大司馬 (イングランド)
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大司馬(Lord High Constable of England)は、中世イングランドの官職名。国王の閣僚(Great Officers of State)としては9人中で7番目に位置し、その職域は兵権を司った。現在も存在する官職だが、常任ではなく戴冠式の時にだけ活動する儀礼官職となっている。
元来の大司馬とは国王軍の司令官であり、平時には王室の馬の管理を行っていた。また名誉法廷の総裁でもあり、封建時代には軍事法廷は大司馬の管轄下にあった。
大司馬の官職はマティルダ皇后の時代に大役務(Grand serjeanty)としてマイルス・ドゥ・グロースターに与えられたものである(この時同時にヘレフォード伯の爵位も与えられている)。後にグロスター家の男系は途絶え、マイルスの娘の嫁ぎ先であるブーン家に継承される。この後も男系が絶えるたびに女系継承を続け、バッキンガム公のスタフォード家が継承する事になる。そして最後の大司馬エドワード・スタフォードが私権剥奪に伴う官職剥奪に遭うと、国王ヘンリー8世は大司馬の官職を王権に統合してしまった。
[編集] イングランド大司馬 1139年-1521年
- マイルス・ドゥ・グロースター (初代ヘレフォード伯) 1139年-1143年
- ロジャー・フィッツマイルス (第2代ヘレフォード伯) 1143年-1155年
- ウォルター・ドゥ・グロースター (第3代ヘレフォード伯) 1155年-1159年
- ヘンリー・ドゥ・グロースター 1159年-1164年
- ハンフリー・ドゥ・ブーン 1164年-1176年
- ヘンリー・ドゥ・ブーン (初代ヘレフォード伯) 1176年-1220年
- ハンフリー・ドゥ・ブーン (第2代ヘレフォード伯・初代エセックス伯) 1220年-1275年
- ハンフリー・ドゥ・ブーン (第3代ヘレフォード伯・第2代エセックス伯) 1275年-1298年
- ハンフリー・ドゥ・ブーン (第4代ヘレフォード伯・第3代エセックス伯) 1298年-1321年
- ジョン・ドゥ・ブーン (第5代ヘレフォード伯・第4代エセックス伯) 1321年-1335年
- ハンフリー・ドゥ・ブーン (第6代ヘレフォード伯・第5代エセックス伯) 1335年-1361年
- ハンフリー・ドゥ・ブーン (第7代ヘレフォード伯・第6代エセックス伯) 1361年-1372年
- トーマス・オブ・ウッドストック (初代グロスター公) 1372年-1397年
- ハンフリー・プランタジネット (第2代バッキンガム伯) 1397年-1399年
- エドムンド・スタフォード (第5代スタフォード伯) 1399年-1403年
- ハンフリー・スタフォード (初代バッキンガム公) 1403年-1460年
- ヘンリー・スタフォード (第2代バッキンガム公) 1460年-1483年
- トマス・スタンリー (第2代スタンリー男爵) 1483年-1485年
- エドワード・スタフォード (第3代バッキンガム公) 1485年-1521年
このタイミングで大司馬の官職は王権に統合されたため、戴冠式の時だけの儀礼官になった。
- ヘンリー・グレイ (第3代ドーセット侯), 1547年
- ヘンリー・フィッツアラン (第19代アランデル伯) 1553年, 1559年
- エドワード・サマセット (第4代ウースター 伯) 1603年
- ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公) 1626年
- アルジャーノン・パーシー (第10代ノーサンバランド伯) 1661年
- ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公) 1685年
- ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公) 1689年
- ライアスリー・ラッセル (第2代ベッドフォード公) 1702年
- ジョン・モンタギュー (第2代モンタギュー公爵) 1714年
- チャールズ・レノックス (第2代リッチモンド公・第2代レノックス公) 1727年
- ジョン・ラッセル (第4代ベッドフォード公) 1761年
- アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵) 1821年, 1831年, 1838年
- アレグザンダー・ダフ (初代ファイフ公爵) 1902年, 1911年
- ロバート・クルー=ミルンズ (初代クルー侯爵) 1937年
- アラン・ブルック (初代アランブルック子爵) 1953年