サブカルチャー
サブカルチャー(英: subculture)とは、メインカルチャーと対比される概念である。1960年代から70年代前半までは反体制的なカウンターカルチャーが主流だったが、70年代後半以降、形骸化・商業主義化し、サブカルチャーに変質していったとの見方もある[1]。サブカルチャーは「サブカル」と略されることも多い。
主流文化に対し、一部の集団を担い手とする文化を指す用語で、副次文化ないし下位文化とも訳される。用語の起源は1950年に社会学者のデイヴィッド・リースマン[2]が使用したのが最初である。意味は「主流文化に反する個人のグループ」というもの。アメリカではこの場合の「サブ」とは、社会的マジョリティの文化・価値観から逸脱した、エスニック・マイノリティやLGBTといった「少数派集団」のことを指している。また、サブカルチャーは、「マス・メディアの商業主義文化」とは異なる文化財、アート、価値観、行動様式など、本来の「文化」に近いものを指す。
概要
ハイカルチャー[3]が受け手側にある程度の素養・教養を要求するのに対し、サブカルチャーは受け手を選別しない。サブカルチャーのサブは補う、第二のといった意味もある。つまり、映画、漫画、アニメ、タレント、アイドル、声優、特撮、ライトノベル、ポップミュージック、商業主義に走ったロック[4]、娯楽映画などは大量生産・大量消費される商品だった。そのため、低く見られる傾向が強かった。しかし、1990年代以降か21世紀にはサブカルチャーは、ハイカルチャーやメインカルチャーと同程度の影響力を持つようになってきた。
日本では「ハイカルチャー対サブカルチャー」という文脈においてサブカルチャーという言説が用いられているが、欧米ではむしろ、社会の支配的な文化(メインカルチャー)に対する、マイノリティの文化事象を指す言葉として使われている[5]。
日本では特撮、アニメ、アイドルといった趣味を指す場合にサブカルチャーという用語が使用されることも多い。それらは1980年代に一般化しており、サブカルチャーとして定義するのは当初、拡大解釈だった。現在では大衆文化の一つとしてあげられる。「欧米の研究」では日本のサブカルチャーは、サブカルチャー研究の領域というよりも、むしろ「メディア文化研究」に含まれる。
詳細
かつて文化と考えられたものは、ハイカルチャー(学問、文学、伝統的美術、クラシック音楽など)であり、ブルジョア階級や知識人、教養ある人々に支持されるものであった。文化を享受するには一定の教養が必要であり、少数者のものであった。
20世紀になって、大衆文化の時代になると、こうした文化観は次第に変化していった。大衆の一部はハイカルチャーを身に付けようと努力し、例えば文学全集を応接間に並べることが流行する、といった現象が見られた。第二次世界大戦後には知識人と呼ばれる人たちも次第に大衆文化(映画、マンガ)に注目するようになった。例えば映画のジャンルも分化し、大衆向けの娯楽に徹するものと、芸術性を主張し表現するものが並存するようになった。
1960年代には、アメリカのベトナム反戦運動や公民権運動、ヒッピームーヴメントを始め、各国で既成の体制や文化に対する「異議申立て」が行われた。これはカウンターカルチャーとも呼ばれた。しかし社会の保守化による荒廃にともない、文化の意味付けが変化してきた結果、カウンターカルチャーが衰退し、それに代わるサブカルチャーが注目されるようになった。
日本のサブカルチャー
上述のように日本におけるサブカルチャーと海外、特に英米におけるサブカルチャーはその意味する所が大きく異なった。これは80年代の保守化に対し警告をするためのカルチュラル・スタディーズが、重要な課題であったアメリカやイギリスとは異なり、日本では社会学や民俗学の分野で、国内のマイノリティが研究対象となることが少なかったことが大きい。
