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更新日:令和5(2023)年10月2日
ページ番号:314995
(おのはいっとうりゅうりゅうそおのじろうえもんただあき・にだいおのじろうえもんただつねはか)
県指定史跡
昭和18年4月30日
成田市寺台574(永興寺)
成田山公園に隣接する、永興寺所有の小高い丘の上に、江戸時代初期の剣豪で小野派一刀流の流祖小野次郎右衛門忠明・二代小野次郎右衛門忠常の墓(五輪塔)が建っている。
小野派一刀流は、小野次郎右衛門忠明により開かれ、柳生新陰流とともに徳川将軍家に採用され隆盛を誇った流派である。流祖忠明は、房州御子神(現安房郡丸山町)の生れで少年時代を御子神の地で過ごし、御子神典膳と称していた。たまたま来遊した一刀流開祖の伊藤一刀斎景久に入門し、修行を重ねた後、一刀流継承をかけた小金原の決闘で小野善鬼を破り、一刀流の正統を継承した。
その後に徳川家康に仕え、母方の小野姓に改め、元和3年(1617)成田市寺台の地頭となり、寛永5年(1628)12月7日没した。
2代忠常は、3代将軍家光の指南番となり、小野派一刀流の隆盛に大きく貢献し、寛文5年(1665)12月6日没したのち、流祖忠明とともに永興寺境内に埋葬された。
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