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更新日:令和5(2023)年12月19日
ページ番号:314817
(なんばんどうぐそく)
県指定有形文化財(工芸品)
平成20年3月18日
船橋市(個人)
この具足は、江戸時代はじめの武将成瀬(なるせ)吉正(よしまさ)が着用したと伝える南蛮胴具足である。南蛮胴とは西洋から渡来した甲(よろい)を日本で改造したものですが、この具足は日本でそれを模倣して制作された。
徳川家の家臣であった成瀬正成の次男吉正は、加賀藩へ移り、城代を務めた家柄である。成瀬家では、大坂冬の陣に出陣した吉正がこの南蛮胴を着用したと伝えられている。左脇腹に残る銃弾を受けた痕は、その時に真田氏から撃たれたものであることが『寛永諸家系図伝』の成瀬氏系図に記載されている。
胴の丈は37.5cm、胴幅は33.0cmです。胴は、中央を大きく出っ張らせた前と後の二枚の鉄板を脇の下でつなぐいわゆる二枚胴と呼ばれる形式である。胴の表面は平らに仕上げ、背中側に旗差物(はたさしもの)をうける部品が付いている。胴と下半身を守る草摺(くさずり)の板をつなぐ糸や、兜、籠手(こて)、佩楯(はいだて)、臑当(すねあて)は後に加えられたり、直されたりしたものである。
南蛮胴の具足は、この具足を含めて現在全国で数領しか所在が確認されておりません。それらのなかには徳川家康が着用したものも含まれています。実際の合戦における使用の痕跡を残し、江戸時代時代以来の由緒を伝えている事から、わが国の武家文化、江戸時代初期の工芸技術を知る上で貴重な具足といえます。
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