今から93年前の1916(大正5)年、日本で初めての鉄筋コンクリートアパートが建てられた。島の灯(あか)りは消えることなく栄え、そこには映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もあった。最盛期には人口密度が東京の9倍に達し、世界一を記録した。島民はどんな暮らしをしていたのだろうか-。
長崎港沖合の東シナ海に浮かぶ海底炭鉱の無人島・端島(はしま)、通称軍艦島。探求心を抱いて、その島へ。気温35度を超える猛暑。上陸コース専用の「マルベージャ1」に乗船する。船は観光客で満員だ。グラバー園や女神大橋など、長崎が誇る美しいスポットを通過。外海に出れば、好奇心が増して、何だかわくわく気分になってくる。
やがて前方に、灰色の巨大コンクリートの塊の島が次第に近づいてくる。あれが軍艦島か。
港を出て南西に19キロ。塀が島全体を囲い、その上に廃虚となったビルが立ち並ぶ。外観が軍艦「土佐」に似ていることから、軍艦島と呼ばれるようになった。
海が少しでも荒れていれば、上陸はできないが、この日は運に恵まれた。目の前に迫る廃虚のビル。窓はなく、階段部分は落下寸前の所もあった。南北480メートル、東西160メートル、周囲わずか1200メートル。ひしめくビル群を見れば、わが国の近代化を根底から支えた石炭エネルギーの重要性と、当時の景気と人の暮らしが浮かんでくる。