留学
留学(りゅうがく)とは、自国以外の国に在留して学術・技芸を学ぶことをいう。広義には自国以外の国に限らない場合もある。留学している人を「留学生」(りゅうがくせい)という。同義語に遊学があるが、遊学に比べ留学は「長期間留まって」の意が強く、その結果、外国において学ぶ場合に用いられる[要出典]。なお、遊学の「遊(「游」も同義)」は、遊離・浮遊等に用いられる「(故郷等を)離れて」の意であり、従って、まじめに勉強しない留学生を揶揄して遊学生と呼ぶのは、本来の意味ではない。
目次 |
[編集] 概説
[編集] 留学の起源 - 人格完成としての留学
洋の東西を問わず、古来より学問修行や見聞のための人間の移動は盛んに行われており、とりわけ中世における大学の成立と発展は、民族・文化の異なる若者たちの留学に支えられてのものであった。さらにルネサンス以降は、外国留学の教育的意義が強調されるようになり、外国への旅行や留学によって教育は完成するとの考え方がルソーなどによって確立[要出典]され、留学する層も広がった。
[編集] 近代化と留学
近代における留学は、欧米では依然として以上のような人格完成を意味していたのに対して、かつての日本など近代化を目指す国にとっては、国を代表して先進の文明を学んでくるといった気負いが加わり、現在の留学のニュアンスにもその名残りが感じられる。これらの留学生は、自国に戻ってから政治・経済の近代化に大きく貢献した。とりわけインド、ベトナム、カンボジア等の旧植民地諸国では、宗主国への留学生が中心となって行われた[要出典]。
一般に、国が発展途上段階にあり、留学先の国との近代化の程度のギャップが大きい場合ほど、留学によって得た知識が生きる可能性が大きいといえるが、留学先が自国に比して顕著に先進的な国である場合には、留学費用などの点で、官費留学や社費留学などのシステムが整備されていないケースには留学が難しくなる。また、自国が発展途上の段階にある場合には、そもそも出国や留学先の入国に法律上・事実上の制限があったり、外貨持ち出しの制限など経済的な制約が強い場合が多い。しかしそれでも一部の国では、学費が無料であったり、あるいは留学生に援助金を出したりするところもあるため、発展途上国から留学する学生も多い。
[編集] グローバル化と留学
そして、グローバル化が進むなかで、先進国から途上国への留学もみられるようになり、今日の留学は相互交通的、多元的な時代に入っている。文化や制度や習慣・常識は国によって大きく違うことから、留学する際には事前調査と計画をしっかり立て、カルチャーショックなどにも備えておく必要があるとされるが、また、逆にそうしたことから自国の文化や制度、価値観や常識を見つめなおすことができるのも留学の利点とされ、近代化の枠組みを超えた、外国語の習得や様々な人脈の形成、自己啓発、自己鍛錬などを動機とした留学が後進国でも増えている。語学留学の場合、アメリカ、イギリスを中心にした英語留学(その他の国にカナダ、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリア、フィジーなど)や、フランスでのフランス語習得、中国、台湾での中国語習得などを目的としたものが一般的となっている。
[編集] 留学の種類
留学と言えば、一般に国外に在留して勉強する海外留学を指すのが一般的であるが、国内の他地域、他組織に一定期間在籍し教育を受けたり、研究に従事することも留学(国内留学)と呼ばれることがある。
[編集] 国内留学
国内留学については、都市部の学生が国内の地方に留学し通常の教育の他に自然体験などを行う山村留学や、官庁や学校などの教職員が現職のまま国内の他の大学や研究機関に派遣される内地留学が行なわれている。
[編集] 海外留学
[編集] 留学の制度
[編集] 交換留学
- 大学間協定に基づく
- 交換留学
- 機関間協定に基づく
- 交換留学
[編集] 私費留学
自己負担による留学。官費留学に対応する概念として存在するが、企業の従業員が企業の費用負担で派遣される留学に対比して、自らの出費にて留学する場合の概念としても用いられる。
[編集] 官費留学
国が費用を負担する留学。若手官僚等を将来、国の役に立つ人材として育成するために行う。日本では行政官長期在外研究員制度によって毎年三百数十人が留学している。ただ、留学終了後に所属機関を辞め転職したり、母国へ帰らずそのまま現地に居座ることが問題になることがある。日本では2006年に留学から一定期間を経ずに本人の責任によって退職する場合は留学費用の返済を義務づける国家公務員の留学費用の償還に関する法律が制定された。
