たこ焼き編
ワテは生まれも育ちも大阪は天下茶屋、聖天さんで産湯を使い、十五のときから大阪の町でたこ焼き・お好み焼き・焼きそばを焼き始めてウン十年いろんな事がおましたな、大阪の町でもんじゃ焼きとパスタ・スパゲティそれにラーメンもやりましたで。
高校生とたこ焼き屋台と、二足のわらじを親父に無理にはかされて三年間、あの頃は大阪の町でたこ焼きを焼くのが嫌やったな。
ワテの親父の稼業が大阪のテキヤ、又の呼び方を香具師、やしと読むんやで、「男はつらいよ」の寅さんの職業とおんなじや、ありていに言えば露天商ですな。
近所の幼馴染は親父の稼業を知ってるんで、気にならんかったけど、高校の同級生にたこ焼きを焼いてるとこ見られるのは、嫌やった、特に憧れていたセーラー服の同級生には、懐かしい青春の思い出やな。
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ワテの親父と同業のツレに大阪の町で金魚すくいをやっているのもおったな、金魚すくいを高校生はやらへんからな、そやから同級生に会うこともないし、それに金魚すくいはお客さんが勝手に遊んでくれるから楽やけど、たこ焼きはワテが焼かんならん、プロのたこ焼き屋は重労働やで、金魚すくいのツレが、羨ましかったな。
ワテが高校の頃のたこ焼きは簡単やった、メリケン粉を水(だし汁とちがうでただの水)でといて、たこ焼き鍋に流し込んで、具を入れて、丸く焼いて、ソースを刷毛でぬって、鰹節粉(この頃は鰯と鯖の魚粉)とあおのりをたこ焼きに振りかけて、大阪のたこ焼きの一丁上がりや。
大阪のおなご(女)とジャリ(子ども)にたこ焼きが飛ぶように売れたわ、そやけど儲からんかったわ、原価の割りに売り値が安かったからや、たこ焼き10個で20円ぐらいやった、玉子は1個18円もしとったわ、そやからたこ焼きに卵を入れるたこ焼き屋は大阪には無かったな、たこ焼き10個15円のたこ焼き屋なんかはたこより安かったイカをたこのかわりに入れてたんや、めちゃしよるやろ、これは大阪のたこ焼き屋業界にとってマイナスやったな。
一部のがめつい(欲ばり)たこ焼き屋が儲けを増やすために、たこ焼き1個あたりのメリケン粉をへらそうと水の量を増やしていきよった、これがほんまの水増しやで、だけどこれが思わぬ効果を生みだすんですわ、みずくさいたこ焼きにならんと、そとがカリッと、なかがトローリの大阪の味たこ焼きが完成したんですわ、これで大阪のたこ焼きはおいしいと全国区になりましてん、世のなか何がさいわいするかわかりまへんな。
ワテのバイト料は売上の15%の歩合制やねん、そして親父は抜け目ないねんで、たこ焼きの材料は親父が用意するねん、そのときたこの切り身の数を勘定しとるねん、ワテが売上ごまかさんようにや、だけどワテのほうが一枚上手や、たこの切り身を10%ほど半分に切って、売上の10%ちょろまかしたもんや、そやから小遣いには不自由せへんかったで。
今ごろ閻魔さんのおるとこで、ほぞを噛んでいるやろ、親子のよく目でみても親父は天国にはいけんやろ、子不幸な親父やったからな、世のお父さんたち、お子さんには十分な小遣いと自由を与えないとあきまへんで(笑)。
高校を卒業する頃、高校の先生が親父にこの子は勉強が出来るさかいに大学に行かしたれと説得しよったが、ワテが断った、ワテは勉強なんかでけへんねん、中間期末考査のテクニックがうまかっただけや、世のなか万事が要領や、そやけど要領のええヤツは実力ないで、ワテは勉強は要領でやったけど、仕事は大阪の町でたこ焼き屋台をメーンにお好み焼き屋台と焼きそば屋台をコツコツ真面目にやりましたで、その結果がこのホームページなんやで。
