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フランツ・カフカ Franz Kafka 10

1 :吾輩は名無しである:2014/04/20(日) 11:40:45.29 .net
 
前スレ
フランツ・カフカ Franz Kafka 9
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1332054072/

761 :吾輩は名無しである:2023/10/08(日) 10:55:42.56 ID:6nydA7vs.net
ブロートが手を加えてない批判版から訳したやつ

762 :吾輩は名無しである:2023/10/08(日) 23:26:55.23 ID:xzUShAU0.net
批判版からの翻訳は有難いが、訳者の池内紀の文体が嫌いだ。

763 :吾輩は名無しである:2023/10/09(月) 04:41:07.87 ID:3PhVjhtp.net
新潮とちくまはさっさと審判を復刊すべし

764 :吾輩は名無しである:2023/10/09(月) 09:41:43.48 ID:I/FyMsSA.net
>>763
おお、新潮の原田訳と中野訳、ちくまの飯吉訳を持っている
あとは集英社の川島訳だね

765 :吾輩は名無しである:2023/10/09(月) 09:46:35.80 ID:I/FyMsSA.net
岩波の辻訳も欲しいなあ
『審判』に比べると、『城』は翻訳が少ないね
大昔のを除くと、前田訳と池内訳だけか

766 :吾輩は名無しである:2023/10/10(火) 09:42:45.97 ID:uvz/5dQ5.net
角川文庫の新訳『変身』はどうなんだろう
読んだ人いる?

767 :吾輩は名無しである:2023/10/10(火) 11:10:51.50 ID:gffn/Tu4.net
『変身』には、全体の解釈を左右する非常に重要な一文があって、日本では、ナブコフの指摘により、その訳が変わった
しかし、川島編集の集英社版の多和田や角川版の川島は、陳腐な元の解釈に戻してしまった

768 :吾輩は名無しである:2023/10/10(火) 11:19:24.33 ID:uvz/5dQ5.net
>>767
具体的にどの箇所?

769 :吾輩は名無しである:2023/10/11(水) 11:37:25.23 ID:7Qd8NIdl.net
War er ein Tier , da ihn Musik so ergriff ?

770 :吾輩は名無しである:2023/10/11(水) 15:42:48.24 ID:NO9Gz/Mg.net
普通にグレゴールは人間だって意味だろ
つまり人間なのに家族から疎まれる存在になってしまったんだよ
虫になった描写もグレゴールの幻覚かもしれない

771 :吾輩は名無しである:2023/10/11(水) 15:45:27.76 ID:NO9Gz/Mg.net
ナボコフは人間には音楽が理解できない
動物だからこそ理解できるって解釈だっけ?
そんなの『変身』って作品からは読み取れないな
ナボコフがちょっと上手いこと言いたかっただけだろ
だから川島も多和田も無視してんだろ

772 :吾輩は名無しである:2023/10/11(水) 17:05:09.27 ID:3IrXXrph.net
ナボコフはカフカをNRFの対訳で読んだと書いてるからな
英仏露に比べて独語は文学作品を読めるほどではなかったみたいだし
文学講義も思い込みが激しい部分(私が変身したのは甲虫だと言い張ったりとか)があるから話半分に聞いた方がいいと思う

773 :吾輩は名無しである:2023/10/12(木) 11:55:10.31 ID:Z5M+QlXP.net
グレーゴルが、妹のヴァイオリンに魅了されてリビングに出てきてしまい、3人の間借り人が激怒、妹も切れてしまって破局が訪れるクライマックスシーンだが
なぜ、グレーゴルは、へたくそな妹の演奏にそれほど捉えられてしまったのかが問題になるのである
単純な理解では、体は虫になったが、心はまだ人間で、音楽に感動する力が残っていたというものだが、ナボコフは、そうではなく、動物の方が音楽に対する感覚が強い
人間であったときのグレーゴルは、妹のヴァイオリンにさほど感心しなかったが、動物になったからこそ魅了されるようになった、という解釈である

