小田急電鉄

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小田急電鉄株式会社
Odakyu Electric Railway Co.,Ltd.
小田急電鉄本社(写真中央のビル)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9007
略称 小田急、OER
本社所在地 〒160-8309
東京都新宿区西新宿一丁目8番3号
電話番号 03-3349-2054
設立 1948年(昭和23年)6月1日(注1)
業種 陸運業
事業内容 旅客鉄道事業 他
代表者 取締役社長 大須賀賴彦
資本金 603億5,900万円
売上高 単体:1,665億円(2008年3月期)
連結:6,240億円(2008年3月期)
総資産 単体:1兆417億円(2008年3月期)
連結:1兆2,934億円(2008年3月期)
従業員数 単体:3,443名、連結:13,656名
(2008年3月31日現在)
決算期 3月
主要株主 第一生命保険 6.98%
日本生命保険 6.32%
日本マスタートラスト信託銀行(退職給付信託口・三菱電機口) 3.50%
明治安田生命保険 3.03%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 2.97%
(2008年3月31日現在)
主要子会社 小田急バス 100%
小田急百貨店 98%
小田急不動産 100%
小田急箱根ホールディングス 98.1%
江ノ島電鉄 54.0%
関係する人物 利光鶴松
五島慶太
安藤楢六
外部リンク www.odakyu.jp/
特記事項:注1:当時の東京急行電鉄から分離する形で、新設の当社が陸上交通事業調整法による合併前の旧小田急線を引き継いだ。なお、当社鉄道事業を創業した会社の設立(創立)は1923年(大正12年)5月1日(小田原急行鉄道株式会社)
  

小田急電鉄株式会社(おだきゅうでんてつ、英称Odakyu Electric Railway Co.,Ltd. = OER)は、東京都神奈川県に路線を有する大手私鉄小田急グループ108社(2005年10月1日現在)の中核企業。小田急の略称で呼ばれている。創業時の旧名称は小田原急行鉄道

小田急ポイントサービスの加盟事業者。また関東の私鉄・地下鉄22社局による共通乗車カードシステム「パスネット」に加盟していた。

キャッチコピーは「きょう、ロマンスカーで。」・「新しいマークで、小田急は次へ。」・「小田急は、次へ。」であり、2007年の小田原線開業80周年に際しては、「ありがとうを次のよろこびへ」。

相模鉄道筆頭株主でもある。

目次

[編集] 歴史

戦前の小田急は、利光鶴松が経営した電力資本・鬼怒川水力電気を親会社としていた。利光は郊外鉄道の将来性に着目し、東京市内の地下鉄網「東京高速鉄道」・山手線を外周する「東京山手急行電鉄」・城西地区の開発を目的とした「渋谷急行電鉄」などを次々と企画した。結局実現したのは小田急線と井の頭線(渋谷急行計画の後身)だけであったが、東京高速鉄道は後に五島慶太らの手により実現した。

電力国家管理に伴う日本発送電への統合で、基幹事業の電力部門を奪われた鬼怒川水力電気は小田急を合併し、電鉄会社となったが、中国・山東半島での鉱業に乗り出したのが裏目に出て同社の経営を圧迫した。そのため、利光は一切の事業を東京横浜電鉄の五島に譲渡した。このため企業乗っ取りの歴史である大東急形成の中で、小田急だけは事情が異なるのだが、大東急解体の旗頭となったのもまた小田急であった。

新発足時、井の頭線を京王帝都電鉄(現・京王電鉄)へ移管する代わりに、戦前は無関係であった箱根登山鉄道と元来東京横浜電鉄の関連会社であった神奈川中央交通を東急から譲受し子会社とした。また、やはり戦前は無関係だった江ノ島電鉄の持株の一部も東急から譲受したが、後に買い増しを行い系列下に収めている。

