コールドプレイ
Coldplay | |
---|---|
基本情報 | |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | オルタナティブ・ロック ピアノ・ロック |
活動期間 | 1997年~現在 |
レーベル | EMI(ラテンアメリカ/アジア) パーロフォン(ヨーロッパ/カナダ) キャピトル・レコード(アメリカ合衆国/オーストラリア) |
公式サイト | coldplay.com |
メンバー | |
クリス・マーティン ジョニー・バックランド ガイ・ベリーマン ウィル・チャンピオン |
コールドプレイ(Coldplay)は、イギリスのロックバンド。
大衆性を強く持つ楽曲が多く、現在の音楽シーンにおいて最も大きな商業的成功を得ているバンドの一つである。
目次 |
[編集] 概要
1997年にロンドンで結成される。メンバーは、クリス・マーティン(ボーカル・ギター・ピアノ)、ジョニー・バックランド(ギター)、ガイ・ベリーマン(ベース)、ウィル・チャンピオン(ドラム)から構成される。メンバー4人とも教師の息子たちである。
2000年、デビュー・アルバム『パラシューツ』とシングル『Yellow』の大ヒットにより世界的な成功を得た。現在までに総計6350万枚以上のアルバムを売り上げ、2000年代における最も成功したバンドのひとつである。『パラシューツ』は全世界で約950万枚、2ndアルバム『静寂の世界』は約1400万枚、3rdアルバムとなる『X&Y』は約1000万枚のセールスを記録した。ブライアン・イーノをプロデューサーに迎えた4枚目となるスタジオ・アルバム、『美しき生命』は2008年6月にリリースされ、約3,000万枚の大ヒットを記録した。「イエロー」、「スピード・オブ・サウンド」や2003年にグラミー賞「最優秀レコード賞」を受賞した「クロックス」、さらに最新シングル「美しき生命」といった数多くのヒット曲があることで知られる。
コールドプレイはさまざまなアーティストの影響を受けている。ギターとファルセットボーカル中心の曲が多いレディオヘッドやトラヴィスをはじめ、U2からも強い影響を受けているとされる。『パラシューツ』以降は他方面からの影響を得たとされ、『静寂の世界』ではエコー&ザ・バニーメンやジョージ・ハリスン、『X&Y』ではジョニー・キャッシュからの影響やクラフトワーク的作風にも挑戦している。
コールドプレイはフェアトレードやアムネスティ・インターナショナルなどの社会的・政治的運動を活発に支持している。さらにバンド・エイドやLIVE 8などの慈善コンサートにおいても公演を行っている。
[編集] メンバー
- クリス・マーティン (Chris Martin、1977年3月2日 - ) / ボーカル・ギター・ピアノ
- イングランド南西部のデヴォン州に生まれる。音楽活動以外にも、発展途上国から先進国に対する輸出を中心とした公正な商品の取引を推進しようとするフェアトレードに参加している。また、グラミー賞の授賞式ではジョージ・ウォーカー・ブッシュとイラク戦争を批判し、民主党の大統領候補だったジョン・ケリーを支持した。私生活においては、アメリカの女優グウィネス・パルトローと2003年12月に結婚し、一男一女をもうけている。
- ジョニー・バックランド (Jonny Buckland、1977年9月11日 - ) / ギター
- ロンドン生まれ、兄の影響で音楽を始める。ボーカルのクリスをして「ジョニー・バックランドなくしてコールドプレイの音楽は存在しない」と言わしめる存在。ジミ・ヘンドリックスらに影響を受けているとされている。映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』にはクリスとともにカメオ出演をしている。
- ガイ・ベリーマン (Guy Berryman、1978年4月12日 - ) / ベース
- スコットランド生まれ。16歳のときからベースを始める。大学に入ると初めは工学を専攻したが建築学に専攻を変更した。しかしそれにドロップアウトしコールドプレイの活動に集中した。ジェームス・ブラウンやビートルズ、ピンク・フロイドに影響を受けているとされている。
- ウィル・チャンピオン (Will Champion、1978年7月31日 - ) / ドラムス
- イングランド南部のハンプシャー生まれ。若いころはトム・ウェイツに影響を受け、ギター・ピアノ・ベースといった楽器に触れていたが、ドラムはコールドプレイに加入するまで経験していなかった。コールドプレイ加入前は「Fat Hamster(ファット・ハムスター)」というバンドで活躍していた。クリス曰く「人間ジュークボックス」。
[編集] 歴史
[編集] 結成まで(1996-1998)
1996年9月、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの学生だったクリスとジョニーが学年最初の週に学生寮のRamsay Hallで知り合い、その後一年間彼らはバンド結成の計画を練った。中にはイン・シンクに影響を受けたPectoralzと呼ばれるボーイズ・バンドを考案していたこともある。実際には、バンドの方向性が決まらぬうちに二人のクラスメイトであるガイが仲間に加わった。1997年までバンドはプロモーター向けのロンドンの小さなギグを「Starfish(スターフィッシュ)」というバンド名で続けていたが、この時までには初期のボーイズ・バンド結成への熱望は絶えていた。そしてクリスはオックスフォード大学でクラシック音楽を専攻していた、旧友であるフィル・ハーヴェイにバンド・マネージャーになるよう依頼した。フィルはバンドの2ndアルバムのリリースまでマネージャーを務めた。
1998年初め、ついにパーカッションプレイヤーとしてウィルがバンドに加わり、バンドの枠組みが完成した。多才なウィルはすでにピアノやギター、ベースそしてティン・ホイッスルまでも演奏できたので、経験がなかったにもかかわらずバンドに加わるとドラムに転向しすぐに習得してしまった。そしてこの頃に、同じロンドン大学の学生だった友人から「コールドプレイ」というバンド名をもらい、自らのバンドの名前にした。ちなみに「コールドプレイ」とは、Philip Horkyの詩のタイトルにちなんでいる。また、同じころKeaneのティム・ライス=オクスリーにキーボードプレイヤーとして参加するように頼んでいたが、すでにKeaneのメンバーとして活動していたために断られている。
[編集] インディーズ時代 (1998-1999)
そしてコールドプレイは1998年5月にEP『Safety』をリリースする。このEPは500枚ほど生産されたが、その多くがメンバーの友人等の手に渡ったため、実際に販売されたのは50枚ほどとなった。さらに12月にはインディーズ・レーベルのFierce Pandaと契約し、翌1999年4月に、2月にたった4日間で収録を済ませていたEP『Brothers&Sisters』をリリースした。このEPはまず2500枚ほどが生産された。この頃になるとコールドプレイの曲はイギリスBBCのラジオ局Radio 1で流れ始め、次第にイギリス全土へと支持を広げていった。
1999年春にEMIの傘下パーロフォンと契約した。グラストンベリー・ロック・フェスティバルに初登場後、コールドプレイは新しいEPの製作に取り掛かる。『The Blue Room』と名づけられたEPは10月に5000枚がリリースされ、シングルカットされた『Bigger Stronger』はRadio 1で放送、知名度獲得の一助となった。その途中クリスとウィルがバンドの方針をめぐって喧嘩をしてしまう。その後和解するが、U2やR.E.M.のようなバンドを見習い、メンバー個人の尊重やドラッグをしないというバンドとしてのルールが決められた。
[編集] パラシューツ(1999-2001)
詳細は「パラシューツ」を参照
コールドプレイは1999年11月からデビューアルバムの製作に取り組んでいたが、発売に先立って2000年3月にシングル『Shiver』をリリースした。これが全英チャートトップ40に入り、このシングルで初めてMTVに登場した。続けて6月にリリースした『Yellow』は全英チャート4位に入り、注目を浴びる。さらに1stアルバム『パラシューツ』をリリースし、ついに全英チャート1位を獲得する。パーロフォン側は4万枚程度のセールスを予想していたが、実際は2000年末までにイギリスだけで160万枚のセールスを記録した。そしてこのアルバムはマーキュリー賞などイギリスの数々の音楽賞を総なめにする。『パラシューツ』は『ザ・ベンズ』から『OKコンピューター』の頃のレディオヘッドから強い影響を受けている。(本人も認めている。)
コールドプレイは2000年8月に日本でサマーソニックに出演。アメリカでは、『Yellow』や『Trouble』がラジオで流れ人気を博す。『パラシューツ』は11月にアメリカでも発売され、プロモーションのため全米ツアーを敢行する。このツアーはアメリカのクラブを回るものだったが、『サタデー・ナイト・ライブ』や『レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン』、『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』といったテレビ番組にも出演した。『パラシューツ』はビルボード誌において最高51位まで上がる。2002年には、グラミー賞の「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム」を受賞した。
[編集] 静寂の世界(2001-2004)
