徴兵制度

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徴兵制度(ちょうへいせいど)とは、国家国民に兵役に服する義務を課す制度である。徴兵制とも言い、国民国家国民皆兵の思想とかかわりが深く、志願兵(募兵)制度の対義語である。

自分の意思で兵士になった人を志願兵義勇兵と呼ぶのに対して、徴兵制度によって自分の意思によらず兵士になった人を徴集兵と呼ぶ。軍隊や部隊が住民や難民を強制的に徴発し兵・水兵等に利用することを強制徴募とよぶ。

目次

[編集] 概要

徴兵とは憲法法律で一定の年齢に達した国民に兵役の義務を課すことであり、徴兵制度はこの徴兵を兵役制度として組織化した制度を指す。徴兵制において兵役は国民の義務的な負担として扱われ、国防への負担と貢献が求められる。徴兵制は軍隊に対する安定的な人材の確保が長期にわたって容易であるものの、国民に対する負担は大きい。なお一般的には徴兵制度があっても志願入営は可能である。近年は、韓国北朝鮮など一部の国家を除いて、ほとんどの兵役制度がある国家で良心的兵役拒否権が合法的に認められ、介護や医療、救急などの代替役務が制度化されている。

徴兵制度はほとんどの場合、徴兵適齢の成人男性が対象となり、さらにその徴兵も兵役の適格性を調査するための徴兵検査を経て、その検査に合格した人材が徴兵される。また、代替役務などの選択肢が用意された徴兵制度は選択徴兵制と呼ばれることもある。

古来より兵役・戦役に応ずることは市民の権利と密接に関係しており、徴兵制は男性のみに普通選挙権などの特権を与える根拠になってきた。現在では男女平等の観点から特権が廃止される傾向が強く、逆に男性のみに義務が発生することへの不平感があるという意見がある。

社会制度として確立された徴兵制度とはことなり、軍隊や部隊が住人や難民を強制的に徴発し、兵や水兵として利用することを特に強制徴募と呼ぶ。前近代のあらゆる地域でこの形態での徴発が行われたが、国家の近代化・市民化にともない衰退し、戦時国際法ハーグ陸戦条約等では禁止されている。現代でも低開発諸国の紛争地域ではしばしば難民や地域住民への強制徴募が問題となる。

徴兵制度は宗教戦争の頃から、市民兵および市民社会の成立と同時に生まれて、18世紀のフランス革命(ジャコバン独裁期)の国家総動員において近代的な徴兵制度が成立した。19世紀にはフランスを模範としてプロイセンでも採用され、兵役制度として確立される。日本では1873年の徴兵令により確立され、イギリスアメリカ合衆国でも第一次世界大戦により徴兵制へ移行した。先進諸国では高度化する近代的な軍事兵器を運用するには高度な教育を受けた専門の将兵が求められると、徴兵による人数の確保よりも採用する兵士の質の向上が求められ、冷戦の終焉に合わせて徴兵制度を廃止または縮小する先進国が多く、新たに導入する国はあまりない。特に冷戦崩壊後にEUNATOに加盟した東ヨーロッパの元社会主義国は、チェコスロバキアハンガリーのように徴兵制を廃止して志願制に切り替える国が多い。ただしこれらの国々でも、戦争などの緊急時には政府が迅速に徴兵制度を復活できるように法的には選択肢を残している場合もある。

徴兵制度の兵役義務は一般兵役義務と服役待機に分けられ、一般兵役義務は全国民に入営を義務づけるもの(例:韓国の兵役)であり、服役待機は登録されるものの命令がない限り実際には入営しないもの(例:アメリカのen:Selective Service System)や、一定期間の一般兵役後にいつでも軍に復帰できるように待機することを義務化されているもの(例:ドイツ)などがある。

[編集] 呼称

  • 徴集兵:呼び出され集められた兵。ドラフト(draft)。
    • 召集兵:一度は徴兵されたた後に服務待機となり、改めて召集された兵
    • 応召兵:召集令状に応じて指定地に行く兵
    • 徴用兵:呼び出され用いられる兵
  • 志願兵:(事実上の有無は問わず)本人の志願により兵役についた兵士
    • 義勇兵:志願兵にほぼ同じ、ただし正規軍ではない義勇軍の兵士を明示的に指す場合もある。ボランティア: volunteer
  • 徴募兵:(1)つのり集めた兵であり、志願兵のこと(2)呼び集められた兵のこと、徴集兵。「諸藩の兵を―して/近世紀聞(延房)」[1]強制徴募も参照

[編集] 徴兵制度の歴史

[編集] 古代

国民に兵役を義務として課す制度は、古代にまで遡る。中国では古くから存在し、日本でも奈良時代に実施された(軍団制度)。

古代ギリシャの都市国家においては兵役は参政権を有する自由民の義務であった。一方、女性や奴隷などの非自由民には課されなかった。

ローマにおいては資産の多寡により兵役の内容が細分化され、多額の資産を有する者は騎兵、零細市民は安価で間に合う兵装、無資産市民は国家存亡の機を除き兵役の対象から外されていた。その後、マリウスの改革により一般市民の兵役は廃されて志願制となり、職業軍人化が進んだ。これによりローマは地中海世界を制圧する能力を得た。

[編集] 中世

中世のヨーロッパでは、騎士傭兵を中心とした軍制だった。これは国王など貴族社会を中心とした制度で、国王が地方の領主・貴族の地位を保証する見返りとして軍事力を国王に提供する、あるいは財力によって軍事力を購入するという形式である。これとは別に自由民に兵役義務が課され、戦時に動員されることもあった。傭兵主力の軍隊は戦闘意欲に欠け、戦争を長引かせる原因となった。

中世の日本においても軍事力の中心は武士とその郎党であった。また僧兵も無視できない戦力を誇った。日本においては傭兵は目立つ存在ではないが、それに類する雇われ戦力(例えば海賊の類)は存在した。戦国期に入り戦乱が多発するようになると、農民などが足軽として参戦するようになる。織田信長は周囲と異なり常備軍を主力とすることで、農繁期に左右されることのない軍を作り上げ[2][3]、勢力拡大に成功した。

さらに豊臣秀吉の刀狩り令により武士と非戦闘民は明確に区別され、これは江戸時代の終わりまで続いた。

[編集] 近世

近世ではスウェーデン三十年戦争時に徴兵制を採用し、人口の少なさを補い大軍を編成した。ただし、この制度には経済的・心理的負担が大きく、部隊の質が低くなりがちになる欠点があった。そのため結果として国民の離散・国家の荒廃を招くこととなる。プロイセン王国(ドイツ)ではフリードリヒ大王が軍事的拡張主義を採り、人口の4%に当たる常備軍を作ったが、このとき大規模な傭兵を養える財政がなく、志願制では数が満たせなかったために、1733年に徴兵制(カントン制度)を敷いて農民を強制的に軍隊に組み込んだ。この軍は質が悪く士気が低いため、厳罰主義によって規律を保とうとしたが困難であった。

イギリスでは海軍もしくは陸軍に強制的に徴用される強制徴募クオータ制がしばしば行われた。対象は自国民や自国籍船だけでなく、航海中の船舶や時には他国民に対しても行われ、また植民地の居酒屋やその他の溜まり場で根こそぎ強制徴募されるような事態も発生した。

[編集] 近代

いわゆる国民皆兵による徴兵制はフランス革命から始まる。フランス革命以降、国家は王ではなく国民のものであるという建前になったため、戦争に関しても王や騎士など一握りの人間ではなく、主権者たる国民全員が行なう義務があるということになった。そして革命に伴う周辺諸国との戦争で兵員を確保する必要に迫られたため、ナポレオンなどによって国民軍が作られたのである。国民皆兵の制度はヨーロッパ諸国や日本に波及し、第二次大戦後は世界的に波及した。

近代に徴兵制が生み出されたのは、戦争の近代化に伴って兵器の威力が増して(槍と機関銃の死者数の違いを思い起こしていただけると理解しやすい)志願制では人員の補充ができなくなるほど戦死者が多くなったことと、国民主権の原理によって国民を戦場に駆り出す大義名分ができたのが主な理由である。アメリカは南北戦争の激戦によって大量の兵士が死亡し、その欠員を補うために徴兵制が敷かれた。イギリスでも第一次大戦半ばのソンムの戦いなどで多くの戦死者を出し、戦争を継続するために徴兵制を敷いた。

徴兵制度は本国の議会制定法と市民登録(日本では戸籍簿)を基礎に実施されるため、占領地には適用されないのが通例である。ハーグ陸戦条約では軍事占領地での住民への忠誠の宣誓を強制することを禁じており(45条)、占領地で兵員確保を行なうにしても、一定の教育を受けたことや、占領地支配に協力的な民族や部族の成員であることを条件に採用する志願兵制によることが基本であった。いわゆる「植民地」についても同様で、現地に有力な民族や政体が存在するばあい、現地政体を保護国化することで間接支配する体制を採用したため、いわゆる植民地住民に直接徴兵制を課すことはなかった。一方で直轄領や外地の場合、本国国籍を離脱していない住民は本国からの招集命令に対して応召する義務があった。

この点、短期間であるとはいえ植民地住民に徴兵制を実施した日本は異例である。日本国民でありながら朝鮮人、台湾人には徴兵は長らく課せられていなかったが、兵役法改正によって1943年に朝鮮人に対して、1944年に台湾人に対して日本内地人と同様の兵役義務が課せられた。これらの植民地籍徴集兵は、戦争終結のため実際の戦闘に投入されることはなかった。ただし、日本統治下の朝鮮・台湾を植民地と解することには異論もある。

[編集] 現代

戦争の近代化と兵器の機械化・精密化・自動化の進展は、少人数で高性能の兵器の運用が可能となったことから軍隊の省力化と定員の減少をもたらし、同時に兵器の運用技術の高度化・専門化を招いた。定員の減少によって大量の新兵募集は不必要となり、訓練にも費用が掛かり過ぎるなどの理由によって徴兵制度の存在意義は低下した。これを予言した軍人としてはド・ゴールが挙げられる。現代においては再び軍人の専門職化、つまり職業軍人の時代が到来したと言える。西ヨーロッパ諸国では冷戦終了後から2000年代初頭にかけて次々と徴兵制を廃止し、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・オランダ・ベルギーなどは志願制に移行している。旧社会主義国だったチェコやスロバキア、ハンガリー、ルーマニアもEUやNATOに加盟すると、ほぼ同時に徴兵制を廃止した。また、人海戦術の印象が強い中国(志願者でまかなわれているため実際には行われていない)やロシアでも、志願制への移行が本格的に検討されている。

[編集] 徴兵制度の現状

アメリカ中央情報局「World Fact Book」や外務省などの資料によると、現在では軍隊またはこれに類する組織を保有する約170か国のうち約67か国が徴兵制度を採用している。

現在、兵器やコンピュータなどの技術が高度化・専門化が進んでいることにより、これらの技術を扱う軍人の専門職化が各国で進んでいる。兵士の数で戦況が決まるものでもなくなってきたため、徴兵制度は一部の国を除き廃止する動きが強くなってきている(徴兵制度が維持されている国家でも、良心的兵役拒否権を認めるようになってきている)。そもそも核戦争が想定されていた時代では多数の兵員を動員した総力戦が起こりにくくなっており、冷戦が終結したという環境の変化も大きい。

単純な兵員数で戦況が決まるわけではないことは防衛戦においては古くから証明されているが、侵攻作戦などにおいても湾岸戦争イラク戦争などで実証されつつある[4]

日本では、内閣法制局が過去に「徴兵・兵役は日本国憲法(第18条)で禁じる“意に反する苦役”であり、違憲である」との見解[5]を示しているが、日本が批准した自由権規約では、禁止すべき「強制労働」から「軍事的性質の役務」を除外している[6]

[編集] 教育目的での議論

徴農制度」も参照

軍隊の教育効果については戦後すぐから繰り返され論じられ(→後述)、近年でも一部の著名人から徴兵制度を肯定したり、復活を主張する声が出ている。このような徴兵制復活論の大部分は、俗流若者論に基づいたもので、少年犯罪[7]や戦後日本社会におけるモラルの低下、あるいは近年顕著に報道される若者の無気力(引きこもりニートなど)や帰属の喪失(フリーター、パラサイト)などさまざまな青少年問題の要因に、徴兵制の廃止や教育勅語の失効があるとし、“軍隊で根性を叩き直すべし”と主張する。しかし現代の軍事状況下、前述の国防という本来の存在意義・目的との関係性からは明確に逸脱しており、そもそも軍隊は費用対効果の高い教育機関なのかといった根本的な疑義において、若年層・青年層の社会的徴用や社会参加の問題と徴兵制度を同列に見て議論している可能性がある。また、自衛隊生活による精神病の発症や、自殺・犯罪なども皆無ではなく(自衛官・自衛隊員の自殺は2008年から政治問題になっている。2010年には防衛省職員の自殺者が2004年から6年連続で100人を超え、一般の国家公務員比5割増という異常事態になっていることが同省調査で判明している[8])、また今も徴兵がある韓国や台湾では軍事訓練を受けた犯罪者による凶悪事件がしばしば発生しており、モラル向上の視点からの教育にはさして役に立たないという主張もある。さらに、そもそも若者のモラルや精神が、現在の老人の世代より劣っているのか、という根本的な箇所にも異議が出ている。

自由民主党では、2010年3月4日、「憲法改正推進本部が徴兵制度を検討することを示唆した」と共同通信に報じられたが[9]大島理森幹事長は直後にこれを否定している[9]

[編集] 徴兵制度の問題

徴兵制度は、かつて給与を抑えられることから人件費抑制を期待できる側面があった[10]。しかし、現代の軍運用や装備状況においては、これは過度な期待といわざるを得ない。現代では組織が負担する費用は運用費や装備品など給与・人件費以外の費用が多く、よほど徴用兵の給与水準を抑えない限り経費節減の効果は限定的な物でしかない。これは軍の特性として、要員すべての宿舎や衣服や食事の用意、兵器や装備品の充足などが必要となるためであり、事務処理や教育・監督なども兵員数に比例するためである。

現在、徴兵制度を採用している一部の国では訓練に莫大な費用がかかるため、軍事政策に関して批判もある。また、若い時期に2、3年兵役を課すことによって、その間の学力や技術の向上が妨げられ、若年労働力が奪われ産業に悪影響を及ぼし、国力として損失が出ているとの指摘もある。ドイツでは兵役は若者の学問的向上期間を制約するとの認識もあり、批判が根強い。実際にドイツでは学力低下が著しく、他のヨーロッパ諸国に差を付けられつつある[11]。また、一般に徴用兵は自発的ではなく強制されている点で志願兵より士気・意欲が低く、訓練期間も短いため兵の質が低下する。

国富・国家財政の面からいっても問題は多い。若青年層を網羅的に徴用することで就労上や学究上のキャリアの断絶につながる。直接的には数万単位の若年労働力が労働市場から隔離されることで、労働コストの上昇や生産力の低下を招く可能性がある。また徴用兵に対する国庫負担が生じる一方で、徴用された人が納めるはずだった所得税等が国庫に入らなくなる(参照:軍事ケインズ主義)。

このような批判を回避するために、外人部隊を組織する国もあるが、近年ではこのような問題に答える形で、民間軍事会社(社員は退役軍人など経験者)によるサービスが広まっている。

[編集] 女性兵士の徴兵

ほとんどの国家において、兵役の義務が課されているのは男性のみであり、女性に対しては強制されていない[12]。かつては、このような義務が課せられたことが、男性のみに参政権等の権利が与えられる根拠となっていた。アメリカの社会学者ワレン・ファレルは男性のみに徴兵制度が強制されている状態を男性差別であると指摘し、批判している[13]

なお、イギリスは第二次大戦当時、女性を徴兵した唯一の国であったが、その任務のほとんどは敵軍と直接接触することのない後方支援や看護の分野であった[14][15][16]

[編集] 徴兵忌避

徴兵を逃れるには国籍の変更、亡命、免除規定の活用、身体毀損や逃亡等の方法があるが、意思的な不服従の立場から徴兵に従わないことを徴兵拒否といい、そのなかでもさらに倫理的・政治的・宗教的な信条に発する徴兵の拒否を良心的兵役忌避という。思想・良心の自由を標記する自由主義国家においては国家への忠誠とともに重要な課題である。

一般的に徴兵忌避は、法律の規定によって罰せられ懲役財産刑の対象になることが多い[17][18]。しかし現在では良心的兵役忌避を基本的人権の1つとして認め、その代替に清掃や介護、消防のような社会奉仕活動への従事を制度として整備している国が多い。

[編集] 徴兵拒否の実例

徴兵拒否運動は、ベトナム戦争期のアメリカ合衆国の若年男性によるものが知られる。政治的な理由、宗教的な理由から徴兵拒否は行われ、ベトナム戦争当時、モハメド・アリイスラム教の教えに従うとして、徴兵を拒否した。SF作家のウィリアム・ギブスンは、徴兵を拒否してカナダに移住し、しばらくホームレスとして路上生活を経験した。元大統領ビル・クリントンカナダに留学して徴兵を巧みに回避している。『ベトナム症候群』(著者:松岡完、出版社:中公新書)によると、ベトナム戦争への徴兵に従わなかった者は57万人、うち起訴された者は2万5000人、有罪判決を受けた者は9000人、実際に処罰されたのは3000人となっている。

また、黒人解放運動家のマルコムX精神異常を装うことで、第二次世界大戦の際に徴兵されるのを逃れた。物理学者ファインマン兵役につく際に行われた精神鑑定の結果、不採用になった[19]アインシュタインは「偏平足」の診断を受けて、スイス兵役を免除されている。

児童文学作家のミヒャエル・エンデは16歳の時、召集令状を破り捨て、ミュンヘンまでシュバルツバルトの森の中を夜間のみ80km歩いて、疎開していた母の所へ逃亡。その後、近所に住むイエズス会神父の依頼でレジスタンス組織「バイエルン自由行動」の反ナチス運動を手伝い、伝令としてミュンヘンを自転車で駆け回った。

丸谷才一の小説『笹まくら』は、第二次世界大戦における徴兵忌避者が主人公であるが、そのモデルが存在するという[要出典]。画家の山下清は、徴兵検査を逃れるために放浪した。その後21歳の時に知的障害者施設の職員によって滞在先の食堂で発見され、強制的に徴兵検査を受けさせられたが兵役免除となった。

アドルフ・ヒトラーオーストリアの徴兵義務を拒否し、ミュンヘンで逃亡生活を送ったが、第一次世界大戦の勃発とともにドイツ軍へは積極的に志願した。著書[20]によると、ドイツに対する帰属心が強く、オーストリアのために戦う気はなかったからという。

[編集] 徴兵制施行国・非施行国

徴兵制度の世界地図(英語版Wikipediaより)
凡例:
  軍隊を保有していない国家
  志願制の国家
  3年以内に徴兵制を廃止予定の国家
  徴兵制を施行している国家
  不明

[編集] 徴兵制を施行している国家

デンマークの旗 デンマークオーストリアの旗 オーストリアフィンランドの旗 フィンランドノルウェーの旗 ノルウェースイスの旗 スイスロシアの旗 ロシア韓国の旗 韓国朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮イスラエルの旗 イスラエルトルコの旗 トルコ中華民国の旗 中華民国台湾)、エジプトの旗 エジプトシンガポールの旗 シンガポールカンボジアの旗 カンボジアベトナムの旗 ベトナムタイの旗 タイコロンビアの旗 コロンビアマレーシアの旗 マレーシア中華人民共和国の旗 中国アルジェリアの旗 アルジェリア[21]キューバの旗 キューバギリシャの旗 ギリシャ

上記の内、
  • 女子も徴兵の対象としている国家
イスラエルの旗 イスラエルマレーシアの旗 マレーシア

マレーシアの徴兵制は軍への入隊ではなく、「国防省の管理下で6ヶ月間の共同生活」であるため、通常の徴兵制とは異なる。

韓国の旗 韓国朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮トルコの旗 トルコ
  • 志願者だけで定員を充足するため実際には徴兵が行われていない国家
中華人民共和国の旗 中国
  • 2015年までに徴兵制を廃止することを明言している国家
中華民国の旗 中華民国台湾[22]ドイツの旗 ドイツ(2011年7月をもって終了)
  • 法律上は形式的に兵役義務が規定されているものの、実質的には徴兵制度が存在しない国家
ミャンマーの旗 ミャンマー[23]

[編集] 徴兵制を施行していない国家

ドイツの旗 ドイツニュージーランドの旗 ニュージーランドアイスランドの旗 アイスランドインドの旗 インド日本の旗 日本アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[24]イギリスの旗 イギリスカナダの旗 カナダフランスの旗 フランスイタリアの旗 イタリアスペインの旗 スペインポルトガルの旗 ポルトガルオランダの旗 オランダベルギーの旗 ベルギーサウジアラビアの旗 サウジアラビアヨルダンの旗 ヨルダンパキスタンの旗 パキスタンバングラデシュの旗 バングラデシュアイルランドの旗 アイルランドオーストラリアの旗 オーストラリア赤道ギニアの旗 赤道ギニア[25]アルゼンチンの旗 アルゼンチンコスタリカの旗 コスタリカ[26]チェコの旗 チェコスロバキアの旗 スロバキアハンガリーの旗 ハンガリー[27]ニカラグアの旗 ニカラグアルーマニアの旗 ルーマニアスウェーデンの旗 スウェーデン[28]ポーランドの旗 ポーランド[29]

上記の内、
  • 歴史上、過去に一度も徴兵制を施行したことがない国家
ニュージーランドの旗 ニュージーランドアイスランドの旗 アイスランドインドの旗 インド
  • 軍隊を保有していない国家
軍隊を保有していない国家の一覧を参照。

[編集] 世界各国の兵役制度の概要

[編集] アジア諸国

[編集] 日本

明治以降の徴兵制度の経緯は徴兵令兵役法を、徴兵の教育などは兵 (日本軍)も参照

[編集] 明治維新以前

7世紀末から8世紀初め、日本は大陸の新羅と敵対しており、また日本列島内でも蝦夷など異民族と小競り合いを繰り返していた。これらから防衛するため、日本は養老律令の軍防令によって成人男性3人につき1人を兵士として徴発し、軍団を構成するとした。しかし、実際に徴兵された数はこの規則より低めであり、1戸から1人が実数ではなかったかと考えられている。兵士の食糧と武器は自弁であり、負担がかなり重かったため、逃亡兵が相次いでいたようである。

これらは、唐や新羅と関係改善が進むと不要と考えられるようになり、軍団は縮小、廃止の方向になった。また日本は律令国家から王朝国家に変化していく過程で、軍政もかつての民衆を徴用する軍団から国衙軍制に変化した。身分が固定化するに従い、豪族や百姓、俘囚のうち、弓馬に優れるものを優先的に徴用するようになり、軍は少数精鋭の職業軍人の集団へと変化した。また、一般民衆の兵役はほぼ無くなった。

10世紀以降、国衙軍制の発展など、様々な要因から日本には軍事貴族武士という身分が形成されるようになった。武士は軍事を司るようになり、やがて軍権そのものが朝廷や貴族から武士に移っていく。源頼朝によって鎌倉幕府が築かれると、幕府は朝廷から半ば独立して、全国の武士を直接的に統括するようになる。一般民衆は志願や強制など、様々な方法で軍に参加したものの、これらは職業軍人足りえず、武士階級による軍事力の独占が進んだ。

日本全国で恒常的に戦乱が続発する戦国時代になると、職の体系、身分制度が崩壊し、武士だけでなく農民や商人も自らの実力に相応しい発言力を求めて軍事力の整備に努め、時に戦乱に参入した。農民は足軽として参戦した。

徳川家康によって江戸幕府が開かれ、身分制度が固定化すると、かつてのように軍権は武士が独占するようになり、農民や商人、職人たちは軍に関わらなくなった。

[編集] 明治維新以後

明治維新により、江戸幕府が崩壊して身分制度が廃止されると、1873年には国民の義務として国民皆兵を目指す徴兵令が出され、のち兵役法となった。大日本帝国憲法にも兵役の義務が盛り込まれている。当初は徴兵対象者にうち、免役率が80%と高く、肉体的に頑強な男性の中からくじ引きによってごくわずかのみ徴兵されていた。しかし不公平感から全国で徴兵反対運動が起こり、そのため徴兵制度は大改正され1889年には法制度上、男性に対して国民皆兵が義務付けられた。その後は徴兵される男性が増加していき、太平洋戦争末期には700万人以上もの根こそぎ徴兵が行われた。第二次世界大戦に敗れた1945年に廃止されて以後は、行なわれていない。

日本の徴兵制度は戸籍制度を前提にしており、明治6年1月10日法では「一家ノ主人タル者」や家産・家業維持の任に当たる者は兵役の義務から免除されていた[30]戸籍法の適用を受ける日本国民の男性は、満20歳(1943年からは19歳)の時に受ける徴兵検査によって身体能力別に甲-乙-丙-丁-戊の5種類に分けられた。甲が最も健康に優れ体格が標準である甲種合格とされ、ついで乙種合格、丙種合格の順である。丁は徴兵に不適格な身体である場合、戊は病気療養中に付き翌年に再検査という意味である。当初は一番体格が標準的である甲種の国民が抽選で選ばれた場合に、「現役兵」として徴兵されるにとどまっていた。具体的にはおおよそ10人に1人から4人に1人程度であり、これらの兵士が戦時体制となる前の平時の訓練を受けた兵であった。戦争が始まると甲から順次徴兵されていった。

しかし戦局が激化するにつれ、現役兵としての期間を終えた後の予備役や後備役にあった元兵士の国民も召集令状によって召集され、大戦末期の昭和20年には徴集率は九割を超えた。通常、現役での徴兵を「徴集」、予備役・後備役での徴兵を「召集」と呼んで区別されていたが、混乱期には区別せずに「徴集」を用いることもあった。この召集制度が悪用された例として竹槍事件がある。さらに第二次世界大戦末期になると兵力不足が顕著になり、文科系学生への徴兵(学徒出陣)や熟練工・植民地人の徴兵が行われた。