1980年代に入ると、ニュー・アカデミズムが流行し、専門家以外の人間が学問領域、特に社会学や哲学、精神分析などの言葉を用い学際的に物事を語るようになった。サブカルチャーという言葉もこの頃日本に輸入され、既存の体制、価値観、伝統にあい対するものとして使われた。これらの流れは多くの若い知識人や学生を魅了し、「80年代サブカルチャーブーム」と呼ばれる流行を作り出した。この頃のサブカルチャーは現在よりも多くの領域を包含し、漫画、アニメ、オタク、コンピューター・ゲーム以外にも、声優、アイドル、芸能人、サイバーパンク、オカルト、鉄道マニアなどもサブカルチャーと見なされることがあった。しかし、1980年代サブカルチャーに共通していえることはマイナーな趣味であったということであり、この段階で既に本来のサブカルチャーの持っていたエスニック・マイノリティという要素は失われていた。確かに幾つかの要素は公序良俗に反すると見なされたという点で既存の価値観に反抗していたが、それらは1960年代のカウンターカルチャーが持っていた公民権運動や反戦運動などの政治的ベクトルとは無縁であった。もともと社会学におけるサブカルチャーという用語は若者文化をも含んでいたが、「エスニック・マイノリティ」という概念の無い1980年代の日本のカルチャーは保守化していった。この変化には、日本における民族問題意識の希薄さ以外にも、サブカルチャーという概念の輸入が社会学者ではなく、ニュー・アカデミズムの流行に乗ったディレッタント(英、伊: dilettante。好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)によって行われたことも関連している。研究者ではない当時の若者たちにとっては学術的な正確さよりも、サブカルチャーという言葉の持つ、差異化における「自分たちはその他大勢とは違う」というニュアンスこそが重要であったともいえる。
この頃のサブカルチャーは複数の要素を内包しつつも、ジャンル間に横の繋がりは希薄で、場合によっては複数の分野を掛け持ちすることはあったものの、基本的に愛好者たちは別々の集団を形成していた。しかし1990年代に入ると転機が訪れる。メディアミックスの名の下に漫画、アニメといったジャンルの統合が進んだのである。漫画がアニメ化され、アニメが小説化されるという現象によってこれらのジャンルは急速に接近し、俗に「おたく文化」と呼ばれる、その他サブカルチャーから突出した同質性を持つ集団を形成するようになる[6]。現在では、この「おたく文化」が、過半数を占めるかはさておいて、サブカルチャーの最大与党であり、サブカルチャーそのものという見方すらされている[7][8]。
論争
本来のカルチュラル・スタディーズにおけるサブカルチャーは階級に関連した政治的色彩を帯びたものであった。1980年代日本のサブカルチャーは、そこから政治色を表面的に無視して、趣味の領域への限定を装ったものである。これは実態とはかけ離れた「一億総中流」「単一民族国家」という言説が大きな抵抗も無く通用したことを考えると致し方のないことにも思われる。その後おたく文化=サブカルチャーという見方がされるようになる。
日本ではサブカルチャーという言説が一人歩きしている。特にカルチュラル・スタディーズの専門家からは1980年代サブカルチャーブームを、日本において独自進化を遂げたものとして、その意義を認めようとする動きが出ている[9]。しかし、それもストリート・カルチャーやテクノ、ヒップホップなど、カルチュラル・スタディーズにおけるサブカルチャー研究で既に経験済みであった要素までである。研究者の側からすれば未知の分野であるオタク文化の形成等に興味が無く、漫画、アニメをサブカルチャーから切り離しているようである[10]。
1980年代サブカルチャーの側は、そもそもカルチュラル・スタディーズの概念に無関心である。もともと正規の学問の場を離れることを特徴の一つとしたニューアカデミズムの影響もあり、彼らのサブカルチャーは、起源を切り捨て独自進化を遂げたサブカルチャーの概念からメインカルチャーをも規定した[11]。文化・メディア研究に詳しい上野俊哉は宮台真司らによるメインカルチャーの定義は、むしろハイカルチャーの概念に近いものであることを指摘している[12]。
おたく文化としてのサブカルチャーは単純である。1980年代サブカルチャーブームが終了した後には、むしろマッチョなストリート・カルチャーなど、一部の1980年代サブカルチャーを敵視する場合もある。そのため、同じサブカルチャーという言葉を用いているにもかかわらず、まったく別の事柄について論じている場合が多々見られる[13]。
音楽・ファッション
音楽やファッションの場合、企業はあらゆる製品の販売において価値のあるクールを求めて、サブカルチャーの破壊的な魅力を利用しようとする。文化の盗用のこのプロセスは、そのメンバーが主流の社会とは異質に見える新しいスタイルを採用するため、サブカルチャーの死または進化をもたらすことがよくある。
音楽ベースのサブカルチャーは、このプロセスに対して特に脆弱である。ジャズ、ゴス、パンク[14]、ヒップホップ[15]、レイブ[16]の文化など、歴史のある段階でサブカルチャーと見なされる可能性のあるものは 、短期間で主流の味を表す可能性がある。一部のサブカルチャーは、スタイルの重要性を拒否または変更し、商業的搾取に対してはるかに抵抗力があるイデオロギーの採用を通じてメンバーシップを強調する。パンクのサブカルチャーは、メディアが関心を持った後のファッションの独特で衝撃的なスタイルが、大衆市場のファッション企業で採用された。ディック・ヘブディジは、パンクのサブカルチャーは、ダダやシュルレアリスムと同じ根本的な美的実践を共有していると主張している。 70年代に注目された音楽文化としては、例えばレゲエ[17]があげられる。ジャマイカ音楽であるが、欧米の白人文化に対する抵抗であり、対抗文化(カウンターカルチャー)として評価された。ただし、日本においてはレゲエも対抗文化として受け入れられるよりは目新しい音楽ジャンルの一つとして受容されている。欧米のサブカルチャーが政治的あるいは人種的対立を背景にしており、一定の主張を持ったグループが担うものである点は、日本におけるサブカルチャーとは異なる。
近年では、教養そのものが揺らいでおり、従来ハイカルチャーを支えてきた知識人の一部も大衆文化やオタク文化に注目しているのが現状である。昔は、歴史や古典文学について最低限の知識を持つことは重要で、そうした知識に精通することはハイカルチャーと考えられていた。しかし、21世紀には知らないことを恥じるどころか、歴史や古典文学について無知であることも、恥ずかしくないとする傾向が指摘されている。このように、ハイカルチャーとサブカルチャーの境界、色分けは曖昧となってきている。
一般にサブカルチャーは、個々の主観によって自立して成立する行動様式の理念として昇華した、顔の見える文化だといえる。とはいえインターネットの普及によって、このサブカルチャーは顔の見えない側面も持っていることがある。
LGBTとサブカルチャー
60年代の闘争は、LGBTの存在もクローズアップした。性的なサブカルチャーは、他のサブカルチャーと同様に、主流と区別するために特定のスタイルのファッションとジェスチャーを採用した。70年代のディスコ・ブーム[18]は、音楽的には内容のないものだったが、LGBTの地位向上という文化的な意味は大きかった。戦前から活躍したジュディ・ガーランドは、LGBTのアイコンとなり、虹色が彼らの象徴的なカラーとなった[19]。
LGBTは、20世紀の大きな性的サブカルチャーと見なされていることをバックグラウンドとして、自分自身を表現した。ファッション、音楽、デザインでの表現を含め、21世紀初頭に同性愛がますます受け入れられるようになり、ゲイ文化はもはや世界の一部の大都市や地域ではサブカルチャーとは見なされないケースもある。一部のレズビアンの間でのフェムのアイデンティティや役割は、ドラッグ・キングなどのステレオタイプの服装で独自のサブカルチャーを生み出した。1980年代後半の発展である「クィア運動」は、性行動の規範性を拒否し、可視性と行動主義を広く包含するサブカルチャーと見なすことができる。より広いムーブメントは、クィア研究とクィア理論への学術的関心の高まりと一致していた。性的サブカルチャーの側面は、他のカルチャーに沿って変化する可能性がある。
同義語/反対語