詳細は「静寂の世界」を参照
オープニング・トラックの『Politik』はアメリカ同時多発テロ事件の数日後に書かれた。このアルバムで人気を博した『In My Place』、『クロックス』、そしてバラード曲である『The Scientist』といった数々の曲が生まれた。
バンドは2002年6月から2003年9月まで1年以上にわたってグラストンベリー・ロック・フェスティバルなどのロック・フェスを皮切りに、「A Rush of Blood to the Head tour」を行った。このツアーで真のスタジアムバンドを確立するまでの過程が見られる。同時期に行われたU2のエレヴェイション・ツアーを彷彿とさせる、手の込んだ照明や個性的なスクリーンを多くの公演で採用した。延長公演のシドニー、Hordern Pavilionにおける公演でライブ2003のDVDとCDを収録した。このライブアルバムのプロモーション曲として新曲の「Moses」が選ばれた。この世界ツアーでは自らの曲だけでなく、アクアの『Barbie Girl』などのカバーも演奏した。2003年7月26日には日本のフジ・ロック・フェスティバルに出演した。
2003年12月にはローリング・ストーン誌の読者が選ぶその年のベスト・アーティストとベスト・アルバムに呼び名をあげられた。同時期にはバンドはプリテンダーズの1983年のヒット曲、「2000 miles」をカバーし公式サイトの配信でのみリリースした。楽曲は年間ダウンロードチャートの1位を飾り、セールスからの収益金はFuture Forestsや銃抑止キャンペーンといった慈善団体に寄付された。『静寂の世界』は第45回グラミー賞において二つの賞を受賞した。翌年の同賞では『クロックス』で最優秀レコード賞を受賞し、さらには2003年ローリング・ストーン誌が選ぶ偉大なロック・アルバム500枚の473位にランクインした。
[編集] X&Y(2004-2006)
詳細は「X&Y」を参照
ツアーや3rdアルバムのレコーディングの休暇中も年中スポットライトを浴びていたように、2004年は完全にコールドプレイ・イヤーとなった。2004年から新しいアルバムの製作に取り掛かったが、思ったような曲ができなかった(メンバー自身が後に振り返っている)。そこで気分転換のため、メンバーが一緒に過ごす時間を増やしたという。この3rdアルバムの他のアーティストからの影響については、ガイが「デヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、ピンク・フロイドからデペッシュ・モード、ケイト・ブッシュ、クラフトワーク、そして常に聞くようにしているのだがU2まで、さまざまなアーティストの曲を聞いた」と後に語っている。5月にはファンを喜ばせるため、「Nappies」と称しクリスが妻のグウィネス・パルトロウとともに、娘であるAppleの誕生祝いにビデオを作って公式サイトにアップしたこともある。具体的には、著名なプロデューサであるジョージ・マーティンがコールドプレイの一員としてビデオを紹介、そして彼らのプロデューサであるケン・ネルソンが「Nappies」のメンバーとして演奏し、ラップやグラム・ロックを皮肉った、パロディビデオといったものである。クリスはこのビデオはジェイ・Zに影響を受けたとうそぶいている。
バンドの3枚目のアルバム、『X&Y』は前作と同様に日本で先行リリースされ、本国イギリスでは2005年6月6日にリリースされた。このアルバムは発売が遅れたので、所属するEMIの次年度に経常収支が引き継がれ、EMIの株価が大幅に下がってしまった。結局は全世界で830万枚を売り上げ、2005年に最も売れたアルバムとなった。先行シングルである『スピード・オブ・サウンド』は4月18日にラジオやネット配信で解禁となり、2005年5月23日にCDフォーマットでリリースされた。『X&Y』は28ヶ国で初登場1位を獲得し、イギリスのチャート史において最も早く売れたアルバム第3位となる(ちなみに第1位はオアシス、1997年のアルバム『Be Here Now』)。同アルバムからのシングルカット曲『フィックス・ユー』、『トーク』はそれぞれ同年9月、12月に発売された。2006年5月にはシングルカット曲『ザ・ハーデスト・パート』をイギリス以外の各国でリリースした。アルバムの大々的な成功にもかかわらず、音楽評論家や一部のファンのあいだでは『X&Y』は、過剰なマーケティング、ハリウッドスターと結婚したクリスのセレブな形振り、ヒットを狙ったかのような売れ線の楽曲、壮大な曲に聴かせようとする過剰なサウンドプロデュース、などを理由に反感を買った。ニューヨーク・タイムズ紙では「この十年でもっとも気にくわないバンド」と酷評であった。
2005年6月から2006年7月にかけて、コールドプレイはグラストンベリー・フェスティバル含む「Twisted Logic Tour」という世界ツアーを行った。そして初の単独日本公演である7月18日・19日の日本武道館公演でこのツアーが終了した。
2006年2月にコールドプレイは『X&Y』でブリット賞「ベスト・アルバム賞」、『スピード・オブ・サウンド』で同賞「ベスト・シングル賞」を受賞した。その授賞式でクリスが前述のバンドを批判し続ける人々に向け、自虐まじりで「みんな、俺達にうんざりしてるだろ、俺達もだ。これから何年もの間俺達を見ることはないだろう。」と発言し、解散説が流れたが、本人たちは否定している。
[編集] 美しき生命(2006-2009)
詳細は「美しき生命」を参照
2006年12月初旬、バンドはブライアン・イーノ、マーカス・ドラヴスをプロデューサーに迎え、4枚目となるスタジオ・アルバム『美しき生命』のレコーディングにとりかかり始めた。この二人に加え、ティンバランドとのコラボレートの予定もあったという。バンドはこの後しばしのレコーディング休暇をとるが2007年初頭、チリやアルゼンチン、ブラジル、メキシコでのバンド初となる南米ツアーが敢行された。ツアー中には南米各地の教会などでアルバム収録を行っている。
「『美しき生命(VIVA LA VIDA)』はコールドプレイの新しい境地。」とクリスは語る。過去三枚のアルバムを「三部作」とし、「これまでとはまた違う変化を持たせた。ファルセットを抑え、ヴォーカルの位置づけを下げることを最優先に考えた。例えばディストーション・リフを用い、ブルージーな低いトーンのヴォーカル、『ヴァイオレット・ヒル』がある。」「ヴァイオレット・ヒル」はリードシングルとして2008年4月29日にラジオ・オン・エアーとなった。ラジオでの解禁後、公式サイトから同シングルが1週間、フリーで配信となり200万ダウンロードを達成した。UKチャートではトップ10入り、USではトップ40入りのチャートアクションと健闘するが、セカンド・シングル「美しき生命」はiTunesからのみ解禁となり、ビルボードチャート、ホット・100では堂々1位を獲得、UKでもダウンロードチャート1位を獲得した。6月16日、コールドプレイはロンドン、ブリクストン・アカデミーでの45分間、二日間連続のフリーライブを皮切りにViva la Vida Tourを始めた。このパフォーマンスはBBCテレビセンターからテレビ放送された。
また、2005年の映画『40歳の童貞男』の中で「おまえはコールドプレイを聞いているからゲイだ」というセリフが大きな話題となって以降、ティーンエイジャーの間ではコールドプレイ・ファンだというと“オタク”“女々しい”などのレッテルを貼られてしまいがちであったが、クリスはこのアルバムにより、もうそんなことは言わせないと断言している。それこそが今回、このアルバムを作った動機でもあると語った。「このアルバムを作っているとき、なんでみんなが俺たちの作品を聴くのか証明してやりたいって思っていた。16歳が学校でコールドプレイのファンだって公言しても大丈夫なようにしたかった。このアルバムなら、彼らはそれほどからかわれなくて済むだろう。それが動機だよ。コールドプレイが好きでいいんだって、証明したかったんだ」
6月15日、アルバム『美しき生命』はリリースからたった3日でUKチャートNo.1を獲得した。
2008年7月29日にリリースした「美しき生命(Viva La Vida)」という曲について、ジョー・サトリアーニが2004年にリリースしたインストゥルメンタル曲「If I Could Fly」とギターのリフが同じ箇所があると彼のファンに指摘され、「出来る限り裁判沙汰にならないように避けてきたが、コールドプレイ側がこの件について話したがらなかった。」と著作権侵害で告訴した。サトリアーニ側は告訴した事について「悪意があって告訴したのではない。あくまでアーティストとしてすべき事をしたまでだ。」と発言している。これに対してコールドプレイ側は同月9日にバンドの公式サイトで「訴えられた事について我々は非常に驚いている。サトリアーニ氏は偉大なミュージシャンだが、我々の作ったあの曲は彼が書いたのではなく、彼の曲から影響を受けたものではなく偶然です。同氏の今後の活躍に期待する。」とコメントしている。サトリアーニの弁護士は「納得がいかない、裁判で片をつける。偶然かどうかは最終的には陪審員が決める事。」と発言している。今後の動向に注目が集まっている。
2009年初頭、ブリット・アワード(BRIT Awards)にて、シングル「Viva La Vida」で「British Single」、アルバム『Viva La Vida or Death And All His Friends』で「British Album」、バンド本体で「British Group」など計4つの賞にノミネートした。また、第51回グラミー賞では楽曲「Viva La Vida」で「Song Of The Year」、アルバム「Viva La Vida or Death And All His Friends」で「Best Rock Album」など計3つの賞を勝ち取った。
