インディ500

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
Indy 500(1994年)

インディアナポリス500マイルレース (Indianapolis 500 インディアナポリス500 インディ500とも呼ぶ) は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月の第4週(メモリアルデー・ウィークエンド)に開催されるアメリカンモータースポーツの代表的レースである。

目次

[編集] 概要

Panoz G-Force GF09B
(2004年優勝のバディ・ライスのマシン)

1周2.5マイルのオーバルコースを200周、走行距離500マイルで争われる。第1回開催は1911年F1モナコGP(年によってはモナコGPと同じ日に開催されることがある)、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつ。

かつては世界選手権という体裁を整えるためにF1の一戦として組み込まれていたが、F1ドライバーからの参戦は少なく、ほとんど名目上のものであった[1]1996年以降はインディカー・シリーズの最大イベントレースとして組み込まれ40万人の観客を集めるビッグイベントとして存在している。

1960年代までのインディ500は、様々なエンジン形式、駆動方式が参加可能であった。1952年ポールポジションを獲得したターボディーゼルエンジン搭載のカミンズ・ディーゼル・スペシャルや1967年1968年に登場したガスタービンエンジン搭載車が有名である。格好はF1マシンに類似しているが、F1マシンに比べ最高速重視の設計がなされている。

上記の理由などもあり、毎年事故が多発するレースとしても知られている。特に、死亡事故は1964年のデイブ・マクドナルドエディー・ザックス、1982年のゴードン・スマイリー、1996年のスコット・ブレイトンなどがあるが、詳細はList of Indianapolis 500 deathsを参照。

小さなサポートイベントなどを含めると約1ヶ月にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金が多々ある。

[編集] 予選方式

予選方式は何度か変更されているが、現在はおおむね以下の方式によって2日間で行なわれている。 2010年より、予選開催が2日間に短縮されている。2001年 - 2009年などは4日間で行なわれていた。 雨が降ればその日の予選は中止になるが、その際の予選日程はルール変更後予選中止がないため現段階では不明である。(4日間で行なわれていた時代は中止の場合、予選日程は短縮され、中止になった分も含めてその日の予選順位を決めていた) ドライバーは1日につき3回アテンプト(予選アタック)が可能[2]。1台ずつ、一回り目は抽選により決定されたアテンプト順によりアテンプトする。1回のアテンプトにつき4周スピード計測を行ない、その平均スピードで予選順位を競う。また、アテンプト途中で予選スピードが遅いと判断した場合は1日につき2回まで途中で中止する事ができ、このアテンプトはアテンプト回数にカウントされない。これを「ウェーブ・オフ」という。 なお、予選時間(ポール・デイのセグメント1は4時間、バンプ・デイは6時間)中で予選アテンプトを行なうドライバーがいない時間帯については、すでに予選を通過しているドライバーも含めて周回数に制限の無い練習走行ができる。


[編集] 予選1日目(ポール・デイ) セグメント1

5月3週目の土曜日に行なわれる。予選1位から24位までを決める。25人以上スピード計測をした場合は、24位の選手を上回るスピードを記録した選手がいた場合、それまでの24位の選手は24人の枠から弾き出され、そのままではこの日の時点では予選通過ができないため、残りのアテンプト数がある場合再走行を強いられる事になる。1人でも自分よりいいスピードを出されると予選を通過できないドライバーのことを「オン・ザ・バブル」という。

[編集] 予選1日目(ポール・デイ) セグメント2

セグメント1の順位上位9人が、ポール・ポジションをかけて1時間半の走行時間中にスピードを争う。セグメント1のスピードに関係なく、セグメント2のスピードのみが上位9人のグリッドを決めるため、最低1度はアテンプトを行なわないとならない(最高2回)。ただし、セグメント2内で記録したスピードは、新たなアテンプトを行なっても抹消されない。また、セグメント2に進出した9台は、ここでグリッドが確定する。

[編集] 予選2日日(バンプ・デイ)