- ポップカルチャー、オタク文化はときには同義語として使用されることもある。「オタク文化」とサブカルチャーが同一視される場合もあるが、両者の微妙な差異にこだわる向きもある(例: 「ユリイカ」2005年8月増刊号 オタクvsサブカル!)。また、オタク文化は、お坊ちゃん文化という面もある。
- メイン・カルチャーが反対語である。メイン・カルチャーの場合、マンガなどのサブカルが少数派の時代は反対語だが、マンガが多数派となり、保守化した場合は、同義語として扱われる可能性もある。
関連人物
関連出版社・メディア
- 月刊漫画ガロ
- 新宿ロフトプラスワン
- 太田出版
- コアマガジン
- 大洋図書
- 宝島社・後に保守化
- 青林堂・ガロを出版・後に右傾化
- 青林工藝舎・青林堂退社組が新たに設立
- 彩図社
- ヴィレッジヴァンガード (書籍・雑貨店)
関連概念・ジャンルなど
書籍
- マーティン A.リー、ブルース・シュレイン 越智道雄訳『アシッド・ドリームズ―CIA,LSD,ヒッピー革命』(第三書館)
- 宮沢章夫編著・「ニッポン戦後サブカルチャー史」制作班『NHKニッポン戦後サブカルチャー史』(NHK出版 2014年)
脚注
- ^ "Contraculture and Subculture" by J. Milton Yinger, American Sociological Review, Vol. 25, No. 5 (Oct., 1960) https://www.jstor.org/stable/2090136
- ^ http://subculture.askdefine.com/
- ^ ハイカルチャーにはクラシック音楽やクラシック・バレエなどがある
- ^ “Pop/Rock » Hard Rock » Arena Rock”. 2020年3月17日閲覧。
- ^ この用語としてはTheodore Roszakが1968年The Making of a Counter Cultureにおいて用いたのが早い用法である
- ^ ササキバラ・ゴウ 『<美少女>の現代史』 講談社、2004年、31-33頁。
- ^ 例えば評論家の大塚英志は特に定義を明言はしないが、(彼の言葉でいえば「キャラクター小説」)などに対してサブカルチャーと用いている。
- ^ ヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館カタログ『OTAKU:人格=空間=都市』所収の宣政佑「おたくの越境」(52頁)など。ただしこのヴェネツィア・ビエンナーレにおける展示自体はおたく文化の空間的特徴や文化的背景に言及したものであり、本来の意味でのサブカルチャーに近いニュアンスである。
- ^ 上野俊哉・毛利嘉孝『実践カルチュラル・スタディーズ』ちくま書房、2002年。
- ^ 成実弘至 「サブカルチャー」吉見俊哉編 『カルチュラル・スタディーズ』 講談社、2001年。
- ^ 加野瀬未友・ばるぼら「オタク×サブカル15年戦争」『ユリイカ8月臨時増刊号 オタクvsサブカル』(青土社、2005年
- ^ 上野俊哉・毛利嘉孝 『カルチュラル・スタディーズ入門』 ちくま書房、2000年、106-109頁
- ^ 解説・川村湊は『日本の異端文学』(集英社、2001年)において「サブカルチャー文学」という語を用いている。ここではサブカルチャーという語はカルチュラル・スタディーズにおけるそれとほぼ同じ意味合いで使われている。大塚英志が『サブカルチャー反戦論』(角川書店、2003年)などで用いる場合はおたく文化のそれを意味している。
- ^ セックス・ピストルズ、ダムド、クラッシュなどが代表
- ^ 79年ごろ誕生し、初期はグランドマスター・フラッシュらが有名だった
- ^ ハウスなど、クラブ音楽を使用したダンス・イベント。イギリスでは反体制色が濃かったため、政府から警戒された
- ^ ボブ・マーリー、サード・ワールド、ジミー・クルフ、メイタルズらが有名
- ^ ドナ・サマー、グロリア・ゲイナー、ダイアナ・ロスらはLGBTのアイコンとなった
- ^ 「オズの魔法使い」の曲「オーバー・ザ・レインボウ」による
関連項目