[編集] 公費留学
内外の財団等による留学。大学在学中に留学できるものや、ロータリークラブなど大学卒業後に留学できる制度もある。留学終了後の進路は自由。
[編集] 社内留学
企業が費用を負担して従業員を派遣する留学。官費留学と同様、転職などの問題がある。
[編集] 日本からの留学
島国である日本では、留学の歴史は古く、古来から新知識、新技術は海を越えて大陸への留学によって持ち帰られたものだった。
[編集] 古代
古代の日本において、稲作、金属器、文字、仏教などは主に中国大陸・朝鮮半島からの渡来者によって伝えられたものであったが、6世紀末頃からは、大和王権による中国への留学生の積極的な派遣が始まり、新知識、新技術の吸収が本格的に行なわれるようになった。記録に残されている最初の留学生は、588年に百済へ派遣された善信尼ら5人の若い尼で、受戒の法を学び590年に帰国している。
この頃の日本には、造船や操船の技術が未発達で、留学はまさに命を賭しての一大事業であった。奈良時代以降の遣唐使、遣隋使に付き従った学生、学問僧はまさにそれで、目的地にたどり着けない者、異国で学業を身につけたものの、終生帰国できなかった者も少なくない。遣隋使に付き従った高向玄理、南淵請安らは、20~30年にわたって中国で生活し、帰国後は律令国家の建設において大きな役割を果たした。また、遣唐使が派遣されるまでは新羅に渡る僧も少なくなかった。遣唐使とともに派遣された著名な学生、僧としては、道昭、吉備真備、阿倍仲麻呂らがいる。なお、「留学生(るがくしょう)」という言葉が生まれたのもこの頃である。
平安時代に入ると、請益の制度による短期間の留学が主流になり、遣唐使とともに帰国するケースが増えた。最澄と空海は、天台と密教を学び、最後の遣唐使には、円仁が同行した。この頃の留学の費用は日本の朝廷から支給され、中国での生活費は中国側から支給されるのが一般的であった。遣唐使廃止後は、円珍など、商船に乗って唐に渡る僧が見られるようになった。
[編集] 中世から近世
12世紀に入ると、大陸・南宋との交流が盛んになり、大陸仏教への関心も高まり、重源、栄西、覚阿ら各派の僧が相次いで南宋に留学した。とりわけ栄西による帰国後の新宗教活動は国内の僧に大きな影響を与え、その後、道元や覚心らの積極的な留学を呼ぶこととなった。
元寇後は大陸との関係が途絶するが、14世紀初頭から、私的留学を行う僧らの渡航が活発化し、明代にかけて留学僧の往来の最盛期をむかえる。雪村友梅ら長期にわたって禅を学ぶ者が多かった。しかし、室町時代に入ると倭寇対策のため日明貿易以外では中国への渡航が禁止される。その後、戦国・安土桃山時代の天正遣欧使節、朱印船貿易、江戸時代の鎖国体制においても、事情は変わらなかったが、異国への窓口であった長崎(出島)への国内留学によって、細々とではあったが海外からの文化が国内に入っていた。江戸時代後期には、輸入された学問や科学が蘭学として徐々に広まっていった。
[編集] 近代
近代日本における外国への留学は幕末に始まり、1862年に江戸幕府が初めてオランダへ留学生を送り、次いでヨーロッパの諸国へも派遣している。また、長州や薩摩などの諸藩も相競いあうようにして、英国(イギリスの日本人学生参照)やフランス、アメリカなどの各国へ若者たちを派遣した。1866年には留学のための外国渡航が幕府によって許可されるに至り、これら幕末期の留学生は約150人に達した。
明治時代に入ると、明治政府は近代化、欧米化を目指して富国強兵、殖産興業を掲げ、このなかで外国留学が重要な国策の一つとなった。岩倉使節団の派遣では留学生が随行し、司法制度や行政制度、教育、文化、土木建築技術などが輸入され、海外から招聘した教授や技術者(お雇い外国人)によって紹介、普及されていった。
それだけではなく、明治期以降、海外の優れた制度を輸入することや、海外の先進的な事例の調査、かつまた国際的な人脈形成、さらには国際的に通用する人材育成を目的として、官費留学が制度化された。無論、ある程度の財力を持つ人々やパトロンを得た者のなかには、私費留学によって海外での研鑽を選ぶ場合もみられた。明治年間のこうした官私費留学生は全体で約2万4,700人に達するとされ、また1875~1940年の間の文部省による官費留学生、在外研究員は合計で約3,200人を数える。