ホームページはなんとか立ち上がりましたけど、うだつはいまだに上がりまへんな(泣く)。
お好み焼き編
ワテが高校を卒業したころ、たこ焼き屋台を引いた放浪のエッセイストになろうと思ってましてん。
大阪の町から離れ、たこ焼きを売りながら日本全国を放浪して、各地の人情の機微に触れて、エッセイを書きまんねん。
こんな崇高な大志をいだきつつ、大阪の女子高の校門でお好み焼きを売ってましてん。
「大志とはウラハラに、下心ミエミエやないか!」とツッコミが入りそうでんな。
そんなある日、目元とほっぺが吉永小百合に似ているセーラー服の女子高生がお好み焼きを買いにきよりましてん。
ワテは崇高な大志も忘れて、よせばいいのに一目ぼれしましてん。
その女子高生が「ウチ、大阪のお好み焼きが大好きやねん」と嬉しいことを言いよりまんねん。
ワテはそれからと云うものは、その女子高生に会いたいために雨の日も風の日も休まずにその女子高の校門でお好み焼きの商売しましたで。
そして、やっとのおもいで、デートの約束を取り付けましたで、もちろん食事は彼女の大好きなお好み焼き、大阪の心斎橋の有名なお好み焼き店で、お好み焼きを食べながら彼女が「あなた好みの女になりたい」オイオイそれって、奥村チヨの歌で「恋の奴隷」やないか!。
そやけど、初恋状態のうぶなワテは舞い上がりましたで。
結婚後、嫁はお好み焼きとあなた好みをかけた駄洒落やと言いよりまんねん、だけどそれやったら詐欺ペテンやおまへんか、恋の奴隷はワテやったんか!(泣く)。
「男はツライよ」の寅さんのストリーみたいでっしゃろ、寅さんは結ばれることなく、次の女とまた恋(片想い)を続けますが、ワテは一人目で「人生の墓場」ですねん(笑)。寅さんがうらやましい(泣く)。
人生って泣き笑いの連続でんな。
結婚してから、嫁は気に入らんことがあると、ワテの外食の嫌いな習性を利用して、食事を作らへん与えへんの「兵糧攻め」でんねん。
ある時、嫁と一緒にお好み焼きを食べていると「やっぱり、お好み焼きはキャベツとソースが決めてやな!」と嫁が言いよりましてん。
ワテは「ソースはやっぱり広島のオタフクソースやな!」とかえしましたんや。
そしたら、嫁がイキナリ怒り出しよりましてな。
嫁「あんた!!ウチの顔見ながらオタフク言うたな!!!」
ワテ「それはいいがかりや!誤解や!」
嫁「ごかいも6階もあるかい!心にあるからでてくるんや!!」
ワテ「・・・・・・・・・・」パニック状態で言うべき言葉がみつからない。
それで「兵糧攻め」ですわ。
ワテは、何度もこの「兵糧攻め」にあって、痩せ細り、そのたんびに詫びを入れましてん(泣く)。
このままでは、ワテの人生は灰色や、なんとかせなあかん、と思いつつ大阪の町で30年の歳月が過ぎましてん。
「少年老いやすく、亭主関白なりがたし、一寸の光陰軽んずべからず」 ちょっとちゃうなー。
「亭主関白は夢のまた夢」 ぴったしやー (落涙)。
(兵糧攻めとは:城を攻撃する一つの方法で、城を取り囲んで食料を城内へ運び込ませないようにして、敵が城内の食料を食べ尽くして自滅するのを待つ作戦。豊臣秀吉の鳥取城兵糧攻めが有名。)
焼きそば編
結婚して間もないころのある日、嫁が「あんた!ちぃーとは隣りのご主人を見習うたらどないやねん!」と言いよりまんねん。
隣りのご主人はワテと同業で、焼きそばが大変おいしいと評判で、かなりの売上があるらしいと聞いてましたんで、ワテはそれからというものは、一所懸命に焼きそばの研究をしましたで、そして焼きそばの商売だけしてましてん。
