葬儀
葬儀(そうぎ)、葬式(そうしき)は、人の死を弔うために行われる祭儀、葬制の一部である。
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[編集] 概要
葬儀の様式にはそれを行う人たちの死生観、宗教観が深く関っており、宗教の違いがそのまま葬式の様式の違いになる。また葬儀は故人のためだけでなく、残されたもののために行われるという意味合いも強くある。残された人々が人の死をいかに心の中で受け止め、位置付け、そして処理するか、これを行うための援助となる儀式が葬儀である。その意味で葬儀は、宗教が文明に発生する以前の旧石器時代から行われてきていた宗教的行為であるといえる。
[編集] 歴史
現在、発見されている歴史上初めての葬儀跡と言われている物が、イラク北部にあるシャニダール洞窟で見つかっている。この洞窟の中には約6万年前と推定されるネアンデルタール人の骨が見つかっており、その周辺にはこの洞窟から見つかるはずの無い花粉が見つかったと報告されている。この事を死者を弔うために花を死体の周りに添えたと解釈している。
[編集] 葬儀の様式
[編集] 日本における葬儀の慣習
通夜は古代の殯(もがり)に発している。葬儀の前夜祭の形態をとる。誰かが寝ずの番をして(交代でもよい)、夜明けまで灯明や線香の火を絶やさないようにしなければならない(魔除けの意味がある)。近年では消防署などにより、式場では夜間の火は焚かないよう指導が入ることもあり、都市部の式場では夜通しではなく、半通夜と呼ばれる形態で夜は遺族が帰ってしまう場合もある。
火葬場に向かう道と帰り道は同じ道を通らない。一本道で難しい場合であっても、可能な限り同じ道を通らないように努力しなければならない。埋葬した死霊が付いて来ない様にするためである。逆に同じ道を通らなければならないとする風習もある。
葬儀終了後に「振り塩」と呼ばれる清めの塩を撒く(ただし、これは神道由来の慣習であって、死を穢れとみなさない仏教の教義に反すると考える意見もあり、元来これを行っていなかった浄土真宗を中心に、近年では行われないケースもある)。
遺体を安置する場合には、遺体の胸の上に魔除けとして刃物を置く。これを守り刀と呼ぶ由来は武士の社会で、刀によって魔を斬るといった意味や魔物の使いとされていた猫が光り物を嫌がるので刀を置くことが魔よけとされた。遺体を安置すると、そこに供え物として枕飯、枕団子を供える。枕団子は米の粉(上新粉)などを丸めて作ったもので、数は地域によって差があり、六地蔵、六道から六個とする説と、13仏などからとった13個とする説がある。なくなった日から一個ずつ増やして四十九日までお供えし、49個飾る地域もある。枕飯はご飯を御茶碗に山盛りにして、御箸をさして飾る。
一般に告別式は友引の日を避けるが、これは俗に“友を(死に)引かない”よう配慮するためとされる。ただし、元来六曜は、仏教とは関係がない。賭け事、勝負事から入って来ており、友引とは「勝負事で友人と引き分ける」という意とされ、陰陽道との混淆に由来する。ゆえに友引の日に告別式を行わない風習は迷信と考えられる。火葬場は友引の日が休業日になっている所が多いが、友引でも休業日でない所も増えて来ている。
墓地など埋葬する場所まで送ることを野辺送りということがある。
三回まわしと言って、出棺する前に棺をその場で3回廻したり、建物を3回廻ったりして出棺する風習が一部地域で見ることがある
振り銭・振り餅、葬列時に花籠(竹の籠から割った竹を幾本も垂らし、紙の飾りをつけた物)に銭や餅を入れ落としながら葬列する風習もある。またざるから手で取って撒く場合は撒き銭・撒き餅などとも言う。
なお、同じ日本でも琉球の信仰に基づく葬儀の風習はかなり特異であり(風葬、洗骨、死亡広告の項も参照)、告別式の前に火葬を行うのが普通である。また東北地方、九州地方の一部でも告別式の前に火葬を行うことが多い。
[編集] 助葬
