江ノ島電鉄

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江ノ島電鉄株式会社
Enoshima Electric Railway Co.,Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
東証2部 ' 1949年5月12日~1978年6月30日
略称 江ノ電
本社所在地 日本
〒251-0035
神奈川県藤沢市片瀬海岸一丁目8番16号
電話番号 0466-24-2711
設立 1926年(大正15年)7月10日
(路線開業は1902年(明治35年)9月1日)
業種 陸運業
事業内容 鉄道運輸事業、運行管理受託事業、観光事業、不動産事業など
代表者 代表取締役社長 深谷研二
資本金 3億円
従業員数 439人(2008年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 小田急電鉄 53.5%[1]
神奈川中央交通 8.5%
小田急建設 2.33% 他
主要子会社 江ノ電設備管理株式会社
江ノ電商事株式会社
株式会社江ノ電バス藤沢
株式会社江ノ電バス横浜
外部リンク http://www.enoden.co.jp/
特記事項:登記上の本店所在地は神奈川県藤沢市片瀬海岸1丁目4番7号
  
沿線風景(鎌倉高校前駅付近、2004年11月3日撮影)

江ノ島電鉄株式会社(えのしまでんてつ)は、神奈川県に1つの鉄道路線(江ノ島電鉄線)を有する小田急グループ系の鉄道会社である。本社所在地は神奈川県藤沢市江ノ電(えのでん)と略称される。前社名は江ノ島鎌倉観光株式会社。以前は株式公開していたが、現在は非上場である。

鉄道事業のほか、関係会社の株式会社江ノ電バス藤沢及び株式会社江ノ電バス横浜からの路線バス貸切バス特定バス運行管理受託事業、不動産業観光業も行う。かつては子会社によって百貨店業も営み、藤沢駅に「江ノ電百貨店」もあったが、1985年からは小田急百貨店藤沢店になっている。なお、同ビルは現在も江ノ島電鉄が所有している。