5月3週目の日曜日に行なわれる。細かいシステムは何度も変更されているが、予選通過・予選落ちを巡ってのドラマが毎年展開されるのは変わらない。

  • まず、残り枠9人分のスピードが記録されるまでは通常の予選となる。ただし、前日記録されたグリッドよりは上にはいけないため、この時点でいくら24位以上より速いスピードを記録しても、順位は25位の位置となる。
  • 33人分のグリッドが「いったん」決まった時点で、ここまでの予選の総合で(予選順位に関係なく)予選通過スピードがもっとも遅いドライバー[3]がまず「オン・ザ・バブル」となる。その後、オン・ザ・バブルのドライバーよりスピードが上回るドライバーがオン・ザ・バブルのドライバーを弾き出していく(「バンプ・アウト」)形となる。
  • 弾き出したドライバーは、この日に記録された予選スピード内で、早い順番に入る。また、上述の通り、新たなアテンプトを行なうと、前のアテンプトの記録は抹消されるため、新たなアテンプトは常に「賭け」となってしまう面も持つ。
  • 例えば、第94回(2010年)では、ポール・トレーシージェイ・ハワードが、より予選通過を確実にしようと記録を捨ててアテンプトしたが、その前の記録より遅いスピードしか記録できず、記録を捨てていなければ予選通過できるはずだったが共に予選落ちとなり、その2人より遅い記録しか出していなかったセバスチャン・サーベドラが決勝に進出するような事例が発生する。