助葬(じょそう)とは、行旅死亡人、身寄りのない生計困難者や身元不明の人などが死亡した後、生前の縁者や関係者によって葬儀が行われず、替わって社会福祉事業や慈善事業団体またはNPOなどによって行われる形態の葬儀。ホームレスなどで生活保護などの支援を受けていなかった死者であったとしても、助葬を担う団体や葬儀屋には火葬から納骨までの費用を生活保護行政の一つとして各自治体が決めた定額内で支給され共同墓地や共同納骨堂に遺骨は納められるがこの段階までを助葬と呼んでいる。一方、遺骨を納骨堂に預け引き取り人を待つ場合も少なからずある。
古くは1919年(大正8年)11月に東京で「財団法人助葬会」が設立されている[1]。また19世紀中頃には大陸地域から香港、上海や外国へ移住した華僑や労働者などは同郷の中国人社会で互助活動として助葬が行われていた[2]。
[編集] 神道
神道での葬儀は神葬祭と呼ばれる。神道では死を穢れたものと考えるため、聖域である神社では葬式は通常おこなわず、故人の自宅か葬斎場で行うことが多い。現在の形の神葬祭は、仏式の葬儀が強制された江戸時代でも神葬祭を陰ながらも連綿と伝えてきた神社や社家の祭式を引き継いでいる。 式の際には、中央の祭壇の脇に遺影を置き、祭壇の奥に置かれた棺の後方に、銘旗と呼ばれる故人の名前が書かれた旗が立てられる場合が多い。そしてその周りに灯明、榊、供物などをあしらえたりする。
式の一般的な大まかな流れは、まず神職が塩湯や大麻等によって遺族と参列者および会場を祓い清める修祓を行う。そして神職により祖霊に供物である神饌を供する。神職は祭詞を奏上し、故人の生前の業績を述べ遺徳をしのびつつ、祖霊となって遺族を守ってくれるよう願う。参列者は玉串をささげて、二拝二拍手一拝をおこない故人をしのぶ。このとき拍手は、音を立てない「しのび手」でおこなう。
また、神道では、墓所を「奥津城」「奥つ城」(おくつき)と呼び、墓石にも「○○家之奥津城(奥都城)」と表示している家が多い。墓石の頂点を烏帽子に見立て、尖らせる等の外観上の違いもある。「霊爾」(れいじ。仏教の位牌にあたる)を祀る場合は仏壇の代わりに御霊舎(みたまや)を置いている。
現代の日本の葬儀はほとんどは仏式で営まれており、これは江戸時代に寺請制度(てらうけせいど)がはじまって仏教式の葬儀が強制されるようになり、仏式葬儀が在来の葬祭習俗と結びついて一般化したことによる。一方で江戸時代には日本古来の信仰のあり方を見直す運動が起こり、幕府も一般の人々が神道による葬儀を行うことを認めるようになった。しかし、神道は明治に入ると国家体制に組み込まれ(国家神道)、神職が宗教行為である葬儀に関わることが規制されるようになり、神葬祭の普及は長らく進まなかった。近年では、神葬祭が仏葬よりも経済的な場合が多い点や、仏教渡来以前からの日本古来の祖霊信仰に立ち返ろうとする思想などから増加傾向にある。
天理教・金光教などの教派神道においても、神葬祭を元にした独自の葬儀を持っていることが多い。
[編集] 仏教
日本の葬儀の大部分は仏式(葬式仏教)で行われている。
1635年(寛永12年)ごろ、日本人全員を近くの寺に帰属させる寺請制度が始まり、1700年(元禄13年)年ごろには、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され、葬式に僧侶がつくようになった(それまでは「葬式組」と呼ばれる村落共同体のグループが葬式を仕切り、棺や装具をつくったり炊き出しをしたりしていた)。
浄土真宗、日蓮宗を除き日本の伝統仏教においては、葬儀は死者に対する授戒成仏が主たる意味を持つ。つまり、死者を仏弟子となるべく発心した者とみなし、戒を授け成仏させるための儀式である。
浄土真宗では教義上、無戒のため授戒はなく、仏徳を讃嘆し、故人を偲びつつ報謝のまことをささげる儀式となる。迷信を忌む宗風から、日や方角の吉凶を選ぶ、守り刀、逆さ屏風、左前の死装束、北枕、六文銭の副葬、振り塩(後述)などの習俗は、原則としておこなわない。
日蓮宗では法華経を受持すること自体がすでに戒を保つことであるとして死後あらためて受戒を行わないが、地域によっては通夜の際に受戒作法を行う場合もある。
葬儀の流れは宗派や地方により多少異なるが、大まかな流れは、まず死後すぐに枕経を行い湯灌(遺体を拭き清める)をした上で納棺し通夜を行う。翌日に葬儀と告別式を行い火葬・拾骨(又は土葬)する。現代においては、会葬者が頻繁に集えないことや会場が葬儀場で営まれることなどから、本来7日後に行なう初七日を引き続いて行なうことが多い。初七日は火葬を終えて自宅に帰る途中に所属寺院(菩提寺)に立ち寄って行われるか、自宅に帰り、還骨のお経を兼ねて行われることが多い。有名人などの葬儀で、密葬を行ったうえで本葬を行う場合、本葬終了後に初七日を行うケースもあり、この場合は死後7日以上経過していても初七日として法要が行われる。
遺族は、死者の追善を7日ごとに49日間行うものとされ、この期間を中有または中陰と呼ぶ。初七日はその最初の法要である。現代では、この7日ごとの法要を全て行うことは稀で、初七日と七七日の法要のみを行う場合が多い。ただ、一部の地方によっては、初七日と七七日まで全て行えるように、参列者の都合を優先し、土曜日や日曜日に法要をずらすこともある。七七日法要は一般に壇払い、または壇引きと呼ばれるもので、死者の遺骨や位牌を安置していた中陰壇を取り払うことからこのように呼ばれる。壇払いを済ませると服喪期間が終了し、遺族は日常の生活に戻る。
[編集] キリスト教
[編集] カトリック教会
カトリック教会における葬儀観は、現代のカトリック教会の精神をもっともよく表している第2バチカン公会議の文書の一つ『典礼憲章』から読み取ることができる。同文書では「葬儀はキリスト信者の死の過ぎ越しの性格をより明らかに表現し、典礼色も含めて各地方の状況と伝統によりよく適応したものでなければならない」(81条)としている。現代のカトリック教会における葬儀は、この文書をうけて改訂され、1969年に発表されたカトリック教会の儀式書『葬儀』およびその各国語訳に基づいておこなわれているが、それ以前のものと比べると二つの特徴をあげることができる。
まず、第一は葬儀が「キリスト信者の過ぎ越しの性格を表現するもの」であると宣言されていることである。つまり死が人間にとって完全な終わりではなく、キリストを信じることで永遠の命と復活への希望に入るものとなるということである。このことからカトリック教会では信徒の死を「帰天」と呼ぶことがある。かつてのカトリック教会では、死と関連して死後の審判や煉獄や地獄の恐怖が強調されることが多かったが、そのような考え方もこの視点によって修正された。これと関連して葬儀ミサ(レクイエム)で歌われた続唱などが、その内容がキリスト教本来の死生観から外れたものとして廃止されている。
第二の特徴は、カトリック教会の葬儀は全世界一律でなく地域の文化に合わせる柔軟さを持っているということである。日本においても当然固有の文化と伝統が尊重される。この精神に従って日本での葬儀では献花の他に焼香が行われることもあり、カトリック信徒でない参列者が多数を占めることが多いという現実が配慮されている。具体的には葬儀で用いられる用語や固有の表現は可能な限り避けられ、参列者のほとんどがカトリック信徒でない場合はミサに代えて「ことばの祭儀」を行いうることなどがあげられる。
カトリック教会における葬儀は、死者のために祈ることももちろんであるが、残された生者のために祈る場でもあり、神が悲しみのうちにある遺族を励ましてくださるよう祈ると同時に、キリストに結ばれたものとして、キリストが死んで復活したように自分たちもキリストの死と復活にあずかることができるという信仰を再確認する場でもある。
先にのべたように地域の文化への適応という考え方から、現代の日本におけるカトリック教会の葬儀では、「通夜」および「葬儀」という流れに沿って行われる。
通夜では聖書の朗読、聖歌、死者のための祈り、棺への献香と参加者による献花あるいは焼香、遺族代表のあいさつなどが行われる。通夜は教会で行われるとは限らず、自宅や葬儀場で行われることもある。
