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更新日:令和6(2024)年2月8日
ページ番号:315229
(かいほぎょそんせんせいたんじょうのところ)
県指定史跡
昭和14年12月15日
山武郡横芝光町北清水167-1ほか
海保漁村は江戸時代後期の儒学者である。寛政10年(1798)11月22日に、現在の山武郡横芝光町北清水に生まれた。幼名を彦三郎、名を元備(もとなり)、字を郷老といい、漁村は号である。父は名を修之(のぶゆき)、号を恭斎といい、医学者であった。漁村は幼少の頃から学問を好み、14歳で江戸に出て学んだ。一度郷里に戻った後、文政4年(1821)に再び江戸に出、後に折衷学派の儒学者である太田錦城に師事した。
その後、師錦城のすすめにより江戸下谷に「伝経廬(でんけいろ)」という私塾を開き、一般子弟に教育を施しました。彼の塾からは、渋沢栄一、鳩山和夫、島田篁村(こうそん重礼)などの、明治時代の政治・経済・文化の各分野で活躍する有名な人々を多数輩出しています。また、天保14年(1843)には佐倉藩主堀田正睦に招かれて経書を講義し後に佐倉藩校成徳書院の儒官となり、さらには、安政4年(1857)には幕府医学館直舎儒学教授にも任命されています。漁村は教育のかたわら多くの著作を残し、慶応2年(1866)に江戸で他界した。
現在建てられている記念碑は、昭和14年(1939)に建立されたものであり、この事業の発起人には渋沢敬一、白鳥庫吉、徳富猪一郎(蘇峰)、鳩山一郎などの錚々たる人々が名を連ねています。また、記念碑の碑文の揮毫は後に貴族院議長を務めた徳川圀順の手によるものである。
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