ジェームズ・エイガー・ウォージー(James Ager Worthy, 1961年2月27日 - ) はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手である。80年代のロサンゼルス・レイカーズの黄金期のメンバーである。カリーム・アブドゥル=ジャバーやマジック・ジョンソンを中心としてショータイムと形容され、NBAファイナルの常連となっていたレイカーズで、その速攻オフェンスの要の一人として、1985年・1987年・1988年の3回のチャンピオンシップ優勝を経験した。2003年にバスケットボール殿堂入りした。また、現在はロサンゼルスのKCBSテレビジョンで解説者として活躍している。
[編集] 経歴概観
[編集] カレッジ時代
ウォージーはノースカロライナ州のアッシュブルック高校を1979年に卒業した。高校時代からその才能は際立っており、最終学年では平均21.0ポイント、2.6アシストをマークし、1979年のジュニアワールドカップメンバーにもなっている。大学は2年間ノースカロライナ大学に通った。1982年には彼の活躍でNCAAチャンピオンシップまで進み、彼はNCAAファイナル4のMVP、東地区のMVP、11メディアでのオールアメリカチームに選出されている。大学ではゲーム平均14.5ポイント、7.4リバウンド、2.5アシストをマークしている。
[編集] NBA時代
ウォージーのカレッジ時代の活躍はNBAからも大きな注目を集め、1982年のNBAドラフトの目玉となり全体一位指名でロサンゼルス・レイカーズに入団する。当時レイカーズにはカリーム・アブドゥル=ジャバーとマジック・ジョンソンがおり、既に西地区の強豪チームとなっていたが、ウォージーの加入はそれに「速攻」の要素を加えることになる。マジック・ジョンソンの芸術的なパスはウォージーによってさらに活かされ、「ショータイム」と称されるようになる。ウォージーの在籍中にレイカーズは実に7回のNBAファイナル進出(1983年・1984年・1985年・1987年・1988年・1989年・1991年)し、3回の優勝(1985年・1987年・1988年)を果す。特に1988年のファイナルでは22.0ポイント、7.4リバウンド、4.4アシストを記録し、第7戦には36ポイント、16リバウンド、10アシストのトリプルダブルを記録してファイナルのMVPに選ばれた。
彼は1994年に引退するまでレイカーズに在籍し続け、引退後はレイカーズのゲームの解説者となった。1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出され、2003年に殿堂入りした。
[編集] 成績および受賞歴
[編集] 通算成績
得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[1]
|
レギュラーシーズン (12シーズン) |
プレーオフ (9シーズン) |
926試合総計 |
ゲーム平均 |
40分平均 |
143試合総計 |
ゲーム平均 |
ポイント数 |
16,320 |
17.6 |
21.8 |
3,022 |
21.1 |
リバウンド数 |
4,708 |
5.1 |
6.3 |
747 |
5.2 |
アシスト数 |
2,791 |
3.0 |
3.7 |
463 |
3.2 |
ブロック数 |
624 |
0.7 |
0.8 |
96 |
0.7 |
スティール数 |
1,041 |
1.1 |
1.4 |
177 |
1.2 |
[編集] 主な受賞トピックス
- オールルーキー1stチーム:1983
- オールスターゲーム出場:7回 (1986-1992)
- オール3rdチーム選出:2回 (1990, 1991)
- NBAファイナルMVP:1回 (1988)
- NBAベスト50選手:1996年
[編集] エピソード
- 謙虚で温和な人格者であり、ファイナルMVPに選出されたときも「私ならマジックに投票したよ」と自身よりもまずチームメイトを讃えた。
- ダンクシュートのフォームが自由の女神のポーズに似ていた為「リバティー・ダンク」と呼ばれた。
- 新スタートレックでクリンゴン人を演じている。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク