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更新日:令和5(2023)年12月14日
ページ番号:314661
(いいだかだんりんあと)
県指定史跡
昭和50年12月12日
匝瑳市飯高1781-1ほか(飯高寺)
飯高檀林跡は、敷地の面積が67、667平方メートルで、うっそうとした杉林が歴史の重みを感じさせる。檀林とは、栴檀林(せんだんりん)の略で、寺院の尊称であるとともに僧が集まって学問をする場所をいう。
天正元年(1573)要行院日統(ようぎょういんにっとう)が匝瑳市飯塚の光福寺に学室を開いたことが檀林の前身とされている。後に京都から教蔵院日生(きょうぞういんにっしょう)を招き、天正7年(1579)に土地の有力者平山刑部の後援をえて学室を当地の妙福寺に移した。これが飯高檀林の発祥で、僧侶の教育と宗学を研究しきわめることを目的として開設され、翌天正8年(1580)には現在の土地に移された。その後、家康の側室、お万の方の帰依が厚く、生母の意を汲んだ紀伊頼宣、水戸頼房の寄進により、規模が整えられた。
境内建物の配置上の中心が、多くの寺院に見られる「本堂」ではなく「講堂」となっている点に特徴があり、これは僧侶の養成・教育機関としての寺院の機能がそのまま境内配置にあらわれた結果ということができる。
学問所として開かれた飯高檀林も、明治5(1872)の「学制」発布により同7年(1874)に廃檀となり、294年間の長い歴史を閉じた。
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