雨が降った日に焼きそばの商売を休んで、家でゴロゴロしていたら、嫁が「あんた!ウチがこの前、隣りのご主人を見習え言うたのに、なにゴロゴロしてるねん!家事を手伝うたら男の沽券にかかわると思うてるやろー!」
ワテは一瞬、頭の中が真っ白になりましたで、しもたー、そぉやったんか、エライ勘違いや、ワテも含め大阪の男は家事は一切手伝いまへんのや!、自慢と違いまっせ、父親が家事をしないのを見て育ったせいですわ(反省)。
隣りのご主人は、どこの出身か知りまへんけど、炊事洗濯掃除が大好きで、休みの日には家事を手伝うとりまんねん、ワテらエライ迷惑だっせ。
商売を見習うんやのうて、家事を手伝うほうやったんかいな。
こんなボケが嫁にバレたら、ハネムーンベビーでお腹の大きい嫁に「逆三行半もんや!」とツッコミいれられて、往生するとこでおましたで。
ワテは恐怖にふるえながら、掃除機をかけましたで。
このままでは、ワテは一生嫁に家事でもこき使われそうなので、無い知恵を絞りましたら名案(悪知恵かな?)が出てきよりました。
ワザとノロノロ掃除をしましてん、嫁はめっちゃイラチやさかい、「もっとはよせんかい!、エ〜イ、イライラする、見てられへん、掃除機ウチによこせ、よう見ときやー、掃除はこうするねんでー!」
ワテは嫁に見えないように舌を出して、一目散に大阪の町に飛び出しましたで。
それ以来、執念深い嫁もあきらめたみたいでっせ。
そやけど、ワテら夫婦は始めから「かかあ天下」でしてんな(泣く)。
おかげで、ワテの焼きそばもおいしいと評判になりましたで。
「人間万事塞翁が馬」でんな。
(三行半とは:三下り半、みくだりはん、江戸時代ころ夫が嫁を離縁した証文のこと、因みにそのころは理由の如何を問わず嫁からは離婚できなかったそうでっせ、暗黒の時代でおましてんな。)
もんじゃ焼き編
「なんで大阪のたこ焼き屋がもんじゃ焼きやねん」とツッコミ入れたいやろうけど、まあそう言わんと、次を読んでおくんなはれ、これには深いわけがありまんねん。
あるとき、ワテはたこ焼き屋を生業から、株式会社を作って大阪一のたこ焼き屋のチェーン店の社長に成るぞと、ガラにも無く一念発起しましてな、大阪の町にたこ焼き屋のチェーン店を展開するために市場調査を始めたんですわ、そうしましたら大阪ちゅうとこはどこにでもたこ焼き屋があって、これがまたどこもおいしいんですわ。
こらあかんわ、大阪でたこ焼き屋のチェーン店の展開は成功率が低いわ、そこでかねてより聞いていた、東京のたこ焼き屋はどこも不味い、美味いたこ焼き屋はほとんど無いでと、それやったら東京に進出したろやないかと、大阪一みたいなもんこんまいこんまい(小さい小さい)、こうなったら日本一めざすんやと、ぶち上げたんですわ。
ところが思わぬとこから横槍がはいりましてん、嫁が「大阪で生まれた女やさかい東京にはようついていかん!」と言いよりまんねん、オイオイ、どこかで聞いたせりふやないかいな、それに嫁は「バタやん」こと田端義男が歌うところの「島育ち」そのまんまとちごたんか、奄美育ちのハブ(マムシより恐い毒蛇)女がなんで大阪の女やねん、と嫁に聞こえないように小声でぼやきつつ・・・・・・・。(このホームページもし嫁に見られたら外国へ高飛びせなあかん)
てなわけで、東京進出はあきらめましてん(泣く)。東京進出はあきらめましたが、事業への情熱はますます熱くなってきよりましてん、それやったら東京に有って、大阪に無いもん、大阪で売ったると、調べましたら、おました、もんじゃ焼きが!。