A)音楽に感動したのは、完全には動物になっていないから
B)音楽に感動したのは、動物になってしまったから


高橋義孝 『変身』 新潮文庫、1952年
A)「音楽にこれほど魅了されても、彼はまだ動物なのであろうか。」

中井正文 『変身』 角川文庫、1952年
A)「これほど音楽に感動しているのに、それでもやっぱり彼は一匹の虫にすぎないのか、」

山下肇 『変身 他一編』 岩波文庫、1958年
A)「これほど音楽に感動しているというのに、彼はやはり一介の虫けらなのだったろうか。」

原田義人 筑摩世界文学体系58 1960年
A)「音楽にこんなに心を奪われていても、彼は動物なのだろうか。」

辻ひかる 世界の文学39 中央公論 1966年 
A)「これほど音楽に心をうばわれているというのに、それでも彼が動物なのだろうか?」

高安国世 講談社文庫 1971年
A)「こんなに音楽が心を動かすのに、それでも彼は虫なのだろうか。」

城山良彦 世界文学全集30 集英社 1974年  
A)「これほど音楽に心を奪われても、彼は動物だろうか?」

774 :吾輩は名無しである:2023/10/12(木) 11:56:27.43 ID:Z5M+QlXP.net
川村二郎 決定版カフカ全集1 新潮社 1980年
B)「これほど音楽の力に捉えられるとは、やはり彼は動物なのか?」

池内紀訳 『カフカ小説全集4 変身ほか』 白水社、2001年
B)「獣だからこそ、それで音楽がこんなに身にしみるのか?」

山下萬里 『変身』改版 岩波文庫 2004年(息子による改訳版)
B)「こんなにも音楽に感動させられているからには、ぼくは獣なのだろうか。」

丘沢静也訳 『変身、掟の前で 他2編』 光文社古典新訳文庫、2007年
B)「こんなにまで音楽に心をつかまえられるとは、やはり動物なのだろうか。」

浅井健二郎訳 「変身」ちくま文庫 2008年
A)「こんなにも音楽に心がとらえられるというのに、俺は虫けらなんだろうか?」

多和田葉子訳 「変身」 集英社文庫 2015年
A)「音楽にこんなに心を動かされているグレゴールは、本当に虫獣だったのだろうか。」

川島隆 『変身』角川文庫 2022年
A)「こんなにも音楽に感動しているのに、それでも動物なのか?」


[未読]
高本研一訳 ドイツの文学 第7巻 三修社 1966年
川崎光隆訳 旺文社文庫 1973年
立川洋三訳 世界文学全集33 学習研究社 1977年

775 :吾輩は名無しである:2023/10/18(水) 18:16:51.67 ID:YWmjNHSV.net
では、何故AB二つの解釈に分かれたかを考察してみよう


川島隆は、「da」は、やや古い用法では、「〜したとき」という意味があり、認容文になるから、理由と認容の2通りの解釈ができ、ナボコフが前者、自分は後者をとると言う
しかし、「da」ではどうみても認容の意味にはならない、認容なら「trotzdem」を使うはずである

次の4つの文章を比較してみよう

? Er war ein Tier, da ihn Musik ergriff. (音楽が彼を魅了したから、彼は動物だった)
? Er war kein Tier, da ihn Musik ergriff. (音楽が彼を魅了したから、彼は動物ではなかった)(否定)
? Er war ein Tier, da ihn Musik doch ergriff. (音楽が彼を魅了したのに、彼は動物だった)(相反)
? Er war ein Tier, trotzdem ihn Musik ergriff. (音楽が彼を魅了したにもかかわらず、彼は動物だった)(認容)

問題は、???はロジックとして普通に意味が通るが、?は常識と逆であり、翻訳者を戸惑わせる
そして、まさしく、カフカの文章は、?を疑問形にしたものだというところにある

主文と副文を入れ替えてみると、?のロジックのおかしさがよくわかる

? Musik ergriff ihn, da er ein Tier war. (彼は動物だったので、音楽は彼を魅了した)
? Musik ergriff ihn, da er kein Tier war. (彼は動物ではなかったので、音楽は彼を魅了した)
? Musik ergriff ihn, da er doch ein Tier war. (彼は動物だったのに、音楽は彼を魅了した)
? Musik ergriff ihn, trotzdem er ein Tier war. (彼は動物だったにもかかわらず、音楽は彼を魅了した)

したがって、文法通り訳すと?になり、文意を優先すると?や?になる
初期の翻訳家たちは、文意を優先したが、
ナボコフの指摘によって、?がロジックとして正しいことになり、文法通り訳すようになったと考えられる

776 :吾輩は名無しである:2023/10/23(月) 10:53:47.15 ID:ms6EOY/r.net
虫と人間、どちらが音楽に親しいか
難しい認識論だ

777 :吾輩は名無しである:2023/10/24(火) 09:56:22.04 ID:2TJaNKbh.net
実際、鈴虫や松虫は自分の体で美しい音色を奏でるからな
人間だけが音楽を理解できるというのは人間中心主義にすぎない
動植物や物の立場にたって思考せよとは埴谷雄高も言っていた