葬儀は教会での「葬儀ミサ」という形で行われることが多いが、状況に応じて自宅で行われる場合もある。また、参列者のほとんどがカトリック信徒でない場合などは、参列者に配慮してミサに代えて「ことばの祭儀」という簡略な形での葬儀が行われることもある。六曜「友引」に葬儀を控えることは本来はないが、火葬場が休業日になっているために日をずらすことはある。
一般的な葬儀ミサと通常のミサとの違いは、会場が葬儀にふさわしく装飾されることと、聖書の朗読箇所・聖歌・祈り・説教の内容などが葬儀にあわせて選ばれるということである。ミサとあわせるかたちで続けて告別式と葬送が行われる。告別式では一般的な葬儀と同様に、故人の紹介、弔辞、弔電の紹介、献花、遺族代表のあいさつなどが行われる。
ミサ以外の司式は司祭や助祭だけでなく信徒でも行うことが可能である。なお、通夜および葬儀の時に用いる司祭(助祭)の祭服の色は、かつては黒が用いられていたが紫で代用されることが多くなり、近年は(復活の希望を表す)白を用いることも勧められている。
また、死後特定の日に集まって故人を弔う日本の習慣にあわせ、一周忌や命日などに故人のためのミサや祈りの集いが行われることもある。
[編集] プロテスタント
プロテスタントの葬儀は欧米では日中の葬儀・埋葬礼拝のみであることが多いが、日本においては仏教の葬儀様式に慣れた参列者の便宜を図り、前夜と当日との2日にわたって典礼を行うことが少なくない。この前夜の式典は、呪術的な必要から遺体を不寝番することを意味する「通夜」を避け、「前夜式」「前夜の祈り」などと呼ぶ。前夜式は自宅で行う場合もあるが、教会堂で行うことも多い。
告別式の式典は礼拝そのものであるため、その式次第は基本的に通常の日曜日の礼拝と同じであり、故人が地上で行う最後の礼拝と意味付ける教派もある。従って、基本的に教会堂で行われ、祈祷、聖書朗読、説教、賛美歌、祝福などにより構成される。これに付随して、友人などによる追悼の辞、遺族の挨拶、献花などが追加されることが多い。故人の略歴の紹介・記憶の披露などは、牧師の説教に組み入れられることも別個の項目となることもある。
キリスト教(特にプロテスタント)では、人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天にいる神とイエス・キリストのところに召されることであり、イエス・キリストの再臨において復活するための準備に過ぎない(このことからプロテスタント諸教派では信徒の死を「召天」と呼ぶことがある(昇天ではない))。したがって、死とは、天国において故人と再会できるまでの一時の別れであり、地上に残された者(遺族などの生存者)にとっては、その別れが寂しく慰められるべき事であるが、死そのものは悲しむべき事ではないと説明される。
キリスト教徒の比率が低い日本では、参列者はもとより遺族すらキリスト教徒で占められる事は期待できないため、宗教的純潔主義の主張より地域の習俗を重んじる者らへの配慮が優先される。前夜式を設定したことは既出だが、焼香に代わる献花、「香典」「仏前」に代わる弔慰金の名目「御花料」などは皆その為に案出され、後に信仰的意義付けを為したものである。同様の理由で六曜「友引」には葬儀を控えるが、これには大抵の火葬場が休業であるという止むを得ない事情もある。また、死を穢れと見なさないため「清め塩」は使わない。
[編集] 正教会
ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の葬儀は、埋葬式と呼ばれ、主に連祷と、無伴奏声楽による聖歌から構成されている(正教会の聖歌は無伴奏声楽が原則である)。永眠した正教徒が、神からの罪の赦しを得て天国に入り、神からの記憶を得て、永遠の復活の生命に与ることを祈願するものである[4][5][6]。
正教会では「逝去」「無くなられた」「故人」ではなく、それぞれ「永眠」「永眠された」「永眠者」の語が用いられる。これは、正教会においては死は来世の復活の生命に与るまでの一時的な眠りとして捉えられている為である。
