北区 (大阪市)

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きたく
北区
Umeda-skybuilding-day.jpg
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27127-6
面積 10.33km²
総人口 112,891
推計人口、2011年11月1日)
人口密度 10,930人/km²
隣接自治体
隣接行政区
大阪市:都島区福島区西区
淀川区東淀川区中央区
区の花 バラ
区のキャラクター のんちゃん・すーちゃん
北区役所
所在地 〒530-8401
大阪府大阪市北区扇町二丁目1番27号
北区役所
外部リンク 北区ホームページ
大阪市北区の位置

北区 (大阪市)位置図

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西梅田の超高層ビル群
ダイヤモンド地区の超高層ビル群

北区(きたく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。区の北側には淀川が、東側には大川が、南側には堂島川土佐堀川が流れている。(大川、堂島川、土佐堀川は同じ河川)

目次

[編集] 概要

区の中心部は全国有数の規模を持つ繁華街「梅田」で、デパートや商業施設、超高層ビル群などが立ち並ぶ。また放送局や新聞社などのマスメディアも数多く立地し、中之島には大阪市役所日本銀行大阪支店もあるなど、重要な施設が集中しているのも北区の特徴である。1990年代以降は西梅田地区の再開発が盛んで高層ビルが相次いで完成している。また、梅田貨物駅になっている北梅田(地名は大深町)地区でも大規模な再開発が行われる予定である。この様に都会的な面がある一方で、大川沿いの区東部には商店街としては長さ日本一である「天神橋筋商店街」があり、長柄・本庄・中崎町など路地には長屋町屋が密集していたり、都市再生機構の大規模住宅団地 淀川リバーサイドタウン『さざなみプラザ』があるなど下町的な情緒も残っている。

区の代表駅、または大阪市の代表駅で、西日本最大の駅でもある大阪駅梅田駅)は、古くから大阪府北摂豊中吹田茨木高槻など)、兵庫県神戸市阪神間・播磨など)、中国四国九州側、京都府京都市長岡京市など)、滋賀県岐阜県愛知県や、福井県を含む北陸地方関東地方からの大阪の玄関口としての地位を占め続けている。JR各線阪急線阪神線から入ると最初のターミナルのため、兵庫県民・京都府民・滋賀県民(いわゆる兵庫府民滋賀府民)の利用者が多い。

人口は常住人口約100,000人に対し、昼間人口が約434,000人と格差が激しい。これは都心に位置している為である。ただ、バブル期には地価高騰で減少傾向にあった常住人口も、現在は都心回帰の指向が強くなっている事から増加傾向にあり、2005年7月時点の北区の推計人口は再び10万人の大台に達した。区内の角田町は西日本一の地価である。

[編集] 地域

[編集] 隣接している区

[編集] 歴史

  • 旧北区
  • 旧大淀区
    • 1925年(大正14年) - 大阪市第二次市域拡張により西成郡から大阪市に編入される。のちの大淀区に該当する区域はおおむね、東淀川区となった旧西成郡中津町・豊崎町の大半と、西淀川区となった西成郡鷺洲町の東部にあたる。
    • 1943年(昭和18年) - 東淀川区のうち淀川南岸の地域を中心に、また北区・西淀川区・此花区の一部もあわせて大淀区になる。

1989年平成元年)2月13日に北区と大淀区の合区によって誕生。

旧北区は江戸時代からの都市だった地域で、蔵屋敷が並ぶ中之島、米取引の中心になるなど商家の多い堂島、青物市場が淀川沿いに並び、商業が盛んな一方大阪天満宮や寺町があるなど閑静な文化地区でもあった天満などからなっていた。一方、市の北の歓楽街となっていた曽根崎より北の梅田は水田地帯であり、その北の茶屋町は菜の花畑を見るための茶屋が立ち並ぶほどの農村で、更に北の中津など旧大淀区は中津川沿いの近郊農村であった。