目次

[編集] 歴史

  • 1900年(明治33年)11月25日 江之島電氣鉄道株式会社設立(現在とは別法人)。
  • 1902年(明治35年)9月1日 藤沢 - 片瀬(現・江ノ島)間を開業(開業時は軌道条例に基づく路面電車)。
  • 1903年(明治36年)6月20日 片瀬 - 行合(現・七里ヶ浜)間開業。
  • 1903年(明治36年)7月17日 行合 - 追揚(現在廃止)間開業。
  • 1904年(明治37年)4月1日 追揚 - 極楽寺間開業。
  • 1907年(明治40年)8月16日 極楽寺 - 大町(現在廃止)間開業。
  • 1910年(明治43年)11月14日 大町 - 小町(現在廃止)間開業。
  • 1911年(明治44年)10月3日 横浜電気株式会社という電力会社に買収され、「横浜電気株式会社江之島電気鉄道部」の運営となる。
  • 1921年(大正10年)5月1日 横浜電気が東京電燈株式会社に買収され、同線の運営も引き継ぐ。
  • 1926年(大正15年)7月10日 江ノ島電気鉄道株式会社(現・法人)設立。[2]
    • この会社は大船 - 江ノ島 - 茅ヶ崎間の鉄道敷設を目指して設立されるも、そちらの免許は1930年(昭和5年)に失効。小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅の項目も参照のこと。
  • 1927年(昭和2年) 江ノ島電気鉄道が路線バス事業を開始(1929年(昭和4年)に撤退)。[3]
  • 1928年(昭和3年)7月1日 江ノ島電気鉄道が東京電燈の路線を譲り受け、同社の路線となる。
  • 1931年(昭和6年)10月10日 路線バス事業に再参入。
  • 1938年(昭和13年)10月20日 東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入る。
  • 1944年(昭和19年)11月28日 神奈川中央乗合自動車(現・神奈川中央交通)にすべての路線を譲渡し、路線バス事業から撤退。
  • 1945年(昭和20年)11月27日 地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
  • 1947年(昭和22年)3月15日 東急持ち株の大部分が放出され、東急グループを離脱。
  • 1949年(昭和24年)3月1日 鎌倉駅(旧・小町駅)を国鉄(当時)鎌倉駅構内に移転し、鎌倉駅への乗り入れを開始。
  • 1949年(昭和24年)6月20日 神奈川中央乗合自動車から路線を譲受し、路線バス事業を再開。
  • 1949年(昭和24年)8月1日 江ノ島鎌倉観光株式会社に商号(社名)を変更。
  • 1951年(昭和26年)3月25日 江ノ島園開園。江の島展望灯台(初代平和塔、東横電鉄多摩川園のパラシュート塔を移設改修)竣工。
  • 1953年(昭和28年)8月1日 小田急電鉄の関連会社となる。
  • 1959年(昭和34年)7月23日 江ノ島エスカー営業開始。
  • 1971年(昭和46年)6月21日 従来行っていた続行運転を廃止し、4両編成での運転を開始。
    • このころ、日本テレビ系で放映されたテレビドラマ「おれは男だ! 」に七里ヶ浜での剣道部練習シーンのバックとしてたびたび登場。しかしこの時は江ノ電自体はあまり注目されなかった。
  • 1974年(昭和49年)6月7日 藤沢 - 石上間高架線化。藤沢駅は江ノ電百貨店(現小田急百貨店藤沢店)2階に移転。
  • 1976年(昭和51年)10月17日 江ノ電が注目されるきっかけになったテレビドラマ「俺たちの朝」が日本テレビ系にて放映開始。また、翌1977年(昭和52年)10月24日に放映されたNHK新日本紀行」で江ノ電を扱った「湘南・電車通り」は2回再放送される程の大反響を呼ぶ。
  • 1981年(昭和56年)9月1日 江ノ島電鉄株式会社に商号(社名)を変更。
  • 1990年(平成2年) 1989年度の決算報告において、1975年以来の累積赤字3億5000万円が解消されたと発表。
  • 1998年(平成10年)8月12日 江ノ電バス株式会社設立。以降、バス事業を順次分社。
  • 1998年(平成10年)11月11日 拡張型心筋症を患っていた当時16歳の少年が極楽寺駅近くの極楽寺検車区内で106形108号電車を運転。これはボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・シャパン」を通じて実現したが、少年は3日後の14日に死去。
  • 2002年(平成14年)10月15日 創業100周年を記念して、サザンオールスターズの『鎌倉物語』と原由子の『あじさいのうた』の歌碑が江ノ島駅や長谷駅など6駅で12月29日まで展示。また同時期に藤沢駅と鎌倉駅の発車メロディが『鎌倉物語』になる。これに関する詳細
  • 2003年(平成15年)4月28日 江の島展望灯台竣工(旧展望灯台は解体撤去)
  • 2005年(平成17年)8月27日 1998年11月11日の実話(上記参照)をドラマ化した『小さな運転士 最後の夢』が日本テレビ系24時間テレビ「愛は地球を救う28」の中で放送され、放送後短期間に江ノ電利用者が増加するまでに反響を呼ぶ。それ以外でも何度かメディアで取り上げられている(映画や『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)など)。
  • 2007年(平成19年)3月18日 鉄道全線と路線バスの一部でPASMO導入。同時にSuicaも利用可能に。
  • 2008年(平成20年)12月22日 1998年11月11日に電車を運転した少年(上記参照)の遺族宛に少年を電車の運転士[4]に命ずる辞令書を手渡して「夢の続きとして扱ってください」と江ノ電が表明し話題となる。

[編集] 鉄道事業

鉄道路線図

東京から一時間弱という距離ながら、ローカル線の雰囲気を満喫でき(しかし12分間隔運転なので不便でない)、なおかつ、沿線が日本でも有数の若く明るいイメージの湘南と、かつて幕府があった古都鎌倉であり、著名な観光名所や名勝が多数存在し、さらに車両と路線が特徴的で被写体になりやすい所から、テレビドラマグラビア写真の撮影に利用されることが非常に多い(著作への出演については後述)。

ただの鉄道という範疇から抜きん出て居り、最早、湘南のアトラクションの一つと言える。旅行の記念に電車をバックに記念撮影する風景は他社路線でも見受けられるが、当線が特異なのは乗務員や駅員も一緒に記念写真に入っているアングルを頼む観光客が多いことであり、更に乗務員や駅員も慣れているためか気軽に応じているのが他の鉄道では見られない光景である。

