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【東京新聞フォーラム】

「よみがえる古代の大和 平城遷都1300年」 パネル討論

いりくら・のりひろ 1960年、香川県生まれ。広島大学大学院修了後、岡山大学埋蔵文化財調査研究センター助手を経て89年から奈良県立橿原考古学研究所に勤務。藤原京や平城京など条坊制都城の施工精度や古代の尺度論、古墳時代の年代論、山岳信仰遺跡などの研究を行っている。

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測量の精度は最高水準 入倉徳裕氏

 入倉徳裕・奈良県立橿原考古学研究所埋蔵文化財部総括研究員 私も十条があったといっているのではなくて、九条の南に十条目の条坊の地割りがつくられたといっているわけです。確かに発掘調査でも建物もほとんど出ないし、側溝もすぐ埋められています。

 垣尾部長 平城京の宅地や住居はどのようなものだったのでしょうか。

 入倉さん 班給(はんきゅう)基準に従って、宅地はきちんと配分されていますが、宮に近いところから身分の高い人に大きな宅地を与えているようです。例えば長屋王の邸宅は、宮のすぐ南東に接して約六ヘクタールを占めています。長屋王邸の中で一番大きな建物が約三百六十平方メートルあるのに比べると、下級役人の建物は約三十五平方メートルから五十三平方メートルで、身分の違いによって格差があったわけです。

 森下さん 宅地の頂点には平城宮があって天皇がお住まいの内裏があり、その周りを貴族が囲み、だんだん庶民になっている。そのようにして律令の身分社会、国の仕組みを実際に目で見える形にしているのが平城京です。

 垣尾部長 下級役人の一日の生活はどのようなものだったのでしょうか。

 森下さん 最小で三十二分の一町の宅地を与えられて、平城宮から四キロほど離れた七条とか八条あたりに住み、日の出の開門を待ってそれぞれの役所に行く。勤務時間は午前中ですが、残業もあったかもしれません。楽しみは東西の市を見に行くか、酒、ばくちぐらいだったでしょう。

 成人男子の一日の労賃は和同開珎の銭一文で、今の貨幣価値で五、六百円でした。

 垣尾部長 七八四年に長岡京に遷都したのはなぜでしょうか。

 入倉さん 地方からの物資を運ぶために淀川水系の水運の便益が非常に重要だったのでしょう。

 垣尾部長 奈良時代とは、一言で言うとどういう時代だったと思われますか。

 入倉さん 規格化、標準化を日本の社会の中に定着させようと一生懸命努力した時代で、測量の精度は四つの都城の中で一番高いと思います。

 苅谷さん 女帝の時代であり、四度の政変もあったが、朱雀大路から山陽道に出て太宰府まで、幅十二メートルの一直線の道路をつくるなど、ものすごくパワフルな時代だったと思います。

 森下さん 日本の古代国家が完成した時代で、平城京は日本の古代史の総決算、一つの到達点です。日本における都市の原点で、その後に起こるいろいろなものに発展していくわけです。

 垣尾部長 歴史から学ぶことにより、今われわれが直面しているさまざまな問題を解決する糸口がつかめるような気がします。遷都千三百年の節目に、そういう見方で歴史を見ていただけたらと思います。

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<コーディネーターまとめ>現代と多くの共通点

文化事業部長・垣尾良平

 まほろばの国やまとに誕生した古代王権は、奈良時代に律令国家としての完成期を迎え、十万人以上の人々が暮らした平城京という最初の本格的な都市を形成しました。

 日本人が初めて体験した都市生活は、明るく活気に満ち、優れた文化をはぐくみましたが、一方、無計画な森林伐採や未熟な下水処理による生活環境の悪化、貨幣経済への急激な移行によるインフレの発生や貧富格差の拡大、東アジアでの極度の国際的緊張などを生み出しました。

 これら当時の社会のひずみは現代に生きるわれわれが抱える問題と不思議に共通点が多く、彼らの歴史を知り、学ぶことは、現在われわれが直面している課題を克服するための貴重な手がかりになると考えられます。

 

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