明治以降、天満には国の造幣局の建設を皮切りに金属工業が栄え、中之島は蔵屋敷がなくなった後に市役所、学校、中央郵便局などが相次いで立ち並び、東端は公園となった。また梅田には東海道線の鉄道駅・「梅田ステンショ」(大阪駅)が建設され、大阪の表玄関として変貌した。旧大淀区では、中津川のあった場所には洪水対策として淀川の放水路・新淀川が建設され、多くの村が立ち退きにあったが、次第に大阪市街地に取り込まれ住宅地・工業用地になっていった。

昭和初期には大阪ビルヂング大阪朝日新聞大阪毎日新聞などのオフィスビルが並び、阪急や阪神など電鉄会社のターミナルには百貨店が併設され、映画館や劇場も並ぶなど旧東区・旧南区に並ぶ都心となった。大阪大空襲でほとんどの地区は焼け野原となり大阪駅前は闇市になったが、戦後数十年をかけて区画整理された結果高層ビル街となった。また梅田に各種交通機関のターミナルが集中する利便性から、商業集積地としては心斎橋など伝統的な中心地を次第に凌ぐようになり、大阪市内のオフィスも梅田周辺に集まるようになった。

[編集] 人口

北区の人口推移
世帯数 人口 人口増減率
(前回比)
1950年(昭和25年) 26,905 109,905
1955年(昭和30年) 30,346 137,553 +25.16%
1960年(昭和35年) 33,704 146,092 +6.21%
1965年(昭和40年) 33,846 130,019 -11.00%
1970年(昭和45年) 28,545 102,149 -21.44%
1975年(昭和50年) 28,033 86,425 -15.39%
1980年(昭和55年) 33,447 87,969 +1.79%
1985年(昭和60年) 36,692 91,285 +3.77%
1990年(平成2年) 37,706 87,447 -4.20%
1995年(平成7年) 39,043 85,487 -2.24%
2000年(平成12年) 47,386 91,952 +7.56%
2005年(平成17年) 55,081 100,385 +9.17%
2010年(平成22年) 108,878 +8.46%

※2010年は9月1日現在の推計人口

[編集] マスメディア

[編集] 新聞

産経新聞大阪本社が梅田二丁目の大阪サンケイビル(現・ブリーゼタワー)にあったが、2005年8月8日浪速区湊町二丁目の難波サンケイビルに移転した。
大阪日刊スポーツ新聞社(現:日刊スポーツ新聞西日本)が2005年11月9日に、豊中市服部寿町から中之島二丁目の「新朝日ビルディング」に完全移転したが、新朝日ビルの建て替えのため2009年1月1日福島区福島三丁目の阪神ダイヤビルに移転した(但しそれ以前から福島区にあった西大阪支社で運営していた広告・販売チームの部門は2002年から中之島支社として既に移転していた)。
※=2008年1月1日に北区本庄西から野崎町の読売大阪ビルに移転。

[編集] テレビ・ラジオ

朝日放送の本社が北区大淀南に存在したが、2008年5月18日に本社機能を移転し、同年6月23日福島区福島の再開発施設「ほたるまち」に完全移転した。

[編集] 交通

[編集] 鉄道

2008年10月19日に開業。京阪初の北区内の路線である。

[編集] 道路

[編集] 教育

[編集] 大学

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

大阪市立

  • 生徒数減少に伴う統廃合により閉校
    • 大阪市立菅南中学校、大阪市立扇町中学校 - 1995年に統合で天満中学校になる。

[編集] 小学校

大阪市立

  • 児童数減少に伴う統廃合により閉校(いずれも大阪市立)
    • 堂島小学校 - 1986年、曽根崎小学校へ統合し廃校。
    • 曽根崎小学校、梅田東小学校 - 1989年に統合し廃校。大阪北小学校を統合新設。
    • 北天満小学校、済美小学校 - 2004年に統合し廃校。扇町小学校を統合新設。
    • 大阪北小学校 - 曽根崎・梅田東の2校統合で1989年に開校。2007年に扇町小学校に統合し廃校。
    • 中津南小学校 - 2010年に中津小学校に統合し廃校。

[編集] 特別支援学校

[編集] 名所・旧跡・文化・観光施設

[編集] 北区に本社を置く企業

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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