これも消えてます。原爆投下/活(い)かされなかった極秘情報 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110806.html NHKスペシャル http://www6.nhk.or.jp/special/index.html 無いと思ったら、DVDになって税込4104円で販売されてます。 NHKスクエア http://www.nhk-ep.com/products/detail/h17419AA ★3個 平成23年度(第66回)文化庁芸術祭賞 テレビ・ドキュメンタリー部門 優秀賞受賞 ★3個 “想定外の奇襲”とされてきた広島・長崎への原爆投下の動きを、日本軍は事前に察知していた。 被爆から66年。初めて明らかになる真実に迫る。
“想定外の奇襲”とされてきた広島・長崎への原爆投下。実は、日本軍は米軍の動きをつかんでいたことが明らかになってきた。当時の資料や当事者の証言などから、国民の生命の安全よりも、国の担当者の事情やメンツを優先させた驚くべき実態が浮かび上がる。 情報をつかみながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか。 原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 【収録内容】 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。 日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動する部隊。不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。 8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして、9日未明にも再び同じコールサインを傍受、情報は軍上層部に伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 【封入特典】 リーフレット
○2011年 放送 *収録時間本編58分/画面サイズ16:9/ステレオ・ドルビーデジタル/カラー/リーフレット付 *************************************
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昭和天皇も原爆は「やむを得なかった」とハッキリ述べいる。 onlytheyoungunderstandさん 2007/8/2322:44:21 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312554373(回答抜粋) ベストアンサーに選ばれた回答 mesier111さん . 編集あり2007/8/2404:27:37 .
たしか、引用されている日本記者クラブでの会見は、同じ会見で別の質問者が昭和天皇に対して自己の戦争責任を尋ね、詳しくお話しできないと回答を避けた、という伏線があってのことです。 その点を考慮すれば、昭和天皇の発言としては、軍部の横行を許し終戦の決断をなかなか下せなかったことなどを、当時の情勢として「やむを得ない」ことであった、という意を含めてのことではないでしょうか。すなわち、形式上の最高責任者として戦争に幕を引かなければいけないという思いはありながら、昭和天皇自身のおかれた環境としてあれ以上の被害を防ぐことが残念ながら不可能であった、という自分の責任についての発言です。力が及ばず、相手が原爆を落とすのを防げなかったことへの反省と弁解であり、原爆を投下することを妥当視したものではないと思います。 一方、久間氏の発言は、ソ連参戦を題材に取り上げてのことであり、「(米国の利益を目的とした)早期終戦のため、日本に力を見せつけて戦意を喪失させるためしかたがなかった」という意味だと解釈しています。前後を確認しても、あくまで「アメリカがソ連に参戦させたくなかった」というニュアンスばかりで、「早期終戦がその後の日本にとってよい方向に作用した」などの日本にとっての利点がなにも出てきません(それで戦争が終わったんだから、という程度の認識でしかなく、分割占領の弊害などについても「そういうことも選択としてはあり得る」と優劣をつけられず、原爆投下なしで戦争継続した場合との被害比較などは一切出てきません)。 つまり、より少ない被害で終戦させることも可能であったと考えられるのに、アメリカのために「しょうがない」、として犠牲者を軽視したため、あれだけ問題になっているのでしょう。 ベストアンサー以外の回答 nightdancer6160さん . 編集あり2007/8/2409:38:58 .
●天皇の発言を批判するのなら、終戦の詔勅の一節を熟読してください。 きちんと、原爆を批判しています。 之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ とあります。 敵アメリカは、残虐な新型爆弾(原爆)を投下して、多くの罪泣き日本国民を殺害した。 という意味です。 詔勅ですから、昭和天皇の正式な発言です。 www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3935/ww2/syusen.html 発言した時期なんです。 というのは、戦後まもなくで言えば、反戦・平和の物理学者『武谷三男』は、 原爆は日本軍国主義を滅ぼすために必要だった。 と絶賛していたもの。下が証拠。 武谷三男(1982)『科学者の社会的責任』、勁草書房。 今次の敗戦は、原子爆弾の例を見てもわかるように世界の科学者が一致してこの世界から野蛮を追放したのだとも言える。 そしてこの中には日本の科学者も、科学を人類の富として人類の向上のために研究していた限りにおいて参加していたと言わねばならない。 原子爆弾を特に非人道的なりとする日本人がいたならば、それは己の非人道をごまかさんとする意図を示すものである。 原子爆弾の完成には、ほとんどあらゆる反ファッショ科学者が熱心に協力した。・・・(同書51ページ) この武谷も、平和運動では、教組サマだったな。 天皇の発言にしても、30年も前ですから、現在と思想環境(パラダイム)が違います。
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