1 :2024/06/23(日) 06:26:38.21 ID:wklMvI3X9.net
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5月にフランスで開催された「第77回カンヌ国際映画祭」で、映画界への多大な貢献をたたえる「名誉パルムドール」を受賞した「スタジオジブリ」。授賞式に参加したのは、スタジオジブリをさまざまな立ち位置で見つめてきた宮崎吾朗監督。「この賞をいただいたのは、『これから先40年もスタジオジブリは頑張れよ』というメッセージかと思う。頑張れるといい」と述べた吾朗監督にこれからのことなどを聞いた。
――授賞式の模様はインターネットのライブ配信で拝見しました。会場は満席でしたね。式典はいかがでしたか?
【吾朗】タキシードを着るだけでいっぱいいっぱいで、全然余裕なかったです(笑)。拍手が上から降ってくる感じでした。今回、宮崎駿(※崎=たつさき、以下同)が原作や脚本などを手がけた「三鷹の森ジブリ美術館」の短編アニメーションと『紅の豚』、自分が監督した『ゲド戦記』を上映してくれたのですが、それを見てくださっている人をその場で見られたことが一番うれしかったです。
2020年ぐらいからHBO MaxやNetflixといったストリーミングサービスで作品を配信するようになって、それによって過去作を含めて初めてジブリをちゃんと見たという人が世界中に生まれたんですよね。その影響はすごく大きかったんじゃないかと思います。今回、カンヌに行って、ポーランド、ハンガリー、ノルウェー、ブルガリアのメディアの取材を受けたんですよ。モロッコで初めてジブリ作品(『君たちはどう生きるか』)を配給した会社の方にもお会いしました。すごく状況が変わっていることを実感しました。
――およそ40年にわたり、数多くの名作を生み出したスタジオジブリの功績に対しての「名誉パルムドール」。団体に授与されるのは初めてとのことです。
【吾朗】1985年にスタジオジブリを設立して、間もなく40年。三鷹の森ジブリ美術館も2001年の開館から20年以上経ちますし、それだけの歴史があっての評価だったんだと思います。カンヌから帰ってきて冷静になると、「これから先40年もスタジオジブリは頑張れよ、ということだと思いました」なんて言わなきゃよかった(笑)。あの時はそう言わないといけない気がしたんですよね。
――カンヌ映画祭が認めた“功績”に、アニメーション作品だけでなく、ジブリ美術館やジブリパークも含まれていたことは、スタジオジブリをさまざまな立ち位置で見つめてきた吾朗監督にとって感慨もひとしおだったのではないですか?
【吾朗】やはりスタジオジブリ=アニメーションという認識になると思うのですが、美術館も、パークもやってる僕からすると、すごくうれしかったです。それは美術館やパークのスタッフも同じだと思うんですよね。アニメーションをつくっているわけではないけれど、自分たちもスタジオジブリの一員だと感じてもらえたんじゃないかな。
――ジブリ美術館は、コロナ禍で経営が苦しくなったこともありましたが、ふるさと納税を活用してファンの支援を受け、持ちこたえることができました。継続してきたこと自体の価値も認められたような気がします。
【吾朗】例えばコンピュータの中の仮想空間にジブリ美術館をつくればコストは安くすむかもしれない。でも、それって楽しいか?という話でもあるんですよね。ジブリパークも同じですが、実際に足を運んで、見て、触って、カフェでお茶を飲みながらおしゃべりして、そういう肉体的な体験も含めて楽しむことができる場所があるというのは、今後ますます強みになっていくように思うんです。
アニメーションをつくることにおいても、その実体性みたいなものはどこかに残しておいた方がいいんじゃないか、という気がします。ただ、本当にそうなのか、40年後どうなっているかわからないです。ですが、そもそもスタジオジブリはみんなと同じことをやりたくて始めたわけじゃないから、今後も自分たちがこれでいいと思うことをやっていけばいいと思っています。
――これからの40年について、今、思うことは?
【吾朗】次をどうしていくか、というのを今、頭を冷やしながら考える時期なんだと思います。ちょうど美術館を建てた時と重なるところがあるんです。
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