近年、犬猿の仲と称された西武鉄道と営業資産の協力関係、共通商品の開発に乗り出して功を奏している。

箱根地区を巡る西武鉄道グループとの確執は、「箱根山戦争」の項を参照。

各ダイヤ改正の詳細は、小田急ダイヤ改正を参照。

[編集] 年表

開業80周年ステッカーを運転台後に貼付した3000形
開業80周年ステッカーを運転台後に貼付した5000形
  • 1923年(大正12年)5月1日 小田原急行鉄道株式会社創立。資本金1,350万円。取締役社長に利光鶴松が就任。本社事務所を東京丸の内三菱仲3号館に開設。
  • 1927年(昭和2年)1月15日 小田原急行土地株式会社を合併。資本金3,000万円。
  • 1927年(昭和2年)4月1日 一部単線で小田原線全線を開業。初乗旅客運賃、大人5銭、小児3銭。当時の駅数は38駅。同時に向ヶ丘遊園地を開園。
  • 1927年(昭和2年)6月24日 豆汽車稲田登戸(現・向ヶ丘遊園) - 向ヶ丘遊園地間開業。
  • 1927年(昭和2年)10月15日 小田原線の全線複線開通。急行運転を開始する。
  • 1927年(昭和2年)12月27日 本社社屋(現・小田急南新宿ビル)落成。本社事務所移転。
  • 1929年(昭和4年)4月1日 江ノ島線全線開業。当時の駅数は13駅。
  • 1929年(昭和4年)11月 南林間都市の土地分譲事業開始。
  • 1930年(昭和5年)11月14日 相模厚木(現・本厚木) - 東北沢間にて砂利輸送開始。
  • 1934年(昭和9年)11月1日 砂利採取販売開始。
  • 1935年(昭和10年)6月1日 新宿 - 小田原間のノンストップ特急運行開始。当時の特急名は「週末温泉列車」。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 通行税改定に伴う、旅客運賃改定。51キロ以上移動をした場合に限り、通行税2銭が運賃に加算される。
  • 1938年(昭和13年)6月1日 バス事業開始。士官学校前 - 南林間都市間ほか3路線開設。
  • 1940年(昭和15年)4月1日 通行税改定に伴う、旅客運賃改定。41キロ以上81キロ未満移動をした場合は、通行税2銭が、81キロ以上移動した場合は、通行税15銭が運賃に加算される。
  • 1940年(昭和15年)5月1日 帝都電鉄(現・京王井の頭線)を合併。資本金4,280万円。
  • 1941年(昭和16年)3月1日 親会社に当たる鬼怒川水力電気株式会社への合併に伴い、小田原急行鉄道株式会社解散。鬼怒川水力電気株式会社は小田急電鉄株式会社と改称して新発足。資本金8,780万円、取締役社長に利光鶴松が就任。
  • 1941年(昭和16年)10月1日 電力設備一切を日本発送電株式会社へ譲渡。発送電事業から撤退へ。
  • 1942年(昭和17年)4月1日 通行税改定に伴う、旅客運賃改定。旅客運賃改定。41キロ以上81キロ未満移動をした場合は、通行税5銭が、81キロ以上移動した場合は、15銭が運賃に加算される。
  • 1942年(昭和17年)5月1日 陸上交通事業調整法の趣旨に則り、京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に吸収合併され、東京急行電鉄大東急)となり、小田急電鉄株式会社解散。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人10銭、小児5銭。同時に、通行税が改定され、21キロ以上キロ当たり5厘の通行税が運賃に加算される。
  • 1944年(昭和19年)5月31日 陸上交通事業調整法により、京王電気軌道も東京急行電鉄に統合される。
  • 1945年(昭和20年)4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人20銭、小児10銭に。
  • 1947年(昭和22年)3月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人50銭、小児30銭に。
  • 1947年(昭和22年)7月7日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人1円、小児50銭に。
  • 1948年(昭和23年)5月18日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人2円、小児1円に。
  • 1948年(昭和23年)6月1日 東京急行電鉄から分離し、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、京浜急行電鉄と共に資本金1億円の小田急電鉄株式会社として再発足。その際旧帝都線は京王帝都電鉄の所属になる。同時に箱根登山鉄道と神奈川中央乗合自動車(現在の神奈川中央交通)を関係会社に加える。
  • 1948年(昭和23年)7月18日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人3円、小児2円に。同時に、通行税が改定され、キロ当たり運賃の2割が加算される。
  • 1948年(昭和23年)10月16日 復興整備車により、戦後初めて新宿 - 小田原間のノンストップ特急運転開始。
  • 1948年(昭和23年)10月 新宿駅西口に案内所(現在のロマンスカー営業センター)開設。
  • 1949年(昭和24年)2月16日 運転整理指令所を経堂に開設。
  • 1949年(昭和24年)5月5日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人5円、小児3円に。
  • 1949年(昭和24年)9月17日 特急列車の毎日運行開始。それに伴い初の特急専用車1910形就役。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 通行税廃止に伴う、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1950年(昭和25年)5月12日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1950年(昭和25年)8月1日 箱根登山鉄道鉄道線箱根湯本駅乗り入れ開始。
  • 1951年(昭和26年)2月1日 本格的ロマンスカー1710形就役。
  • 1951年(昭和26年)8月20日 特急列車の全席指定制が導入される。
  • 1951年(昭和26年)11月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人10円、小児5円に。
  • 1951年(昭和26年)12月1日 砂利事業を小田急砂利株式会社(後の小田急建材株式会社、1987年3月1日解散)へ譲渡。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 向ヶ丘遊園が有料となる。
  • 1953年(昭和28年)1月15日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 江ノ島鎌倉観光(現在の江ノ島電鉄)を関係会社に加える。
  • 1954年(昭和29年)9月10日 立川バスを関係会社に加える。
  • 1955年(昭和30年)3月28日 国際観光を関係会社に加える。
  • 1955年(昭和30年)10月1日 松田 - 新松田間連絡線開通により、国鉄御殿場線直通準急列車「銀嶺(ぎんれい)」・「芙蓉(ふよう)」の運行を開始。
  • 1957年(昭和32年)2月12日 大山観光電鉄を関係会社に加える。
  • 1957年(昭和32年)4月12日 経堂鉄道教習所が、運輸大臣指定動力車操縦者養成所として認可される。
  • 1957年(昭和32年)6月22日 ロマンスカー3000形「SE」車就役。
  • 1958年(昭和33年)5月23日 向ヶ丘遊園に「ばら苑」を開設。
  • 1958年(昭和33年)6月20日 ロマンスカー3000形「SE」車が第1回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
  • 1959年(昭和34年)1月29日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1959年(昭和34年)5月20日 初の無人変電所となる足柄変電所を開設。
  • 1960年(昭和35年)9月7日 箱根ロープウェイ大涌谷駅 - 桃源台駅開通に伴い、箱根ゴールデンコースが完成。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 極超短波無線中継線全線完成。
  • 1961年(昭和36年)7月21日鵠沼プールガーデン」開業。
  • 1962年(昭和37年)10月19日 大野工場開設。経堂・相武台の両工場を閉鎖。
  • 1962年(昭和37年)11月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1963年(昭和38年)3月16日 ロマンスカー3100形「NSE」車就役。
  • 1964年(昭和39年)2月17日 新宿駅改良工事完成。小田急初の地上・地下の2層式の駅となる。
  • 1964年(昭和39年)11月5日 急行列車の8両編成運転を開始する。
  • 1964年(昭和39年)11月7日 社内電話の全線自動化完成。
  • 1966年(昭和41年)1月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人20円、小児10円に。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 すべての特急列車の列車無線使用開始。
  • 1966年(昭和41年)4月23日 向ヶ丘遊園モノレール線開業。
  • 1967年(昭和42年) 「箱根フリーパス」発売開始。
  • 1967年(昭和42年)11月6日 新宿 - 向ヶ丘遊園間などの各駅停車及び準急列車の大型(20m車両)6両編成運転開始。
  • 1968年(昭和43年)3月1日 大野給電所新設に伴い、全変電所の集中制御を開始。
  • 1968年(昭和43年)7月1日 国鉄御殿場線の電化に伴い、気動車の運行を廃止し、ロマンスカー3000形「SSE」による乗り入れ開始。
  • 1969年(昭和44年)7月16日 ATS施設工事完成に伴い、全線で使用開始。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 「小田急花鳥山脈」開設。
  • 1970年(昭和45年)8月 向ヶ丘遊園 - 生田間に初のロングレール(800m軌条)施設。
  • 1970年(昭和45年)10月5日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人30円、小児15円に。自動改札機玉川学園前駅に試験導入。
  • 1971年(昭和46年)4月16日 東海自動車を傘下に収める。
  • 1972年(昭和47年)12月18日 海老名電車基地開設。
  • 1973年(昭和48年)5月 全線の踏切に保安設備を設置。第4種踏切の消滅。
  • 1973年(昭和48年)9月8日 運輸指令所を相模大野に移設。
  • 1974年(昭和49年)4月16日 全列車の列車無線使用開始。
  • 1974年(昭和49年)6月1日 多摩線新百合ヶ丘 - 小田急永山間開業。4駅開設。初乗旅客運賃、多摩線内に限り、大人40円、小児20円に。