[編集] 歴代優勝者

優勝者 車体・エンジン チーム/オーナー レース距離[歴代 1]
マイル
平均時速[歴代 2]
マイル毎時
1 1911年 アメリカ合衆国の旗 レイ・ハルーン マーモン マーモン 500 74.602
2 1912年 アメリカ合衆国の旗 ジョー・ドーソン ナショナル ナショナル・モーター・ビークル 500 78.719
3 1913年 フランスの旗 ジュール・グー プジョー プジョー 500 75.933
4 1914年 フランスの旗 ルネ・トーマ ドラージュ ドラージュ 500 82.474
5 1915年 アメリカ合衆国の旗 ラルフ・デパルマ メルセデス E.C Patterson 500 89.840
6 1916年 イギリスの旗 ダリオ・レスタ プジョー プジョー 300[歴代 3] 84.001
1917年・1918年: 第一次世界大戦の影響により開催されず
7 1919年 アメリカ合衆国の旗 ハウディ・ウィルコックス プジョー I.M.S Corporation 500 88.050
8 1920年 アメリカ合衆国の旗 ガストン・シボレー フロンテナック ウィリアム・スモール・カンパニー 500 88.618
9 1921年 アメリカ合衆国の旗 トミー・ミルトン フロンテナック ルイ・シボレー 500 89.621
10 1922年 アメリカ合衆国の旗 ジミー・マーフィー デューセンバーグ・ミラー ジミー・マーフィー 500 94.484
11 1923年 アメリカ合衆国の旗 トミー・ミルトン ミラー H. C. S.モーターカンパニー 500 90.545
12 1924年 アメリカ合衆国の旗 ローラ・L・コラム
アメリカ合衆国の旗 ジョー・ボイヤー[歴代 4]
デューセンバーグ デューセンバーグ 500 98.545
13 1925年 アメリカ合衆国の旗 ピーター・デパオロ デューセンバーグ デューセンバーグ 500 101.127
14 1926年 アメリカ合衆国の旗 フランク・ロックハート ミラー ピーター・クライス 400(雨) 95.904
15 1927年 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・サウダース デューセンバーグ ウィリアム・S・ホワイト 500 97.545
16 1928年 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー ミラー アルデン・サンプソン2世 500 99.904
17 1929年 アメリカ合衆国の旗 レイ・キーチ ミラー M. A. Yagle 500 97.585
18 1930年 アメリカ合衆国の旗 ビリー・アーノルド サマーズ・ミラー ハリー・ハルツ 500 100.448
19 1931年 アメリカ合衆国の旗 ルー・シュナイダー スティーブンス・ミラー B. L. シュナイダー 500 96.629
20 1932年 アメリカ合衆国の旗 フレッド・フレイム ウェッタロス・ミラー ハリー・ハルツ 500 104.144
21 1933年 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー ミラー ルイス・メイヤー 500 104.162
22 1934年 アメリカ合衆国の旗 ビル・カミングズ ミラー H. C. ヘニング 500 104.863
23 1935年 アメリカ合衆国の旗 ケリー・ペティロ ウェッタロス・オッフィー ケリー・ペテイロ 500 106.240
24 1936年 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー スティーブンス・ミラー ルイス・メイヤー 500 109.069
25 1937年 アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ ショウ・オッフィー ウィルバー・ショウ 500 113.580
26 1938年 アメリカ合衆国の旗 フロイド・ロバーツ ウエッタロス・ミラー ロウ・ムーア 500 117.200
27 1939年 アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ マセラティ ボイル・レーシング 500 115.035
28 1940年 アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ マセラティ ボイル・レーシング 500 114.277
29 1941年 アメリカ合衆国の旗 フロイド・デイビス
アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ[歴代 5]
ウェッタロス・オッフィー ロウ・ムーア 500 115.117
1942年~1945年: 第二次世界大戦の影響により開催されず
30 1946年 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・ロブソン アダムス・スパークス Thorne Engineering 500 114.820
31 1947年 アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ デート・オッフィー ロウ・ムーア 500 116.338
32 1948年 アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ デート・オッフィー ロウ・ムーア 500 119.814
33 1949年 アメリカ合衆国の旗 ビル・ホランド デート・オッフィー ロウ・ムーア 500 121.327
34 1950年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・パーソンズ カーティス・オッフィー カーティス 345(雨) 124.002
35 1951年 アメリカ合衆国の旗 リー・ワラード カーティス・オッフィー Murrell Belanger 500 126.244
36 1952年 アメリカ合衆国の旗 トロイ・ラットマン クズマ・オッフィー Christopher J.C. Agajanian 500 128.922
37 1953年 アメリカ合衆国の旗 ビル・ブコビッチ カーティス・オッフィー ハワード・ケック 500 128.740
38 1954年 アメリカ合衆国の旗 ビル・ブコビッチ カーティス・オッフィー ハワード・ケック 500 130.840
39 1955年 アメリカ合衆国の旗 ボブ・スウェイカート カーティス・オッフィー ジョン・ジンク 500 128.209
40 1956年 アメリカ合衆国の旗 パット・フラハーティ ワトソン・オッフィー ジョン・ジンク 500 128.490
41 1957年 アメリカ合衆国の旗 サム・ハンクス エパリー・オッフィー Geoge Salih 500 135.601
42 1958年 アメリカ合衆国の旗 ジミー・ブライアン エパリー・オッフィー Geoge Salih 500 133.719
43 1959年 アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード ワトソン・オッフィー Leader Cards 500 135.875
44 1960年 アメリカ合衆国の旗 ジム・ラスクマン ワトソン・オッフィー Ken-Paul 500 138.767
45 1961年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト トレビス・オッフィー Bignotti-Bowes Racing 500 139.130
46 1962年 アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード ワトソン・オッフィー Leader Cards 500 140.293
47 1963年 アメリカ合衆国の旗 パーネリー・ジョーンズ ワトソン・オッフィー Christopher J.C. Agajanian 500 143.137
48 1964年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト ワトソン・オッフィー Ansted-Thompson Racing 500 147.350
49 1965年 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータスフォード チーム・ロータス[歴代 6] 500 150.686
50 1966年 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ・フォード メコン・レーシング・チーム 500 144.137
51 1967年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト コヨーテ・フォード Ansted-Thompson Racing 500 151.207
52 1968年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー イーグル・オッフィー Leader Cards 500 152.882
53 1969年 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ ホーク・フォード STP 500 156.867