[編集] 第二次大戦以後

敗戦後は陸軍省海軍省の解体に伴い軍そのものが消滅し、徴兵制度の根拠となる兵役法は1945年(昭和20年)11月17日に廃止された。その後警察予備隊海上警備隊(後の自衛隊)が発足したものの、徴兵制が憲法9条、18条に反するという一般的解釈、終戦直後における国民の軍隊への悪感情などから徴兵制は導入されず、志願制が採られた。その後、徴兵制度に関する議論はしばしば繰り返されてきたものの、制度として採用しようとする表立った動きはなかった。もっとも、自衛隊を増強しようとする動きの一環として核武装論と共に一部で主張されることがある。

徴兵制については、青少年に「筋金を入れる」うえで徴兵制度にみあう社会的な教育運動の必要性を説く議論が終戦直後からなされており[31]、また警察予備隊発足当初では7万5千の警察予備隊を持つ金があれば、徴兵制にすれば30万以上の軍隊を持つことができるとの計測があった[10]。だが第二次大戦の戦没者の多くが志願兵ではなく徴集兵であったという事実から、徴兵制度に嫌悪感を示す論調が大勢を占めていた[32]

自衛隊では完全志願制によって新たな隊員を募集している。 上述のように徴兵制が、日本国憲法18条(奴隷的苦役から)、9条(戦争放棄)に反すると解されていることのほかに、 一部の論者によって展開される徴兵制論がしばしば教育的意図をもって語られ、純軍事的見地から本来の徴兵制の意味を逸脱しているとの反論もある。詳細は#徴兵制度の現状を参照[33]

[編集] 大韓民国

韓国軍は徴兵制と志願兵制を併用している。徴兵に応じることは、韓国の若い男性達の義務とされている。18歳の男子への徴兵検査によって判定され、1-3級までが現役、4級は補充役・公益勤務、5級は免除・有事時出動、6級が身体異常による完全免除とされている。しかし有力家出身者の兵役回避が社会問題となっており、徐々に身体検査や等級判断が広げられ、時に本来は不適格な者までが入隊を余儀なくされる問題が指摘されている。また軍隊の施設や訓練生活において、体罰いじめなど1960年代そのままの風習が残り、韓国の若い男性にとって適応が一層困難となっている。さらに、検査の際の問診で半数近くが「人格障害」と診断されたことがあり、受験者が徴兵を嫌がってわざとそのような回答をすることが多いとわかる。兵士の兵役義務期間は陸軍海兵隊で24ヶ月、海軍で26ヶ月、空軍で28ヶ月で、海軍と空軍は志願しない限り配属されない。

以前は男性が就職適齢期に兵役につく場合が多いことから、兵役を終えた男性に限り公務員に就職する際の優遇措置があった。しかしフェミニストが「女性差別だ」と抗議したために、兵役満了者への優遇措置は撤廃された。この措置に対しては撤廃は不当だという男性側からの不満も表明されている。朝鮮日報によるアンケート調査では、回答した韓国の男子学生の46.3%が「大学や韓国社会において男性差別がある」という認識を示している。これは男性のみへの兵役強制(女子は免除)、更には兵役満了者への優遇措置撤廃が背景にある[34]

一方で兵役免除の特典を与えられるものもいる。スポーツでめざましい成績を収めたもの(例:オリンピックでメダリスト、サッカーワールドカップでベスト16以上など)、理工系で将来研究員になったり、大手企業に就職などをすることが期待されるなど、学業が特に優秀な場合などが免除される。また、国外での永住権取得者も免除の対象となる。ただし1年以上の国内滞在などによってこの免除はなくなる。

現在の韓国では、良心的兵役拒否は全く認められていない。公益勤務要員、産業技能要員、専門研究要員、義務警察官、戦闘警察官、海洋警察、警備矯導隊、義務消防隊などの軍隊以外での勤務を行うことで2年の兵役を4週間に短縮する制度がある。しかし、これらの制度の適用となるためには、難関資格取得が必要だったり、防衛産業へ就職したり、選抜試験に合格する必要があるため、狭き門である。なお、現在は約6万人が対象となって勤務している。しかしながら、この代替服務制度も段階的に縮小して廃止し、重症の身体障害者を除いてはボランティアの形で服務する社会服務制を導入する予定であると報道された[35]

大学在学中に休学して兵役に就く者が多く、大学受験の浪人が制限されるなどの影響があり、韓国の受験戦争が加熱する要因の一つともなっている。ある俳優が兵役忌避をしていたことが発覚し、罪を不問に付す代わりに即時入営をしたという例がある。

近年は、宗教上の理由で兵役を拒否する良心的兵役拒否者が出てきて、裁判有罪判決を受ける者が増えてきている。年に750人程度が兵役拒否を行い、懲役刑を受けて刑務所へ収監されている。現在、全世界の兵役拒否を理由とした良心の囚人の内、韓国人が占める割合は90%を超えている。兵役拒否者は、大韓民国兵役法違反で1年6カ月から3年の懲役に処されている[36]。また、プロ野球などのスポーツ選手や芸能関係者らがあらゆる手段を用いて兵役逃れをしていたことが近年相次いで発覚し、社会問題化した。彼らに対する批判的意見はもちろん強いが、スポーツや芸能活動にとって、若い時代に長期間軍隊に拘束されることによるマイナス面は非常に大きいため、同情的な意見もある。[37]

[編集] 北朝鮮

北朝鮮では、男性に3年から12年の兵役義務が課せられている。以前は13年の兵役期間であったが、2006年に兵役期間が短縮された。この他国と比較して長い兵役は、同国の政治方針である「先軍政治」に基づくものであり、これにより約110万人の兵士数を確保している。全人口に対する兵員の比率は世界トップクラスである(出典:エンカルタ総合大百科2007)。

[編集] シンガポール

シンガポール軍は1971年12月にイギリス軍が撤退した後に結成された。2万人の職業軍人のほか、2年間の徴兵制を男性に対して課している。徴集兵の数は5万5千人に達する。徴兵検査は17歳の時に行われ、進学の場合を除いて延期・猶予は認められていない。ただしシンガポールの「徴兵」は正式には国民役務(National Service)と呼ばれており、軍隊以外の公的機関(警察や「民間防衛隊」と呼ばれる消防救急など)を選択することも可能となっている。 2004年6月15日、テオ・チーヒン国防相は、Aレベル(大学入学資格)保持者やディプロマ保持者の徴兵期間を2年半から2年に短縮することを議会で報告した。軍の場合、中等教育終了後に1回目の召集令状国防省から届くが、本人の意志により高等教育終了後まで入隊延期を申請することができる。高等教育は概して、ジュニア・カレッジ(2年。卒業後、Aレベル保持)、ポリテクニック(Polytechnics。高度な専門技術を身につけ、卒業後、ディプロマを保持)、技術教育研究所及び職業実習に分かれ、各課程終了後に最終的な召集令状が国防省から送付される。召集期間はジュニア・カレッジ及びポリテクニック修了者が2年半、並びにその他の高等教育修了者及び高等教育未満の学歴の者は2年だったが、2004年の改革によって前者の徴兵期間が最大で2年となった。前者の階級は伍長から始まり、成績優秀者は2年半で中尉に昇進するが、更に半年軍と契約することで大尉に昇進する。新兵は3か月の基礎訓練を受け、そこにおいて、射撃、野外工作、サバイバルカモフラージュの教育が行われる。一部の兵はその後、士官候補生教育またはスペシャリスト教育を受ける。士官候補生コースは9ヶ月、スペシャリスト教育コースは21週ある。残りの大部分は様々な部隊に配属される。 徴兵期間終了後も、軍勤務希望者は更に10年の契約を行える。その後、再契約することができ、将校は45歳、下士官は55歳で定年を迎える。一方、軍に残らず一般社会に戻る者も、将校は50歳、下士官とは40歳まで予備役(Operationally Ready National Service)に編入され、年一度の召集に応じなければならず、13年間はIn-Camp Trainingを受けなければならない。さらに毎年不定期に、主に電話を使用する「Silent」、またはテレビラジオマスメディアを使用する「Open」のいずれかの方法による非常呼集がかけられ、対象者は数時間以内に定められた装備を着用して非常呼集司令部に集合しなければならず、正当な理由なく応じなかった者は処罰される(罰金懲役)。(出典:国防省資料

[編集] 中国

中華人民共和国は、人民解放軍の所有者は国家ではなく、中国共産党の軍隊ということになっている。人民解放軍は選抜徴兵制の下で定員が大きく削減されたが、貧困層にとって有力な就職先であり志願者が多い。志願者で定員が満たされ徴兵の必要がないため、事実上志願制の状態にある。また一人っ子政策は農村では例外が認められている(高等学校 地理Bより)ため建国以来人員は満たされ続けている。中国人民解放軍の予備戦力として民兵の規定がある。中国の兵役法では義務兵と志願兵を合わせ、民兵と予備役を合わせた兵役制度を採っている。18-35歳までの男性で現役で軍に属してない者は形式上、民兵として予備役に就くことになっており、非常時に多数の兵士を動員することができる仕組みになっている。