この間の著名な留学経験者として、伊藤博文、井上馨、桂太郎、津田梅子、大山捨松、森鴎外、夏目漱石、中江兆民、小村壽太郎、東郷平八郎、高橋是清、三浦守治、高橋順太郎、湯川秀樹、朝永振一郎らがいる。
[編集] 第二次世界大戦後
第二次世界大戦後は、フルブライト奨学金制度による学術留学及び研修留学や、ロータリークラブによる海外生活体験を目的とした留学、大企業による社費留学が制度化され、多くの人が海外へ行けるようになった。その目的は、海外の人々との交流であったり、学術研究レベルや行政、経営能力を引き上げることにあった。また、当然のことであるが、国際人として通用する人材を育成するために国として制度化した部分もある。サンケイスカラシップと仏語のコンクール・ド・フランセなどの公費留学も行なわれた。
[編集] 現在
1985年プラザ合意以後の急激な円高傾向を受け、留学はより身近なものとなり、その目的や動機は多様化の一途をたどっている。これまで、日本の高等教育では例外的に水準の低かった経営学や金融工学を学ぶため、ハーバード大学等有名大学のビジネススクールでMBAや研究機関で博士号の取得を目的とした学術的なものから、能力の向上のみを目的とした語学留学、海外での生活体験を目的としたワーキングホリデー、そのほか看護や児童英語教師の資格の取得を目的とするものなどがある。ただし、多元的な国際交流の時代に入ったとはいえ依然として欧米への留学が主流をなしている。また、パリ症候群など現地社会に対する適応障害を訴えるケースも見られるようになった。
民間財団や日本学術振興会の海外特別研究員の制度によって留学助成が行なわれているものの、その門戸は狭く、今日の留学のほとんどは私費によるものである。留学市場の拡大と、各国の入国審査基準の複雑化によって、留学エージェントが数多く参入し、より安価で安全な留学やホームステイが可能となったが、同時に悪質な留学エージェントによるトラブルも起きている。他方で、官費留学については、バブル期以降に留学した公務員が留学終了後、わずか数年で転職するケースが問題となり、2006年6月、国家公務員が国費留学の後、5年以内に退職した場合、費用返還を義務付ける留学費用償還法が施行された。
また、2001年の法改正により、国民健康保険に入っていれば、日本国外での保険対象内の医療費についても後で差額を請求することができるようになった。ただし、一旦は全額を自己負担する必要がある上、日本国内における医療費の値段が基準になる。また、一年以上の長期留学の場合は国民健康保険から脱退しなければならない(詳細は国民健康保険制度#海外での医療費を参照)。
[編集] 日本への留学
[編集] 近代~第二次世界大戦
外国からの日本への留学生の受入れは、1883年に朝鮮からの留学生40余名を慶應義塾が受け入れた頃に始まる。日清戦争以降は主に中国からの留学生が増加し、日露戦争後の1906年頃には全体で1万人に達した。日中戦争が始まると、中国からの留学生はほとんど帰国したが、植民地からの留学生招致や南方特別留学生制度による指導者育成など国策的な留学制度は続けられた。
[編集] 第二次世界大戦後
戦後、国際復帰を果たした日本は、国際親善、国際貢献の一環として、発展途上国への教育協力を目的として、1952年にインドネシア政府からの派遣留学生を受け入れ、さらに1954年には国費外国人留学制度を発足させた。外国政府からの派遣の留学生は、その後、中国が1978年に開始、マレーシアが1984年に開始、さらにブラジル、タイ、シンガポールなどが続いた。
また、来日した留学生に対しては、日本国際教育協会が1977年に設立され、1934年に発足した国際学友会などとともに、その支援・助成活動も活発に行なわれるようになった。
[編集] 留学生10万人計画と留学生の急増(1983年~)
1983年の中曽根内閣による「21世紀への留学生政策に関する提言」、翌年6月の「21世紀への留学生政策の展開について」のなかでの、いわゆる「留学生10万人計画」の提言を受けて、その実現に向けた政策が採られるようになり、1990年代後半には一時停滞したものの、主にアジア諸国から日本への留学生が急増し続けている(2006年の数値を国籍別にみると、中国が74,292人(63.0%)、韓国が15,974人(13.5%)であり、以上の2か国で全体の80%近くを占める)。2006年の外国人留学生の総数は117,927名で、日本政府から奨学金が支給されているのは、約10%の9,869名である[2]。したがって、ほとんどが私費留学生である。