[編集] マイロ・ザイロト(2009-現在)
詳細は「マイロ・ザイロト」を参照
2009年末、再びブライアン・イーノと共同し5枚目となるスタジオ・アルバムのレコーディングを開始した。プロデューサーには、前作『美しき生命』でも携わったマーカス・ドラヴス、ダニエル・グリーン、リック・シンプソンを迎えている。
2010年12月1日にはクリスマスに向けたシングル「クリスマス・ライツ」(5枚目のスタジオ・アルバムには未収録)をリリース、全英13位、全米25位を記録し、メディアからは多くの高い評価も得た。
2011年6月、5thスタジオ・アルバム『マイロ・ザイロト』(Mylo Xyloto)からのリード・シングルとして「ウォーターフォール 〜一粒の涙は滝のごとく(Every Teardrop Is A Waterfall)」をリリースした。全英シングルチャートで6位、全米ビルボード・ホット100で14位を記録、イギリスを含む15カ国以上でトップ10入りを果たした。同年9月にはセカンド・シングル『パラダイス』をリリース。
[編集] ディスコグラフィ
詳細は「コールドプレイの作品」を参照
[編集] アルバム
- スタジオ・アルバム
年 | アルバム名 | セールス | 各国チャート最高位 | |||||||||||||||||
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英国 | 米国 | 加 | 独 | 墺 | スイス | 仏 | アイルランド | 伊 | 豪 | ニュージーランド | 蘭 | ポルトガル | スウェーデン | ノルウェー | デンマーク | フィンランド | 日本 | |||
2000 | パラシューツ (Parachutes)
|
約950万枚 | 1 | 51 | 19 | 54 | 41 | 38 | 31 | 14 | 11 | 2 | 4 | 29 | - | 20 | 1 | 29 | 29 | - |
2002 | 静寂の世界 (A Rush of Blood to The Head)
|
約1400万枚 | 1 | 5 | 1 | 1 | 10 | 1 | 4 | 2 | 1 | 1 | 2 | 3 | 8 | 5 | 1 | 1 | 4 | 23 |
2005 | X&Y
|
約1000万枚 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 6 |
2008 | 美しき生命 (Viva la Vida or Death and All His Friends)
|
- | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 3 |
2011 | マイロ・ザイロト (Mylo Xyloto)
|
- |
- ライブ・アルバム
- コンピレーション・アルバム
- EP
- Ode to Deodorant/Brothers & Sisters[2] / 1998年
- Safety EP[3] / 1998年
- Brothers & Sisters[4] / 1999年
- The Blue Room EP[5] / 1999年
- Acoustic (Sparks EP)[6] / 2000年
- Mince Spies[7] / 2000年
- Trouble - Norwegian Live EP[8] / 2001年
- Prospekt's March[9] / 2008年
- DVD
- 来日記念盤
[編集] シングル
年 | 曲名 | 英国シングルチャート | 英国ダウンロードチャート | ビルボードホット100 | ビルボードモダンロックチャート | ビルボードアダルトトップ40 | 独 | 豪 | 加 | 伊 | アルバム |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | Brothers & Sisters | 107 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2000 | Shiver | 35 | - | - | 26 | - | - | - | - | - | パラシューツ |
イエロー (Yellow)
|
4 | - | 48 | 6 | 11 | - | 5 | - | 24 | ||
Trouble | 10 | - | - | 28 | 23 | - | - | - | 16 | ||
2001 | Don't Panic | 130 | - | - | - | - | - | 57 | - | - | |
