ワテは、高校生の頃より、ガラにもなく、随筆家に憧れていましてん。
「憧れていたのはセーラー服の同級生とちごたんかいな」
とまぜかえさんといてや。
エッセイ・随筆を読みまくりましたで、
いつの日か、エッセイ・随筆を書きたいと思いつつ、ウン十年、
かくのは恥ばかりなりと開き直り、平成の兼好法師を気取りつつ、
想いのたけを大阪弁に託して、キーボードを叩かせてもらいます。
エッセイ1 | 夢・方丈記 |
エッセイ2 | 邯鄲の夢 |
エッセイ3 | 生きる |
エッセイ4 | 平和 |
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行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。 800年前に鴨長明は随筆方丈記で、時の流れを川に、人を川面に浮かぶバブル(泡)にたとえ、人生をこのように喝破していますな。 時の流れを川にたとえるのは異論はおまへんが、川面に浮かぶバブルみたいに、人生はそんなに軽いものでは、ないんとちやうやろか。 人はいくつになっても、夢(希望・願・志)の実現を試み、また手中にした夢を大事に守り、そして新しい夢を求めてるんとちやうやろか。 それは、ささやかな夢であっても、その人にとっては、その夢は何物にも変えがたいものもあるんとちやうやろか。 大多数の人々の夢のひとつに、人の最小組織単位である、自分の家族の幸せを願い、家族の幸せを守ることがあり、ときとしてそれに命をかけることも。 昔、太平洋戦争で、片道分の燃料しか積まずに、敵艦に飛行機もろとも突入するために、生きて帰ることの無い、出撃をして行った特別攻撃隊の搭乗員の遺書には、家族の幸せを願う記述が必ずと云ってあります。 特別攻撃隊員にかぎらず、この戦争にかり出され、死んでいった人たちは、私が想うに、彼らは死にたくはなかったはずです、自分の家族のために、戦って死んでいったのです。 国のためには結果論だと想います。今の首相(小泉純一郎)は勘違いをしている、靖国神社に祭られているなど彼らにとっては論外だと想います。 彼らの死は、けっして犬死ではありません、なぜなら愛する家族を守る夢のために死んで行ったからです。 だが、戦争を推進した指導者の罪は万死に価し、死してもその罪は消えることはありません。 そやけど、自分自身が幸せに成ることが、家族の幸せでもあるねんで。特に人の親はそう想うとりまっせ。 家族の幸せを願い、家族の幸せを守る夢を持っていたら、あるいは理解していたら、人生を川面に浮かぶバブルにたとえたりはしまへんやろ。そやのに鴨長明は・・・・・・・。 |
邯鄲の夢は唐代に作られた「枕中記」のなかにある故事だっせ。廬生と云う名の若者が科挙(今の日本の国家公務員採用T種試験みたいなもの)を受けるために都にむかう途中の、邯鄲で仙人の呂翁と知り合いまんねん。 貧しい身なりをして、疲れている廬生を可哀想だと思った呂翁は、彼に栄華が意のままになるという枕を貸してやりまんねん、そして廬生が昼寝をしている間に、粟の粥を炊いてやったんやで。 廬生は、夢の中で科挙に合格して、見目麗しい女性を娶り、戦争で手柄を立て、立身出世しまんねん、五人の子にも恵まれ、たくさんの財産を成し、晩年には病を得て家族に見取られながら死んでいくという富貴をきわめた五十余年の人生を送りまんねん。 目が覚めると、呂翁がみつめており、自分が長いと思った一生は、まだ粟の粥が炊き終わらぬほどの束の間の夢だったことに気がつきましてな。廬生は人生のはかなさを悟り、科挙を受けるのをやめて、仙人を志すという話でおまんな。 この話は科挙に合格することが出来なかった人が、自分を慰めるために、作ったみたいな気がしますな。 たった一度の人生だから、人が志を得たら、燃え尽きるまで突き進むべきであって、そのことで傷ついても可也やおまへんか。 ワテの従兄弟の息子は、プロゴルファー目指して、アメリカで修行してしてまんねんで、ワテは応援すれども、反対などしまへん。 彼は挫折しても後悔はしまへんやろ、夢(志)のために精一杯努力したのであれば。だけど、もって生まれた能力不足ではなく、努力不足で志を曲げるのであれば、悔いが残るやろな。 ワテも含め、大多数の人々は、大それた志を持つこともなく、ささやかな夢(幸せ)を大事にして、一生を平凡に終わるんとちゃうやろか。 |
