、こと新選組のなかで、そのようなふざけたことをしようものなら、「士道に劣る」との理由で、近藤勇や土方歳三、沖田総司によって、即刻、首を刎ねられていただろう。弓もそうである。小生もなぜか弓だけは左手で握り右手で弦を引く方が狙いが定まり、引きやすい。-------------まとめると以下の通りということでしょうか。武士・貴族の時代において、1.刀や弓は右利き用だから2.それ以外の道具も右利きでないと使いづらかったから・将来有望な若者にとって、刀が扱えるかどうかは死活問題である・そもそも少数派は多数派の前に現在より圧倒的に排除されたで、あるならば、当時、『左利きはみっともない』という風潮が生まれたことも納得がいく。右であることが当たり前→右でないのはみっともない。加えて、なぜなる?どう違う?左利き・右利き -healthクリック---------------左利きになる理由には諸説ある。ひとつは遺伝説。しかし、これは一卵性双生児でも一人は右利き、もう一人が左利きになる子供がいることで信憑性が少ないとされている。もうひとつは、利き手が決まる3~4歳くらいまでに左手を使うことが多かった子は左利きになるという環境説。さらには、胎内での成長過程もしくは出産時に何らかの原因で左脳を圧迫する事態が発生し、その左脳のはたらきを補うために右脳が活発になって左利きになるという説もある。---------------左利きになる理由は今でも明確でない。理由がわかんないものは母親のせいにされる世知辛い世の中、少数派は排除されるどころか奇異の目で見られる時代背景、まともに子どもも産めないのかなどと責められることを恐れた親が文字通り必死で利き手の矯正を行っただろうことは想像に難くない。そして、現状では、一般的な嗜みとしての刀も弓も無くなり、『みっともない』という観念だけが残った。または、世の中は右利き用だから左利きは生き辛いという理由に取って代わられた。根拠の弱いマナーはマナーなのかというと、それはマナーではなく様式の押し付けなんじゃないかなあと思う。#マナー=他者を不愉快にしないための行動定義、と捉えて。伝統には意味のよくわからないものも沢山あるけれど(意味がよく「わからなくなってしまった」ものも)、意味を為さなくなった伝統的な人を不愉快にさせないための行動定義が、左利きの人たちを不愉快にさせるという流れはなんだか不毛だ。逆説的に、左手で食べることがそれを快く思わない人に不快感を与えるのだけど、価値観の違い、または昔『左利き』に対してしてきたことがそのまま返って来ているとも。難しいところだけど。左手で箸を持つ様子をみっともないと感じる人は、恐らく、その多くが親などにそれが『みっともない』ことだと教えられてきたのだろうと推測する。もし誰もそうやって教えなかったら、日本人なら、左手で食べるなんて見るのも不愉快だ!とはあんまり感じないんじゃないかなあと思う。ただの想像だけれど。価値観の形成の問題な気がする。なぜなる?どう違う?左利き・右利き -healthクリックより---------------------左利きの子供を持つ両親にとって気になるのが、左利きは矯正したほうが良いのか、という問題だろう。確かに左利きは、日常生活のさまざまな面で不便なことが多い。例えば左手では紙に文字を書きにくいし、ハサミも使いにくい。左利き用のさまざまな道具が出回っているとはいえ、右利きでは気づかないような場面で苦労しているものだ。だが、無理な矯正は、子供の気持ちを委縮させてしまい、ひどいときは夜尿症などの神経症になってしまうこともある、というのが多くの医師の意見だ。どうしても気になるときで、子供が3歳前後までの幼い間なら、遊びの中に右手を使うシーンを増やし、楽しく練習させるのが一番。遊びなら、楽しく習慣づけられる。だが、それでも左利きになるようなら、それは子供の個性のひとつとして、やさしく受け入れてあげよう。---------------------そもそも子どものためにならないのなら、意味を持たなくなった伝統は無くしたほうがいいんだろうな。右利き用の機械や道具が多いから、左利きの人はきっと右利きには解らない苦労があるんだろうけれど、それを解消する代わりに障害を負うことになったんじゃもっと辛いし。裏[4k](旧称 100SHIKE):小笠原流は深く横澤彪は浅い-----------―礼儀作法を身につける秘訣とは何ですか?「あなたが生きる時代の常識を知らずして、礼儀作法を知ることはできません」-----------まあつまり産業でまとめると上記の通り。小笠原流は深い。右利きの人間が、左利きに対して矯正したほうがいいとかいうのは、きっとまったくもって余計なお世話なんだろうな。#テレビに出る人間に対する言葉を、何処まで一般人に当てはめるか(どこまで区切り無く見るか)という問題で捉えるとまた論点が変わってくるんだろうけれど。
卓球、テニス、バドミントンなどなど、利き手で動きが変わるスポーツは、左利きの人とやると(右利きの感覚で)予想外の返しがきて別の面白さがあった記憶が。でもお互いやりにくかったなー
実は潜在的には左利き…とか。元々左利きでも、幼児期に意識して右手を使うようにしていると、右利きっぽくなるようですし。ぼーっとしてる時に無意識に使おうとする手が本来の利き手なのかなあと思います。#潜在的な両効きとかも有り得るんだろうか
高校生くらいになっちゃうと、矯正するにしても、もんのすごい大変そうな…。二年後輩さんが右にしたいと思ってなかったらとんでもなく災難だったんじゃ。何故一年後輩さんがそこまで必死になっていたのかが気になりますな。
板前さんとか料理人とかも揃えないと危ないから矯正するって聞きますね。そういう場合だけはやっぱり仕方が無い(と思ってもらうしかない)のかなあ。