それで、ワテは東京の月島に出張って行きました、まず驚いたのが、もんじゃ焼き屋の多さ、東京の人は主食にライス食べんともんじゃ焼きかいなと、おもわず思ってしまったぐらいですわ、それと各店独自のなんでも有りのメニューの豊富さですわ、これには感心を通りこして、あきれてまんねん、東京の人のアクセントにはカドがあるけど、おつむは柔いでんな。
東京の月島で、もんじゃ焼きを食べまくりましてん、ただ食べただけやないで、味とキッチンの様子をメモに取りましたで、そして大阪に帰って、来る日も来る日も、もんじゃ焼きを焼いて研究した結果、おいしいもんじゃ焼きのレシピを完成させたんですわ。
作者のひとり言:「東京のたこ焼き屋さんも、大阪のたこ焼きを食べて、研究してほしいな・・・・・」。
屋台でもんじゃ焼きの営業は無理なので、ワテと同業のお好み焼き屋のツレの客席が32ほどある店舗の一角を借りて、もんじゃ焼きを試験販売をしたところ、ちぃーとも売れまへんのや、あの頃の大阪は、もんじゃ焼きの知名度がひくうて、「どんなもんじゃそれは、そんなもん知らん!」とお客さんが相手にしてくれまへんのや。(ここで笑わんと笑うとこないよ、ここで笑える方は浪花っ子だけかもしれん)
そんなわけで、もんじゃ焼きをあきらめましたんや、そして事業への熱も冷めましてん(泣く)。
ワテはチョット早すぎたようです、最近はテレビのおかげで、全国的にもんじゃ焼きの知名度が高くなったので、地方でもんじゃ焼き屋を始めても、今やったらやっていけるんとちがうやろか、すこしやけど大阪にも、もんじゃ焼き屋が営業しているようでっせ、地方で東京風もんじゃ焼きが定着するんやろな。
パスタ編
どれぐらい前やったかな、イタめしがブームになったとき、ワテも料理人のはしくれや!、「オイオイ、フツー、たこ焼き屋は料理人とは、云わんやろ」とツッこまれそうやけど、「ほなどない云うねん」と、開き直りつつ・・・・・。
屋台でイタめしは出来んもんかいなと、出来の悪い頭は親父の遺伝やとぼやきつつ、無い知恵絞りましたんや、そしてパスタ・スパゲッティやったら出来そうやと、ひらめきましてん。
高校生のときのセーラー服の同級生に、イタめしレストランやっているもんが、おったのを思い出したので、速攻で訪ねて短期弟子入りしましてん。
もちろん、奄美のハブ女(ワテの嫁)には、セーラー服の同級生ではなく、男の同級生としてまんねん、ワテは毎日、ルンルン気分でパスタ・スパゲティの勉強と屋台での調理法を研究しましてん。
これも嫁にばれたら、外国へ高飛びもんやな、パスポート用意しとこ。
屋台のお好み焼きの鉄板で調理する、パスタ・スパゲッティのメニューはナポリタンが最適と答えが出ましてん。これやったら、焼きそばみたいに、お持ち帰りも立ち食いも出来ますやろ。
そして、お祭りの神社の境内で、おそらく日本初の、屋台のパスタ・スパゲティを売り出しましてん。
結果は、売れないときのことも考えて、用意した100人前が、行列が出来て、速攻で売り切れ、「しもたあー、もっと材料用意しとくんやった」とお祭りの境内で、後の祭りと後悔しましてん(笑)。
もんじゃ焼きはちぃーとも売れへんかったけど、パスタ・スパゲッティはばか売れ、商売ってこんなもんでっせ、そやから商売はやめられまへんのや。
あるとき、パスタに粉チーズをふりかけるところを、あおのりをふりかけて、お客さんに渡してしもうてん、そのお客さんは強面(こあおもて)のおあ兄さんで、パスタ・スパゲティを一口食べるなり、ワテに向かってドスのきいた声で「オイ!兄ちゃん!」ときたんや、ワテはおもわず警察やと、携帯に手が伸びましたで、すると強面のおあ兄さんが、ニコッと笑って「兄ちゃん、これいけるやんか!」、驚かしないな、寿命がちぢんだやないか、てなこともおましたな。
