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【望 〜都の空から】

光が丘 平和への軌跡

公園の広大な緑に寄り添うように集合住宅が立ち並ぶ光が丘=本社ヘリ「おおづる」から(安江実撮影)

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 数奇な歴史を物語るように、周りとは異質な街並みが浮かぶ。「21世紀型のニュータウン」を掲げて、光が丘と名づけられた地域だ。東京23区で最大規模の団地があり、光が丘公園は日比谷公園の4倍の広さで7万本を超す木々が生い茂る。

 戦時中はこの地に成増飛行場が建設され、特攻隊も出撃した。戦後は接収されて駐留軍の家族宿舎になり、米国18代大統領だったグラント将軍にちなみ「グラントハイツ」と呼ばれた。

 183ヘクタールもの広大な土地が日本に全面返還されたのは1973年9月で、今年でちょうど40年。日本の法律が及ばないグラントハイツには町名がなく、返還に向けて練馬区は新たな名称を検討することに。緑が丘や緑台、青葉台、若葉台も候補に挙がっていたという。

 「光が丘学」と題して地域史をまとめた元都立光丘高校教諭の加藤竜吾さん(49)は、この地域の変遷から「反戦」というキーワードに着目する。「平和な魅力ある街としていつまでも残すためにも、ここまでの足跡を意識していかなければならない」

 水遊びをする子どもたちの歓声とせみ時雨が響く公園の祈念碑が、平和ならばこその光が丘の歩みを思い起こさせてくれる。 (石川修巳)

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東京新聞フォトサービス

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