【浜辺美波】蓮實重彦9【山田杏奈】
- 524 :吾輩は名無しである:2024/07/14(日) 04:20:22.38 ID:44MG05VM.net
- コスタ 『コロッサル・ユース』は二つの運動から出来上がっていると思います。その二つの運動がぶ
つかりあいながらある種の正しさというものを提示してくれているかもしれません。私は、言ってみ
れば、これは詩的な公正さについての映画だというふうに思っているのです。二つの運動のうち、一
つは隣人愛的なもの、詩的なものであり、これがある種の原理というものを示しています。これはヴ
ェントゥーラの手紙に顕著ですが、皆が持ちたいと望んでいるもの、それは社会であれ個人であって
もいいのですが、何かこうしたいと望むものについての原理とでもいうものを示しています。もう一
つは、よりプログレマティックなものです。こちらは現在の我々の社会における問題というものを提
示しており、私はこの二つの動きから映画が出来上がっていると考えています。映画全体は、その映
像と音を通して、これらの二つの運動というものがぶつかりながら、ある種の公正さ、正しさという
ものの可能性を探るような作りになっていると思います。そして、これは、ゴダールが今日において
やっていることと変わらないと私は考えるのです。
映画にはこの二つがなければいけません。一つは社会の外側にあるもの、一つは社会の内側にある
もの、この二つの両方の存在がぶつかりあうことによって公正さの可能性に向けての探求が行われて
いると思っています。さらには、この映画では先ほどの二つの運動に当たるものに加えて、「時間の
外」と私が言うものが存在しています。いわゆる「過去」です。そして「現在」の具体的な問題が、
過去に対峙することによって、問題提起されています。この二つの運動、二つの時間、それを比較す
ること、そこに批評性が宿っていると私自身は考えています。
236 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver.24052200