  • 1974年(昭和49年)7月20日 旅客運賃改定。小田原線・江ノ島線は、初乗旅客運賃、大人40円、小児20円に。多摩線は、変わらず。
  • 1974年(昭和49年)11月15日 「小田急御殿場ファミリーランド」開設。
  • 1975年(昭和50年)4月23日 多摩線が小田急多摩センターまで延伸。
  • 1975年(昭和50年)8月18日 本社事務所を新宿駅西口の小田急明治生命ビル(現・小田急明治安田生命ビル)に移転。
  • 1975年(昭和50年)12月13日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人60円、小児30円に。
  • 1976年(昭和51年)10月28日 「小田急箱根アスレチックガーデン」開設。
  • 1977年(昭和52年)7月1日 新宿 - 本厚木間の急行10両運転開始。
  • 1978年(昭和53年)3月31日 営団地下鉄(現・東京地下鉄千代田線との相互直通運転開始。同時に準急10両運転開始。
  • 1979年(昭和54年)1月8日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人70円、小児40円に。多摩線は、大人80円、小児40円に。
  • 1979年(昭和54年)2月27日 高速バスと特急券の座席予約・販売にオンラインシステムを導入。
  • 1979年(昭和54年)4月1日 「江ノ島・鎌倉フリーパス」発売開始(江ノ島線開業50周年を記念したもの)。
  • 1980年(昭和55年)12月27日 ロマンスカー7000形「LSE」車就役。
  • 1981年(昭和56年)5月6日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人80円、小児40円。多摩線は、大人100円、小児50円に。
  • 1981年(昭和56年)9月18日 ロマンスカー7000形「LSE」車が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
  • 1982年(昭和57年)4月1日 新宿駅改良工事が完成し、全面使用開始。
  • 1982年(昭和57年)7月12日 箱根登山線に大型(20m車)6両編成乗り入れ開始。
  • 1984年(昭和59年)1月25日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人90円、小児50円。多摩線は、大人110円、小児60円に。
  • 1984年(昭和59年)3月21日 全線の荷貨物営業を廃止。
  • 1984年(昭和59年)11月6日 「南伊豆フリーパス」発売開始。
  • 1985年(昭和60年)7月20日 「丹沢・大山フリーパス」発売開始。
  • 1986年(昭和61年)10月4日 ロマンスカーに車内電話を設置。
  • 1987年(昭和62年)7月1日 すべてのロマンスカーに禁煙車を設置。
  • 1987年(昭和62年)10月1日 全駅で、朝7時 - 9時30分・夕方17時 - 19時30分の間を「禁煙タイム」とし、一部の時間であるものの、駅構内の禁煙化が行われる。
  • 1987年(昭和62年)12月23日 ロマンスカー10000形「HiSE」車就役。
  • 1988年(昭和63年)3月22日 各駅停車の8両運転開始。
  • 1988年(昭和63年)5月18日 特定都市鉄道整備積立金制度の適用により、旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人100円、小児50円。多摩線は、大人120円、小児60円に。
  • 1988年(昭和63年)10月1日 プリペイドカード「ロマンスカード」発売開始。
  • 1989年平成元年)4月1日 消費税の導入により、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1989年(平成元年)7月20日 小田原線喜多見 - 和泉多摩川間複々線化工事着工。
  • 1990年(平成2年)3月27日 多摩線が唐木田まで延伸。
  • 1990年(平成2年)4月20日 「小田急時刻表」創刊。
  • 1991年(平成3年)1月16日 自動改札システムを暫定的に新宿駅西口地下、百合ヶ丘、愛甲石田に設置。
  • 1991年(平成3年)3月16日 ロマンスカー20000形「RSE」車就役。同時に東海旅客鉄道(JR東海)と相互直通運転を開始。
  • 1991年(平成3年)11月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人110円、小児60円。多摩線は、大人120円、小児60円に。
  • 1992年(平成4年)3月28日 全通勤型車両に、「シルバーシート」が設置される。
  • 1992年(平成4年)5月21日 「西伊豆フリーパス」と「中伊豆フリーパス」発売開始。
  • 1993年(平成5年)5月1日 全駅で終日禁煙を実施(ただし、喫煙コーナーは設置されている)。
  • 1994年(平成6年)3月27日 喜多見電車基地使用開始。経堂電車基地は閉鎖。
  • 1994年(平成6年)12月20日 小田原線世田谷代田 - 喜多見間の複々線化工事着工。
  • 1995年(平成7年)9月1日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、小田原線・江ノ島線は、大人130円、小児70円。多摩線は、大人140円、小児70円に。窓口端末更新開始。
  • 1996年(平成8年)3月23日 ロマンスカー30000形「EXE」就役。
  • 1996年(平成8年)7月15日 小田急ボイスセンター開設(2004年12月に小田急お客様センターに改称)。
  • 1996年(平成8年)10月1日 ホームページ「online Odakyu」を開設。
  • 1997年(平成9年)3月1日 全駅に自動改札機設置完了。
  • 1997年(平成9年)4月1日 消費税率引き上げに伴い、旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1997年(平成9年)6月23日 小田原線喜多見 - 和泉多摩川間複々線化完成、使用開始。
  • 1997年(平成9年)9月1日 小田原線開業70周年記念列車「ゆめ70」運行開始。
  • 1997年(平成9年)11月24日 「小田急箱根アスレチックガーデン」閉鎖。
  • 1997年(平成9年)12月28日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃は変わらず。
  • 1998年(平成10年)3月8日 「小田急花鳥山脈」閉鎖。
  • 1998年(平成10年)3月21日 全線の踏切が、第1種甲踏切となる。
  • 1998年(平成10年)8月22日 全線急行10両運転開始。
  • 1999年(平成11年)4月1日 フェアースルーシステム導入。
  • 1999年(平成11年)7月17日 特急列車の乗車改札を廃止。
  • 1999年(平成11年)9月5日 「小田急御殿場ファミリーランド」閉鎖。
  • 2000年(平成12年)2月13日 向ヶ丘遊園モノレール線運行休止(2001年2月1日に廃止)。
  • 2000年(平成12年)8月頃 全駅・全小田急トラベルで窓口端末更新終了。および、特急券の全磁気化完了(元箱根案内所除く)。
  • 2000年(平成12年)9月3日 「鵠沼プールガーデン」閉鎖。
  • 2000年(平成12年)10月14日 共通乗車カードシステム「パスネット」導入。
  • 2000年(平成12年) 小田原線開業70周年記念列車「ゆめ70」運行終了。
  • 2001年(平成13年)4月1日 バス事業を小田急箱根高速バスに分社化。
  • 2001年(平成13年)7月15日 特急チケットレス乗車サービス導入。
  • 2001年(平成13年)10月27日 ホームページからの特急券予約サービス開始。
  • 2002年(平成14年)1月15日 一般認定鉄道事業者に認定される。
  • 2002年(平成14年)3月23日 湘南急行多摩急行新設。
  • 2002年(平成14年)10月15日 日本鉄道賞表彰選考委員会により、「第1回日本鉄道賞 情報化への貢献部門 日本鉄道賞表彰選考委員会特別賞」を受賞。
  • 2003年(平成15年)3月30日 小田原駅改良工事(橋上駅舎)が完成し、使用開始。および、特急列車の座席番号方式変更。この日から窓口端末を全駅・全小田急トラベルで一気にすべて再び更新。
  • 2003年(平成15年)5月1日 全駅の全面禁煙化実施。
  • 2003年(平成15年)8月1日 箱根登山鉄道を完全子会社化。
  • 2004年(平成16年)10月1日 箱根地区の事業各社を統括する持株会社小田急箱根ホールディングス発足。
  • 2004年(平成16年)12月11日 湘南急行を廃止し快速急行区間準急新設。同日、「小田急東京メトロパス」発売開始。
  • 2005年(平成17年)3月19日 ロマンスカー50000形「VSE」車就役。
  • 2005年(平成17年)3月20日 旅客運賃改定。初乗旅客運賃、大人120円、小児60円に。従来あった、多摩線加算運賃制度は廃止。なお、定期運賃は、同年4月1日に改正。
  • 2005年(平成17年)6月 創業一族の利光國夫が有価証券偽造報告の責任を取り会長を辞任。
  • 2005年(平成17年)8月12日 ロマンスカー10000形「HiSE」車2編成を長野電鉄へ譲渡。長野電鉄では特急「ゆけむり」として2006年12月より運転開始。
  • 2005年(平成17年)9月30日 ケーブルテレビ事業の子会社小田急情報サービス(現・J:COMせたまち)の全株式をジュピターテレコムに譲渡。
  • 2006年(平成18年)1月 ロマンスカー50000形「VSE」がグッドデザイン賞を受賞。
  • 2006年(平成18年)2月23日 主要13駅に自動体外式除細動器 (AED) を設置。
  • 2006年(平成18年)6月16日 ロマンスカー50000形「VSE」が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
  • 2006年(平成18年)7月 海老名駅自由通路整備事業の工事開始。
  • 2006年(平成18年)10月1日 全係員の制服を一新。駅員乗務員は15年振り、技術係員は20年振りの変更となった。
  • 2007年(平成19年)3月18日 ICカード乗車券PASMOを導入。同時に東日本旅客鉄道(JR東日本)などが発行するICカード乗車券Suicaと相互利用を開始。ロマンスカー全面禁煙化。
  • 2007年(平成19年)9月22日 東京メトロ千代田線への直通運転用通勤車両4000形 (2代) 就役。
  • 2007年(平成19年)10月14日 インターネット上に小田急バーチャル鉄道博物館開館。
  • 2007年(平成19年)10月15日 5分以上の遅延が発生した時に、ホームページから遅延証明書をダウンロードができるサービスを開始。
  • 2008年(平成20年)3月15日 小田急グループのブランドマークの使用開始。ロマンスカー60000形「MSE」車が就役し、東京メトロ千代田線・有楽町線への乗り入れ開始。一部を除き新宿 - 小田原間の急行を10両編成化。ロマンスカーを除き、箱根登山線内を運行する車両をすべて4両編成化。
  • 2008年(平成20年)10月22日 すべてのロマンスカーに自動体外式除細動器 (AED) の設置完了。

[編集] 路線

小田急電鉄・路線図(箱根登山線の一部区間を含む)


小田急電鉄路線のランドサット
小田原線本厚木 - 小田原間の拡大
小田原線新宿 - 相模大野間と多摩線の拡大
小田原線相模大野 - 本厚木間と江ノ島線の拡大

[編集] 現有路線

[編集] 小田原線

小田原線は、1927年4月1日に全線開通。東京都新宿区新宿駅から神奈川県小田原市小田原駅までを結ぶ。

東京圏の通勤路線としての性格と、有料特急ロマンスカーをはじめとする小田原箱根方面への観光輸送の両面を持つ。

東京都区部を通る区間を中心にラッシュ時は混雑する。そのため、代々木上原駅から登戸駅 - 和泉多摩川駅間の地点との間は輸送力増強のため複々線化事業が行われており、2008年9月までに東北沢駅 - 梅ヶ丘駅を除く区間が完成している。

若者の街下北沢、高級住宅街の成城、住宅地・繁華街の町田、小田急電鉄の中心駅相模大野ベッドタウン海老名や、海に面する歴史に満ちた城下町小田原を結ぶ、小田急を代表する路線である。

東京メトロ千代田線相互直通運転を行っていて、小田急の車両は代々木上原駅から東京メトロ綾瀬駅まで乗り入れる。なお、東京メトロの車両は東日本旅客鉄道(JR東日本)取手駅方面から千代田線、小田原線を経て多摩線唐木田駅へ通し運転されるものもある。

また、小田原駅から箱根登山鉄道箱根湯本駅まで特急ロマンスカー、急行列車及び一部の各駅停車が乗り入れているが、2008年3月15日のダイヤ改正以降は急行・準急列車は箱根登山鉄道へ乗り入れず、特急ロマンスカーと一部の各駅停車のみの乗り入れとなる。