埋葬式の前晩にはパニヒダが行われる。正教会においては終夜、永眠者のために祈ることは初代教会から大事にされた伝統であるとされ、前晩のパニヒダを通夜と呼ぶ事もあまり忌避されない(「パニヒダ」の語源がそもそも「夜通しの祈り」という意味である)。また、永眠後の「三日祭」「九日祭」「四十日祭」「一年祭」「年祭」にもパニヒダが行われる。正教会においては死は忌むべきものではなく復活への入口であるため、このように「祭」の語彙が用いられる[4][5]。
土葬が基本であるが、日本正教会では諸々の事情により止むを得ず火葬が行われている。
正教会の奉神礼(礼拝)は立って行うことが基本である。起立する姿勢は伝統的に「復活の生命に与って立つ」ことを象徴するとされるからである。従って司祭・輔祭・詠隊(聖歌隊)は勿論、参祷者も埋葬式の間は継続して立ち続ける事が求められている。ただし無論、身体障害者や高齢の参祷者はこの限りではない。
正教会でも(埋葬式やパニヒダに限定されず)香炉は用いられて大切な習慣と位置付けられるが、振り香炉を扱うのは司祭と輔祭であり、参祷者が香炉に触れる事は無い。参祷者が永眠者と対面する際には、棺への献花の習慣がある。
正教会のパニヒダと埋葬式は、輔祭(輔祭が居ない場合は司祭)が永眠者の霊(たましい)の安息を願う祈祷文を朗誦した後、「永遠の記憶、永遠の記憶、永遠の記憶」と三回歌われる聖歌を以て終結する。人を生かす、神による永遠の記憶が永眠者に与えられるように祈願する祈祷文である[7]。
詳細は「永遠の記憶」を参照
[編集] イスラーム教(イスラム教)
イスラーム教は神アッラーへの服従、死は一時的な別れとしアッラーの審判の日に復活をすると信じられる。悲しみはあるが泣き叫ぶ事は禁止されている。死亡した場所の法律にもよるが白い布に包まれ棺は必要とせず土葬される。
[編集] 儒教
儒教においては親の葬儀を盛大に営む事が何より大切な事とされる。元々儒教教団はそう言った葬儀に関する様々なしきたりを教授するための人から生まれたものである。
儒教の死生観では人は死ぬと魂(こん)と魄(はく)と言う二つのたましいに別れる。魂は精神を、魄は肉体をつかさどるたましいであるとされる。魂は天の陽気からのたましいであり魄は地の陰気からのたましいである。魂は天に昇って神になり、魄は地に返る。残された者たちは魂を祀る為に位牌を作って廟に祀り、魄の戻る場所として地中に遺体を埋める。
葬儀では死者の魂を天国や地獄など7つの世界を巡らせる儀式を行う。この儀式で死者の魂が最後に到達する世界はこの世であり、再びこの世に生まれ変わってきて欲しいとの願いを込めている。また、紙幣(通貨として使用できない葬儀用の模造品)を燃して死者の魂を慰める。
朝鮮半島における儒教では葬儀の時に死者を慕って大げさに泣く事が求められ、葬儀に出席して泣く事でお金を貰う泣き女が存在する。
[編集] バリ島のヒンドゥー教
水辺で火葬にし、そのまま水に流す。海が近ければ海まで、そうでなければ川まで、棺を運ぶ葬列を仕立てる。葬列では、楽器を運びながらガムラン音楽を演奏する。費用がかかるため、没後すぐに行えない場合も多い。貧しい村では数人の他界者が出るまで待ち、まとめて葬儀を行う。天国へ行くための晴れやかな儀式であり、葬儀へ参加する人々の表情は、一様に明るい。
[編集] 無宗教
特定の宗教に依存しない葬儀もある。故人の宗教観や、会社/団体葬などの場合に行なわれることがある。宗教に依存しないと言っても、仏式における読経の部分をなくし、通夜、告別式等は通常通りに行なわれるだけの場合もある。
特定の決まりはなく、式次第は主催者の裁量にゆだねられる。お参りの方式も献花や焼香と特に決まりは無く、自由度が高いがその分、具体的なイメージがなかなか描きにくい部分もある。場合によっては、葬儀という名称でなく、「お別れの会」などと呼ばれることもある。
一般的には、黙祷、送る言葉(弔辞)、献花もしくは焼香といった形で進行する。
無宗教といっても、宗教的な側面を一切排除しなければならないという性質のものではなく、むしろ特定の宗教に偏らないということが強調されることが多い。
