フィジー

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フィジー共和国
Republic of Fiji英語
Matanitu ko Vitiフィジー語
フィジーの国旗 フィジーの国章
国旗 国章
国の標語: Rerevaka na Kalou ka Doka na Tui
(フィジー語: 神を畏敬し、女王を尊敬する)
国歌: God Bless Fiji
フィジーの位置
公用語 英語フィジー語
ヒンドゥスターニー語ヒンディー語ウルドゥー語
首都 スバ
最大の都市 スバ
政府
大統領 エペリ・ナイラティカウ
首相 ジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ(暫定)
面積
総計 18,270km²151位
水面積率 極僅か
人口
総計(2008年 849,000人(158位
人口密度 48人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 57億[1]フィジー・ドル
GDPMER
合計(2008年 35億[1]ドル(147位
GDPPPP
合計(2008年 36億[1]ドル(152位
1人あたり 4,185[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1970年10月10日
通貨 フィジー・ドルFJD
時間帯 UTC +12(DST: あり(2009年11月末より復活))
ISO 3166-1 FJ / FJI
ccTLD .fj
国際電話番号 679

フィジー共和国(フィジーきょうわこく)、通称フィジーは、オセアニア国家で、イギリス連邦加盟国(2009年より完全資格停止)である。首都はビティレブ島スバ。南太平洋のフィジー諸島と北に500㎞程離れた保護領のロツマ島に位置する島国である。300余の火山島と珊瑚礁からなる。西にバヌアツ、東にトンガ、北にツバルがある。

目次

[編集] 国名

正式名称は、Republic of Fiji(リパブリック・オブ・フィージー)。通称、Fiji

日本語の表記は、フィジー共和国。通称、フィジー。他に、フィジイ、フィジィ。

1998年フィジー共和国からフィジー諸島共和国へと改称したが、2011年2月に再度フィジー共和国に戻った。また、漢字では「斐濟」と表記する。

[編集] 歴史

[編集] 政治

パプアニューギニアと並ぶ南太平洋の島嶼国のリーダーで、現在は軍事政権。軍事政権は、2009年3月に民政復帰のための総選挙を実施するとしていたが、延期することを明らかにした。2009年4月高裁が軍事政権を違法と判断を下したため、イロイロ大統領は憲法を廃止して自らが政府の実権を握ったと言明し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に再任し、国内に30日間の非常事態宣言を発令し、総選挙を2014年に先送りすると表明した。軍事政権はメディアへの検閲を開始し、オーストラリアABC放送の記者らを国外退去させた。市民生活は通常通り。

本来は、大統領元首に戴く象徴大統領制、首相が行政権を掌握する議院内閣制で、議会二院制であるが、イギリス国王を元首に戴く立憲君主制への復帰も検討されている。

[編集] 対外関係

フィジーは伝統的に、日本やオーストラリア、ニュージーランドなど、アジア・太平洋諸国との関係を重視してきたが、軍事政権樹立後は民生復帰や民主化への対応をめぐって内政干渉を行うオーストラリアやニュージーランドと対立している。遂には、両国大使のフィジーからの退去を命ずる一方、オーストラリアとニュージーランド政府もフィジー大使の国外退去を命じる局面もあった。

[編集] オーストラリアとニュージーランドとの関係

オーストラリアとニュージーランドとの貿易はシンガポールについで大きく、オーストラリアからフィジーは小麦粉や食料品その他を輸入している。ニュージーランドからは牛乳や肉その他食料品の輸入が多い。 フィジーにはビジネス目的に暮らしているオーストラリア人やニュージーランド人も多く、Fiji Australia Business Council や Fiji New Zealand Business Councilもある。 貿易以外にフィジーのリゾートはオーストラリア人やニュージーランド人経営が多く、Fiji Australia Business Councilは、オーストラリア政府のフィジー政府に対する姿勢をビジネス促進に対する障害として批判する発言をだしたこともある。

[編集] 中国の進出

オーストラリアとニュージーランドの度重なる内政干渉による圧力のため、近年フィジー軍政は新たな活路として中国との関係を強化している。以前は、ほとんどいなかったとされる中国人がフィジーを訪れるようになり、年間1万人にまでになった。このため首都スバ市内には中国人経営の店舗が拡大している。 2010年にはエアパシフィックとキャセイ航空の共同運航で香港から直行便が就航した。(日本から乗り継ぎ可能)中国人は首都スバにいくビジネスマンが大半でフィジー本島西部ナンディではあまり見かけない。

また、フィジー各地で中国の援助による建築やインフラ整備が進み、娯楽施設や幹線道路、水力発電所を建設している。

中国がフィジーに援助をする狙いは、豊富な漁業資源の獲得にあると見られている。理由は中国の経済成長により、国内のマグロ消費量が多くなっていることがあげられる。近年、中国の遠洋漁船がスバ港で多く見られるようになり、今では7割の外国船が中国の漁船である。また、フィジー最大の水産企業は中国の国営企業3社で、27隻のマグロ漁船で5分の1のマグロを水揚げしている。この国営企業はフィジー軍政のバイニマラマ首相とも太いパイプがある[5]