54 1970年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー PJコルト・フォード Vel's Parnelli Jones Ford 500 155.749
55 1971年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー PJコルト・フォード Vel's Parnelli Jones Ford 500 157.735
56 1972年 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー マクラーレン・オッフィー ペンスキー・レーシング 500 162.692
57 1973年 アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック イーグル・オッフィー オール・アメリカン・レーサーズ 332.5(雨) 159.063
58 1974年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード マクラーレン・オッフィー マクラーレン[歴代 6] 500 158.589
59 1975年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー イーグル・オッフィー A.J.フォイト・エンタープライゼス 500 161.331
60 1976年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード マクラーレン・オッフィー マクラーレン 255(雨) 148.725
61 1977年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト コヨーテ・フォイト A.J.フォイト・エンタープライゼス 500 161.331
62 1978年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー ローラ・コスワース シャパラル・レーシング 500 161.363
63 1979年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ ペンスキー・コスワース ペンスキー 500 158.899
64 1980年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード シャパラル・コスワース シャパラル・レーシング 500 142.862
65 1981年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー ペンスキー・コスワース ペンスキー・レーシング 500 139.084
66 1982年 アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック ワイルドキャット・コスワース STPパトリック・レーシング 500 162.029
67 1983年 アメリカ合衆国の旗 トム・スニーバ マーチ・エンジニアリング・コスワース Bignotti-Cotter 500 162.117
68 1984年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ マーチ・コスワース ペンスキー 500 163.612
69 1985年 アメリカ合衆国の旗 ダニー・サリバン マーチ・コスワース ペンスキー 500 152.982
70 1986年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・レイホール マーチ・コスワース トゥルースポーツ 500 170.722
71 1987年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー マーチ・コスワース ペンスキー 500 162.175
72 1988年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ ペンスキー・シボレー ペンスキー 500 144.809
73 1989年 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ペンスキー・シボレー パトリック・レーシング 500 167.581
74 1990年 オランダの旗 アリー・ルイエンダイク ローラ・シボレー ダグ・シアソン・レーシング 500 185.981[歴代 7]
75 1991年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ ペンスキー・シボレー ペンスキー 500 176.457
76 1992年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. ギャルマー・シボレー ギャレス・クラコ・レーシング 500 134.477
77 1993年 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ペンスキー・シボレー ペンスキー 500 157.207
78 1994年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. ペンスキー・メルセデス ペンスキー 500 160.872
79 1995年 カナダの旗 ジャック・ヴィルヌーヴ レイナード・フォード チーム・グリーン 500 153.616
80 1996年 アメリカ合衆国の旗 バディ・ラジアー レイナード・フォード ヘメルガーン・レーシング 500 147.956
81 1997年 オランダの旗 アリー・ルイエンダイク Gフォースオーロラ(オールズモビル) トレッドウェイ・レーシング 500 145.827
82 1998年 アメリカ合衆国の旗 エディ・チーバーJr. ダラーラ・オーロラ チーバー・レーシング 500 145.155
83 1999年 スウェーデンの旗 ケニー・ブラック ダラーラ・オーロラ A.J.フォイト・エンタープライゼス 500 153.176
84 2000年 コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ Gフォース・オーロラ チップ・ガナッシ・レーシング 500 167.607
85 2001年 ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス ダラーラ・オーロラ ペンスキー 500 153.601
86 2002年 ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス ダラーラ・シボレー ペンスキー 500 166.499
87 2003年 ブラジルの旗 ジル・ド・フェラン パノスGフォース・トヨタ ペンスキー 500 156.291
88 2004年 アメリカ合衆国の旗 バディ・ライス パノスGフォース・ホンダ レイホール・レターマン・レーシング 450(雨) 138.518
89 2005年 イギリスの旗 ダン・ウェルドン ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・グリーン・レーシング 500 157.603
90 2006年 アメリカ合衆国の旗 サム・ホーニッシュJr. ダラーラ・ホンダ ペンスキー 500 157.085
91 2007年 イギリスの旗 ダリオ・フランキッティ ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・グリーン・レーシング 415(雨) 151.774
92 2008年 ニュージーランドの旗 スコット・ディクソン ダラーラ・ホンダ チップ・ガナッシ・レーシング 500 143.567
93 2009年 ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス ダラーラ・ホンダ ペンスキー 500 150.318
94 2010年 イギリスの旗 ダリオ・フランキッティ ダラーラ・ホンダ チップ・ガナッシ・レーシング 500 161.623
95 2011年 イギリスの旗 ダン・ウェルドン ダラーラ・ホンダ ブライアン・ハータ・オートスポーツ 500 170.265
  1. ^ 降雨によって途中で打ち切られたレースには(雨)と付けた
  2. ^ 太字はその時点での最速記録
  3. ^ 1916年のレースはレース距離300マイルとして開催された
  4. ^ 1924年のレースでは、ローラ・L・コラムがスタートさせた車をレース途中でジョー・ボイヤーが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
  5. ^ 1941年のレースでは、フロイド・デイビスがスタートさせた車をレース途中でマウリ・ローズが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
  6. ^ a b 1965年のチーム・ロータスと1974年のマクラーレンは、同年にF1コンストラクターズタイトルも獲得している
  7. ^ 平均レース時速最速記録。時速299.307km。