中国の毎年の現役徴集の人数、基準と時期は、国務院と中央軍事委の命令で定められる。各省、自治区、直轄市は、国務院と中央軍事委の徴兵命令に基づき、当該地域の徴兵業務を手配する。平時の徴集は年1回行われる。兵役法によると、毎年12月31日までに満18歳に達した男子は徴集されて現役に服さなければならない。徴集されなかった者は、22歳までは徴集可能とされる。必要に応じ、女子も徴集できる。毎年12月31日までに満18歳に達する男子は、9月30日までに兵役登録をしなければならない。条件に適合する徴集対象公民は、県、自治県、市、市管轄の区の兵役機関の許可を経て、徴集されて現役に服する。徴集すべき公民が一家の生計を維持する唯一の労働力か全日制学校に就学中の学生であるときは、徴集猶予できる。勾留されて捜査、起訴、裁判中か懲役、拘留、監視の判決を受けて服役中の公民は、徴集しない。

民兵は生産から離脱しない大衆武装組織で、中国の武力の重要な一部で、人民解放軍の助手と予備力である。民兵組織は普通民兵組織と基幹民兵組織に分かれる。基幹民兵組織には民兵応急分隊、歩兵分隊、専門技術分隊及び専門分野分隊が設けられている。現在、全国の基幹民兵は1000万に上る。基幹民兵は18〜22歳の間に30〜40日の軍事訓練に参加し、うち専門技術兵の期間は必要に応じて延長される。民兵の軍事訓練任務は中央軍事委の承認を受け、総参謀部が下部に伝える。民兵の軍事訓練は主に県クラス行政区内の民兵軍事訓練基地で集中的に行われ、一部の省、市には専門技術兵訓練センターや人民武装学校が設けられている。民兵業務は、国務院、中央軍事委が指導する。省軍区(衛戍区、警備区)、軍分区(警備区)及び県、自治県、市、市管轄の区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。郷、民族郷、鎮、居住区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。企業が国の関係規定に基づいて設置した人民武装部は、職場の民兵業務を担当する。人民武装部を設置していない企業は、専任者を決めて民兵業務処理にあたる。

大学高校の国防教育は、教室での授業と軍事訓練を合わせることになっている。大学生は男女を問わず、在学中に学内で行われる基礎的軍事訓練を受けなければならない。全軍学生軍事訓練工作弁公室は教育省と共同で全国生徒学生軍事訓練計画を策定した。2003年は、大学1100校と高校1万1500校が生徒・学生の軍事訓練を実施し、800万人が訓練を受けた(出典:2004年中国の国防)。

[編集] 台湾

台湾中華民国)では、男性に1年の兵役の義務がある。2000年から制度改正が行われ、良心的兵役拒否権が認められるようになった。2009年3月には、徴兵制度を2014年に廃止し、代わりに4ヶ月の軍事訓練を行う予定。削減分の予算の一部は兵器の充実に回す予定だが、野党などから国防費を急増させる中国との軍事格差がますます広がるとの懸念も出ている。[38]

兵役につく男性は、まず身体検査によって「常備役」「替代役」または「免役」(兵役義務が課されない)に分類される。常備役に分類された者は中華民国国軍に編入し兵士になる。ただし学歴によって軍官(士官に相当)や士官(下士官に相当)になることも可能。替代役は軍に編入されず、主に政府や警察機関で公務の補佐を行う(代替役を参照)。なお常備役判定でも条件を満たせば替代役に就けるが、兵役義務期間は替代役判定者より長い。中華民国国軍中華民国徴兵規則も参照のこと。

[編集] タイ

タイ王国の男性は、21歳に徴兵検査を受ける義務があり、検査合格者からくじ引きによって実際に徴兵される者が選ばれる。ただし、士官学校生や一般の学校(マッタヨム 3〜6年)に所属し「軍事科(ウィチャー・タハーン)」を受けた者や、身体や精神に障害のある者、体力のない者は徴兵対象外とされている。

タイのMTF トランスセクシュアルの中には男性器を切除した者も多いが、タイの法律では戸籍の性別は変えることができないため、たとえ“手術済み”のトランスセクシュアルであっても戸籍上の性別が「男性」である限り、徴兵検査と兵役のくじ引きに参加しなければならない。しかし、今までは「強く勇敢な兵士になれそうになく、軍の風紀も乱れる恐れがある」との理由から「精神障害者」ということにして不合格としていた。ところが、『NATION』紙2008年3月20日号によると、ゲイ権利団体が軍に「徴兵検査失格証明書に精神障害者であると記載されているために就職ローンの審査で不利になる」と抗議した。それを受けて防衛省徴兵局長のソムキアット将軍が「精神障害者と記載するのはすぐに止め、男でもなく女でもなくトランスセクシュアルを差別するのでもない新しい第3の性別名を探してみる」と述べた。「第3の性別名」が決まるまでの間は、徴兵検査を受けるカトゥーイは「30日以内に完治しない病気に罹っている」として不合格にすることとなった。さらに「第3の性別名を適用されるためには、3年間連続で彼らが真剣に女性として生きようとしていることを証明するレポートを軍に提出しなければならない」とソムキアット将軍は述べた。ちなみに徴兵検査参加者のうちトランスセクシュアルが占める割合は毎年1%未満である。

[編集] マレーシア

マレーシアでは、2003年よりマハティール前首相の提唱で制定された「国民奉仕制度」が施行された。これは国民の団結を図る目的で「抽選で選ばれた18歳の男女が国防省の管理下で3か月間の共同生活を行う」という内容であり、強制的に国民へ課せられる義務である。

[編集] ベトナム

ベトナム人民軍は1944年12月22日に設立された。徴兵制を採用しており、18-27歳の男子に原則として2年の兵役義務が課されている。主力部隊、地方部隊、民兵の三結合方式を採用している。国家国防安全委員会主席は国家主席が兼任し、首相が副主席である。中越戦争時には正規軍だけで170万人の兵力を有していたが、現在は48万4000人まで兵員が削減された。陸軍41万2000人、海軍4万2000人、空軍3万人である。このほか予備役と民兵が300-400万人。予備役将校の職業はさまざまで、高級官僚や大学教員も少なくない。

[編集] 欧米諸国

[編集] アメリカ合衆国

アメリカ合衆国ベトナム戦争終結後の1973年以降、徴兵を停止した。選抜徴兵登録制度(Selective Service System)[39]に基づく名簿の作成も1975年に廃止された。しかし、1980年に選抜徴兵法が制定され、再び選抜徴兵登録制度が復活した。この男性限定の選抜徴兵登録に対して、男性差別であるとして裁判が起された。ところが、1981年6月に連邦最高裁で「選抜徴兵法が男性だけに選抜徴兵登録を義務とすることはアメリカ合衆国憲法修正第5条に違反しない」と合憲判決が下され、現在に至るまで名簿の作成が国防総省において継続されている。従って、米国に在住している市民権及び永住権を持つ男性は18歳になった時点で郵便局において登録の義務が課せられている。男性市民は登録しないと罰金刑の対象になる他、政府からの奨学金が受給できない等の各種の不利益が科される。永住者には徴兵拒否権があるが、この場合、米国の国籍は取得できなくなる(本来は連続5年在住で帰化申請資格ができる。軍歴ができることで米国への忠誠を誓ったと見做され、必要滞在歴が2年に短縮される)。ベトナム戦争当時の米国では、ホームレスになる若年男性が大量に現れた。住所不定になれば、召集令状の送付先がなくなるためである。

ベトナム戦争終結以後、徴兵制を復活すべきという主張は連邦議会の非常に少数の議員が提唱しているが、連邦議会の議員と議員への立候補者の大部分も、大統領と大統領への立候補者も、国防総省も、徴兵制の復活は必要ないと繰り返し表明している。徴兵制を復活すべきという主張の理由は、志願兵制では就職先または除隊後の大学奨学金を求めて、経済的に貧しい階層の志願率が高くなるので、経済的階層にかかわらず軍務を国民全員に機会平等に配分するという考えに基づく。徴兵制復活を主張する連邦議会議員は2004年に一般的徴兵法案を連邦議会に提出し、下院本会議で採決した結果、賛成2票 - 反対402票で否決され、上院では委員会審議を通過できず本会議での審議・票決には至らなかった。

