越前屋俵太

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越前屋 俵太(えちぜんや ひょうた、本名、谷 雅徳(たに まさのり)1961年12月29日 - )は、日本のタレント実業家書家京都府城陽市出身。血液型O型。大谷高校関西大学社会学部社会学科マスコミュニケーション学専攻卒業。所属事務所はアルファ・ウェイブ。

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[編集] 略歴

関西大学在学中、テレビ番組やラジオ番組の企画会社でアルバイトをしていた。その際に自身が番組に出演することになり、一晩で考えた芸名が越前屋俵太だった。後に自身が企画・プロデュースをおこなうことになるテレビ番組のスタッフロールには本名で自身の姓名が表記されていた。

1981年、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)への出演をきっかけに全国区デビューを果たした。その後も『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)や『OH!たけし』(日本テレビ)、『世界・ふしぎ発見!』(TBS)などに出演し、関西では『TV-JACK』や上岡龍太郎局長時代の『探偵!ナイトスクープ』(いずれも朝日放送)に出演した。特にナイトスクープには初代探偵として出演し、視聴率調査、抽象的なテーマについて市井の人々から強烈な個性のある意見を引き出す「調べてください」シリーズで絶大な人気を得た。

1993年に有限会社「越前屋電視社」を設立し、番組の企画・プロデュースを手掛けるようにもなった。同社企画協力および自身出演のローカル番組『俵太の達者でござる』(福井テレビ)が、1994年日本民間放送連盟賞のテレビ娯楽部門で最優秀賞を受賞した。1999年には監督・北野武からの推薦を得て、映画『THE HEARTMAN』(島田洋七主演)の監督も務めている。

その後もサイコロやなすび、あるいは動物の被り物をしながら、独特の「俵太ワールド」ともいうべき世界観を発揮した『バスDEコロコロ』や『BeeBee's Family』(いずれも関西テレビ)、『京都コンチキチン』(KBS京都テレビ)などでマニアックな人気を不動のものにした。さらに、番組で榊莫山宅を取材した際に彼の作品などに感銘を受けたことから、1996年頃からは書家の俵 越山(たわら えつざん)を名乗っての決まりに縛られない自由な書道を始め、職人を訪ねて即興で文字を書くパフォーマンスなどで人気を集めるようになった。また、一時期桜島ポーランド(さくらじまポーランド)という名で写真家としても活動をしており、タイへ写真撮影の旅をするという番組企画『越前屋俵太のGO!GO!タイランド』(朝日放送)に参加した。

2003年から芸能活動を休止。2005年春頃に引退を示唆する挨拶状を親しい関係者に送ったと言われ、『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)でパーソナリティの北野誠が「俵太は芸能界を引退した」とコメントし、マスコミ各方面で「俵太引退か?」と報道されたため、多くの俵太フリークを心配させた。ただし、同番組において7月に「俵太さんとパーティーでばったり会った人の話」として、引退しているつもりはないが、引退と言われることを楽しんでいるらしいと伝えられた。以後、書家としての活動に軸足を移し、福祉施設に書の作品を寄贈するなどの活動を行っている。また、城陽市立図書館の協力を得て、小中学生向けに「書きたいように書く」ことで感性を伸ばす講座を2008年より開講した。現在は書家としての活動を続けているほか、ユニバーサル・マーケティング・デザイン株式会社の代表取締役社長と関西大学総合情報学部の客員教授を兼任している。

2008年1月、『嗚呼!越山先生』(関西テレビ☆京都チャンネル)に書家・俵越山として出演した。この番組は、2009年4月30日の京都チャンネルの閉局をもって終了したが、『嗚呼!越山先生』の番組アーカイブは2009年6月から動画配信サイト「関西テレビ おんでま」で有料配信されている。2009年10月19日、同日19:00から生放送の『ふくい浪漫 い〜ざぁええDay スペシャル』(福井テレビ)にゲスト出演した。現在、その前身番組で彼が長年出演し続けていた『俵太の達者でござる』が同局で再放送されている。

[編集] 出演

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ番組

[編集] CM

[編集] ビデオ

  • 越前屋俵太傑作集
  • モーレツ!科学教室
  • 俵太の生き物バンザイ!
  • 俵太のアニマルファミリースペシャル
  • 俵太の達者でござる
  • 越前屋俵太の海外特派員
  • 俵太の万国ドタバタ特派員

以上、越前屋電視社

  • 満流鮎釣入門 村田満、越前屋俵太のとことん行け!! 1・2・3

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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