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【社会】

大島渚監督死去 「愛のコリーダ」「戦メリ」 80歳

 「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」など時代を見据えた作品で知られる映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが十五日午後三時二十五分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で亡くなった。八十歳だった。京都市出身。葬儀・告別式の日程は未定。喪主は妻で女優の小山明子(こやま・あきこ)さん。

 京大在学中から演劇活動をすると同時に京都府学連委員長などを歴任。一九五四年、松竹大船撮影所入社。五九年に短編「明日の太陽」と、長編「愛と希望の街」で監督デビュー。翌年には性と暴力を通じ、人間の深層をえぐった「青春残酷物語」が、若者の共感を受けヒット、第一回日本映画監督協会新人賞などを受賞。吉田喜重、篠田正浩監督らと松竹ヌーベルバーグ(新しい波)と呼ばれた。

 同じ年、学生運動体験を基にした「日本の夜と霧」を完成させるが、会社は封切り四日目に打ち切りにした。

 この直後、小山明子さんと結婚。六一年六月、松竹を退社し独立プロを旗揚げ。同年に「飼育」などを撮るがヒットせず、テレビドキュメンタリーなどに進出した。

 六五年に「悦楽」で映画に復帰、「白昼の通り魔」「帰って来たヨッパライ」など戦後民主主義を問う作品を発表。低予算製作の日本アート・シアター・ギルド(ATG)と組み「絞死刑」「少年」「儀式」などでは権力と社会悪を告発した。

 七五年には、日仏合作で「愛のコリーダ」を製作。海外では高い評価を受けるも国内では性表現の限界で修正を強いられた。七六年には、この場面写真と脚本を掲載し、発刊した「愛のコリーダ」がわいせつだとして起訴され、八二年に控訴審で無罪が確定。

 カンヌ国際映画祭の監督賞を受賞した日仏合作の「愛の亡霊」(七八年)や、日英合作「戦場のメリークリスマス」(八三年)などで国際的にも知られる監督となった。また、そのタレント性から、テレビのワイドショーのコメンテーターとして論客ぶりを発揮した。

 二〇〇〇年、紫綬褒章受章。八〇年から九六年まで日本映画監督協会理事長を務めた。

 九六年に脳出血で倒れ、車イスで撮影し遺作となった「御法度(ごはっと)」(一九九九年公開)を完成させた後は、リハビリに励んでいた。

 

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