講師
櫻井 治男 氏
(皇學館大学社会福祉学部教授)
皇學館大学社会福祉学部長。専攻は宗教社会学、神社祭祀研究。明治末期の神社整理と地域共同体との関わりの調査研究に携わり、近年は神道と環境問題、地域コミュニティと福祉文化について研究を進める。
私が勤める大学は伊勢市内にあります。いよいよ来年に遷宮を迎えるということで、市内各町は少し緊張しています。伊勢の市民はかつての神領民として町ごとに新しい御殿の清らかな敷地に、市内の宮川で拾った白い石を納めます。こぶし大の少しデコボコしているけれども清々しくて生き生きとした石を納めることが、慣例となっているのです。
今回の式年遷宮の諸祭行事は、平成十七年の山口祭から始まり今年上棟祭がありましたが、いよいよ建物も整ってきています。
遷宮は天皇陛下が主宰される重儀で、ご神体がうつられる遷御の日時は陛下が定められます。前回にならえば来年の十月が予定日ということになります。
遷御の直前の行事として三つ儀式が行われます。まず、「御装束神宝読合(おんしょうぞくしんぽうとくごう)」です。これは新宮の殿内に奉献される装束類、そして御神宝と呼ばれる調度品などを奉るにあたり、その品数が目録通り揃っているかを確認する行事です。元々はこうした品々は都で作り伊勢へ運ばれてきましたので、内容や数などを確認する儀式はとても大事なこととされてきました。
それが終わると、祭儀に奉仕する祭員のお祓いが川原に臨んで行われます。神職の方々がずいぶんと数多く整列されたなかで行われます。そして三つめの「御飾(おかざり)」という儀式になります。この行事は、御殿の内と外、神宮の建物は檜の素木を用い、掘っ建て柱の構造ですが、屋根から伸びた千木という部分や、扉や階段、手すりにも金物が取り付けられています。そうした外側の飾り付けをすることと、殿内の御装束や神宝が整えられることをもって、御飾と呼ばれる行事があります。
新しい御殿の準備が整えられたところで、今までお祀りしていた御殿から御神体を新しい御殿にお遷しする「遷御」の行事を迎えます。この御神体は、内宮の場合、天照大神を表象する「御鏡(みかがみ)」です。これが「御船代(みふなしろ)」そしてその中の「御樋代(みひしろ)」という器に納められていて、それが遷されます。これが来年行われるわけですが、遷御で終わりではなく、その後「大御饌(おおみけ)」と称して食事を差し上げ、さらに「奉幣(ほうへい)」という、陛下からの幣帛(へいはく)が奉られる行事が重要なものとして行われます。
こうした遷御の儀式は夜行われます。すべての灯りが消された浄闇(じょうあん)のなかで、雅楽の音に合わせて営まれます。その際の行列に羅の翳(さしは)がありますが、高松塚古墳の内部壁画に描かれていた貴人の歩かれる様子とよく似ていることが注目されています。
長い伊勢神宮の歴史のなかで遷宮も様相が変わってきました。中世の時代、非常に国の力が衰えて世の中が平穏でない状況のときには、式年遷宮は中断していました。いろいろな方の尽力により再び斎行されますが、それまで遷御の月日が神嘗(かんなめ)祭(旧暦九月)と同一であったのが、両者にズレが起こり、別の日へ移され、内宮・外宮の順年が同一年に実施されるようになったことです。重要なことは、神宮の祭儀として遷宮を見る場合、毎年十月に行われる神嘗の祭りの仕方です。それが、二十年に一度規模を大きくして建物、調度、そしてお住まいの諸場面を新しくして、再び祭り事が始められるということです。
神宮のこうした伝統ある遷宮も実はその基本のなかに神様をお祀りするという、古くからの毎年行われているお祭り行事を継承し、そしてあれだけの荘厳な建物を造り替えるということで、さまざまな技術がそこに集約され、伝統がそのことで継承されるという性格を持っているわけです。
式年遷宮は一体どういうわけで行われるのかについて、ひとことで説明することは非常に難しいことです。私は、この祭りによって、〝モノ〟と〝ワザ〟、そして 〝ココロ〟の伝統が継承されると考えています。祭りを繰り返し行うことによって、私たちが日々神々に守られ、そして平安に生きていく、そのことを自覚するという重要な機会です。それが伊勢の大神の宮という、天皇が祭りを主宰されるという由来からすれば、日本の国が平安に、そしてこれからも繁栄を続けていくようにとのことで、祭事がなされているのだと理解いただければと思います。