特急あさぎり」は新松田駅 - 松田駅間の連絡線(新松田駅構内ではなく少し渋沢駅寄りにある)を経由して東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線沼津駅まで両社相互に直通運転を行っている。なお、関東地方では唯一営業路線が、JR2社(JR東日本・JR東海)の在来線管内を直接結んでいる(JR東日本新宿駅、小田原駅等とJR東海松田駅)。

[編集] 江ノ島線

江ノ島線は、神奈川県相模原市相模大野駅から神奈川県藤沢市片瀬江ノ島駅間を結ぶ。正確には相模大野駅から小田原駅方の地点に小田原線との分岐点「相模大野分岐点」があり、ここは運賃計算に反映されている。小田原線が開業して2年後の1929年4月1日に全線開通した。

小田原線新宿駅町田駅などから直通列車が運行されている。

[編集] 多摩線

多摩線は、神奈川県川崎市新百合ヶ丘駅東京都多摩市唐木田駅を結ぶ。東京メトロ千代田線と併せて東京都の都市計画9号線を実現する。

多摩ニュータウンへの連絡鉄道として建設された経緯がある。途中の小田急多摩センター駅まで開業した当時、そこより先を橋本駅まで京王相模原線と併走する計画であったが、京王相模原線と競合する事や単純に旅客需要が見込めない事から取り下げ、唐木田駅と車庫を開業させた。

今後は横浜線相模原駅相模線上溝駅方面への延長も計画されており、相模原駅延伸への前提となる米軍相模総合補給廠の一部返還が事実上内定したことから実現されるかどうか注目されている。

開業当初から2002年までは線内折り返しがほとんどだったが、現在は区間準急と千代田線・常磐線直通の多摩急行がそれぞれ日中に毎時2本運転されている。また、この他に線内折り返しの各停が毎時4本運転されており、同線では区間準急(線内各駅停車)と共に最低でも毎時6本が確保されている。

急行と多摩急行は多摩線内では栗平駅小田急永山駅、小田急多摩センター駅、唐木田駅に停車する。なお、平日朝には唐木田から線内折り返し及び千代田線・常磐線直通の急行が、また夜間には新宿 - 唐木田間のロマンスカーホームウェイなども見られる(平日:3本、休日:2本)。

将来は、川崎縦貫高速鉄道線との相互直通運転も計画されている。

[編集] その他の営業線

JR御殿場線へ直通運転するために、小田原線新松田駅付近から御殿場線松田駅へ向かう連絡線(通称・松田連絡線)が存在する。定期列車では特急あさぎり」のみ使用する単線で、これも小田急の営業路線である。車両メーカーからの新車搬入(甲種輸送)の際にもこの連絡線が使用される(かつては小田原駅で行っていた)。

[編集] 廃止路線

[編集] 向ヶ丘遊園モノレール線

向ヶ丘遊園モノレール線は、小田原線向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園の近くの向ヶ丘遊園正門駅までの間1.1kmを結んでいた、モノレールとしては日本では数少ないロッキード式モノレールだった。それまでの豆電車に代わって1966年に開業した。

2000年2月の定期検査時にモノレールの台車枠に30cmもある致命的な亀裂がある事が判明したため、同月13日に運転が休止された。改修費用が試算されたところ、同年11月30日に出来上がった報告書にはロッキード式という希少な車種であった事が災いし、修理やその他設備の改修に3億8000万円近くの費用と2年間の工事期間が必要な事が判明した。一方、同線は遊園地への輸送が目的であり、その遊園地の利用客も減少していたため、費用対効果の面から改修費用が捻出不可能との判断が下される。これにより、運休1年後の2001年2月1日に正式廃止となり、翌3月にはさよなら展示会が向ヶ丘遊園正門駅で開催された。

1980年代には、向ヶ丘遊園でウルトラマンショーが開催された際は、PRを兼ねて運転台にウルトラマンのお面を取り付けていた。

向ヶ丘遊園自体も2002年3月いっぱいで閉鎖(バラ苑のみ川崎市の管理で存続)となり、レールも撤去されてしまったが、川崎市によって、廃線跡地に遊歩道が作られたほか、モノレールの橋脚のモニュメントも設置されている。

[編集] その他の廃止線

  • 新宿省社連絡線1944年8月、小田原線下り線路と国鉄中央緩行線下り線路の間に作られた連絡線。戦時中は、国鉄から小田急への車輛貸し出しに使われた線路であった。戦後は、1951年2月に小田急で行われたカルダン駆動の電車の走行テストを相武台にて実施する試験車両が、この線路を通ったほか、機材輸送のため、国鉄大井工場 - 小田急経堂工場間に配給電車日本車輌製造蕨工場にて作られた新造車の搬入もこの線路が使われた。その後、1960年2月に1100形の4両を日立電鉄へ譲渡した際に使われたのを最後に、連絡線は使われなくなり、1963年7月7日に撤去となった。
  • 代田連絡線大東急時代に設置された線路。詳しくは、代田連絡線参照。なお、線路自体は、大東急解体後は、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)所有となった。
  • 南武連絡線1935年9月に小田原急行鉄道と南武鉄道(現・南武線)の間で協定が結ばれ、作られた連絡線。主に、小田急の座間駅(現・相武台前駅)にて集荷した砂利を横浜・川崎方面に輸送するために設けられた線路で、1936年初頭に設けられた。連絡線は、砂利輸送を目的とするものであったが、電車のやりとりも行われた。しかし、1944年に南武鉄道が国有化され南武線となると電車のやりとりはなくなり、稲城長沼駅付近にあった弾薬庫からの輸送のため、小田急(当時は、大東急)所有の無蓋貨車がこの線路を使い貸し出され南武線を走った。戦後は、1947年5月に小田急の1600形が南武線に貸し出される際に使用されるなどしたが、その後使われなくなり、1961年川崎市市道を造成することとなったことから、1967年3月、廃止された。