私費留学生のほとんど(84.4%)はアルバイトに従事しており、その職種は、「飲食業」(55.0%)が最も多く、以下、「営業・販売」(16.5%)、「語学教師」(8.9%)と続く[3]。こうしたなかで、留学生全体で学業成績など質の低下が見られること、留学目的である学位を取得できない者の存在、本来就労目的でありながら、留学を隠れ蓑にした入国、不法滞在などの問題点も指摘されている[4]。2003年末には、旧酒田短期大学の多数の外国人留学生がアルバイトのために首都圏に移り住み、(違法である)風俗産業に従事していたケースが報道されて以来、留学生に対する社会的懸念が高まっている。2007年6月には風俗店を経営していた立命館大学の中国人女子留学生が入管難民法違反(不法就労助長)の容疑で逮捕された[5]。2007年1月現在の不法残留者総数は170,839人であったのに対し、「留学」の在留資格から不法残留者となった者の数は7,448人(構成比4.4%)に達している[6]。
[編集] 就労目的の外国人留学生(不法残留者)への規制
外国人留学生による不法就労問題には、規制がある。就労目的の外国人が留学生に偽装することを防ぐため、「在籍管理」が徹底できない「二部(夜間部)」には、外国人留学を認めないとする規制である。これは、出入国管理法に基づく法務省令に「専ら夜間通学」する教育課程に在籍する者には、「留学」の在留資格の取得・更新を認めないと規定されていることによる。
この様に、「専ら夜間通学」する「二部(夜間部)」の学生に対しては、就労目的の者が留学生に偽装できないよう、「留学」の在留資格が与えられないなど厳しい規制が設けられており、文部科学省は、外国人留学生の「在籍管理」を徹底し、規制を遵守するよう各大学へ指導を行っている。現に、日本で最も多くの留学生を受け入れてきた早稲田大学でさえ、二部(夜間部)の第2文学部だけは、留学生の受入が禁じられてきた。
[編集] 留学生30万人計画(2008年~)
先進諸外国の外国人留学生数を見てみると、アメリカ合衆国が約56万人(2005年)、英国が約36万人(2005年)、ドイツが約25万人(2005年)、フランスが約27万人(2006年)と、日本を大幅に上回っていることから、文部科学省などは、留学生数のさらなる拡大と支援のために「留学生30万人計画」を打ち出し、2008年7月にその骨子を策定した[7]。同骨子によれば、「日本留学への関心を呼び起こす動機づけや情報提供から、入試・入学・入国の入り口の改善、大学等の教育機関や社会における受入れ体制の整備、卒業・修了後の就職支援等に至る幅広い施策」を行なうことで、2020年までに留学生受け入れ数を30万人にまで増やすことを目標としている。
この計画を実現するため文科省は、2009年に「海外の学生」が「留学しやすい環境」への取組みを行う拠点大学を選定し、これに財政支援を行う『国際化拠点整備事業(グローバル30)』を実施すると発表。審査で選ばれた、東京大学・京都大学・早稲田大学・慶應義塾大学などへ、年間2~4億円程度を5年間交付し支援を行うことになった。
[編集] アメリカ合衆国における留学
- 文化や習慣を含む情報についてはアメリカ合衆国を参照。
- 教育制度についてはアメリカ合衆国の教育を参照。
- 入学選考制度についてはアメリカにおける入学試験を参照。
アメリカ合衆国は、世界各国からの移民や留学生が非常に多い。中でも大学院においては過半数を留学生が占めることも珍しくはない。近年では特にインド、中国、韓国、日本などアジアからの留学生が多い。学年度は9月頃からはじまるが、一年のうち複数の入学時期がある学科や大学も多い。しかし同時に、教育の質が高ければ高いほど学費も高額である傾向があり、俗に一流と呼ばれる大学では、年間の学費が日本円にして300万円を越えるところも多い(後述するように大学院では、分野によって状況が一変する)。
評価は厳しくなされるが、あらゆることにおいて交渉の余地があり、様々な例外が認められることが多いのも特徴である。複数の専攻課程を並行して取る人も珍しくなく、専攻や専門に囚われず様々な講義を取ることができるのもアメリカの大学の特色である。留年者や休学者、編入者や退学者は日本の大学に比べて多く(卒業率が5割以下の学科もある)、4年制大学であっても4年で卒業する人は全体として少ない傾向にある。
