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更新日:令和6(2024)年9月11日
ページ番号:315458
(ぼうそうはんとうのまいわいおよびせいさくかんれんしりょう)
県指定有形民俗文化財
平成12年2月25日
館山市館山1564-1(館山市立博物館分館)
万祝とは、大漁の際、祝いの引出物として出された漁師たちの晴れ着のことである。幸運にも思わぬ大漁があると、船主や網主などは、船子や網子などを集め、その労をねぎらって祝いの席をもうけた。もともとは、この祝宴のことをマンイワイ、マイワイなどと称していたが、この席上で揃いの半纏や反物を引出物として出すようになり、やがてそれが慣習化すると、この祝い着そのもののことをマイワイと呼ぶようになった。当初は、万祝と書くほか、間祝・舞祝・真祝などと表記されることもあった。そして、これを着て近場の社寺などに揃って参詣し、大漁感謝、航海安全などを祈った。万祝が盛行したのは、特に地曳網漁を中心とする九十九里浜の網元たちが、競って派手な大漁祝いを行ったことが影響している。文化・文政期(1804~30)頃より房総半島一帯から各地に広まったとされ、東京・神奈川・伊豆諸島のほか、茨城や福島、宮城、北海道などの沿岸部に分布がみられる。茨城県より北の地域では、船主の家紋や屋号が入っていることから、カンバンと呼んでいた。房総で万祝の製作に携わった紺屋は、万紺屋と呼ばれ、通常は分業で行うものを、注文取りから型紙彫り、染め、販売にいたるまで、すべてを行っていたことが大きな特徴である。本資料は製品としての万祝と製作に使われた道具や材料のほか、見本帳や注文書などの関係文書類である。
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