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更新日:令和5(2023)年5月11日
ページ番号:315126
(てんしんしょうでんかとりしんとうりゅうしそいいざさちょういさいはか)
県指定史跡
昭和18年2月19日
香取市香取(個人)
天真正伝香取神道流は、室町時代に形成され、その後の多くの流派に影響を与えたわが国最古の権威ある流儀として知られている。流祖である飯篠長威斎家直(いいざさちょういさいいえなお)は、香取郡多古町飯篠に豪士の子として生まれ、のちに旧丁子(ようろご)村山崎(現在の香取市)に移り住んだ。
ある日、家直の家人が香取神宮の神井(聖水の湧く井戸)で馬を洗っていたところ、人馬ともに突然死亡した。これを見た家直は、香取の神の不思議な力を感じ取り、香取神宮境内の梅木山不断所に千日籠もりの修行をし、ついに剣法の奥義を極めるに至ったのである。これが、天真正伝香取神道流のはじまりとされている。
その後、家直は将軍足利義政(1436~1490)に仕えたが、まもなく帰郷し、香取神宮近くの新福寺門前に道場を開き子弟を指導する日々を過ごし、長享2年(1488)4月15日に没した。
家直の子孫は当代で20代を数え、宗家は代々香取の地に道場を構え、修理亮を名乗り天真正伝香取神道流を今に伝えている。
現在、墓碑は香取神宮旧参道の奥の宮入口に所在している。墓碑は緑泥片岩で、上部を欠き、高さ91cm、幅49.5cmで、「飯篠伊賀守長威大覚位」の陰刻がみられる。
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