ここから本文です。
ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化財 > 市町村別の国・県指定および国登録文化財 > 香取エリアの市町 > 香取市の国・県指定および国登録文化財 > 銅造十一面観音坐像 地蔵菩薩坐像 薬師如来坐像 釈迦如来坐像
更新日:令和5(2023)年10月6日
ページ番号:315154
(どうぞうじゅういちめんかんのんざぞう・じぞうぼさつざぞう・やくしにょらいざぞう・しゃかにょらいざぞう)
地蔵菩薩
薬師如来
重要文化財(工芸品)
大正2年8月2日
香取市牧野1752(観福寺)
観福寺は真言宗豊山派の巨刹で、川崎大師・西新井大師と並ぶ、関東三大厄除大師の一つに数えられる。この4躯の仏像は、もと香取神宮の本地仏として鋳造されたものであるが、現在は観福寺に納められている。
像の形式は、円形の鏡板を光背とした懸け仏に準ずるもので、構造は、頭体と両脚部は合わせ型を使って一度に鋳造し、両手先は別に鋳造したものを差し込んでいる。背には2本のほぞを造り出し、鏡板を支え、膝下に4本のほぞを造り出して台座に取り付ける構造である。当初の台座はいずれも失われており、現在のものは後で造られたものである。
これら4躯は、鏡板の刻銘から鋳造の時期が2期にわたっていることが判明している。先に鋳造されたものは、釈迦如来坐像と十一面観音坐像で、弘安5年(1282)に仏師蓮願によって製作されたものである。慶派風の写実を基調とした堅実な様式で、優れた作風の金銅仏である。
他の2躯のうち、地蔵菩薩坐像は、その鏡板の刻銘から延慶2年(1309)に、先の2躯の造立願主であった実政の追善のために実胤が願主となって鋳造されたものである。薬師如来坐像は鏡板を失っているため正確な鋳造時期は不明であるが、宋風の様式を示すところが地蔵菩薩坐像と共通しており、同じ時期の鋳造と考えられる。
銅造釈迦如来坐像、銅造十一面観音坐像の銘文には、弘安の役(弘安4年(1281))の際、元軍の退散を願ったことを示す、有名な「異国降伏」の銘が見られる。
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください