インディ500
インディアナポリス500マイルレース (Indianapolis 500 インディアナポリス500 インディ500とも呼ぶ) は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月の第4週(メモリアルデー・ウィークエンド)に開催されるアメリカンモータースポーツの代表的レースである。
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[編集] 概要
1周2.5マイルのオーバルコースを200周、走行距離500マイルで争われる。第1回開催は1911年。F1モナコGP(年によってはモナコGPと同じ日に開催されることがある)、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつ。
かつては世界選手権という体裁を整えるためにF1の一戦として組み込まれていたが、F1ドライバーからの参戦は少なく、ほとんど名目上のものであった[1]。1996年以降はインディカー・シリーズの最大イベントレースとして組み込まれ40万人の観客を集めるビッグイベントとして存在している。
1960年代までのインディ500は、様々なエンジン形式、駆動方式が参加可能であった。1952年にポールポジションを獲得したターボディーゼルエンジン搭載のカミンズ・ディーゼル・スペシャルや1967年と1968年に登場したガスタービンエンジン搭載車が有名である。格好はF1マシンに類似しているが、F1マシンに比べ最高速重視の設計がなされている。
上記の理由などもあり、毎年事故が多発するレースとしても知られている。特に、死亡事故は1964年のデイブ・マクドナルドとエディー・ザックス、1982年のゴードン・スマイリー、1996年のスコット・ブレイトンなどがあるが、詳細はList of Indianapolis 500 deathsを参照。
小さなサポートイベントなどを含めると約1ヶ月にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金が多々ある。
[編集] 予選方式
予選方式は何度か変更されているが、現在はおおむね以下の方式によって2日間で行なわれている。 2010年より、予選開催が2日間に短縮されている。2001年 - 2009年などは4日間で行なわれていた。 雨が降ればその日の予選は中止になるが、その際の予選日程はルール変更後予選中止がないため現段階では不明である。(4日間で行なわれていた時代は中止の場合、予選日程は短縮され、中止になった分も含めてその日の予選順位を決めていた) ドライバーは1日につき3回アテンプト(予選アタック)が可能[2]。1台ずつ、一回り目は抽選により決定されたアテンプト順によりアテンプトする。1回のアテンプトにつき4周スピード計測を行ない、その平均スピードで予選順位を競う。また、アテンプト途中で予選スピードが遅いと判断した場合は1日につき2回まで途中で中止する事ができ、このアテンプトはアテンプト回数にカウントされない。これを「ウェーブ・オフ」という。 なお、予選時間(ポール・デイのセグメント1は4時間、バンプ・デイは6時間)中で予選アテンプトを行なうドライバーがいない時間帯については、すでに予選を通過しているドライバーも含めて周回数に制限の無い練習走行ができる。
[編集] 予選1日目(ポール・デイ) セグメント1
5月3週目の土曜日に行なわれる。予選1位から24位までを決める。25人以上スピード計測をした場合は、24位の選手を上回るスピードを記録した選手がいた場合、それまでの24位の選手は24人の枠から弾き出され、そのままではこの日の時点では予選通過ができないため、残りのアテンプト数がある場合再走行を強いられる事になる。1人でも自分よりいいスピードを出されると予選を通過できないドライバーのことを「オン・ザ・バブル」という。
[編集] 予選1日目(ポール・デイ) セグメント2
セグメント1の順位上位9人が、ポール・ポジションをかけて1時間半の走行時間中にスピードを争う。セグメント1のスピードに関係なく、セグメント2のスピードのみが上位9人のグリッドを決めるため、最低1度はアテンプトを行なわないとならない(最高2回)。ただし、セグメント2内で記録したスピードは、新たなアテンプトを行なっても抹消されない。また、セグメント2に進出した9台は、ここでグリッドが確定する。
[編集] 予選2日日(バンプ・デイ)
5月3週目の日曜日に行なわれる。細かいシステムは何度も変更されているが、予選通過・予選落ちを巡ってのドラマが毎年展開されるのは変わらない。
- まず、残り枠9人分のスピードが記録されるまでは通常の予選となる。ただし、前日記録されたグリッドよりは上にはいけないため、この時点でいくら24位以上より速いスピードを記録しても、順位は25位の位置となる。
- 33人分のグリッドが「いったん」決まった時点で、ここまでの予選の総合で(予選順位に関係なく)予選通過スピードがもっとも遅いドライバー[3]がまず「オン・ザ・バブル」となる。その後、オン・ザ・バブルのドライバーよりスピードが上回るドライバーがオン・ザ・バブルのドライバーを弾き出していく(「バンプ・アウト」)形となる。
- 弾き出したドライバーは、この日に記録された予選スピード内で、早い順番に入る。また、上述の通り、新たなアテンプトを行なうと、前のアテンプトの記録は抹消されるため、新たなアテンプトは常に「賭け」となってしまう面も持つ。
- 例えば、第94回(2010年)では、ポール・トレーシーやジェイ・ハワードが、より予選通過を確実にしようと記録を捨ててアテンプトしたが、その前の記録より遅いスピードしか記録できず、記録を捨てていなければ予選通過できるはずだったが共に予選落ちとなり、その2人より遅い記録しか出していなかったセバスチャン・サーベドラが決勝に進出するような事例が発生する。
[編集] 歴代優勝者
回 | 年 | 優勝者 | 車体・エンジン | チーム/オーナー | レース距離[歴代 1] (マイル) |
平均時速[歴代 2] (マイル毎時) |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1911年 | レイ・ハルーン | マーモン | マーモン | 500 | 74.602 |
2 | 1912年 | ジョー・ドーソン | ナショナル | ナショナル・モーター・ビークル | 500 | 78.719 |
3 | 1913年 | ジュール・グー | プジョー | プジョー | 500 | 75.933 |
4 | 1914年 | ルネ・トーマ | ドラージュ | ドラージュ | 500 | 82.474 |
5 | 1915年 | ラルフ・デパルマ | メルセデス | E.C Patterson | 500 | 89.840 |
6 | 1916年 | ダリオ・レスタ | プジョー | プジョー | 300[歴代 3] | 84.001 |
1917年・1918年: 第一次世界大戦の影響により開催されず | ||||||
7 | 1919年 | ハウディ・ウィルコックス | プジョー | I.M.S Corporation | 500 | 88.050 |
8 | 1920年 | ガストン・シボレー | フロンテナック | ウィリアム・スモール・カンパニー | 500 | 88.618 |
9 | 1921年 | トミー・ミルトン | フロンテナック | ルイ・シボレー | 500 | 89.621 |
10 | 1922年 | ジミー・マーフィー | デューセンバーグ・ミラー | ジミー・マーフィー | 500 | 94.484 |
11 | 1923年 | トミー・ミルトン | ミラー | H. C. S.モーターカンパニー | 500 | 90.545 |
12 | 1924年 | ローラ・L・コラム、 ジョー・ボイヤー[歴代 4] |
デューセンバーグ | デューセンバーグ | 500 | 98.545 |
13 | 1925年 | ピーター・デパオロ | デューセンバーグ | デューセンバーグ | 500 | 101.127 |
14 | 1926年 | フランク・ロックハート | ミラー | ピーター・クライス | 400(雨) | 95.904 |
15 | 1927年 | ジョージ・サウダース | デューセンバーグ | ウィリアム・S・ホワイト | 500 | 97.545 |
16 | 1928年 | ルイス・メイヤー | ミラー | アルデン・サンプソン2世 | 500 | 99.904 |
17 | 1929年 | レイ・キーチ | ミラー | M. A. Yagle | 500 | 97.585 |
18 | 1930年 | ビリー・アーノルド | サマーズ・ミラー | ハリー・ハルツ | 500 | 100.448 |
19 | 1931年 | ルー・シュナイダー | スティーブンス・ミラー | B. L. シュナイダー | 500 | 96.629 |
20 | 1932年 | フレッド・フレイム | ウェッタロス・ミラー | ハリー・ハルツ | 500 | 104.144 |
21 | 1933年 | ルイス・メイヤー | ミラー | ルイス・メイヤー | 500 | 104.162 |
22 | 1934年 | ビル・カミングズ | ミラー | H. C. ヘニング | 500 | 104.863 |
23 | 1935年 | ケリー・ペティロ | ウェッタロス・オッフィー | ケリー・ペテイロ | 500 | 106.240 |
24 | 1936年 | ルイス・メイヤー | スティーブンス・ミラー | ルイス・メイヤー | 500 | 109.069 |
25 | 1937年 | ウィルバー・ショウ | ショウ・オッフィー | ウィルバー・ショウ | 500 | 113.580 |
26 | 1938年 | フロイド・ロバーツ | ウエッタロス・ミラー | ロウ・ムーア | 500 | 117.200 |
27 | 1939年 | ウィルバー・ショウ | マセラティ | ボイル・レーシング | 500 | 115.035 |
28 | 1940年 | ウィルバー・ショウ | マセラティ | ボイル・レーシング | 500 | 114.277 |
29 | 1941年 | フロイド・デイビス、 マウリ・ローズ[歴代 5] |
ウェッタロス・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 115.117 |
1942年~1945年: 第二次世界大戦の影響により開催されず | ||||||
30 | 1946年 | ジョージ・ロブソン | アダムス・スパークス | Thorne Engineering | 500 | 114.820 |
31 | 1947年 | マウリ・ローズ | デート・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 116.338 |
32 | 1948年 | マウリ・ローズ | デート・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 119.814 |
33 | 1949年 | ビル・ホランド | デート・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 121.327 |
34 | 1950年 | ジョニー・パーソンズ | カーティス・オッフィー | カーティス | 345(雨) | 124.002 |
35 | 1951年 | リー・ワラード | カーティス・オッフィー | Murrell Belanger | 500 | 126.244 |
36 | 1952年 | トロイ・ラットマン | クズマ・オッフィー | Christopher J.C. Agajanian | 500 | 128.922 |
37 | 1953年 | ビル・ブコビッチ | カーティス・オッフィー | ハワード・ケック | 500 | 128.740 |
38 | 1954年 | ビル・ブコビッチ | カーティス・オッフィー | ハワード・ケック | 500 | 130.840 |
39 | 1955年 | ボブ・スウェイカート | カーティス・オッフィー | ジョン・ジンク | 500 | 128.209 |
40 | 1956年 | パット・フラハーティ | ワトソン・オッフィー | ジョン・ジンク | 500 | 128.490 |
41 | 1957年 | サム・ハンクス | エパリー・オッフィー | Geoge Salih | 500 | 135.601 |
42 | 1958年 | ジミー・ブライアン | エパリー・オッフィー | Geoge Salih | 500 | 133.719 |
43 | 1959年 | ロジャー・ウォード | ワトソン・オッフィー | Leader Cards | 500 | 135.875 |
44 | 1960年 | ジム・ラスクマン | ワトソン・オッフィー | Ken-Paul | 500 | 138.767 |
45 | 1961年 | A.J.フォイト | トレビス・オッフィー | Bignotti-Bowes Racing | 500 | 139.130 |
46 | 1962年 | ロジャー・ウォード | ワトソン・オッフィー | Leader Cards | 500 | 140.293 |
47 | 1963年 | パーネリー・ジョーンズ | ワトソン・オッフィー | Christopher J.C. Agajanian | 500 | 143.137 |
48 | 1964年 | A.J.フォイト | ワトソン・オッフィー | Ansted-Thompson Racing | 500 | 147.350 |
49 | 1965年 | ジム・クラーク | ロータス・フォード | チーム・ロータス[歴代 6] | 500 | 150.686 |
50 | 1966年 | グラハム・ヒル | ローラ・フォード | メコン・レーシング・チーム | 500 | 144.137 |
51 | 1967年 | A.J.フォイト | コヨーテ・フォード | Ansted-Thompson Racing | 500 | 151.207 |
52 | 1968年 | ボビー・アンサー | イーグル・オッフィー | Leader Cards | 500 | 152.882 |
53 | 1969年 | マリオ・アンドレッティ | ホーク・フォード | STP | 500 | 156.867 |
54 | 1970年 | アル・アンサー | PJコルト・フォード | Vel's Parnelli Jones Ford | 500 | 155.749 |
55 | 1971年 | アル・アンサー | PJコルト・フォード | Vel's Parnelli Jones Ford | 500 | 157.735 |
56 | 1972年 | マーク・ダナヒュー | マクラーレン・オッフィー | ペンスキー・レーシング | 500 | 162.692 |
57 | 1973年 | ゴードン・ジョンコック | イーグル・オッフィー | オール・アメリカン・レーサーズ | 332.5(雨) | 159.063 |
58 | 1974年 | ジョニー・ラザフォード | マクラーレン・オッフィー | マクラーレン[歴代 6] | 500 | 158.589 |
59 | 1975年 | ボビー・アンサー | イーグル・オッフィー | A.J.フォイト・エンタープライゼス | 500 | 161.331 |
60 | 1976年 | ジョニー・ラザフォード | マクラーレン・オッフィー | マクラーレン | 255(雨) | 148.725 |
61 | 1977年 | A.J.フォイト | コヨーテ・フォイト | A.J.フォイト・エンタープライゼス | 500 | 161.331 |
62 | 1978年 | アル・アンサー | ローラ・コスワース | シャパラル・レーシング | 500 | 161.363 |
63 | 1979年 | リック・メアーズ | ペンスキー・コスワース | ペンスキー | 500 | 158.899 |
64 | 1980年 | ジョニー・ラザフォード | シャパラル・コスワース | シャパラル・レーシング | 500 | 142.862 |
65 | 1981年 | ボビー・アンサー | ペンスキー・コスワース | ペンスキー・レーシング | 500 | 139.084 |
66 | 1982年 | ゴードン・ジョンコック | ワイルドキャット・コスワース | STPパトリック・レーシング | 500 | 162.029 |
67 | 1983年 | トム・スニーバ | マーチ・エンジニアリング・コスワース | Bignotti-Cotter | 500 | 162.117 |
68 | 1984年 | リック・メアーズ | マーチ・コスワース | ペンスキー | 500 | 163.612 |
69 | 1985年 | ダニー・サリバン | マーチ・コスワース | ペンスキー | 500 | 152.982 |
70 | 1986年 | ボビー・レイホール | マーチ・コスワース | トゥルースポーツ | 500 | 170.722 |
71 | 1987年 | アル・アンサー | マーチ・コスワース | ペンスキー | 500 | 162.175 |
72 | 1988年 | リック・メアーズ | ペンスキー・シボレー | ペンスキー | 500 | 144.809 |
73 | 1989年 | エマーソン・フィッティパルディ | ペンスキー・シボレー | パトリック・レーシング | 500 | 167.581 |
74 | 1990年 | アリー・ルイエンダイク | ローラ・シボレー | ダグ・シアソン・レーシング | 500 | 185.981[歴代 7] |
75 | 1991年 | リック・メアーズ | ペンスキー・シボレー | ペンスキー | 500 | 176.457 |
76 | 1992年 | アル・アンサーJr. | ギャルマー・シボレー | ギャレス・クラコ・レーシング | 500 | 134.477 |
77 | 1993年 | エマーソン・フィッティパルディ | ペンスキー・シボレー | ペンスキー | 500 | 157.207 |
78 | 1994年 | アル・アンサーJr. | ペンスキー・メルセデス | ペンスキー | 500 | 160.872 |
79 | 1995年 | ジャック・ヴィルヌーヴ | レイナード・フォード | チーム・グリーン | 500 | 153.616 |
80 | 1996年 | バディ・ラジアー | レイナード・フォード | ヘメルガーン・レーシング | 500 | 147.956 |
81 | 1997年 | アリー・ルイエンダイク | Gフォース・オーロラ(オールズモビル) | トレッドウェイ・レーシング | 500 | 145.827 |
82 | 1998年 | エディ・チーバーJr. | ダラーラ・オーロラ | チーバー・レーシング | 500 | 145.155 |
83 | 1999年 | ケニー・ブラック | ダラーラ・オーロラ | A.J.フォイト・エンタープライゼス | 500 | 153.176 |
84 | 2000年 | ファン・パブロ・モントーヤ | Gフォース・オーロラ | チップ・ガナッシ・レーシング | 500 | 167.607 |
85 | 2001年 | エリオ・カストロネベス | ダラーラ・オーロラ | ペンスキー | 500 | 153.601 |
86 | 2002年 | エリオ・カストロネベス | ダラーラ・シボレー | ペンスキー | 500 | 166.499 |
87 | 2003年 | ジル・ド・フェラン | パノスGフォース・トヨタ | ペンスキー | 500 | 156.291 |
88 | 2004年 | バディ・ライス | パノスGフォース・ホンダ | レイホール・レターマン・レーシング | 450(雨) | 138.518 |
89 | 2005年 | ダン・ウェルドン | ダラーラ・ホンダ | アンドレッティ・グリーン・レーシング | 500 | 157.603 |
90 | 2006年 | サム・ホーニッシュJr. | ダラーラ・ホンダ | ペンスキー | 500 | 157.085 |
91 | 2007年 | ダリオ・フランキッティ | ダラーラ・ホンダ | アンドレッティ・グリーン・レーシング | 415(雨) | 151.774 |
92 | 2008年 | スコット・ディクソン | ダラーラ・ホンダ | チップ・ガナッシ・レーシング | 500 | 143.567 |
93 | 2009年 | エリオ・カストロネベス | ダラーラ・ホンダ | ペンスキー | 500 | 150.318 |
94 | 2010年 | ダリオ・フランキッティ | ダラーラ・ホンダ | チップ・ガナッシ・レーシング | 500 | 161.623 |
95 | 2011年 | ダン・ウェルドン | ダラーラ・ホンダ | ブライアン・ハータ・オートスポーツ | 500 | 170.265 |
- ^ 降雨によって途中で打ち切られたレースには(雨)と付けた
- ^ 太字はその時点での最速記録
- ^ 1916年のレースはレース距離300マイルとして開催された
- ^ 1924年のレースでは、ローラ・L・コラムがスタートさせた車をレース途中でジョー・ボイヤーが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
- ^ 1941年のレースでは、フロイド・デイビスがスタートさせた車をレース途中でマウリ・ローズが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
- ^ a b 1965年のチーム・ロータスと1974年のマクラーレンは、同年にF1のコンストラクターズタイトルも獲得している
- ^ 平均レース時速最速記録。時速299.307km。
[編集] 記録
[編集] ドライバー
[編集] 勝利数
回数 | ドライバー | 年 |
---|---|---|
4 | A・J・フォイト | 1961年、1964年、1967年、1977年 |
アル・アンサー | 1970年、1971年、1978年、1987年 | |
リック・メアーズ | 1979年、1984年、1988年、1991年 | |
3 | ルイス・メイヤー | 1928年、1933年、1936年 |
ウィルバー・ショウ | 1937年、1939年、1940年 | |