社名の「江ノ島電鉄」で呼ばれることは、小田急江ノ島線JR東海道線JR横須賀線の乗り換え放送で「江ノ島電鉄線」と案内される以外にはほとんどなく、一般人や会社自身も専ら「江ノ電」と呼んでいる。

[編集] 路線

鉄道路線についての詳細は以下の項目を参照のこと。

[編集] 路面電車か鉄道かについての議論

江ノ島 - 腰越間の併用軌道区間

開業時、江ノ電の路線は軌道条例(後に軌道法)に基づく路線(路面電車)であった。その後、大日本帝国軍部による政策において1944年に地方鉄道法による普通鉄道に変更された。そのために道路上を走る列車の長さが50mを超えるが、軌道運転規則による規制(30m以下)とは無関係である。

きわめて小さい車両限界併用軌道区間があることにより、現在でも路面電車の一種として江ノ電が取り上げられることが多い。なお、舗装された一般道路の中央を堂々と走る普通鉄道としては、日本で唯一の路線である(京阪電鉄京津線は軌道であり、上記軌道運転規則の特例なので除く。また、江ノ電と同じように普通鉄道ながら道路の隅を併用軌道で通るのは熊本電気鉄道藤崎線がある)。また七里ヶ浜付近や稲村ヶ崎付近に見られる、道路片側に専用のバラスト軌道を敷設した区間も実は併用軌道であり、その特徴として道路と軌道の間はフェンスなどで仕切られていない。

併用軌道区間だけでなく、開通以来一世紀が経つレンガ積みのトンネル(極楽寺駅 - 長谷駅間)や近代的な鉄橋(鵠沼駅-湘南海岸公園駅間等)、半径28mの急カーブ(竜口寺前・1067mm以上の軌間としては日本最急)、高架(藤沢 - 石上間)、駅ビルの中から発車(藤沢駅)、風情ある山間部(極楽寺駅付近)、湘南の海岸沿い(腰越駅 - 稲村ヶ崎駅間)、神社仏閣が点在する古都鎌倉、手動による転てつ機の転換、迫り来る人家のスレスレを走行(腰越附近)、首都圏では希少な構内踏切(渡線路)・単線ならではの行き違いのための信号所とわずか10kmほどの営業距離でありながら、鉄道の多くの要素に富んでいる路線である。

[編集] 車両

連節台車(長谷駅にて撮影)
日本の1,067mm軌間の鉄道線で最後の新造吊り掛け車・1201F

現存する車両の特色としては、すべての編成において2両1組の連接車であり、これを単編成もしくは2編成をつなげた4両編成(社内呼称では『重連』と呼ばれる)で運行されている。その特殊性から現有車はすべてオリジナル車両であり、305号車を除き、すべてが東急車輛製造製である。

軌道時代の名残りからか、最新車両でも中央運転台方式を選択しており、近年では東急玉川線からの転入車(600形)が左運転台であったが、それ以外は新旧問わず中央運転台方式を踏襲している。

形式間の列車組成に差別は無いが、最古参の300形305編成は車長が短いため繁忙期には車庫で休む傾向が多い。同編成は平行カルダンに改造済で冷房も搭載しているが床は木張り・バス窓・ツーハンドルでありレトロ感から江ノ電のイメージリーダー的車両である。ファンの間では「フローリング車」と呼ばれている。

1000形1001, 1002, 1101, 1201各編成(1979年 - 1983年製)は吊り掛け式であり、特に1201編成は日本国内向けに製造された1067mmゲージの普通鉄道車両では最後の新造吊り掛け式車両である(東急車輛製造製)。1960年製の305号車がカルダン方式に更新されているため、年代の逆転が起きているのも興味深い。

500形はVVVFインバータ車であり、車内ドア上部にJR東日本E231系500番台張りのツインモニターを備え停車駅案内と観光ガイドを放映している。

300形305編成は、左力行・右制動のツーハンドル、その他の車両は右手操作のワンハンドル式であり、いずれも電気指令式制動で形式間の差別無く連結し総括制御が可能。そのため組成の制約が無く、運用にもよるが最新のVVVF車と吊り掛け車が編成を組む日本国内唯一の路線である。ただし、4両編成を組成する場合、吊り掛け車は空制のみになるため、吊り掛け車同士の連結はフェイルセーフのため、あまり行われない。