学生は、講義においては積極的に質問や議論をすることが求められ(先生が学生の理解度を推定するためにも重要であり、高度な内容の質問である必要はない)、それらは成績に直接反映される。大学院に進学する場合には学部の成績も選考時に影響し、さらには平均以上と評価される大学の場合、一定以上の良い成績を保っておかなければ退学になる制度が設けられているのが一般的で、入学者の半数以上が退学する大学もある。これらの理由から、講義をしばらく受けてみて、その講義を取るかどうか考える期間が与えられる(日本には普通、この制度は無いため、英字成績表には「不可」は記載しない大学が多い)。この退学・評価制度は、高度な内容の講義を学生が積極的に取りたがらない傾向を生じさせたり、教養が身に付いている人とそうでない人との差を一層拡大するという負の一面もある。
ほかに日本にはあまりない北米大学の特色として、寮制のところがあることや(少なくとも寮を保有しているところは多い。また、大学院では寮を利用するのが一般的である)、フラタニティが組織されていることなどが挙げられる(詳細は該当項目を参照)。
留学の際に十分な英語力を示すためにTOEFLのスコアの提出がほとんどの大学・大学院で要求されるが、大学の内容についていくだけの英語力がないと判断された場合、大学附属の英語学校に通うことを要求もしくは推奨されることがある。そのような英語学校は一般に大学に附属してはいるものの、教育機関としては独立した学校であることが多く、仮にその英語学校で要求される成績を出せたとしても、それだけで附属の大学に入学できるとは限らないので、入学要件をよく確認する必要がある。
大学や大学院の学位取得のための留学だけでなく、短期留学や語学留学、あるいはコミュニティ・カレッジへの留学も多い。また、留学エージェントなどの代行業者を利用する人もいる。住居については大学寮に入る人、ホームステイを利用する人、大学周辺のアパートを借りる人など様々である。
留学生向けの様々な種類の奨学金制度が存在する。なお、日本においては返済義務のあるものも奨学金と呼ばれるが、アメリカにおいては「奨学金(Scholarship)」というと返済義務のないもののことを指し、返済義務のあるものは「貸付金(Loan)」と呼んで区別される。
アメリカ合衆国は夏時間を採用しているため(採用していない地域もある)、現地時間3月第2日曜日午前2時~11月第1日曜日午前2時の間は日本との時差がずれるので注意が必要。
州立大学の項でも述べられているように、カリフォルニア州立大学(California State University)とカリフォルニア大学(University of California)のように、同じ州内に違う名前の州立大学が、独立にいくつか存在する場合があるので、日本語においては特に名前の混同に注意する必要がある。
[編集] 米国の治安と銃社会
- 治安についての詳細はアメリカ合衆国#治安参照。
アメリカ合衆国は平均すれば日本と比べて治安はあまり良くないが、地域によってかなり異なる。鍵の掛け忘れや1人で出歩くなどとんでもないという意識を住民が持っている地域もあれば、鍵を開けっ放しで平気で外出する住民がいるくらい治安の良い地域もある。比較的安全な地域と危険な地域が隣り合わせになっていたり、同じ街でも場所・時間帯によって治安はかなり変わることがあり、常に犯罪や危険に対して警戒しておく必要がある。なお、ほとんどの学校では治安情報についてオリエンテーションがある。
また、アメリカ合衆国は一般人の銃の所持が認められており、中には構内への銃の持ち込みを規制している大学もあるがごく少なく、銃乱射事件などが学校内で起きている。他人の家の敷地に無断で入り込んだだけで発砲されることもあり(このあたりの住民意識についても地域によってかなり差がある)、日本人留学生射殺事件などが起きている。ちなみに、隣国のカナダも一般人の銃の所持が認められており、銃の保有率も高いものの、人口密度が高い都市であっても、アメリカと比べて銃犯罪や事故の発生率が非常に少ない。
[編集] 米国の医療制度と留学保険
- 日本の国民健康保険のアメリカ合衆国での適用については国民健康保険制度#海外での医療費に従う。