昔に見た映画(テレビの映画番組)に、黒澤明監督の「生きる」というのがおました。 この映画の主人公は、生きながら、死んでいる状態の「遅れず、休まず、働かず」と云う「三ず主義」の市役所の市民課の課長でんねん。 あらすじは 30数年間、何もしないまま役所を勤め上げようとしていた主人公は、ある日、自分が胃ガンで余命幾ばくもないことを知るんですわ。 早くに死に別れた妻との間の息子にも冷たくされ、絶望と孤独に陥った主人公は、街へさまよい出て慣れない酒を飲むんですが、心は晴れまへん。 自分の人生はいったい何だったんやろか?。 主人公は生きることの意味を考えはじめ、「人のために役立つ仕事をすれば、生きる喜びが味わえるのでは」 と思い立つんですわ。 役所へ戻った主人公は、住民の陳情に応え、汚いどぶを埋め立てて、公園を造ろうと情熱を傾けて動き出しまんねん。 幾多の困難を乗り越えて完成した公園で、雪の降る中、ブランコを揺らしながら「ゴンドラの唄」を歌う場面は映画史上に残る名場面でんな。 いのち短し 恋せよ乙女 朱き唇 褪せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを 主人公は、自分が造った公園で「ゴンドラの唄」を歌いながら、人知れず死んでいきよりました。 ワテは、この映画を見てから、20数年たった今でも、感動したことが、あざやかに心に焼き付いていますな。 まだ、見てないんなら、レンタルビデオ店に有りまっさかい、借りて見られることを、お薦めしまっせ。 人のために役立つ仕事は、結局は自分自身のためになるんでんな。 いのち短し 恋せよ乙女 いざ手をとりて 彼(か)の舟に いざ燃ゆる頬を 君が頬に ここには誰れも 来ぬものを いのち短し 恋せよ乙女 黒髪の色 褪せぬ間に 心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび 来ぬものを |
戦争のない平和な世界を作るためには、小さな暴力から無くしていかねばならないのではと想いまんねん。 戦争は暴力の極限の行為ですさかい、暴力否定イコール反戦平和だっせ。 ガンジーは無抵抗主義をかかげて、インドの独立運動を指導しましたな。 それは文字通り暴力を完全に否定したものでありましたな。 ガンジーは自分が先頭になって、武器を持たずに素手で、イギリス軍に立ち向かっていきよりました。 そのとき千数百人の同志が次々とイギリス兵の銃弾で倒れましたんや。それでも彼らはイギリス軍に向って歩き続けたんや。怖れをなしたイギリス軍が、本国に撤退してしまいよりましたんや。 無抵抗主義のガンジーが指導したインドは、最小限の犠牲で独立を勝ち取りましたんやで。 一方、武力闘争の道をとったパレスチナは、皆さんご存知の通りでおまんな。 愛のムチなどといって躾けのために親が子を叩く、先生が児童生徒を叩く、然るに「学校教育法第十一条〔学生・生徒の懲戒〕校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生・生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と法は明確に否定していますな。 法は教育(躾け)のための体罰の必要を認めていまへん、むしろ教育のためには体罰は有害と解釈できまんな。 しかし、体罰を明確に否定する人は少数派でしゃろな。 反省をさせるために体罰は必要と考えている人はたくさんいましゃろな。 体罰を加えた結果、反省して立ち直った子がたくさんいると言いたい人がいると思いますが、そのような子は体罰を加えずとも、話せば解ってくれたと想いまっせ。 体罰は人権と人格の全否定のうえに行われるものであると理解しなければなりまへん。 愛のムチとは体罰であり暴力でっせ。愛のムチなどと、言えば聞こえは良いけれど、暴力に他ありまへん。 愛する者に、手をあげることが、出来るんやろか。 愛するということは、心が通い合ってるんとちゃうやろか、心が通い合っていれば、手をあげるようなことは起らないのとちゃうやろか。 子どもが小さいから、心を通わせるのは、まだ無理ですと、言いたい人もいるでしょうが、口をきかないペットと心を通わせている人がいまっせ。 だから、ワテは愛のムチなど、存在しないと思いまっせ。 先生が学校教育法を守らずして、児童生徒に規則を守れと、説くこと自体、矛盾であり児童生徒の不信を招いているのでっせ。 暴力教師は学校から永久追放しなければなりまへん。 親の子に対する暴力は、児童養護施設に保護・・・・・・・。 大きな暴力(戦争)をなくすためには、小さな暴力(愛のムチ)からなくさなければ・・・・・・・・。 |
大阪の味たこ焼き・関西のお好み焼きと焼きそば
大阪で生まれ育った作者が、大阪の味たこ焼きを大阪弁で解説。関西のお好み焼きと焼きそばの美味しい作り方とレシピ。番外でもんじゃ焼きとパスタ・スパゲティ・ラーメン。 禁煙をあきらめるページ 禁煙をしたいと思いながら、禁煙ができない貴方に、キッパリと禁煙をあきらめさせたげまっせ。 |