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【社会】

「丸源ビル」オーナー逮捕 バブル期絶頂 今は9割空室

銀座中心部で存在感を示す丸源ビル=東京都中央区で

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 夜の銀座で、丸に「源」の字の赤いネオンがひときわ目立つ丸源ビルのオーナーが五日、八億円超の脱税容疑で東京地検特捜部に逮捕された。バブル期には、経済誌などに「銀座の不動産王」と紹介されていた貸しビル業の川本源司郎容疑者(81)。シャンデリアがきらびやかに輝き、クラブのママやホステスのあこがれだったビルは今、空き室が目立ち、寂しさが漂う。 (池田悌一、加藤益丈)

 銀座の中心部に八棟ある丸源ビルのうち、一棟の表看板には約五十の店名がびっしり並ぶ。だが、ホステスと男性客らがひっきりなしに出入りする近隣のビルと違って、人の出入りはまばらだ。

 「実際に営業しているのは十店ちょっと。先月も老舗クラブが出て行った。オーナーがビルを手入れしないからボロボロよ。私は年だから、今更ほかでやる気もないけど…」。このビルで長年クラブを営む六十代のママがため息をつく。

 夜は暗くて目立たないが、よく見ると、ビルの外壁が一部はがれ、壁をつたう電気コードは風雨にさらされている。東京消防庁は、ビルの防災態勢に不備があるとして、十年以上前から指導を続けてきた。改善がみられないことから今年一月、刑事告発を視野に改善命令を出した。

 オイルショックが日本経済を直撃した翌年の一九七四年。地元の福岡県で成功を収めた四十二歳の川本容疑者は、まだ飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに、十階建てのビルを建てた。その後もビル建設と買収を続け、八〇年までに七棟の丸源ビルが銀座の街を占拠した。

 「銀座はどんな外国人でも『おーっ』と興味を持つ。特別な街だ」。逮捕前、本紙の取材にも、銀座へのこだわりを語っていた。

 地元の不動産業者は「当時はキャバレーが流行のピークを過ぎ、より小規模なクラブやバーが求められていた。飲食ビルは不足しており、丸源は絶好のタイミングで根を生やした」と振り返る。

 絶頂期を迎えたのは八〇年代後半のバブル期。別の業者が「ネオンが派手で、客を案内しやすいメリットもあり、常にテナントで埋まっていた」と話すように、七百店近いクラブやバーが入居していたという。

 だがバブル崩壊で、テナントは次々と撤退。川本容疑者は保証金を廉価にするなどしてテナント離れを防いできたが、ここ五年ほどは入居を募っていない。周囲は「飲食ビル経営への熱意を失ったようだ」と口をそろえる。現在入っているのは、ピーク時の一割ほどの八十数店で、ビルは虫食い状態だ。

 しかし資産保全への意欲は衰えを知らず、知人男性によると、昨年四月に東京国税局の強制調査が入ってからも「無駄な税金は納める必要はない」と公言。一方で、取材には脱税容疑について「あり得ない」と否定していた。

 六本木や赤坂、新宿のビルはすべて売却したが、銀座だけは一棟も手放さなかった川本容疑者。取材に「飲食は卒業して美術のビルとして再生させる。芸術の街にしたい」と、進出から約四十年になる銀座での新たな夢を語っていた。

 <丸源ビル> 川本容疑者が1960年代、出身地の福岡県で始めた貸しビルのチェーン。事業を始めた順に番号を付けており、銀座には丸源14ビルをはじめ15、21、24、25、31、53、54の8棟がある。バブル期には六本木や赤坂、福岡・中洲などに約60棟あり、約5900のテナントが入居。現在は二十数棟にとどまり、テナント数は約800。銀座のビルの空室率は5〜6%だが、丸源ビルは90%近くが空いている。

 

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