俺はいわゆる『ディラン=神』という世代ではない。
「ビートルズ」も「ストーンズ」も、別にどうでもよかった。
70年代のグラムロックから80年代のパンクムーブメントを青春とした『耽美』と『怒り』をルーツとした
いわば『カッコ良くなきゃ死ね』という端的なイメージこそロックである、言わば『ルーツ』を拒否した世代。
ジミヘンが嫌いだった。
ブルースが嫌いだった。
自己陶酔型のミュージシャン然としたミュージシャンを否定することにより、個性を見いだす新世代の『アンファンテリブル』だった。
Amなんて恥ずかしくて死んでも弾くものか、と思った。
俺のヒーロは革ジャンの上下にみを包みリーゼントでフライングVをかき鳴らす「クリス・スペディング」
スーツにレジメンタルのタイを結んだ「ビル・ネルソン」
すべてのコードワークに血が滲む「ウィルコ・ジョンソン」
モッズ・スーツでリッケンバッカーを切り刻む「ポール・ウェラー」
難解なコードを「THIS IS POP」と叩きつぶす「アンディー・パートリッジ」
リリカルに知を流す「トム・ヴァーライン」
ギターから指板を消した「エイドリアン・ブリュー」
『サティスファクション』はDEVO
アート・リンゼイ、マーク・リボー
変態と呼ばれるギターリストに憧れ、そうなりたかった。
30を超えたら死にたいと本気で思っていた。
真夜中の吉祥寺の線路に横たわり、ジェームス・ディーンの気分で耳元に近づく列車のノイズを数秒まで待ったものだ。
死ぬかもしれない。
死んでもいい。
いや、死ねるものなら死んでみせる。
ロックに死ぬことを夢見た馬鹿なパンク・ロッカーだった。
そんな俺がディランの「FOREVER YOUNG」を聴いて号泣した。
いつまでも生きていれると思うなよ、と胸ぐらを掴まれて凄まれたら、俺も所詮子供。
ロックンロールは死ぬまでダンスすることだ、とサラリと言われちゃ泣くしかない。
あのステージはすべてのロック・ミュージックに哲学を知る人間にとって、絶対的なものだった。
チャーリー・セクストンが良かった。
押さえの利いたミニマルなプレイの中にも、ヤンチャな貴公子としての存在感は当時のまま。
「弾いてはならぬ」フレーズを弾かぬことが、聞き手の音のイメージにすべてを与えた。
BOφWY時代、彼のアルバムを聴いてその艶やかな感性に打たれ、そのオーセンティックとモダンが融合したアプローチに多大な影響を受けた。
バンドをよりモダンにするために8ビートにシンセ・ベースを取り入れる提案をし、氷室氏は受け入れてくれた。
スティーヴ・スティーヴンス、旧友のジグ・ジグ・スパトニックのニールXのアプローチ然り。
ブライアン・セッツアーもまた「こちら」の世界のギタリストだ。
ロックンロール=ファッション。
最強だ。
客席では高橋ユキヒロさん、平山雄一さん、渋谷陽一さん、ギタリスト仲間のSUGIZOくんともお会いした。
きっと皆さん、その夜、心で号泣した同士だと思う。
アンコールの3曲が終わり2階の席を立った。
楽屋道をゆく途中にバンドの音が聴こえた。
係員の方に「ご覧になられますか?」と声をかけていただいた。
「よろしければ」と関係者だけの入れる最前列に誘導いただいた。
最前列から観たら、バンド全員の微笑が見れた。
本気の微笑み。
リスペクトと冒険を共にする世代を超えたスピリット。
ロックンロールよ!気高くあれ。永遠に。
勝てる相手ではない。
でも負けてはいかん、とこの心が呟いた。
チロル・チョコは怖くて喰えないな。
ただ甘いはずがない。