アメリカ合衆国の将兵の数は、第二次世界大戦中の1945年度は1,205万人、就業人口に対する比率は18.6%、総人口に対する比率は8.6%。朝鮮戦争中の1952年は363万人、就業人口に対する比率は6.0%、総人口に対する比率は2.3%。ベトナム戦争中の1968年は354万人、就業人口に対する比率は4.6%、総人口に対する比率は1.8%。冷戦末期の1988年は220万人、就業人口に対する比率は1.9%、総人口に対する比率は0.9%。冷戦終結後の1998年は147万人、就業人口に対する比率は1.1%、総人口に対する比率は0.5%。アフガニスタンとイラクで戦争中の2006年は144万人、就業人口に対する比率は1.0%、総人口に対する比率は0.5%である。長期的な視点では、就業人口と総人口に対する軍人と軍属の人数の比率が著しく減少している。また、兵器の機械化や民間軍需産業への外注化により、州兵を含む志願兵でまかなえることから米国政府も兵員数を増やすために徴兵する必要がなく、2000年代最初の10年間である現在で予測可能な将来の範囲内では米国が徴兵制を採用する可能性はない。

[編集] イギリス

強制徴募」も参照

イギリスでは従来、志願制度で必要な兵員を確保できており、第一次世界大戦参戦より1年半後、1916年1月に兵士不足を補うためにイギリス史上初めての徴兵制に踏切ったが、第一次大戦終了と同時に志願制に復旧した。その後第二次世界大戦が勃発した1939年9月、開戦当日に再び徴兵制に踏切った。

1939年の兵役法では18〜40歳の男子、1941年の第二兵役法では17歳8か月〜51歳の在外英国人・在英外国人、および20〜30歳の独身女子[40]に兵役が課された。1942年には男女とも16歳まで引下げられた。イギリスは第二次大戦で独身女性を徴兵した唯一の国である(#女性兵士の徴兵参照) 。

第二次大戦後も制度的には継続されていたが、植民地からの撤退により大幅な人員過剰となり、1960年に廃止された。

なお、イギリスは徴兵制を実施していた期間を通じて、宗教的理由以外での良心的兵役拒否が合法的・制度的に認められていた稀有な国家である[41]

ただし制度化できたのは、軍人が尊敬を受ける一方で兵役拒否者が臆病者として社会的指弾の対象となる風土にあって、拒否申請者が相対的に少ないからである。例えば1939年から1948年の間、第二次世界大戦における300万人以上の動員数に比して、兵役拒否の申請はわずか50分の1程度の62,301名であり、18,495件は却下され、17,231件は後方勤務(農業労働・医学実験対象・看護など)を命ぜられたため、兵役から解放されたのは26,575名に過ぎなかった[42]

[編集] フランス

フランスフランス革命で市民による徴兵制度を作り上げたが、近年では冷戦の終結と共に軍事の役割が減少したと判断され、軍事技術が複雑化と専門化したこともあり、1990年代半ばに段階的に徴兵制を廃止した。これ以降は、18歳の男性に対する1年間の国民役務の義務は廃止され、代わりに16歳から18歳の男女すべてに対して1日のビデオ講習による防衛準備召集が義務化された(出典:在日フランス大使館ホームページ「フランスの対外および防衛政策についての最近の関係資料」)。

[編集] ドイツ

西ドイツ

西ドイツ(ドイツ連邦共和国)では第二次世界大戦後に徴兵制が廃止されていたが、冷戦構造が深刻化する中で1968年に徴兵制度が復活した。ドイツ連邦共和国基本法で満18歳以上[43]の男性に兵役の義務が定められた。ただし基本法(憲法)の中に良心的兵役拒否権が明文規定で保障されている。

東ドイツ

東ドイツ(ドイツ民主共和国)では、ベルリンの壁が構築された5ヶ月後の1962年1月に徴兵制が施行された。その際に兵役拒否者が続出した。兵役拒否者は逮捕され拘禁刑を受けるにもかかわらず2年で1,550名に及び、政府は対応を迫られた。教会は若者を支援し、良心的兵役拒否権を認めるよう政府に働きかけた。西ドイツではすでに良心的兵役拒否が、基本法に権利として保障されていた事情もあり、この点で東ドイツも政権の民主性を国際社会にアピールする必要があったため、1964年6月に「建設部隊」が人民軍内に設置された。この制度は、国家が兵役拒否する「反社会主義的」「反国家的」な若者も人民軍の中に取り込んでしまおうとしたものである。東ドイツは国家による諸組織に国民を組み込もうという包括的な社会統合政策が採用されており、建設部隊もその一環であった。武器を持たない新部隊は、当初「労働大隊(Arbeits-bataillone)」と名付けられたが、公文書に手書きで「労働大隊」を消して「建設部隊(Baueinheiten)」と書き直された。「労働大隊」はナチス政権の懲罰組織を想起させるが、「建設」には前向きな響きがある。またこれまで存在しない新しい名前であったため、市民から偏見なく受け入れられた。しかし建設部隊の生活は厳しく、日常的になされる上官からの誹謗、嫌がらせ、軍事施設での任務、良心の自由が権利として認められない状況、除隊後の教育・就職差別があり、さらには建設兵士をも拒否すると法を犯すことになる。そこで建設兵士らは除隊後、建設部隊に入ることさえ拒んだ人と平和活動を始めた。

統合後のドイツ

東西ドイツの統合後、兵役期間は次第に短縮され、2002年1月からは9ヶ月間と短くなっており良心的兵役拒否も基本法において明文化されている。兵役拒否者は兵役に代わって、老人介護施設での介護作業に従事などの社会福祉事業や環境保護活動、消防活動などに通常の兵役期間より長い期間奉仕することが求められていたが、2004年10月からは兵役期間と同じ9ヶ月間とされた。これらの義務は25歳までに果たす必要があるとされている。良心的兵役拒否者による社会福祉事業への貢献が大きいため、長らく徴兵制度が維持されてきたが、2010年12月にこれを中止すると閣議にて決定された。欧州情勢の変化を鑑みた結果で、2011年6月末を以て長らく続いてきたドイツに於ける徴兵制の幕が降ろされる。

徴兵制度の支持者に配慮するために「廃止」ではなく「中止」としたため、今後のドイツの国防情勢の変化によって復活する余地は残されているものの、現在において復活する可能性は低い。

[編集] イタリア

イタリアでは1990年頃から現代戦に適応した軍の再編成が計画され、徴兵制についても議題となった。職業軍人主体の高度化が妥当との結論に達し、2000年に徴兵制を廃止した。

[編集] ロシア

ロシア連邦では、21世紀の現在も名目上は徴兵制度を存続させている。ただし徴兵制度は形骸化が進み、裕福な層を中心に合法・違法な兵役逃れが横行している。先進諸国の軍隊やロシア国内の一般市民のそれと比べても極端に安い将兵の給与レベルや、新兵に対するイジメや食料事情の悪さ、居住環境の劣悪さなど多くの問題が徴兵制度の行方に影響を与えている。これらの理由により実際に兵役に就く者は全対象者の10%以下であり、それらの多くが文字の読めない者や犯罪歴のある者、健康に問題がある者といった民間会社ではあまり採用されない者達である。詳しくはロシア連邦軍を参照のこと。

ロシア連邦軍は、広大な領土や長大な国境線を持つ陸軍大国である。このため平時での定員数に加えて、戦時にはさらに大量動員が可能なように予備役将兵の層の厚さが特徴となっている。

2002年6月28日、ロシア下院は代替奉仕に関する法案(代替文民勤務法)を採択し、良心的兵役拒否が制度的に明文化された。ロシア政府は男性に1年間の兵役を義務付けているが、ソ連崩壊後の1993年に制定された新憲法は、宗教や他の信条を理由に兵役を拒否する人に対し、代替奉仕の可能性を保障している。しかし代替奉仕に関する具体的取り決めを定めた法律はそれまで存在しておらず、軍隊からの脱走の多発や兵役拒否するための賄賂等、汚職の原因となっていた。2002年6月28日、下院で可決された法案によると、兵役の代わりに民間施設で3年半、または軍事施設で3年間の代替奉仕を選択することができるようになる。また、大学卒業者の場合は、奉仕期間は半分ですむ。ただし徴兵委員会が代替奉仕者の任地を決めるため、自宅や家族の近くで働ける可能性はない。この法律は2004年1月1日から発効した。ロシアでは18歳からの兵役が義務付けられているが、大学生は兵役を遅らせることが許可されている。

政府は2010年までに徴兵制を廃止して完全な職業軍人による志願制への移行を目指していたが、1年間という短い兵役や急激な少子化によって兵員の確保が難しい状況に陥っており、今後は兵役期間の延長や志願兵枠を削減して徴兵を増やす方針が検討されている[44]

[編集] スイス

スイスの男性市民は、18歳時に兵役を務められる能力があるかどうかを調べる身体検査が義務付けられている。そこで不合格と診断されると兵役免除となるが、合格者は20歳に15週間の初任訓練を受けて個人装備一式が支給される。36歳まで数年毎に年に十数日間の補充講習を受け、20歳から数えて通算で合計260日間の兵役に就かなければならない。

