33年前、小誌を創刊するとき「憲法問題」と「大東亜戦争の記録」を2大テーマにすると決めていました。
高校時代は岩波書店の『世界』にどっぷり漬かった全面講和論者で、特に桑原武夫氏の『文学入門』が愛読書で氏の言説に魅かれました。しかし大学生や社会人になって早々に幻想が崩れました。
大学でサークルに入った日にデモに駆り出され、新人4人が最前列で機動隊と衝突しました。幹部は後方で煽るだけです。しかも応援に来た女子大生とイチャイチャしているのです。
'60年安保は『週刊現代』の編集者として取材しました。
安保成立前夜の国会周辺は、4日前に樺美智子さんが死去したこともあり、興奮と緊張に包まれていました。ところが社会党の議員団は地下鉄の駅のほうへ手を振りながら「流れ解散して下さい」と絶叫するのです。
デモ隊からは「さんざん煽っておきながらなんだ」などの怒号が飛びましたが、議員団は顔を引きつらせて「解散して下さい」を繰り返すだけでした。また新聞も安保反対を報じておきながら共同声明で「節度ある行動を」と呼びかけたのです。
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それらの体験を経て、独立して雑誌を作るときには、先に挙げた2つのテーマを中心に据えようと決めてきました。憲法に自衛隊の存在と緊急事態への対応を明記させなければなりません。改正反対論者は、自衛隊はすでに国民の信任を勝ち得ている、また緊急事態には参議院で対応できるといい募りますが、国民の間に改正気運が盛り上がるのを恐れているのです。
大東亜戦争の記録は折に触れ報じてきたつもりですが、全国の県都を襲った空襲や深刻な飢餓の実態はまだ伝えきれていないと思います。先日、同世代の集まりで、地方に疎開した一人が「田舎でもコメはほとんどなかった。かぼちゃ、さつまいも、じゃがいもが主で、さつまいもの蔓まで煮て食べた」と述懐していました。
大東亜戦争の体験者は高齢化して減るばかりですが、頑張ってゆきます。
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中学時代の恩師が97歳で身まかられました。津田塾大学を卒業し、GHQの指令で出来たばかりの郷里の新制中学に赴任してきた算数の先生でしたが、補習授業で来たときに井上靖の『黯い潮』の話で盛り上がり、文系へ導かれました。
新制中学には予科練帰りや文学青年崩れなど雑多な先生がいましたが、恩師は頭脳明晰、凛としていました。身まかられる3か月前にも、電話で中学時代のことから小誌の記事への感想まで30分以上も話したものです。通夜からの帰途、端正だった恩師との青春前期のことどもが甦ってきました。
編集主幹 伊藤寿男
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