[編集] 記録

[編集] ドライバー

[編集] 勝利数

回数 ドライバー
4 アメリカ合衆国の旗 A・J・フォイト 1961年、1964年、1967年、1977年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー 1970年、1971年、1978年、1987年
アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ 1979年、1984年、1988年、1991年
3 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー 1928年、1933年、1936年
アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ 1937年、1939年、1940年
アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ 1941年、1947年、1948年
アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード 1974年、1976年、1980年
アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー 1968年、1975年、1981年
ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス 2001年、2002年、2009年
2 アメリカ合衆国の旗 トミー・ミルトン 1921年、1923年
アメリカ合衆国の旗 ビル・ブコビッチ 1953年、1954年
アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード 1959年、1962年
アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック 1973年、1982年
ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ 1989年、1993年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. 1992年、1994年
オランダの旗 アリー・ルイエンダイク 1990年、1997年
イギリスの旗 ダリオ・フランキッティ 2007年、2010年
イギリスの旗 ダン・ウェルドン 2005年、2011年

[編集] 連勝

2連勝したドライバーが5名いる(3連勝以上したドライバーは存在しない)。

[編集] 他カテゴリとの間の記録

モナコグランプリル・マン24時間レースと関係する記録は世界三大レースを参照のこと
アメリカ合衆国の他カテゴリと複数制覇
ドライバー インディ500優勝 CART/IRLチャンピオン デイトナ500優勝 デイトナ24時間レース優勝
アメリカ合衆国の旗 ジミー・ブライアン 1958年 1956年、1957年
アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード 1959年、1962年 1959年、1962年
アメリカ合衆国の旗 A・J・フォイト 1961年、1964年、1967年、1977年 1960年、1961年、1963年、1964年、
1967年、1975年、1979年
1972年 1983年、1985年
アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー 1968年 1968年、1974年
アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ 1969年 1965年、1966年、1969年、1984年 1967年 1972年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー 1970年、1971年、1978年、1987年 1970年、1983年、1985年 1985年
アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー 1972年 1969年
アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック 1973年、1982年 1976年
アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード 1974年、1976年、1980年 1980年
アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ 1979年、1984年、1988年、1991年 1979年
アメリカ合衆国の旗 トム・スニーバ 1983年 1977年、1978年
アメリカ合衆国の旗 ダニー・サリバン 1985年 1988年
アメリカ合衆国の旗 ボビー・レイホール 1986年 1986年、1987年、1992年 1981年
ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ 1989年、1993年 1989年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. 1992年、1994年 1990年、1994年 1986年、1987年
カナダの旗 ジャック・ヴィルヌーヴ 1995年 1995年
アメリカ合衆国の旗 バディ・ラジアー 1996年 2000年(IRL)
スウェーデンの旗 ケニー・ブラック 1999年 1998年(IRL)
コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ 2000年 1999年(CART) 2007年
ブラジルの旗 ジル・ド・フェラン 2003年 2000年、2001年(CART)
アメリカ合衆国の旗 ダン・ウェルドン 2005年、2011年 2005年(IRL)
アメリカ合衆国の旗 サム・ホーニッシュJr. 2006年 2001年、2002年、2006年(IRL)