過去、国防関係者が「冷戦の終結により外敵からの侵略の危険性が減少したことで、現役総定員36万人は過大であるから、装備の近代化と職業軍人の増加で軍隊のプロ化を進め、兵士数も12万人程度に削減する」との考えを「21世紀の国防軍指針」で発表し、徴兵制を廃止するために国民投票を2度発議したが、否決された。しかし国防相が最近、再三にわたり職業軍人制度への移行を訴えている。

1991年の国民投票で良心的兵役拒否が認められるようになり、介護や医療などの代替役務(Zivildienst)が制度化された。[45][46]

[編集] 北欧諸国

ノルウェーフィンランドデンマークでは男性に徴兵制が課されている。ただし代替役務を課することにより、良心的兵役拒否も許されている。デンマークでは、段階的に徴兵期間が短縮され、それまで9か月だったのが4ヶ月間の基礎訓練だけで徴兵期間は終了し、それ以降の継続は選択できるようになった。アイスランドに関しては徴兵制度を課したことが歴史上一度もない。スウェーデンでは、2010年7月1日に徴兵制度が廃止された。

[編集] その他の欧州諸国

その他のヨーロッパ諸国では、多くの国家で徴兵制が敷かれていたが、フランスやイタリアとほぼ同時期にオランダベルギースペインポルトガルなどの西ヨーロッパ諸国でも一斉に廃止された。ウクライナベラルーシなど旧ソ連諸国では男性に対する徴兵制度がある。一方、NATOやEUに加盟したチェコスロバキアハンガリールーマニアといった旧社会主義国の東欧諸国は2000年代前半から半ばにかけて相次いで徴兵制を廃止した。

[編集] 中東諸国

[編集] イスラエル

イスラエルでは、ユダヤ教徒のイスラエル国民永住者に対して兵役の義務が課せられている。条件や期間に差があるものの女性にも徴兵制があることが特徴となっている。徴兵制を取る国家においても、そのほとんどは男性のみを対象としていることから考えると非常に珍しい事例であるが、周囲すべてが程度の差はあれ敵性国家であり、祖国の存亡を賭した戦争が明日にでも起こりうるという同国の事情が根底に存在する。ドゥルーズ教徒を除くアラブ系国民に対しては兵役が免じられている(志願入隊することは可能である)。

男性は3年、女性は1年9ヶ月間の兵役期間である。拒否者には3年間の禁固刑が科される。ユダヤ教律法によると女性の男装は禁じられているため、女子は宗教上の理由による良心的兵役拒否が可能であるが、条件は少し厳しい[47]。妊娠等の理由による例も含め、女性の約1/3が兵役を免除されている。男性はユダヤ教の神学校を卒業し、超正統派ラビになれば、宗教上の理由で兵役を拒否できる。

かつてイスラエルでは将校になることがエリートコースの典型であったが、産業の発展により魅力が薄れている。

[編集] レバノン

レバノンでは、1975年のレバノン内戦以前には徴兵制は存在しなかったものの、1980年代初頭に徴兵制が施行された。しかしこの当時はレバノン国軍は極めて貧弱であり、この法令が遵守されたのはベイルート周辺のみであったと言われている。この制度も1985年頃にレバノン国軍が衰弱した頃には死文化したといわれる。1990年以降、内戦が沈静化すると、政府軍の早期再建とレバノン政府の威信回復、宗派間の対立解消を目的として「フラッグ・サービス」と呼ばれる事実上の徴兵制が再施行された。全宗派のレバノン国民男性が対象であり兵役期間は1年であったが、現在は6か月までに短縮されている。しかしシーア派など一部の宗派では「ヒズボラ」や「アマル」といった民兵組織に入隊するなど、黙殺する住民も少なくない。

[編集] トルコ

トルコ軍は良心的兵役拒否を認めない完全な男性皆兵制を採っており、身体障害がない限り男性には15ヶ月間、ただし、大学卒業者は12ヶ月間の兵役が課され、それぞれ陸軍、海軍、空軍、沿岸警備隊に配属される。定期バスのような公共輸送機関では軍隊によるID検査があり、兵役を逃れている者はそのまま任地に強制連行され、一度、帰宅することも許されない。18歳〜40歳までの男性で国籍を有するIDカード保持者を対象に行われるが、学生は徴兵猶予される。学士課程は29歳まで、修士課程は33歳まで、博士課程は37歳までである[48]

[編集] その他の中東諸国

王政の国々では志願制を採用している国がほとんどである。 クウェート,カタール,UAE,バーレーン,サウジアラビア,オマーンヨルダン

一般には20歳までに兵役に応じ、最下級の兵士(er)としての訓練と任務に就くことになる。また大学卒業者は、兵卒ではなく予備将校として訓練を受ける。兵役期間中の給与は安く、軍種・兵科・任地により異なるが、2006年現在、20新トルコリラ程度(約1600円)である。これはタバコ8箱程度の価値であり、一般には兵役は無償(bedava)とみなされている。これに対して職業軍人は「有給軍人(para askeri)」と呼ばれる。以前は「代人料」を払って兵役期間を短くする制度があったが、貧富で格差が出て問題になったため、廃止されている。

近年、トルコでは良心的兵役拒否に関する議論が活発化している。ヨーロッパ評議会の構成国の中で兵役拒否を認めていないのはトルコとアゼルバイジャンのみである。1987年4月9日に発表された兵役義務への良心的拒否に関するヨーロッパ評議会閣僚委員会の勧告No.R(87)8では、「徴兵制度に服すべき者で、納得できる良心的な理由から武力使用への関わりを拒否する者は、そのような役務に服する義務から解放される権利を有する。そのような者は、代替的な役務に服することがある」としている。

2006年、欧州人権裁判所(ECHR) は Osman Murat Ulke の良心的兵役拒否に関して、トルコ政府が2年6ヶ月の懲役刑を科したことに対して、人権侵害であると認めた。2005年にクルド人であるMehmet Tarhanは兵役拒否の罪で4年間、軍の刑務所に収監されることとなった(しかし、彼は2006年に突然、釈放された)。ジャーナリストのPerihan Magdenはトルコの裁判所に、Tarhanの良心的兵役拒否を認めるように訴えたが、逮捕された。後に彼女は無罪となった[49]

