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【社会】

「双葉町帰れる日来ない…」いわきへ 避難者つなぐ接骨院再出発

原発事故で避難生活が続く住民らと語らう矢口守夫さん(右)=福島県いわき市で

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 福島第一原発事故でふるさとを追われた避難者は二十キロ圏だけで七万七千人いる。事故から二年たっても除染、復興のめどの立たない現状に「帰れる日はもう来ない」と諦め、避難先で再出発を図る人もいる。福島県いわき市内で接骨院を再開した福島県双葉町の矢口守夫さん(58)はそんな一人。接骨院には同郷の避難者が集まってくる。 (木下大資)

 約二万人の避難者が暮らすいわき市で、矢口さんが再開した「がんばる接骨院」の客の半分は双葉町、大熊町などからの避難者だ。昨年三月のオープン後、互いに知らない場所で暮らす避難者同士の再会が待合室で相次ぎ、涙を流して抱き合う光景が絶えなかった。

 「出会いが生きる力につながるなら」と矢口さんは市内に点在する仮設住宅へ無料の送迎車を出している。

 若松綾子さん(74)はマイカーで週二回来院する。双葉町からいったん千葉県にいる娘の家へ身を寄せたが「福島の情報が入らない。一歩でも故郷に近づきたい」といわき市のアパートへ。近所と交流がなく「ここへ来て語らうのが楽しみ」と言う。

 矢口さんはもともと福島第一原発から三・五キロの場所で接骨院を開いていた。今も警戒区域内のため原則立ち入り禁止。許可を得て何度か一時帰宅したが、空間線量は室内でも毎時二マイクロシーベルトあり、「気持ち悪くて長くはいられない」。一般人の被ばく限度である年一ミリシーベルトは毎時換算で〇・二三マイクロシーベルトだ。

 国は、除染で出る汚染土の中間貯蔵施設を建設する候補地に双葉町を挙げている。そうなれば帰還は無理だと、矢口さんは考える。「誰だって帰りたいけど、若い人はきっと戻らないだろう。町はもう成り立たない」

 原発事故後、東京都江戸川区の都営住宅などに避難していた。双葉町に帰る希望に見切りを付け、借金して、いわき市での開業を決意。復興の願いを込めて「がんばる接骨院」と名付けた。

 施術しながら悩みを聞くが、家族がばらばらになって暮らすお年寄りはしきりに孤独感を訴える。双葉町で近所付き合いをしていた六十代女性が昨年四月に首つり自殺した。がんばる接骨院のオープン時に、趣味の切り絵を持って励ましに来てくれた人だった。

 「仮設の独り暮らしで精神的に行き詰まったのか。そんな人をこれ以上、出したくない」と思う。

 震災から二年たち、いわき市では「避難者のせいで道路や病院が混むようになった」「東京電力の賠償金でパチンコしている」と陰口も聞こえるようになった。「避難者はどこへ行っても白い目で見られる。生活費で消えるくらいの補償金しかもらってないのに」と矢口さんは悔しい思いもする。

 故郷へいつか帰れるのか、帰れないのか。国も政治家も具体的な将来像を示さない。家族ばらばらな避難生活が際限なく続いていいのか。矢口さんは「いま必要なのは家族そろって住める家」と考える。

 同郷の避難者が集まって暮らす「仮の町」をつくる構想を行政が進めてきたが、難航している。矢口さんは仲間で独自の「仮の町」をいわき市内につくるプランを立て、七千人の署名を集めるなど、国に実現を求めて運動している。

 「僕らはここで前向きに生き抜くしかないもの」。診療室には自作の「院訓」が掲げてある。

 「過去を悔やむなかれ 現在を如何(いか)に 未来を如何に」

 

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