アメリカ合衆国は、現在のところ日本のような国民健康保険制度が無く(ただし大統領選挙などでも焦点となっており、今後そのような制度ができる可能性はある)、それなりに良い診療を受けようとする場合、基本的には医療保険は民間企業のものしかない。医療費は日本に比べて非常に高額であり、病院や保険会社とのトラブルも多い。映画「シッコ」のようにドキュメンタリー映画として成立してしまうほどである。例えば救急車を呼ぶだけでも日本円にして数万円単位の金額を請求されるほか、緊急手術で入院などになった場合には数千万円単位の金額が請求されることも珍しくはなく、それによる破産も多い。外務省も米国の医療費については注意を呼びかけている[3]。例えば、日本で盲腸の手術をする場合、手術代は7万円以下の金額で(もちろん、この金額に国民健康保険が適用されるので患者が払う金額はさらに安い)、入院費を含めても30万円を越えることはまずないが、ニューヨークで盲腸の手術をする場合、手術代だけで日本円にして平均240万円以上かかり、入院時の部屋代も非常に高い(ただし米国は地域や病院による価格差も激しい)。
米国の民間の医療保険はかなり高額でかつ条件が厳しく(条件に不適合であっても契約時にはわざとそれを知らせてもらえないこともある)、およそ5000万人が医療保険に加入できていないが、米国の民間保険に入っていたとしても保険会社が保険金を出し渋ることもあり、細かい契約条件や独自の審査を盾に保険金を出さないこともある。さらには、医師が必要と主張する検査や治療を保険会社が認めず、それによって命を落とす人までいる(しかもこれらは民間の「営利企業」としての当然の権利として認められてしまっている)。これには病院側も病院側で、誤診による訴訟などを防ぐため、また病院の利益にもなるために、保険金ぎりぎりあるいはそれ以上の検査や治療を施そうとする傾向があるという事情もある。
米国の個人破産は半数が医療費によるものであり、しかもその破産者の大半は民間の医療保険加入者である[4]。緊急でない場合には、低所得者向けの医療保険制度HMOなどにより非常に安く治療を受けることもでき、米国民で基準以下の貧困層であればメディケイド(medicaid)という医療保険制度を利用することもできるが、いずれも一般に診療の質は低く制約が多い。例えば、この場合は医療費が安く済ませばボーナスが出る、あるいは病院の負担が少なくて済むなどの事情により、民間の医療保険のときとは逆に、必要な検査まで極力やらないようにする傾向がある上、数ヶ月待たされることもある。以上のことから、救急医療センターに駆け込んで治療費を払わずに逃げる人や、隣国のカナダなどに治療に行く人もいる[要出典](カナダ国籍があれば医療費が無料である)。
一般に留学生には医療保険への加入が義務付けられているが、大学側が用意・推奨している保険も、契約内容をよく確認して選ぶ必要がある。米国の多くの大学の民間の医療保険のプランでは、3割~5割は自己負担になり、治療・救援費用の補償金額が30万USドル以下であることが多い。被保険者最高負担額(Out of pokets)などには特に注意すべきである。
日本の保険会社の留学保険の場合は、その多くが自己負担率はゼロであり、中には補償金額が無制限のものもあり、出国してから大学に着くまでの間も補償されるほか、空港での荷物の遅延・損失、冠婚葬祭や急病などによる緊急一時帰国費用や、損害賠償・弁護士費用なども補償されるような様々なプランが用意されている。しかし、中には提携している保険会社の保険しか認めないという病院などもあるので注意する必要がある。また、大学側が「妊娠出産費用」まで補償されるプランを要求する場合などもある(これが要求されている場合、性差別を無くすため男性であっても加入を求められることがある)。
なお、後述するTAやRAをやる場合には医療保険料も免除されることが多いが、アメリカ国外の保険にも適用されるかどうかなどを確認しておく必要もある。保険金不払い事件によって日本の保険会社の腐敗も明らかになっており、契約内容や保険会社の信用度などは慎重に熟慮されたい。
[編集] 米国大学院留学
- 大学院の入学選考についてはアメリカにおける入学試験#大学院入試を参照。
- 学位や奨学金、大学院での教育・試験についてはアメリカ合衆国の教育#大学院参照。
大学院・分野によって制度や評価・習慣が違う。また、留学生が非常に多い。アメリカ合衆国への留学生の総数は55万人以上で、そのうちおよそ半数が大学院留学生である。正規入学で留学を試みる場合でも、多くの国に試験会場があり、基本的には米国に入国せずに入学選考に必要な書類や試験成績のすべてを用意できることが多い。ただし、分野や大学院によっては対面面接を要求されることもあり、また、志望研究室の教授に直接に会って話や議論をしたことがあれば、選考時に有利に働くこともある。
