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【私説・論説室から】

五輪が幸せだったころ

 一九六四年の東京五輪から来年で半世紀になる。当時の様子を話に聞くたびにあらためて思うのは、「あれはとても幸せなオリンピックだったんだな」ということだ。

 「関係者だけじゃない、自分も参加しているんだという気持ちをみんなが持っていました。自分たちも大会を支えているんだと思っていたんです」

 当時の雰囲気がどうだったかを聞くと、しばしばそんな答えが返ってくる。もちろんすべての国民が開催に賛成だったわけではないだろうが、多くの人々が心をこめて支持していたのは間違いない。つまり一般の市民にとっても、オリンピック開催はまさしく「わがこと」だったのである。

 敗戦から十九年。五輪は復興を確認するための舞台であり、選手の活躍はその象徴だった。大会関係者も選手も観衆も思いを共有していた。だからこそ、誰もが参加意識を持てたというわけだ。幸せなオリンピックというゆえんである。

 時代は流れ、五輪を取り巻く環境は激変した。開催についても賛否がはっきり分かれる。それは仕方のないことだ。ただ、オリンピックというかけがえのない祝祭は、どんな時代でも多くの人が参加意識を持てるものであってほしい。

 二〇二〇年夏季五輪の東京招致がヤマ場にさしかかっている。開催地決定は九月。七年後の五輪は、果たして「幸せな」ものとなるだろうか。 (佐藤次郎)

 

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