宗教によっては、異なる宗旨で行なわれる葬儀への参列や焼香などを禁じているものも存在するため、遺族や参列者に異なる宗教的背景がある場合、それらに配慮して無宗教という方法で葬儀を行なう場合もある。
[編集] 葬礼の様式
- 葬儀
- 遺体の処理法・埋葬
- 遺骨の処理法
[編集] 日本の葬祭業
葬儀は近親者が執り行なうのが基本である。しかし、葬儀は短期間で大量の事務処理をこなさねばならず、また、非常に頻度が低い行事のため、一般人のみで行なうのには限界がある。そこで、葬祭をサポートするサービス業として、葬祭業がある。事業免許はなくだれでもはじめられるが、遺体、宗教、関連法規など多岐にわたる知識が要求される。
従事するものの技能を審査するべく、「葬祭ディレクター技能審査」が厚生労働省の認可の下で実施されている。設営、司会、進行には専門知識が必要であり、技能者としての技量が発揮されると、よい葬儀が行われることであろう。また、霊柩車は特定の貨物輸送となり、運送業の許認可が必要である。
従来は、景気に左右されにくい産業であったが、平成時代に至りそれまで死をタブー視する風潮に対し急速に反省や見直す風潮が広がり、葬儀の形が多様化するとともに、さらには不況が長引くに伴い、葬儀の小規模化が進んだ。
[編集] 服飾
日本のこれまでの葬儀での習慣として、葬儀を悲しむべき死者との別れとの見解から、一般に華美な服装は歓迎されず、ほとんど規格化した黒の喪服が利用されてきた。これは日本やその他一部の国だけの常識であり、国によって服装はま多様である。たとえば中国では普段着、韓国は韓国服を着るが、遺族は着色のない粗末な服を着る。これは親の死は、子供の誠意が足りなかった結果と考え謝罪の意を示すためである。インドネシアのバリ島ではお祭りと同様の華美な衣装に男女とも身を包む。これは死者が天国に迎えられるための、めでたい儀式と考えることによる。
日本での通夜、告別式など、親族以外の者が集まる場合、各々の服装については一般に黒を基本とした服装が好まれる風潮がある。地域により、通夜も喪服が礼儀であるとの見解もあるが、一般的に通夜へ喪服で参加することは失礼にあたる(喪服だと葬儀を予期していたようで失礼にあたるという考え)[8]。特に通夜は急に執り行われることが多いため、参加する姿勢が大事と考える人もいる(仕事帰りなどで作業服しかない場合などはそのままで)。とりわけ、忌避されるのが以下のものである。
上記のように、多くの日本人は確固とした宗教観、死生観を持たないことが多いため、死をタブー視し忌み嫌い、葬儀は儀式としての形式にこだわり意識過剰に陥るあまり、周囲に対し過剰にあわせようとする風潮が強い。そのため横並びの当たり障りのないような服装やマナーがそれぞれの地域によりできあがった。最近では葬祭業者がアドバイスを与えることが多いため、全国的なローカル色は消え、さらに規格化されつつある。
[編集] 日本における葬儀に関する諸問題
通常葬儀は滅多に行われない上、親族が亡くなることを考えるのは縁起が悪いなどの理由もあって一般人はどうしていいのかよくわからないものである。
近年そうした親族の無知に付け入り、法外な金額の葬儀費用を請求する事例が増えており[9]、消費者生活センターなどに相談が寄せられている。
葬儀費用には、葬儀本体価格の他に、飲食や返礼品などの実費費用が別途必要になるが、事前に参列者数が分からないため、葬儀打合せ時の見積りには合計金額が書かれていないことも多い。この場合、請求時に実費費用分が加算されてトラブルになりやすい。
互助会に加入の場合も解約などトラブルがある。これは互助会加入時に、会員獲得のセールスマンが過剰なセールストークを展開してしまい、解約時には一定の手数料を引かれること(掛け金にかかわりなく、おおよそ3~5万円)、当時の祭壇によるので、積立金分の割引にしかならない。積み立てたお金には一切の金利などがつかないことがトラブルの原因のようである。また解約もスムーズに行われない場合がある。事前に説明のない追加料金を請求する事例がある[10]。
[編集] 葬儀費用の世界各国の比較