博士課程は、修士課程の後に設置されている場合と、修士課程と並列して設置されている場合とがあり(この場合、博士課程はいわゆる一貫性課程となっており、研究者を目指す人は学部卒後すぐに博士課程に入る)、どちらが一般的かも分野によって違う。米国は大学教育においては大学院が中心であり、大学院が設置されている大学は学部より大学院のほうが規模が大きいこともよくある。また、日本と比べて大学学部においては専門分野より教養に重点が置かれていることが多く、大学院から専攻を変える人も多い。
大学と同様に大学院の学費も日本と比べてかなり高額な場合が多いが、医学などを除く理系分野(自然科学系や工学系など)においては、ほぼすべての院生がTA(Teaching Assistant。学部学生の質問を受け付けたり、レポートの採点など講義の手伝いをする。ときには講義を任されることもある)やRA(Research Assistant。研究助手)をすることにより学費が全額免除になり、しかも十分な生活費が給付されるのが一般的である。また、多くの大学では院生には寮も完備されている。学生を教えるには英語力が少し足りないという場合にはGradingと呼ばれる、レポートの採点などのみを行う職位を設けている大学院もある。また、カナダと入学選考制度や試験が統一化されているため、カナダの大学院も選択肢として含める志願者も多い。
なお、サバティカル休暇(英語版)という研究のための(一般には7年ごとに)半年から1年以上にも渡る長期休暇を取れる制度が一般に欧米の大学にあり(この制度を採用している企業もあるが、その場合は数週間程度の休暇であることが多い)、人員の流動性も高く、また教授が学生を取らない年度もあったり、すでに枠が埋まっていることもあるため、大学院に願書を提出する際には、指導を受けたい教授が学生を取る予定があるかどうか直接聞いて確認しておいたほうが良い。
[編集] 中華人民共和国における留学
2000年代の経済成長に伴い、中国から外国への留学生は増加している。年間平均は約2万5千人[8]。
[編集] 官費留学
中華人民共和国から外国への官費(国費)留学については、2007年9月より、
- 留学終了後に2年間国のために働くこと
- 違反した場合には、費用全額に加えて、費用の30%の違約金を払う
以上が留学生に義務づけられた[9]。
その結果、留学生の帰国率は98%となった(国家留学基金管理委員会調べ)[10]。
[編集] 自費留学
中華人民共和国教育部の2009年3月発表によると、改革開放以来30年間における留学者数は自費・官費あわせて139万人であり、うち100万人が依然海外に留まっているといい、自費留学生の帰国率が低いことが明らかとなった[11][12]。
留学経験者は「海亀」と呼ばれる。当初は語学力を武器に高額の給与を得ていたが、次第に語学力以外の能力も求められるようになった。そのため、就職難で就職できない者も出てきている[13]。
[編集] 中華人民共和国への留学
中国の経済発展に合わせ、アジアを中心として中国への留学生が増加している。日本でも留学先として人気が高く、留学者数はアメリカに次いで2番目に多い[14]。
[編集] ヨーロッパにおける留学
当然ながら国によって事情が異なるが、例えばフランスにおいては、医療や教育に関する費用が税金から賄われているため、病院や大学における医療費や学費が無料であり(ただし登録手数料などは支払う必要がある。また医療制度については抱える問題も多い)、これは留学生にも適用される。ドイツも以前は大学の学費が無料であったが、近年、日本の学費と比べればわずかな金額ではあるが有料化に踏み切った。教育体制が非常に優れていると評価されることも多いフィンランドでは大学・大学院ともに学費が無料である。
[編集] 英国
イギリスの場合、大学の学費はEU圏内出身の学生であれば、年間で日本円にして一律20万円程度と決められているが、その他の国からの留学生の場合は、年間でおよそ200万円ほどの非常に高額な学費を払わなければならない(2008年現在)。ただし、2004年に学費の後払い制度の法案が成立し、2006年の秋から、大学の学費は大学卒業後に一定の所得水準を越えてから支払うことができるようになった。
[編集] ドイツ