[編集] 脚注

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  1. ^ GOO辞書「徴募」[1]
  2. ^ 日本深海技術協会会報2009年4号[2]
  3. ^ 情報RMAについて 防衛庁防衛局防衛政策課研究室(平成12年9月)[3]P.2脚注
  4. ^ 一方で大規模戦闘終結後のアフガニスタンやイラク情勢においては、パウエル・ドクトリンに見られる圧倒的な兵力を投入し、短期間で勝利を目指し情勢を支配・管理する手法が再評価されている。
  5. ^ 第六十一回衆議院内閣委員会(昭和44年6月24日)内閣法制局長官 高辻政府委員
  6. ^ 第8条3(c)(ⅱ)[4]
  7. ^ 戦後の少年犯罪は長期的に減少の傾向にあるが、一般市民が感じる体感治安と現実との間には乖離が生まれている。
  8. ^ 自衛官:後絶たぬ自殺 一般職国家公務員の1.5倍毎日.jp
  9. ^ a b “自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ”. 共同通信社 (47NEWS). (2010年3月4日). http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030401000592.html 2010年5月25日閲覧。 
  10. ^ a b 第八回衆議院外務委員会(昭和25年10月4日)菊池義郎委員
  11. ^ 原田 信之「教育スタンダードによるカリキュラム政策の展開 : ドイツにおけるPISAショックと教育改革」、『九州情報大学研究論集』、2006年、NAID 110004792814、2010年9月30日閲覧。
  12. ^ 男性に比べて短い期間であるが女子も徴兵されるイスラエルや、男女共に兵役義務が課せられるマレーシアのような例も存在する。もっとも実質上の短期教育制度であり軍事教練を行わないため、他国の徴兵制と同列に扱うのは難しい。
  13. ^ Warren Farrell著"The Myth of Male Power"(Barkley Publishing Group;Reprint版、2001年、ISBN 0425181448ISBN 978-0425181447)p.28-29
  14. ^ 詳細は英語版en:Women's roles in the World Wars#United Kingdom参照。
  15. ^ 志願兵としての女性兵士は第二次大戦当時でも、アメリカ、フィンランド、ソビエトなどにアメリカの陸軍夫人部隊、ソビエトでマリーナ・ラスコーヴァの組織した女性連隊、フィンランドのen:Lotta Svärdなどが存在した(英語版en:Women's roles in the World Wars#World War II参照)。
  16. ^ 日本の国民義勇戦闘隊については義勇兵役法により女子にも義勇召集に応ずる義務が課せられたが、軍事行動を行う事態には至らなかった。(国会議事録118衆社会労働委員会8号 末次政府委員発言に基づく)
  17. ^ 家族や親族に罰を加える性質のものも存在した。エジプト1279年シャッワール月9日付勅令第26号(1863年3月30日)によれば徴兵からの逃亡に家族・親族への連携罰則として土地を含めた財産の没収を規定している。「1863年公布2勅令にみる19世紀中葉エジプト農民の土地喪失過程」加藤博(地中海論集1984一橋大学機関リポジトリ)[5]
  18. ^ 日本の旧徴兵令では、兵役忌避は1月以上1年以下の重禁錮刑に3円以上30円以下の罰金刑が附加される(徴兵令31条)「第二期国定修身教科書の「忠義」及び「忠君愛国」の教材の背景:日露戦争に着目して」Jason S.Barrows(教授学の探求1999.03.05北海道大学)[6]PDF.P.7
  19. ^ リチャード P. ファインマン (著), Richard P. Feynman (原著), 大貫昌子 (翻訳) 『ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)』20000/01,ISBN:978-4006030056
  20. ^ アドルフ・ヒトラー (著), 平野一郎, 将積茂 『わが闘争 上—完訳』角川文庫 白 224-1 (文庫)
  21. ^ 外務省各国・地域情勢[7]
  22. ^ 詳しくは中華民国軍[8]
  23. ^ 義務教育における軍事教練のみ存在する。
  24. ^ 完全廃止ではなく、停止中であり、Selective Service Systemという制度により、18〜25歳の男性の国籍保持者および永住権保持者の名簿が国防総省で作成され続けている
  25. ^ かつて、徴兵期間が一番長い国としてギネスブックに掲載されたことがある
  26. ^ コスタリカは常設軍を廃止しているが憲法147条・121条により非常時徴兵を規定(「最近のコスタリカ評価についての若干の問題」新藤通弘 アジア・アフリカ研究2002年第2号[9]
  27. ^ 在日本ハンガリー大使館『ハンガリー政治経済月報』2004年11月[10]
  28. ^ 2010年7月1日に徴兵制度を廃止
  29. ^ 2008年に徴兵制度が廃止されるまでは男女ともに9ヶ月間間の兵役義務を負っていた
  30. ^ 徴兵令における「家」と国家 熊谷開作(同志社法学Vol.14, No.8)p.425[11]
  31. ^ 第七回衆議院予算委員会(昭和25年2月13日)13号北澤直吉委員「昔は日本には徴兵制度というものがありまして、二十歳になると徴兵検査を受ける。その中で優秀なものは兵役に服すということで、それによつてわれわれ日本国民に一つの筋金が入つておつたと私は思うのでありますが、今日は徴兵検査もなく、徴兵もないというわけで国民に筋金を入れる組織が非常に弱いのではないかとおもうのであります。そういう点から考えまして、こういうような青年の運動あるいは青年を訓練するような制度というものを、取上げる必要があるのではないかと思うのであります。もつとも現在においてもボーイ・スカウトの運動、あるいはガール・スカウトの運動というものがありますけれども、さらにそのほかに、ちようどアメリカのニュー・デイールの中でやりましたような思想も、取入れて、日本の青年の指導というものにつきまして、格段のご注意をお願いした方がいいと思うのであります」
  32. ^ たとえば第五回参議院本会議(昭和24年5月16日)草葉隆圓など
  33. ^ 戦時中でも徴兵拒否者はいたとされ、俳優の伴淳三郎召集令状を受け取っていたのだが、徴兵検査にはきれいに化粧をした女装で出かけていき、その格好を見た検査官が激怒して検査場から追い出され、検査直前に醤油を大量に(一升瓶1本分)飲み、「肝臓病」を装って徴兵を逃れている(一時的に同一症状が出せる)。他にも灯台社明石順三による徴兵拒否が有名。
  34. ^ 『韓国の男子学生「大学には男性差別がある」46.3%』 2006年8月13日付配信 朝鮮日報
  35. ^ 政府、6カ月の兵役短縮案を検討(朝鮮日報2007年1月9日)
  36. ^ 韓国社会を読む-兵役拒否(『統一日報』2007年9月26日発行版)
  37. ^ ドラマ『冬のソナタ』に出演していた俳優であるペ・ヨンジュンと歌手でもあるパク・ヨンハは、それぞれ目の異常のため免除された。また同じく俳優であるウォンビンは兵役に従事したが以前から抱えていたひざの病状が悪化したため途中から除隊されたというようなケースもある。
  38. ^ 台湾の徴兵制度に幕 緊張緩和、財政負担も 14年全廃”. 朝日新聞. 2009年3月9日閲覧。
  39. ^ Selective Service System(選抜徴兵登録制度)と呼ばれる仕組みがあり、18歳-25歳の米国国民の男性と永住外国人の男性に連邦選抜徴兵登録庁への徴兵登録が義務と規定されている。ただし、ベトナム戦争以後に、この名簿に基づいて徴兵が行われたことは今のところない。
  40. ^ The National Archives: Women at War ”As a result, in 1941 they introduced conscription for all single women aged between 20 and 30.”
  41. ^ 『臆病者と呼ばれても―良心的兵役拒否者たちの戦い』(M・セジウィック著、金原瑞人訳、あかね書房、2004、ISBN 4-251-09833-1
  42. ^ 例えば「良心的兵役拒否の思想」阿部知二 1969年 岩波書店
  43. ^ ドイツの選挙権年齢は1970年に21歳から18歳に引き下げられたが、その背景に徴兵制度と参政権の議論が存在する。第064回国会公職選挙法改正に関する調査特別委員会第7号[12]自治省行政局長宮澤弘(政府委員)
  44. ^ 露徴兵制度は維持困難? 志願制移行破綻(産経新聞)
  45. ^ アインシュタインは、米国に行く前にスイス国籍を取得していたが、扁平足であることを理由に兵役を免除された。
  46. ^ 『現代ドイツ情報ハンドブック<+オーストリア、スイス>』p.229、三修社、2003年、『スイス探訪 したたかなスイス人のしなやかな生き方』p.86-95、国松考次角川書店、2003年)
  47. ^ イスラエル国籍の女優ナタリー・ポートマンは米国のハーバード大学に留学していて兵役を免除された。
  48. ^ 出典:Conscription in Turkey
  49. ^ 参考:2006年6月7日のAFPの記事「良心的兵役拒否を支持する記事で著名作家起訴」2007年10月3日のアムネスティ・インターナショナルの記事Osman Murat UlkeMehmet TarhanPerihan Magden

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク・出典

[編集] 世界各国・地域の情報

[編集] 防衛省の防衛白書

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[編集] 防衛白書の資料編

2007年版 - 2006年版 - 2005年版 - 2004年版 - 2003年版 - 2002年版 - 2001年版 - 2000年版 - 1999年版

[編集] 文献情報

  • 「ドイツにおける徴兵制の変容-国家と個人の相克-」市川ひろみ(今治明徳短期大学 広島平和科学24(2002)広島大学)[13]
  • 「軍人による市民的不服従-選択的兵役拒否と脱走-」市川ひろみ(今治明徳短期大学 広島平和科学29(2007)広島大学)[14]
  • 「兵役拒否に揺らぐ徴兵制」佐々木陽子(国立看護大学校非常勤講師 地歴・公民科資料60号 実教出版2005-02-20)[15][16]
  • 「EU各国(27か国)における兵役義務・非軍事的代替役務義務」中山太郎事務所(「夜明けの日本」勉強コーナー)[17][18]
  • 「平和的生存権と抵抗権1」後藤光男(早稲田法学会誌30巻1979)[19]
  • 「ホッブスの抵抗権批判-事実de factoに基づく義務の理論-」矢島信(2005年度政策科学研究科修士論文 立命館大学政策科学研究科)要約※修士論文のため取扱注意[20]
  • 「ドイツ社会主義教育崩壊の内在的原因3-防衛教育における問題-」石井正司(日本大学 教育学雑誌第29号1995年日本大学教育学会紀要)[21][22]
  • 「戦後ドイツの教会と平和問題」河島幸夫(西南学院大学法学部法学論集41巻3.4号2008年)[23]
  • 「イギリス初等教育草創期におけるMzthasRothの体育授業導入提案」榊原浩晃(福岡教育大学紀要第55号、第5分冊、2006年)[24]
  • 「イタリアの社会的協同組合2001」(協同の發見2004.1 NO.138)[25]※イタリアの2001年末における良心的兵役拒否者数の州別人数の資料あり
  • 「台湾の国防役制度と産業競争力-台湾IT産業におけるエンジニアの囲い込み-」神吉ほか(神戸大学経済経営研究所ディスカッションペーパーNo.J83.2008.11改定)[26]※未定稿のため筆者の了解なしに引用することを差し控えられたし(アドレスの紹介のみ
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