日本: 231万円、イギリス: 12万3千円、ドイツ: 19万8千円、韓国: 37万3千円、アメリカ: 44万4千円となっている[11]。
[編集] 葬儀業者と僧侶
葬儀業者が寺院(僧侶)を紹介することが少なくない。
[編集] お布施からリベート
葬儀業者によって僧侶が紹介された場合において、僧侶が受け取った布施の一部が、葬儀業者にリベートとして渡る、不透明な慣行が広りつつある[12]。リベートは僧侶が属しない宗教法人の口座に振り込まれることもあり、税金逃れの可能性も指摘されている[13]。
[編集] 布施の価格目安(葬儀)
イオンが、自ら手がける葬儀紹介サービスにて「布施の価格目安」を打ち出したところ、全日本仏教会などの一部の仏教界が「布施に定価はない。企業による宗教行為への介入だ。」と反発している。しかし8宗派、全国約600の寺院の協力が得られることになった。今後、これが『定価』として一人歩きしてしまうことも懸念されているが、消費者の立場からすれば明瞭な布施価格の明示はありがたいとの声もある[14][15]。
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- 読経一式+普通戒名(信士信女)、または普通法号=25万円
- 読経一式+居士大姉戒名=40万円
- 読経一式+院号居士大姉戒名、または院号法号=55万円
-
- 直葬
- 直葬(火葬場炉読経のみ)+普通戒名(信士信女)、または普通法号=10万円
[編集] 葬儀をテーマとする映画
[編集] 葬儀をテーマとする音楽
- 『ろうそく』 - ブリーフ&トランクス
[編集] 脚注
- ^ “東京福祉会の事業の特色”. 東京福祉会. 2009年4月5日閲覧。
- ^ 帆刈浩之. “広東幇華人の慈善ネットワークに関する史的研究”. 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科. 2009年4月4日閲覧。
- ^ Vasily Vereshchagin. Defeated. Servise for the dead.
- ^ a b かたち-諸奉神礼:日本正教会 The Orthodox Church in Japan - 日本正教会公式サイト
- ^ a b 『誰でも知っておきたい正教会の諸習慣と常識』 - 長司祭牛丸康夫による訳文
- ^ 永眠者の記憶について - 長司祭長屋房夫による訳文
- ^ OCA - The Orthodox Faith(アメリカ正教会公式ページ)
- ^ http://www.sousaiken.com/ssk/mame/1fuku.html
- ^ 平均231万円日本の葬儀代 詐欺同然超高額のカラクリ
- ^ 国民生活センター - 増加する葬儀サービスのトラブル
- ^ 葬式は、要らない 著: 島田裕巳 週刊朝日2010年4月9日増大号
- ^ 2011年2月11日の朝日新聞朝刊39面
- ^ 2011年2月10日の朝日新聞朝刊39面
- ^ 「宗教介入だ」仏教界困った イオンの葬儀サービスが「お布施」に目安 (1/2ページ) - MSN産経ニュース - 産経新聞 2010年7月2日
- ^ 「葬儀に料金透明化の動き イオンがひつぎ代など明文化 (1/2ページ) - MSN産経ニュース - 産経新聞 2010年1月24日
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『葬送墓制研究集成』1-5(名著出版、1979年)
- 萩原秀三郎・須藤功『葬送と供養』日本宗教民俗図典2(法藏館、1985年12月)
- 西木浩一『江戸の葬送墓制』都史紀要37(東京都公文書館、1999年3月)
- 高橋繁行『葬祭の日本史』講談社現代新書1724(講談社、2004年6月)
- 斉藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書1004(岩波書店、2006年5月)
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