マウリ・ローズ | 1941年、1947年、1948年 | |
ジョニー・ラザフォード | 1974年、1976年、1980年 | |
ボビー・アンサー | 1968年、1975年、1981年 | |
エリオ・カストロネベス | 2001年、2002年、2009年 | |
2 | トミー・ミルトン | 1921年、1923年 |
ビル・ブコビッチ | 1953年、1954年 | |
ロジャー・ウォード | 1959年、1962年 | |
ゴードン・ジョンコック | 1973年、1982年 | |
エマーソン・フィッティパルディ | 1989年、1993年 | |
アル・アンサーJr. | 1992年、1994年 | |
アリー・ルイエンダイク | 1990年、1997年 | |
ダリオ・フランキッティ | 2007年、2010年 | |
ダン・ウェルドン | 2005年、2011年 |
[編集] 連勝
2連勝したドライバーが5名いる(3連勝以上したドライバーは存在しない)。
- ウィルバー・ショウ(1939年・1940年)
- マウリ・ローズ(1947年・1948年)
- ビル・ブコビッチ(1953年・1954年)
- アル・アンサー(1970年・1971年)
- エリオ・カストロネベス(2001年・2002年)
[編集] 他カテゴリとの間の記録
- モナコグランプリ、ル・マン24時間レースと関係する記録は世界三大レースを参照のこと
- アメリカ合衆国の他カテゴリと複数制覇
ドライバー | インディ500優勝 | CART/IRLチャンピオン | デイトナ500優勝 | デイトナ24時間レース優勝 |
---|---|---|---|---|
ジミー・ブライアン | 1958年 | 1956年、1957年 | — | — |
ロジャー・ウォード | 1959年、1962年 | 1959年、1962年 | — | — |
A・J・フォイト | 1961年、1964年、1967年、1977年 | 1960年、1961年、1963年、1964年、 1967年、1975年、1979年 |
1972年 | 1983年、1985年 |
ボビー・アンサー | 1968年 | 1968年、1974年 | — | — |
マリオ・アンドレッティ | 1969年 | 1965年、1966年、1969年、1984年 | 1967年 | 1972年 |
アル・アンサー | 1970年、1971年、1978年、1987年 | 1970年、1983年、1985年 | — | 1985年 |
マーク・ダナヒュー | 1972年 | — | — | 1969年 |
ゴードン・ジョンコック | 1973年、1982年 | 1976年 | — | — |
ジョニー・ラザフォード | 1974年、1976年、1980年 | 1980年 | — | — |
リック・メアーズ | 1979年、1984年、1988年、1991年 | 1979年 | — | — |
トム・スニーバ | 1983年 | 1977年、1978年 | — | — |
ダニー・サリバン | 1985年 | 1988年 | — | — |
ボビー・レイホール | 1986年 | 1986年、1987年、1992年 | — | 1981年 |
エマーソン・フィッティパルディ | 1989年、1993年 | 1989年 | — | — |
アル・アンサーJr. | 1992年、1994年 | 1990年、1994年 | — | 1986年、1987年 |
ジャック・ヴィルヌーヴ | 1995年 | 1995年 | — | — |
バディ・ラジアー | 1996年 | 2000年(IRL) | — | — |
ケニー・ブラック | 1999年 | 1998年(IRL) | — | — |
ファン・パブロ・モントーヤ | 2000年 | 1999年(CART) | — | 2007年 |
ジル・ド・フェラン | 2003年 | 2000年、2001年(CART) | — | — |
ダン・ウェルドン | 2005年、2011年 | 2005年(IRL) | — | — |
サム・ホーニッシュJr. | 2006年 | 2001年、2002年、2006年(IRL) | — | — |
[編集] ゲームソフト
日本では、トミー(現:タカラトミー)から、1997年5月23日に、プレイステーション用ゲームソフトとして、Indy500がリリースされた。 Indy500の日本での知名度は低いが、当時の大ヒットゲームとなった。また、セガからもアーケードゲームとしてインディ500 がリリースされた。