778 :吾輩は名無しである:2023/10/24(火) 16:44:59.29 ID:Ed73kf5k.net
フカフカ毛布

779 :吾輩は名無しである:2023/10/24(火) 16:45:05.71 ID:Ed73kf5k.net
フカフカ毛布

780 :吾輩は名無しである:2023/10/24(火) 16:45:18.29 ID:Ed73kf5k.net
フカフカ毛布

781 :吾輩は名無しである:2023/10/25(水) 07:24:09.74 ID:0FrBtoNh.net
うちにある『変身』の翻訳
中井正文訳、城山良彦訳、
川村二郎訳、多和田葉子訳

782 :吾輩は名無しである:2023/10/25(水) 09:15:18.79 ID:mge6KtEK.net
物持ちだねえ爺ちゃん

783 :吾輩は名無しである:2023/10/28(土) 07:49:43.56 ID:N3AqX+G8.net
やはりカフカは並の小説家ではない
ありきたりの小説では虫に変身した後、音楽に魅了されるという
展開を思いつくわけがない

784 :吾輩は名無しである:2023/10/28(土) 11:08:55.04 ID:wdvBN8XI.net
大袈裟だねえ婆ちゃん

785 :吾輩は名無しである:2023/10/29(日) 12:12:13.49 ID:0Z4EFm7G.net
「ナボコフの文学講義」

「なにも音楽愛好家を敵にまわす気は毛頭ないのだが、一般的意味に解して考えると、
音楽は消費者が享受するかぎりにおいて、文学や絵画よりも芸術の価値尺度上、より原始的で、
より動物的な形式に属するものである。
無論、音楽が文学や絵画に匹敵する芸術であることはいうまでもないが、
ここで問題にしているのは、音楽が普通の聴き手に与える衝撃に関連してなのだ。
偉大な作曲家、偉大な作家、偉大な画家は兄弟である。
しかし、一般的原始的形式の音楽が聴き手に与える衝撃は、普通の小説や絵が与える衝撃よりも、
より低い性質のものだと、わたしは思う。
特にわたしの念頭にあるのは、たとえばラジオやレコードなどで、
ある種の人々に音楽がおよぼす心を慰め、和らげ、鈍麻する影響のことだ。
カフカの物語では、それは哀れにもヴァイオリンをこすっている一人の女の子にすぎない、
これはこの作品において今日の缶詰の音楽、あるいはコンセントを差し込めば鳴り出す音楽に相当する。
カフカが音楽一般について感じていたことは、わたしが今さっき述べたこと、
すなわち人を茫然とさせ、麻痺させる、動物のような音楽の性質のことなのだ。
このような彼の態度を銘記しておかなければ、
今まで何人かの翻訳家が誤解してきたひとつの重要な文章を解釈することができないのである。
その文章とは、文字通りはこういうものだ。
「グレゴールはこんなに音楽に感動すべき動物だったのだろうか?」
つまり、人間の姿でいるいたときには、彼は音楽になんの関心もなかったが、
この場面、彼が甲虫になったとき、初めてグレゴールは音楽に屈服するということだ。」

786 :吾輩は名無しである:2023/10/29(日) 12:14:29.36 ID:0Z4EFm7G.net
ドゥルーズ/ガタリ 『カフカ マイナー文学のために』

「カフカが興味をひくものは、構成された音楽、音楽の形式ではない。
カフカにとって関心のあるのは、意味論的に作られた、構成された音楽ではなく純粋な音のマチエールである。
『或る犬の研究』では、音楽を奏する犬たちが大騒ぎをするが、どんな方法でそうしているかわからない。
なぜなら彼らはことばをしゃべることができず、歌も歌わず、吠えもしないで、無から音楽を生み出すからである。
『プリマドンナのヨゼフィーネあるいはネズミの民族』では、ヨゼフィーネが実際に歌っているとは考えられない。
彼女は単に鳴くだけであるが、それも他のネズミより上手ではなく、むしろ下手である。
その結果、存在しないものである彼女の芸の神秘は一層大きくなる。
『変身』では、音楽はまず第一にグレーゴルの声に介入し、ことばの反響をだいなしにするぴいぴいいう音として現れる。
またグレーゴルの妹は、音楽家ではあるが、下宿人たちの影法師に邪魔されて、ヴァイオリンをぴいぴい鳴らすことしかできない。」