[編集] 計画・工事路線

  • 複々線化(東北沢 - 世田谷代田) … 地下式複々線化計画。これに伴って、下北沢駅は、2013年頃に緩行線・急行線別の上下2層式となる予定。完成すると、同区間の9個の踏切が廃止される。
  • 3線化(登戸 - 向ヶ丘遊園) … 上り2線、下り1線の3線化(2007年9月8日新下り線に切り替え)。将来は現地の区画整理とともに複々線化される予定。
  • 複々線化(町田 - 相模大野) … 町田 - 相模大野間を複々線化して、江ノ島線の町田駅直通を増やす計画。町田1号踏切から相模大野付近までは複々線化が可能に見えるが、町田駅付近は高架や切り通しがあり、用地はないため、実現はかなり難しいと見られている。また、町田駅の引き上げ線が6両分しかないため、完成しても直通本数はあまり増えないという意見もある。
  • 相模鉄道乗り入れ … 相模鉄道の終点駅である海老名駅から本厚木駅方面へ乗り入れを復活させる計画。2006年4月16日に、厚木ロイヤルパークホテル(現:ロワジールホテル厚木)でシンポジウムが行われたが、両線の過密ダイヤ、保安装置の違いなど、課題が多数ある。さらには、海老名駅の大規模改良工事を開始したために、現実性に乏しいものとなっている。
  • 複々線化(登戸 - 新百合ヶ丘) … 運輸政策審議会答申第18号により2015年までに整備着手することが適当であるとされている計画。輸送量の減少や、工事用地不足などにより着工の見通しは立っていない。
  • 多摩線延伸 … 唐木田 - 横浜線 - 上溝への延伸計画。長年、困難だと思われてきたが、相模原駅東側にある在日米軍相模総合補給廠の一部 (2ha) が鉄道・道路用地として返還されることになり、少し可能性が出てきた。相模原市によると、唐木田駅と相模原駅の間に2駅、相模原駅と上溝駅の間に1駅を想定している。第三セクターを設立し国と県、市の3者で事業費を3分の1ずつ負担することが検討されている。

[編集] ダイヤ

小田急ダイヤ改正を参照

[編集] 優等列車

小田急ロマンスカーも参照

小田急電鉄では、新宿駅をターミナルとして「ロマンスカー」と総称して呼ばれる有料特急列車を運行しており、系統・種類に応じて下記の愛称がある。全列車、全座席指定。

[編集] 現在の愛称

  • はこね小田原線系統で、箱根登山鉄道鉄道線に乗り入れ、箱根湯本駅まで運行する列車。
  • スーパーはこね:上記の「はこね」の新宿 - 小田原無停車列車であり、箱根湯本まで乗り入れ運行する列車。
  • さがみ:小田原線系統の列車で、箱根登山鉄道線に乗り入れないもの。基本的には小田原駅発着だが、車庫の都合で区間運行の列車も存在する。1999年に「サポート」という愛称に変更されたが2004年12月のダイヤ改正で再改称された。
  • えのしま江ノ島線系統の列車。
  • あさぎりJR東海御殿場線に乗り入れ、沼津駅まで運行する列車。御殿場駅 - 沼津駅間のみ自由席を設定。担当形式車両は20000形RSE及びJR東海371系
  • ホームウェイ:新宿駅を18時以降に発車する下り列車。JRでの「ホームライナー」に相当し、該当する時間帯は「はこね」・「さがみ」・「えのしま」系統の全ての列車がこの愛称となるが、多摩線直通の列車も平日に3本、土曜・休日に2本(2004年12月現在)存在する。通勤時間帯での運行となるため、日中に比べ多少時間が掛かることが多い。

2008年3月15日からの東京メトロ千代田線乗り入れ開始に伴い次の愛称が登場した。同時に新設された後述のベイリゾート号以外はすべて頭に「メトロ」がつく。これらはすべて60000形MSEにより運転される。

  • メトロホームウェイ:夕方18時以降にメトロ線から小田急線に乗り入れる下り列車(平日3本、土休日1本)。
  • メトロはこね:土休日にメトロ線と箱根湯本駅間を運転する列車(土休日上り2本・下り2本)。
  • メトロさがみ:朝方に小田急線からメトロ線に乗り入れる上り列車(平日1本・土休日1本)。

運行日が限定される列車

  • ベイリゾート:2008年5月3日運行開始。土休日に小田急線と東京メトロ有楽町線新木場駅間を結ぶ臨時列車(土休日上り1本、下り1本)。土休日に運転する「メトロさがみ」「メトロホームウェイ」が、年間30日程度、メトロ線内の発着駅を千代田線北千住駅から有楽町線新木場駅に変更して運転する。
  • ニューイヤーエクスプレス:2001年12月31日運行開始。毎年同日夜から翌年1月1日早朝までの終夜運転にあわせて運行される臨時特急である。この列車は、初詣号の頃から明治神宮参詣客のために、普段は各駅停車しか停まらない参宮橋駅に停車する。

[編集] 過去の愛称

  • サポート:1999年に「さがみ」に変わって登場。2004年12月のダイヤ改正で「さがみ」の復活に伴い消滅。
  • あしがら:1999年に廃止。さがみと同様に小田原系統の列車、「さがみ」との相違点は停車駅。

[編集] 車両

小田急電鉄の場合、2600形までの通勤形車両については制御装置等の英字による略称を内部用語として用いることがあり、趣味的にも流用される。また、その延長で3000形 (初代)に"Super Express(Car)"の略称である「SE」の通称を与え、以降特急形車両については内部または公募で愛称・略称を与えられている。前者は全電動車式高性能車の問題を、後者は小田急ロマンスカーを参照されたい。なお、京浜急行電鉄京成電鉄東京都交通局、および阪神電気鉄道の昭和50年代までに落成した車両などと同様に「○○系(けい)」ではなく「○○形(がた)」と呼称される。また、特急形・通勤形とも固定編成を前提とした機器構成がなされているので、原則として編成替えは行われない。

技術面での評価は高く、1957年には3000形「SE車」東海道本線にて当時の狭軌鉄道での最高速度世界記録(145km/h)を樹立した。その他、鉄道関係の賞(ブルーリボン賞ローレル賞など)を数多く受賞している。

車両の製造メーカーは特急形が日本車輌製造川崎重工業、通勤形は前記の二社と東急車輛製造・JR東日本新津車両製作所である。車両更新・改修は車両製造メーカーまたはグループ企業の小田急車両工業で施工される。制御装置の製造メーカーは特急形が東芝、通勤形は三菱電機と分けられている。

火災防止のため、全ての通勤形車両で車両間にある仕切扉のドアストッパーを撤去した。また、在籍する通勤形車両の集電装置は全てシングルアーム式パンタグラフを搭載している。これは大手私鉄では初めてである。