[編集] ゲームソフト

日本では、トミー(現:タカラトミー)から、1997年5月23日に、プレイステーション用ゲームソフトとして、Indy500がリリースされた。 Indy500の日本での知名度は低いが、当時の大ヒットゲームとなった。また、セガからもアーケードゲームとしてインディ500 がリリースされた。

[編集] 日本人ドライバーとINDY500

1991年ヒロ松下の参戦後、数多くの日本人ドライバーが挑戦しており、最高位は2003年に高木虎之介が記録した5位。以下参戦ドライバーと決勝順位を記載する。

  • ヒロ松下 1991年 16位、1992年 DNQ(予選中の怪我による)、1993年 18位、1994年 14位、1995年 10位
  • 桃田健史 1992年 DNQ
  • 松田秀士 1994年 24位、1995年 15位、1996年 8位、1999年 10位、2000年 DNQ(予選中の怪我による)
  • 服部茂章 2001年 DNQ、2002年 20位、2003年 30位
  • 中野信治 2003年 14位
  • 高木虎之介 2003年 5位、2004年 19位
  • ロジャー安川 2003年 10位、2004年 10位、2005年 18位、2006年 16位、2007年 21位、2008年 DNQ
  • 松浦孝亮 2004年 11位、2005年 17位、2006年 15位、2007年 16位
  • 武藤英紀 2008年 7位、2009年 10位、2010年 28位
  • 佐藤琢磨 2010年 20位、2011年 33位

[編集] テレビ放送

  • 日本では、かつてTBSテレビ朝日で全国放送されていたが、現在は地上波では後日、深夜に日本テレビでダイジェストが放送される。衛星放送ではGAORAが生中継している。なおGAORAではインディカー・シリーズを全戦放送している。アメリカではABCが毎年生中継をしている。

[編集] エピソード

[編集] 優勝者は牛乳を飲む

インディ500では、優勝したドライバーは牛乳を飲むという習慣がある。1933年、ルイス・メイヤーは自身二度目の優勝を飾ったが、レース終了後にバターミルクをリクエストした。ルイス・メイヤーは1936年にも自身三度目の優勝をし、この際もバターミルクをリクエストしたが、コップではなくボトルで手渡され、それをそのまま飲んだ。その飲んでいる写真が牛乳会社の目に止まり、それ以降優勝者には牛乳が提供されるようになった。(1947年から1955年までの間を除く)

唯一この習慣に従わなかったのがエマーソン・フィッティパルディで、1993年の優勝時には自身がブラジルでオレンジ農園を営んでいるという理由から、牛乳の代わりにオレンジジュースを一気飲みした[4]

[編集] アナウンス

レース開始前のエンジン始動の有名なアナウンス(A(One) lady/Ladies and) gentlemen, start your engines!」は、現在インディアナポリス・モーター・スピードウェイを所有するハルマン家の当主マリ・ハルマン・ジョージが行っている。

元々はマリの父であるトニー・ハルマンがアナウンスを行っていたが、1977年に死去し、翌1978年からはトニーの妻でありマリの母であるメアリー・フェンドリッチ・ハルマンが行うようになった。しかしメアリーも1998年4月に死去。それにともない、1998年からは娘のマリが引き継いでいる。ただし1982年と2007年はインディアナポリス・モーター・スピードウェイの場内放送アナウンサーだったトム・カーネギーが行っている。

かつてはレースに参加するドライバーは男性ばかりだったので、アナウンスの台詞は「Gentlemen, start your engines!(紳士諸君、エンジンを始動してください)」だったが、女性ドライバーが参加するようになり、セリフは「A(One) lady and gentlemen, start your engines!(淑女と紳士諸君~)」と改められ、女性が複数人参加するようになった現在ではセリフも複数形に改められ「Ladies and gentlemen, start your engines!」となっている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 世界選手権から外れた直後の1960年代には、いくつかの参戦例がみられる。
  2. ^ ただし、新たにアテンプトを行なう場合は、1つ前のアテンプトの記録を抹消しなければならない。(ポール・デイのセグメント2を除く)
  3. ^ そのため、あくまでも暫定予選33位=もっとも遅いドライバーになるとは限らない
  4. ^ インディ500とは? Vol.3
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語