ドイツではアビトゥーア(名称は中等教育修了資格となるが、日本における高校卒業資格と同等の資格である)を持ってさえいれば原則としてどの大学でも無条件に入学することができる。そのためドイツでは、どこの大学を卒業したというのがそれほど価値を持たないため、特定の大学に学生が集中するようなことはほとんど起こっていないが、それでもごく特定の大学の学科などに学生が集中した年には、入学者数を制限したり、成績で合否を決めたり、個別の入学試験を実施する場合もある。特定の大学に学生が集中することがほとんどないということは、逆にいえば大学による特色や個性がなどが無いということではないかという批判も内外からなされており、近年では研究・教育成果に応じて研究予算の配分などに傾斜が加えられるようになってきている。
[編集] フランス
フランスでは統一入学資格試験をパスしてバカロレア資格さえとれば、公立校であれば基本的にどこの大学でも入学することができ、前述のように学費がほとんど無料である。ただし、フランスではグランゼコールと呼ばれる、大学とは別の教育機関の中の「名門校」のほうがその価値が高いと評価されることが多く、企業の経営陣や政府上層部のほとんどがグランゼコール出身者で占められている。グランゼコールの学生は国家公務員扱いとなり、給与が支給される。ただし、非常に狭き門となるグランゼコール入学選考のための準備をする、グランゼコール進学準備校と呼ばれる私立学校の学費は一般にとても高額である。グランゼコールは、もともとは実学を目的として作られた経緯から、実際に実学中心のところも数多いが、いわゆるグランゼコールの中でも名門と呼ばれる学校の場合、その学校名や学科名のイメージが実情にそぐわないこともある。たとえば日本でも名前が知られるようになったカルロス・ゴーンは、グランゼコールの名門校のひとつであるパリ国立高等鉱業学校を卒業しているが、この学校は名称からするといかにも鉱山技師を養成する学校かのようにも思えるが、実際は前述のように産業界・官界を目指す人のためのエリート養成所と呼ぶべきところである(ちなみに、カルロス・ゴーン自身は、そこでの教育体制はあまり評価していないという主旨のコメントを残している)。
[編集] 脚注
- ^ 各数値は、各年5月1日現在。専修学校専門課程の留学生を含む。文部科学省学術国際局留学生課調べ。
- ^ 高専、専修学校を除くと、総数は93,804名、国費留学生数は9,312名となる。「「外国人留学生数」総務省統計局(2006年5月1日現在)
- ^ 日本学生支援機構「平成17年度 私費外国人留学生生活実態調査」。また、 若林亜紀『サラダボウル化した日本――外国人”依存”社会の現場を歩く』光文社、2007年も参照のこと。
- ^ 総務省『留学生の受入れ推進施策に関する政策評価書』平成17年1月
- ^ 「エステで不法在留中国人働かす、立命大留学生ら逮捕」『読売新聞』2007年6月30日
- ^ 法務省「プレスリリース(平成19年2月) 本邦における不法残留者数について」
- ^ 文部科学省ほか「「留学生30万人計画」骨子」
- ^ 「中国が世界最大の「留学生輸出国」に 」サーチナ・中国情報局、2008年4月3日付配信
- ^ 「頭脳流出を食い止めろ!国費留学生は「お礼奉公」を義務付け」Record China、2007年9月27日
- ^ 「頭脳流出の阻止に成功、国費留学生の98%が帰国」Record China、2007年10月20日
- ^ "中国人留学生、100万人が海外に滞在:中国教育部"、Record China、2009年3月28日配信、2009年4月9日閲覧
- ^ "改革30年我国出国留学生139万 回国率不足三成"、河南省教育网公式webページ(中国語)、2009年4月9日閲覧
- ^ 「〈就職難〉留学帰りの「海亀」、今ではすっかり「海草」扱いに」Record China、2008年3月26日付配信
- ^ [1]
[編集] 参考文献
- サンケイ新聞開発室編『海外留学案内』サンケイ新聞出版局、1966年(増補改訂版、1967年)
- サンケイ新聞社『海外留学案内』サンケイ新聞社出版局、1970年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
(外務省)
(留学助成財団・独立行政法人)
- 独立行政法人日本学生支援機構 - Student Guide to Japan
- 日米教育委員会 - フルブライト奨学金
- 上原記念生命科学財団
- 松下国際財団
- みずほ国際交流奨学財団
(特定非営利活動法人 - NPO法人)