[編集] 現有車両

50000形「VSE」
3000形
クヤ31

[編集] 特急形車両

[編集] 通勤形車両

[編集] 鉄道事業用車

[編集] 過去の車両

[編集] 特急形車両

[編集] 特急形気動車

[編集] 特急形車両として登場後通勤形車両に格下げされた車両

[編集] 通勤形車両

[編集] モノレール

[編集] その他

この他、小田原線で過去にパイオニア台車試験のため東急より7000系(初代)を借入れの上、試験走行を実施したこともあった。

[編集] 車両基地・検修施設

[編集] 乗務員区所

  • 喜多見電車区
  • 喜多見車掌区
  • 大野電車区
  • 大野車掌区
  • 海老名電車区
  • 海老名車掌区

[編集] 研修センター

喜多見駅近くに小田急喜多見総合事務所があるが、その向かいに小田急研修センターがある。そこでは、自社やグループ社員の教習や養成等の研修を行っている。

[編集] 運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2005年3月20日改定。

キロ程 運賃(円)
初乗り
- 3km
120
4 - 6 150
7 - 9 180
10 - 13 210
14 - 17 240
18 - 21 270
22 - 25 300
26 - 29 330
30 - 33 360
34 - 37 400
38 - 41 440
42 - 46 480
47 - 51 520
52 - 56 570
57 - 61 610
62 - 66 650
67 - 71 700
72 - 76 750
77 - 81 800
82 - 83 850

[編集] フリーパス・クーポン

小田急は沿線に、箱根江の島鎌倉丹沢大山伊豆といった有名観光地があり、観光客向けに「フリーパス」や「クーポン」を発売している。

一部のものは西武鉄道でも販売しているので、西武鉄道各駅からも利用できる。

[編集] フリーパス

[編集] クーポン・パス・割引きっぷ

[編集] 温泉クーポン

箱根ホテル小涌園 湯ったりクーポン
小田急電鉄線発駅から箱根登山鉄道線強羅駅までの往復割引乗車券(途中下車可)、箱根登山バス指定区間往復乗車券(途中下車可)およびホテル小涌園露天風呂の入湯券および昼食がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。
箱根小涌園ユネッサン 湯遊びクーポン
小田急電鉄線発駅から箱根登山鉄道線強羅駅までの往復割引乗車券(途中下車可)、箱根登山バス指定区間往復乗車券(途中下車可)および小涌園ユネッサンの入湯券がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。なお、出発日が4月30日 - 5月5日および7月31日 - 8月31日の場合、料金が増額。
「湯の里 おかだ」湯本湯ったりクーポン
小田急電鉄線発駅から箱根登山鉄道線箱根湯本駅までの往復割引乗車券(途中下車可)および箱根湯本「湯の里」入湯券および昼食がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。
箱根ベゴニア園・ひめしゃらの湯のクーポン
小田急電鉄線発駅から箱根登山鉄道線箱根湯本駅までの往復割引乗車券(途中下車可)、箱根ベゴニア園割引入園券およびひめしゃらの湯割引入湯券がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。
箱根野天風呂クーポンA 天山湯治郷
小田急電鉄線発駅から箱根登山鉄道線箱根湯本駅までの往復割引乗車券(途中下車可)および天山湯治郷割引入湯券がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。
箱根野天風呂クーポンB かっぱ天国
小田急電鉄線発駅から箱根登山鉄道線箱根湯本駅までの往復割引乗車券(途中下車可)およびかっぱ天国割引入湯券がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。
小田急箱根レイクホテル(日帰り)入湯クーポン
小田急箱根高速バスの新宿 - 箱根レイクホテル間往復割引乗車券および箱根レイクホテル天然温泉シャクナゲの湯割引入湯休憩券がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて1日間。
箱根仙石入湯クーポン
小田急箱根高速バスの新宿 - 仙郷楼前間往復割引乗車券および南甫園割引入園券がセットになったクーポン券。有効期間は、使用開始日を含めて1日間。

[編集] ハイキングパス

宮ヶ瀬ダムハイキングパス
小田急電鉄線発駅から本厚木駅までの往復割引乗車券(途中下車可)および神奈川中央交通バスの指定区間に乗降自由のフリーパスがセットになった券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。
足柄古道・万葉ハイキングパス
小田急電鉄線発駅から新松田駅までの往復割引乗車券(途中下車可)および箱根登山バスの指定区間に乗降自由のフリーパスがセットになった券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。

[編集] その他のパス・きっぷ

彫刻の森美術館クーポン
小田急電鉄線発駅から箱根登山鉄道線彫刻の森駅・強羅駅までの往復割引乗車券(途中下車可)および箱根 彫刻の森美術館割引入場券がセットになった券。有効期間は、使用開始日を含めて2日間。
箱根旧街道・1号線きっぷ
小田急電鉄線発駅から小田原駅までの往復割引乗車券と箱根登山鉄道線小田原駅 - 小涌谷駅間および箱根登山バス小田原駅 - 元箱根港・箱根町間に乗降自由のフリーパスがセットになった券。有効期限は、使用開始日を含めて1日間。日本初のカーボンオフセットを導入した周遊券。2008年9月1日発売開始、同年10月1日利用開始。これの発売に伴い1988年3月から発売されていた「箱根旧街道ハイキングパス」廃止。
御殿場往復割引きっぷ
小田急電鉄発駅からJR御殿場線御殿場駅までの往復割引乗車券。発駅は新宿 - 本厚木間と江ノ島線・多摩線の各駅に限られる。特急あさぎり号利用時は、別途特急券が必要。
小江戸・川越フリークーポン