2002 | In My Place | 2 | - | - | 17 | 22 | 65 | 23 | 2 | 4 | 静寂の世界 |
The Scientist | 10 | - | - | 18 | 34 | 87 | 40 | 16 | 23 | ||
2003 | クロックス (Clocks)
|
9 | - | 29 | 9 | 4 | 50 | 28 | 7 | 24 | |
God Put A Smile Upon Your Face |
100 | - | - | - | - | - | 43 | - | - | ||
2000 Miles[10] | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
2004 | Moses | - | - | - | 24 | - | - | - | - | - | ライブ 2003 |
2005 | スピード・オブ・サウンド (Speed Of Sound)
|
2 | 1 | 8 | 5 | 3 | 19 | 9 | 2 | 2 | X&Y |
フィックス・ユー (Fix You)
|
4 | 1 | 59 | 18 | 24 | 65 | 25 | 1 | 13 | ||
トーク (Talk)
|
10 | 8 | 86 | 5 | 10 | 29 | 19 | 4 | 24 | ||
2006 | ザ・ハーデスト・パート (The Hardest Part)[11]
|
- | - | - | - | 37 | - | 40 | - | 19 | |
What If[12] | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2007 | White Shadows[13] | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
2008 | ヴァイオレット・ヒル (Violet Hill)
|
8 | - | 40 | 9 | - | 10 | 9 | 6 | 9 | 美しき生命 |
美しき生命 (Viva La Vida)
|
1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 5 | 2 | 4 | 2 | ||
ロスト! (Lost!)
|
54 | - | 87 | 12 | - | - | 86 | 55 | - | ||
ラヴァーズ・イン・ジャパン (Lovers In Japan)
|
- | - | - | - | 19 | - | - | 77 | 24 | ||
Lhuna[14] | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
2009 | 天然色の人生2 (Life In Technicolor II)
|
28 | - | - | 23 | - | - | 53 | - | - | プロスペクツ・マーチ (EP) |
ストロベリー・スウィング (Strawberry Swing)
|
158 | - | - | - | - | - | - | - | - | 美しき生命 | |
2010 | クリスマス・ライツ (Christmas Lights)
|
13 | - | 25 | - | - | 35 | 32 | 18 | 2 | - |
2011 | ウォーターフォール 〜一粒の涙は滝のごとく (Every Teardrop Is A Waterfall)
|
6 | - | 14 | 4 | 10 | 24 | 14 | 9 | 3 | マイロ・ザイロト |
パラダイス (Paradise)
|
- | - | 16 | 10 | 37 | 10 | 36 | 13 | 2 |
- 配信限定楽曲(着うたフルなど)
- How You See The World No.2 (War Child) / 2005年
- ア・スペル・ア・レベル・エール(A Spell A Rebel Yell)[15] / 2008年
- Death Will Never Conquer[16] / 2008年
- 配信限定楽曲(着うた)
- Easy To Please
- Only Superstition
[編集] 音楽の特徴
彼らの音楽はバンドのボーカル/作詞を手がけるクリスの「尽きることのない感情表現の試行錯誤」であるともいわれクリスの詞は女性的ともいわれる。