カフカの関心をひくものは、常におのれ自身の廃棄と関連している。
強度の高い純粋な音のマチエール、非領域化した音楽的な音、意味作用・構成・歌・ことばを欠いた叫び声、
まだあまりにも意味作用的な連鎖の束縛から脱するための、断絶状態の音響性である。
ヨゼフィーネの芸術は次の点に存する。
他のネズミより上手に歌うことを知らず、むしろ下手に鳴くことによって、彼女はおそらくは《普段のネズミ鳴き》からのひとつの非領域化を行い、
この普段のネズミ鳴きを《日常の生活の覊絆》から解放する。
要するに、ここでは音は表現のひとつのフォルムとしては現れず、他の関係項に対して反応しようとする、
表現のフォルムになっていないマチエールとして現れる。

豊かなものにせよ、貧しいものにせよ、どんな言語にも口・舌・歯の非領域化が常に含まれている。
口・舌・歯は、その原初的な領域性を食料のなかに見出す。
音声の分節化に専心することによって、口・舌・歯は非領域化する。
通常は舌は感覚における領域回復によってその非領域化を補償する。
舌は感覚器官ではなくなることによって意味の道具になる。」

787 :吾輩は名無しである:2023/10/29(日) 13:11:50.94 ID:uP/UR/L/.net
「しかしヨゼフィーネは破滅して行かねばならない。まもなく彼女の最後の鼠鳴きが鳴り響き、そして沈黙するときが来るであろう。彼女はわが民族の永遠の歴史における一つの小さなエピソードである」
フランツ・カフカ『プリマ・ドンナ・ヨゼフィーネあるいは二十日鼠族』円子修平訳
これはカフカの最後の作品

788 :吾輩は名無しである:2023/10/30(月) 08:53:41.54 ID:pc3qVgZH.net
>>782
いつもの翻訳バカじじいだよ

789 :吾輩は名無しである:2023/11/01(水) 11:03:26.25 ID:edir/s2D.net
>>787
カフカはいいな

790 :吾輩は名無しである:2023/11/01(水) 19:04:42.26 ID:AfUtgF+a.net
https://i.imgur.com/VdwwepO.jpg

791 :吾輩は名無しである:2023/12/26(火) 08:09:03.28 ID:myUOvdur.net
?

792 :吾輩は名無しである:2023/12/26(火) 18:51:21.76 ID:+26/Z1jb.net
佐々木希の写真に抱きくグレーゴル

793 :吾輩は名無しである:2024/01/01(月) 12:55:27.91 ID:jspVxw7X.net
https://i.imgur.com/OuGlQBB.jpg

794 :吾輩は名無しである:2024/01/02(火) 23:08:15.63 ID:FhOe+epF.net
ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。
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そして適度な運動で最強です。
試してみてください。//youtu.be/e1IPKVrDUoM

795 :眩しい仮面うんこサイダー:2024/03/22(金) 18:08:13.03 ID:ElpOaDF0Z
フランツ・カフカは勝負している。文学ではない。人生でだ。人生で勝負している。
だから、小説など書いた。彼はその勝負に負けてしまったが、彼の文学が色あせることはない。

796 :吾輩は名無しである:2024/04/24(水) 11:14:45.97 ID:ssN/g4qJ.net
『決定版カフカ短編集』新潮文庫新刊
本日発売
決定版全集の翻訳を使用
川村二郎、円子修平、前田敬作など

797 :吾輩は名無しである:2024/04/28(日) 19:51:13.06 ID:GvJf8lXl.net
みすず書房が復刊した『カフカの日記』よく売れているらしい

798 :吾輩は名無しである:2024/04/29(月) 08:26:18.74 ID:EV6cBIAq.net


799 :吾輩は名無しである:2024/04/30(火) 15:11:09.38 ID:3S3TPyQy.net
あげ

800 :吾輩は名無しである:2024/04/30(火) 16:54:51.12 ID:PfQV/NEO.net
ふかふかかふか

801 :吾輩は名無しである:2024/04/30(火) 23:15:49.56 ID:wjCpkNIK.net
samsa

802 :吾輩は名無しである:2024/05/22(水) 01:32:12.19 ID:hnFlVqzx.net
私はWizardryというゲームが大好きなのですが、特に初期のシリーズはグラフィックもシステムもストーリーもシンプルで、それが逆に想像力を刺激して何度も繰り返し遊べました。

カフカの小説にも、初期のWizardryと似たところがあると感じます。

あえて描写を省略することで読者の想像力を掻き立て、非現実的な現象をリアルに描写することで、いわば読者の想像力を刺激する枠組みをしっかりと作り込んでいるのです。

カフカの面白さはこうしたところにあり、想像力の足りない読者には楽しめないのかもしれません。

つまり、初期のWizardryよりもPS以降のファイナルファンタジーのようなゲームが好きな人には、カフカは合わないと言えます。

803 :吾輩は名無しである:2024/05/22(水) 01:58:39.38 ID:/UQDXdM8.net
大昔に俺がどこかで同じこと書いた気がする

804 ::2024/05/22(水) 09:27:07.17 ID:MqStizUg.net
くだらないレスをする奴ってなぜ空白の改行をつけるんだろ?
決まりでもあるのか?

805 :吾輩は名無しである:2024/05/22(水) 20:02:13.08 ID:lCTpNFKh.net
>>804
お前にはこんな文章書けないだろうな
才能ないから

806 :吾輩は名無しである:2024/05/25(土) 19:58:49.31 ID:+HnsWIVA.net
>>804
私も最初は「なんでわざわざ改行するの?」って思ってた。でも、色々調べてみると、実は空白行にはちゃんと意味があることが分かったんだ。
まず、読みやすさが向上するっていうのが大きな理由。文章って、ずっと同じ行で続くと目が疲れてきちゃうよね。空白行を入れることで、視覚的に段落が区切れて、文章全体がスッキリ見えるようになるんだ。
それに、情報の整理にも役立つ。例えば、箇条書きなんかで空白行を使うと、それぞれの項目が分かりやすくなって、内容を理解しやすくなるよね。
もちろん、強調したい部分にも使える。大切な部分の前に空白行を入れることで、読者の視線を自然とそこに誘導できるんだ。
それに加えて、リズムや雰囲気を出す効果もある。例えば、短歌なんかで空白行を使うと、文章に軽快なリズムが生まれるよね。逆に、長めの空白行を使うと、静寂や緊張感といった雰囲気を演出できるんだ。
もちろん、使いすぎは禁物。必要以上に空白行を多用すると、かえって読みづらくなったり、文章が散漫になったりする。
結論としては、空白行ってただの飾りじゃないんだ。文章をより読みやすく、分かりやすく、魅力的にするために、様々な役割を果たしているんだよ。

807 :吾輩は名無しである:2024/07/05(金) 01:47:09.25 ID:teBRV9lU.net
20世紀文学を代表する作家といえば、フランツ・カフカの名を外すことはできないでしょう。彼の作品は、現代社会の抱える葛藤や疎外感を、独特な世界観と不条理な展開で表現し、多くの読者を魅了し続けています。

808 :吾輩は名無しである:2024/08/05(月) 10:46:39.22 ID:9PnjhuuY.net
『変身』や『城』などの作品で知られる20世紀を代表する作家、フランツ・カフカ。礼儀正しく謙虚な一方で、ネガティブな思考の持ち主としても知られています。

『絶望名人カフカの人生論』(頭木弘樹編)は、そんなカフカの残した言葉の中から、「絶望」に彩られた名言を集めた一冊です。

本書の冒頭では、カフカの人物像がこう描かれています。

何事にも成功せず、失敗を繰り返し、作家としては認められず、普通のサラリーマンとして働いていました。結婚を強く願いつつも生涯独身で、虚弱な体で悩み、書いた小説は全て未完に終わりました。

あまりの不運に気の毒に思えるほどです。そんなカフカの言葉は、どれもがネガティブで突き抜けています。

将来に向かって歩くことはできない。つまずくことならできる。いちばん得意なのは倒れたままでいることだ。
──フェリーツェ(婚約者)への手紙より

人生に必要な能力を何も備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない。
──日記より

カフカの「絶望」は切実でありながらも、読者を暗い気持ちにさせません。むしろ、彼は自分のネガティブさを誇りにしていたかのようです。

カフカの名言は、私たちに「弱い」自分を認め、それを公言する勇気があることを教えてくれます。

809 :吾輩は名無しである:2024/08/06(火) 09:02:22.75 ID:vJW51dIc.net
>>808
カフカって、本当に面白い人ですよね。小説も独特の世界観で惹きつけられますけど、彼の言葉もまた、深くて考えさせられるものが多いんです。『絶望名人カフカの人生論』って本、私も読んだことあるんですが、カフカの「絶望」って、ただの悲観主義じゃなくて、むしろ一種のユーモアみたいに見えませんか?

810 :吾輩は名無しである:2024/08/15(木) 01:01:18.02 ID:tI4/sUNG.net
カフカのパロディはうんざりするほどたくさんあるが、ウディ・アレンの「ぼくの日記帳」は傑作だな

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