以上のように、当線は路線距離の短いローカル線にも関わらず、その車両はどれも中小私鉄の域を脱しており、一般イメージとは裏腹に高度な技術が生かされている。そのアンバランスさも興味の一端である。

[編集] 過去の車両


[編集] バス事業

江ノ電バスを参照

[編集] その他

  • 横浜市出身のフォークデュオゆず1999年にリリースしたシングルサヨナラバス』のジャケットには、江ノ電のバスが用いられた。同時に、江ノ電の路線バスの一部車両に、同シングルの広告(車体広告ではない)が掲げられた。
  • 藤沢市の三共自動車学校は、元は江ノ電が設置した江ノ電自動車学校である。
  • 第五代目社長は軽便王の異名を持つ雨宮敬次郎である。
  • オリジナルグッズの製作販売にも、鉄道会社としては異例なほど熱意があり、模型や文具はもちろん、ミネラルウォーターや衣料品、クッキー・パンなどの食料品にも至る品揃えがあり、さらに社外においても『江ノ電』ブランドにこだわった衣料・食品・玩具・文具など多数の品物が存在し、鎌倉宮など鎌倉市内の社寺では『江ノ電お守り』まで販売しているほどである。また、2008年7月から9月までの期間限定で江ノ電史上初となる駅弁も販売されている[5]
  • オリジナルグッズの専門店「江ノ電グッズショップ」が鎌倉駅・江ノ島駅にあり、藤沢駅の売店でも相当数扱っているほか、ネットショップも立ち上げている。また、各地の鉄道展などで客寄せの一番候補としてグッズショップを展開することもあり、関西方面でも実績がある。
  • Bトレインショーティーや鉄道トレーディングカードなどで一番最初に発売されたのは江ノ電のものである。

[編集] 江の島展望灯台・江の島エスカー

江ノ島電鉄が所有経営する、江の島の島内にある展望灯台及び上りのみの屋外エスカレータである。

展望灯台は高さ59.8m(海抜119.6m)で、2003年に旧灯台を建て替えたものである。光到達距離は23.0海里(約46km)で民間灯台としては日本国内最大級である。第48回神奈川建築コンクールにおいて一般建築部門奨励賞受賞を受賞した。中にはカフェショップ、グッズショップ、藤沢市郷土資料館がある。毎日、日没後にライトアップが行われている。周辺はサムエル・コッキング苑となっている。休日などは音楽ライブなどのイベントもよく行われている。

江の島エスカーは、1959年に開業した日本国内初のもので、高低差46mを4連で結ぶ。全長は106m。1連目と2連目が「1区」、3連目が「2区」、4連目が「3区」と呼ばれ、2区もしくは3区からの利用も可能である。また、1区出口と2区入口は少し離れており、辺津宮に立ち寄ることも可能である。所要時間は4分(看板には5分とある)。有料。知らない人にはロープウェイか何かのように誤解されることも多く、エスカーを乗り場へのエスカレータだと思い込んでしまう者も多く、また有料だということを不思議がる者もいる。なお、エスカーを利用せず参道を登ることも可能である。

[編集] 江ノ電が登場する作品

親しみの持てる鉄道として有名なためか、メディアへの露出が多い。なお映画とドラマ、漫画とアニメなど、複数の類似メディアに登場した場合、現版では公開時期が早いメディアのみに振り分けている。

[編集] 映画

[編集] ドラマ

[編集] 漫画

[編集] アニメ

[編集] ゲーム

[編集] その他

[編集] 関連商品

[編集] 脚注

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  1. ^ 平成18年度『鉄道要覧』電気車研究会、2006年 p.248
  2. ^ 江ノ島電鉄ウェブサイト『会社案内』より
  3. ^ 江ノ島電鉄ウェブサイト『当方見聞録』第一章第一回による。
  4. ^ 『毎日新聞』2008年12月20日 東京夕刊『共同通信』2008年12月22日では単に「運転士」、『東京新聞』2008年12月23日『読売新聞』2008年12月23日によれば、少年の父親の知人が寄贈し、この日江ノ島駅で発車式が行われた「模型電車の運転士」。
  5. ^ http://www.ofunaken.co.jp/page053.html

[編集] 外部リンク

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