2008年のチベット騒乱では独立運動を弾圧した中国政府の政策を支持し、人権団体や各国の政治家・メディアから大きな非難を浴びた。

[編集] 領土問題

フィジーの南、トンガの南東およそ400㎞にあるミネルバ・リーフの領有権を主張している。ミネルバ・リーフにおいては1972年1月にユダヤ系アメリカ人のマイケル・オリバーがマイクロネーションとしてミネルバ共和国の独立を宣言したが、周辺のフィジー、トンガ、ナウル西サモアクック諸島自治政府は、オーストラリアやニュージーランドと協議し同年6月にトンガ軍が上陸し占領した。しかし翌月フィジー軍が上陸し領有権を主張、このときはトンガの正式な領有権主張を認めたフィジー政府だったが、再び領有権を主張し2005年国際海底機構に提訴した。また、ミネルバ共和国の後継を主張するメンバーがミネルバ公国として再度領有権を主張するなど混乱が続いている。

[編集] 地方行政区分

フィジーの地図

詳細は「フィジーの行政区画」を参照

フィジーは、4つの地域(division)という行政区画に分かれる。()内は地域政府所在地。

群島の北部にあるロツマ島は、保護領である。

[編集] 経済

主に農業や衣料や観光で成り立っている。観光で得る収入は2億7000万ドルにのぼり、耕地面積は26万haある。農業に従事する人は13万人いる。輸出可能な商品はほとんどなく、貿易は大幅な輸入超過である。

[編集] 観光

2010年度の調査では、フィジーを訪れた観光客は631,868人で2009年より16.5% 増加した。オーストラリア人観光客が50.4%を占めて一番多く、前年より28%増加して31万8135人。2位はニュージーランド 97857人、3位はアメリカ 53122人、4位は南太平洋諸国 39198人、5位はヨーロッパ諸国 30088人。

[編集] 情報・通信

フィジーの主要放送局はフィジーワンと、Mai TVがあり、そのほか有料のスカイTVもある。インターネットはConnect, Kida net, Vodafone など各社がある。 フィジーにもキャンパスを設置する南太平洋大学プロバイダを行っている。 新聞は売店などで80セントから90セントで手に入る。新聞は英語のフィジータイムス、フィジーサンのほか、フィジー語やヒンドゥー語の新聞が発行されている。

[編集] 国民

住民は、フィジー系が51%、インド系移民が44%、ヨーロッパ人や他の太平洋の島民、華人などが5%である。

宗教は、キリスト教が52%、 ヒンドゥー教が38%、イスラム教が8%、その他2%である。

言語は、英語フィジー語ヒンディー語フィジー・ヒンディー語)が公用語。

[編集] フィジー系とインド系の対立

先住民であるフィジー系と、イギリスが植民地時代に強制入植させた新しい住民であるインド系の対立がある。

フィジー系のみで構成される伝統的社会指導者評議会 (GCC) による大統領任命が行われるなど、歴史的には政治面でのフィジー系の優遇政策がとられてきたのが主な原因であるが、ビジネスに長けたインド系へのやっかみも対立の原因である。1999年5月の総選挙でインド系首相が就任したが、2000年5月にフィジー系の政治的優位の強化を主張する武装勢力によるクーデターが発生した。ただし、現政権によってGCCは廃止された。

ライセニア・ガラセ政権がフィジー系・インド系の対立の改善を図るが、2000年のクーデターでフィジー系の攻撃標的にされた軍司令官が宥和政策の実施を行うための法律は、実は2000年クーデター参加者の特赦が目的であると、これを拒否、2006年12月ガラセ首相を強行解任。大統領が司令官の方針に同調。

近年はフィジー系とインド系の結婚が進み、ハーフも多い。 現政権はフィジー系とインド系の融合で、現政権のトップはフィジー人のバイニマラマであるが、国のナンバー2である司法長官はインド系の元弁護士カイユンAiyaz Sayed-Khaiyumであり、カイユンは2011年3月にフィジー系女性と結婚した。

[編集] 文化

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元旦    
3月-4月 (イースター前の金曜日) 聖金曜日   移動祝日
3月-4月 (イースター前の土曜日) 聖土曜日   移動祝日
3月-4月 イースター   移動祝日
5月 青年の日   移動祝日
5月 ラトゥー・サー・ララ・スクナ・デー   移動祝日
6月 女王誕生祭   移動祝日
10月 フィジー・デー   移動祝日
11月 ディーワーリー   移動祝日
12月25日 クリスマス    
12月26日 ボクシング・デー    
ヒジュラ暦ラビー・アル=アウワル月12日 預言者生誕祭   移動祝日

[編集] 建築

ブレ

各村には、集会などに用いられるブレと呼ぶ建物がある。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 参考文献

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[編集]

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1]
  2. ^  『中国の援助、フィジーのクーデター以降急上昇』国際機関太平洋諸島センター http://www.pic.or.jp/news/080505.htm#2
  3. ^ PIF PRESS STATEMENT 2 May 2009
  4. ^CNN」日本語版サイト 2009年9月2日付。http://www.cnn.co.jp/world/CNN200909020012.html
  5. ^ NHKbs1「きょうの世界」 2009年6月2日放送回より。

[編集] 外部リンク

政府

日本政府

観光

その他


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