[編集] 日本人ドライバーとINDY500
1991年ヒロ松下の参戦後、数多くの日本人ドライバーが挑戦しており、最高位は2003年に高木虎之介が記録した5位。以下参戦ドライバーと決勝順位を記載する。
- ヒロ松下 1991年 16位、1992年 DNQ(予選中の怪我による)、1993年 18位、1994年 14位、1995年 10位
- 桃田健史 1992年 DNQ
- 松田秀士 1994年 24位、1995年 15位、1996年 8位、1999年 10位、2000年 DNQ(予選中の怪我による)
- 服部茂章 2001年 DNQ、2002年 20位、2003年 30位
- 中野信治 2003年 14位
- 高木虎之介 2003年 5位、2004年 19位
- ロジャー安川 2003年 10位、2004年 10位、2005年 18位、2006年 16位、2007年 21位、2008年 DNQ
- 松浦孝亮 2004年 11位、2005年 17位、2006年 15位、2007年 16位
- 武藤英紀 2008年 7位、2009年 10位、2010年 28位
- 佐藤琢磨 2010年 20位、2011年 33位
[編集] テレビ放送
- 日本では、かつてTBSやテレビ朝日で全国放送されていたが、現在は地上波では後日、深夜に日本テレビでダイジェストが放送される。衛星放送ではGAORAが生中継している。なおGAORAではインディカー・シリーズを全戦放送している。アメリカではABCが毎年生中継をしている。
[編集] エピソード
[編集] 優勝者は牛乳を飲む
インディ500では、優勝したドライバーは牛乳を飲むという習慣がある。1933年、ルイス・メイヤーは自身二度目の優勝を飾ったが、レース終了後にバターミルクをリクエストした。ルイス・メイヤーは1936年にも自身三度目の優勝をし、この際もバターミルクをリクエストしたが、コップではなくボトルで手渡され、それをそのまま飲んだ。その飲んでいる写真が牛乳会社の目に止まり、それ以降優勝者には牛乳が提供されるようになった。(1947年から1955年までの間を除く)
唯一この習慣に従わなかったのがエマーソン・フィッティパルディで、1993年の優勝時には自身がブラジルでオレンジ農園を営んでいるという理由から、牛乳の代わりにオレンジジュースを一気飲みした[4]。
[編集] アナウンス
レース開始前のエンジン始動の有名なアナウンス「(A(One) lady/Ladies and) gentlemen, start your engines!」は、現在インディアナポリス・モーター・スピードウェイを所有するハルマン家の当主マリ・ハルマン・ジョージが行っている。
元々はマリの父であるトニー・ハルマンがアナウンスを行っていたが、1977年に死去し、翌1978年からはトニーの妻でありマリの母であるメアリー・フェンドリッチ・ハルマンが行うようになった。しかしメアリーも1998年4月に死去。それにともない、1998年からは娘のマリが引き継いでいる。ただし1982年と2007年はインディアナポリス・モーター・スピードウェイの場内放送アナウンサーだったトム・カーネギーが行っている。
かつてはレースに参加するドライバーは男性ばかりだったので、アナウンスの台詞は「Gentlemen, start your engines!(紳士諸君、エンジンを始動してください)」だったが、女性ドライバーが参加するようになり、セリフは「A(One) lady and gentlemen, start your engines!(淑女と紳士諸君~)」と改められ、女性が複数人参加するようになった現在ではセリフも複数形に改められ「Ladies and gentlemen, start your engines!」となっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- インディ500公式ウェブサイト - 英語
- インディアナポリス・モーター・スピードウェイ公式サイト - 英語
[編集] 脚注
- ^ 世界選手権から外れた直後の1960年代には、いくつかの参戦例がみられる。
- ^ ただし、新たにアテンプトを行なう場合は、1つ前のアテンプトの記録を抹消しなければならない。(ポール・デイのセグメント2を除く)
- ^ そのため、あくまでも暫定予選33位=もっとも遅いドライバーになるとは限らない
- ^ インディ500とは? Vol.3
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