バンドの1stアルバム『パラシューツ』期のメディアのトーンは「歪んだギターリフとパーカッションを多用」しメロディアスなポップ作であり、非常に美しいダークさと磨きのかかった良作と評された。『静寂の世界』は「個々の楽曲は胸が張り裂けんばかりの激情のメロディーであり、バンドの新しい境地」と評された。『X&Y』は「クリスの”疑問”や”恐れ”、”希望”や”愛”の反芻」であると評価された。 日本で発売されたアルバムやその収録された曲には、元のアルバムタイトルや曲とまったく違う、曲のイメージだけで連想させたマーケティング関係上それらしい邦題が、日本のレコード会社によりつけられている。
[編集] 政治・社会的姿勢
世界的な人気にもかかわらず、バンドは広告などのタイアップの使用を拒否し楽曲のメディアでの使われ方に保護的な姿勢を保っていた。過去にはゲータレードやコカ・コーラ、ギャップから「Yellow」、「Trouble」、「Don't Panic」の楽曲使用を求めてバンドに数億円の契約を持ちかけてられているが、すべて断っている。クリスによると「企業戦略に僕らの曲が使われてしまうと、バンドの方向性を見失ってしまう可能性がある。」と語っていたが、2008年、アルバム、美しき生命:VIVA LA VIDA リリース時に、アルバムプロモーションの意味合いも兼ねて、アップルのiPod+iTunesのCMにメンバー自身も出演する形で「Viva La Vida」が使用された。
コールドプレイはアムネスティ・インターナショナルの支持者である。また、クリスは発展途上国から先進国に対する輸出を中心とした公正な商品の取引を推進しようとするフェアトレード推進活動の芸能界では目立った貢献者の一人で、2005年にスコットランドで行われた先進国首脳会議にむけて活動していたオックスファムの「Make Trade Fair」キャンペーンの参加者であった。クリスは実際にオックスファムの会員として実態調査を行い、広報活動を展開、またコールドプレイのライブにおいても「Make Trade Fair」のリストバンドを付けるなど、活発な支持者である。
クリスは2003年の米軍イラク侵攻を批判し、2004年には民主党の大統領候補だったジョン・ケリーを支持した。彼はアメリカ国民ではないが、妻のグウィネス・パルトロウは米国出身のためロサンゼルス、ロンドン両方に居住している。
バンド初期のころはバンドの利益10%は慈善団体に寄付することをメディアに宣言していた。ガイは、「一人でも多くの人間に呼びかければ問題に気づくのさ。それが僕らにとっては容易いことだからね。もしそれで人を助けることができるのなら、そうしたいんだ。」と語っている。
[編集] 日本公演
2000年
2003年
2005年
2006年
Twisted Logic Tour
2008年
- サマーソニック'08 8月9日 大阪・舞洲、10日 千葉マリンスタジアム
2009年
Viva la Vida Tour
- 2月11日・12日 さいたまスーパーアリーナ
- 2月14日・15日 神戸・ワールド記念ホール
2011年
[編集] 日本でのTV出演
- 「美しき生命(VIVA LA VIDA)」-SMAP×SMAP
[編集] 注釈
- ^ 2009年5月15日以降のViva La Vida Tourコンサートにて無料配布されたライブ・アルバム。公式サイトでも無料ダウンロード配布された。
- ^ 自主制作デモテープ音源。
- ^ 英国のみ500枚限定の自主制作音源。
- ^ 英国のインディーズ・レーベル、Fierce Pandaから発表された1500枚限定音源。シングルも同様。
- ^ 米国ではEMI International、イギリスではパーロフォンレーベルから発表された、メジャーファーストリリース。
- ^ パーロフォンから発表されたエンハンスドEP。2000年10月29日に英国の日刊紙、インデペンデントの付録として配布された。
- ^ 当時のファンクラブでのみ発表された1000枚限定クリスマスEP。
- ^ ノルウェーのみEMIから発売された、ノルウェーで収録されたライブ音源。シングルとして発表された同名タイトルとは異なる。
- ^ 世界限定35万枚生産。「美しき生命」の続編的作品。
- ^ ダウンロードのみのチャリティーシングル。
- ^ EU、日本、北米、南米、豪のみのシングル。
- ^ 仏、ベルギー、スイスのみのシングル。
- ^ メキシコのみのシングル。
- ^ カイリー・ミノーグとのコラボ・チャリティーシングル。
- ^ music.jpでのみ配信されている。
- ^ 公式ウェブサイト上で無料配信されている楽曲。
[編集] 外部リンク
- 公式ウェブサイト(英語)
- EMI Music Japan 日本版オフィシャルサイト
- EMI Music Japan アーティストページ
- コールドプレイ - MySpace
- Coldplay - 公式YouTubeチャンネル(Flash Video)
- コールドプレイ on Smap X Smap
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