それからも、ちょくちょく間違えて、「あおのり かかった大阪風のパスタ・スパゲッティやな」とお客さんに云われたこともあったけど、そんなもん有るかいなワテがまちごただけや、それでワテも試しに食べてみましたが結構いけまっせ、そやけどパスタ・スパゲティにあおのりなんかかけたら、パスタ・スパゲッティと焼きそばの区別があいまいになるから、パスタ・スパゲティには粉チーズふりかけてイタリアンでいきまひょ(反省)。
おそらく、これも日本初の家庭のホットプレートでパスタ・スパゲッティを調理するための、作り方とレシピが、メニューに有りまっさかいに、調理時間は20分ぐらいやから、一度試しておくんなはれ。
それから、もしイタリアに行くことがあっても、イタリアのレストランで、ナポリタンなんかオーダーしたらあきまへんよ、ナポリタンは日本で考案されたんやで、そやからイタリアのレストランのメニューにナポリタンはおまへんで。
それではナポリタンはイタめしやろか?、イタめし風ナポリタンが正しいんとちゃうか。
ラーメン編
イタめしブームが去って、パスタ・スパゲッティがちぃーとも、売れんようになってきよりましたら、次はラーメンブームですわ、テレビが連日のようにラーメンの特集番組ですわ、食物のブームちゅうのは、テレビ放送会社が視聴率を稼ぐために仕掛けてるんかいなと勘ぐりたくなりますな。
ワテは二匹目の泥鰌を狙って、ラーメンブームに乗ることにしましてん。そしてラーメンの作り方をマスターする方法を探しましてん、そしたら、また具合の良いことに、高校生のときの同級生(残念ながらセーラー服とちがうねん)がラーメン店やっているので、訪ねていきましてん、そしたら、そこの店員の一人がワテの青春時代からの大ファンの吉永小百合に瓜二つなんですわ、サユリストのワテは毎日ルンルン気分で通いましたで。
そんな、ある日、奄美のハブ女(ワテの嫁)が「あんた!毎日楽しそうやな、浮気でもしとるんと、ちやうやろなー」とドスのきいた声で言いながらワテをにらみよりまんねん、ワテは目がテンになり「アワヮヮヮ・・・・・・」(恐怖で声になってない)
「フツー、プラトニックは浮気とはいわんやろ」そんな言い訳が奄美のハブ女に通じるハズもなく、ワテはすんでのところで、外国へ高飛びするところでおましたで。
そんなことがあって、ラーメン屋台を始めたら、奄美のハブ女がちょくちょくラーメンを食べに来て「兄さんとこのラーメンは鳥ガラのスープがきいておいしいなー」と他のお客さん聞こえるように言って、ワテに小声で恩ぎせがましく「うちはサクラになってあんたの商売を応援してやってるんやで」と言いながら、ラーメンすすって空腹を満たすのとワテの浮気の監視の一石二鳥を決めこんどりまんねん、ワテの身から出たさびとは云いながら、踏んだり蹴ったりですわ(泣く)。
(サクラとは:春に咲く国花の桜ではなく、露天商の仲間がお客のふりをして、他のお客さんの購買意欲をあおることでっせ。)
屋台でのラーメンは、昔ながらの、メンマの入った醤油ラーメンでやることにしましてん。
チャルメラ鳴らしながらの夜鳴きそば、懐かしいでんな。
あのころはインスタントラーメンみたいな便利なものは無かったな・・・・・。光陰矢のごとし・・・・・。
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