[編集] サービス・ソフト面

  • 西武鉄道京浜急行電鉄近畿日本鉄道と同様「ストライキのない私鉄」として知られ、信頼性は高い。
  • 関東の私鉄では、最も早くから全駅にトイレットペーパーを備えた(京成電鉄も同様)。
  • 特急券のモバイル購入システム「ロマンスカー@クラブ」を導入している。取り扱い区間は、小田急線・東京メトロ線の各駅相互間とJR松田駅。
  • 2003年10月24日横浜銀行と連携し、全駅にATM設置を開始し、2005年4月1日に全駅でATMを始動させた。日本の鉄道会社の中では初の試み。
  • 国際ブランド(VISAMasterCard)のクレジットカードを自社で発行するのは、日本の鉄道では小田急電鉄と東日本旅客鉄道(JR東日本)のみが行っている。VISAとマスターカードのブランド供給会社は三菱UFJニコス。カード裏面には「三菱UFJニコス」と表示されている。このほかにもJCBブランドのカード発行もジェーシービーに委託する形で発行している。
  • 2005年3月に運賃初乗り3kmを120円に値下げした。1997年に値下げを行った京王電鉄に次ぐものである。
  • 自動券売機などの更新には積極的で、早い時期に1万円札まで対応の券売機が全駅に設置されている。
  • 一部を除くすべての券売機では特急券(特急券と同時に購入した乗車券も含む)・定期券・フリーパス類をクレジットカードで購入することができる。
  • 一部を除く乗車券・特急券・フリーパスはJTBなど旅行エージェンシーでも購入することができる。
  • 安藤記念事業団(厚生事業団)を通して社会還元を行っている。安藤楢六は中興の祖である。
  • 小田急では2005年を除き年2回社債を1月と7月(通称「小田急箱根あじさいボンド」、100万円以上、2006年7月の募集金額は150億円、格付AA-、利率は税込1.3%)野村證券大和証券などで一般投資家向けに起債している。この資金などで各駅のバリアフリー化、待合室の設置などを行っている。
日本語・英語・ハングル併記の駅名標(江ノ島線藤沢駅)
  • 中国語朝鮮語による案内も他の鉄道事業者より比較的充実しており、一部の駅名標には英字に加えてハングルの併記も行われている。ただし小田原線本厚木駅から小田原駅までの区間と江ノ島線桜ヶ丘駅から藤沢本町駅までは中国語と朝鮮語の表記は無い。
  • 沿線における戦後の急速な人口増加を見きわめきれず、新宿駅の大改良では短期間での再工事を行わざるを得なかった。
  • 世田谷区を中心とする沿線地主・支援者の反対運動などもあって、複々線化工事は遅れ、現在に至るまで劇的なラッシュ時の混雑解消やスピードアップは実現していない。なお、2004年11月に梅ヶ丘 - 和泉多摩川まで複々線が完成。引き続き梅ヶ丘 - 東北沢間(代々木上原 - 東北沢間は一旦完成していたが下北沢駅周辺の整備との関係で再工事)と和泉多摩川 - 向ヶ丘遊園間(川崎市による周辺地域の区画整理の遅れのため3線化)の複々線化工事は行われる。また、世田谷区内の沿線には、複々線建設反対の立て看板が多数設置してある。
  • 新宿駅、小田原駅、藤沢駅、片瀬江ノ島駅、新百合ヶ丘駅(多摩線)、唐木田駅(これらはすべて路線の起終点駅またはスイッチバック構造の駅)を除いたすべての駅で上下別々のホームを使用している。
  • 安全面としては、脱線防止ガードを半径400m以下のカーブに設置している。
  • 複々線区間等一部の軌道にはラダー枕木など最新の軌道技術を採用し、乗り心地にも配慮している。
  • 鉄道事業者としては、初めて「早期地震警報システム」を導入し、2006年8月1日に気象庁が特定事業者に向けて提供する配信開始にあわせて運用を開始した。
  • 毎年10月の休日に、鉄道の日にちなみ、海老名電車基地内で鉄道ファン向けのイベント「ファミリー鉄道展」を開催している。鉄道グッズ・食品の販売、鉄道模型の展示、鉄道車両の撮影会が実施されている。
  • 小田急線開業80周年を記念して、公式サイトに「小田急バーチャル鉄道博物館」を開設している。
  • 5分以上の遅れが発生した時に、公式サイトから遅延証明書をダウンロードすることができる。
小田急ブランドマークが貼り付けされている5200形(ブランドマークが先頭部の運転台下と各車両側面の中央部にある)
各車両側面の中央部にあるブランドマーク(写真は3000形)
  • 2006年から主要駅構内に自動体外式除細動器 (AED) が設置されている。また、2008年3月から運転を開始したロマンスカー60000形MSEには日本で初めて列車内にAEDが設置され、同年内に他のロマンスカー全編成にも設置された。
  • 2008年3月15日より、新しいブランドマーク(アルファベットのOを図案化したマークと、小文字の「odakyu」ロゴの組み合わせ)の使用を開始し、特急車両・一般車両へのステッカーの貼付が開始された[2]。ただし、小田急ロマンスカーのエンブレムとなっているヤマユリの花のイラストや、近郊形電車に付けられている「OER」の略称も、従来同様に新ブランドマークと並行して使用されている。

[編集] アナウンス(自動放送)

現在、駅構内アナウンスは上りが関根正明、下りは緒方智美が、新宿駅は向山佳比子が担当している。ただし成城学園前駅経堂駅では下り緩行線は関根正明、上り緩行線(経堂駅では4番ホーム)では緒方智美が担当している。また小田原駅藤沢駅唐木田駅では上下問わず緒方智美が担当している。車内自動放送は、日本語を西村文江NACK5ニュースアナウンサー)が、英語をクリステル・チアリが担当している。

[編集] その他

  • 1949年11月27日付の朝日新聞朝刊に、プロ野球に関する記事があり、その中に『新リーグの一つは名称セントラルリーグ で、巨人・阪神・中日・大陽の既成球団と、大洋漁業・西日本新聞・小田急の八チーム』とあった。この時点では小田急はプロ野球球団の所有を計画していた(他にも京阪電気鉄道などもプロ野球球団の所有を構想した時期もあり)。なお、現実は、小田急はプロ野球球団を持つことはなく、国鉄が持ち、「国鉄スワローズ」(→サンケイ→ヤクルト)が発足した。
  • 過去にバレーボールVリーグに所属した女子チーム、小田急ジュノーを所有していた。丸山由美を初代監督に招いて1986年に発足させたが、Vリーグ所属の1998年限りで休部した。現在、小田急は丸山を主任講師としたバレーボールクリニックを世田谷区などで開催している。
  • 日本映画主題歌第一号となった「東京行進曲」(作詞:西條八十1929年)に当時急速に発展していた新宿の代名詞の一つとして「いっそ小田急で逃げましょか」というフレーズが歌い上げられており、その部分は検閲で伏字になった経緯がある。当時から小田急という名称は浸透していたことがわかる。
  • 1970年代前後には多くのテレビドラマの舞台として電車が登場し、沿線ドラマは全国に知れ渡るところとなった(代表例:ウルトラシリーズケンちゃんシリーズなど)。
  • 藤子不二雄の漫画「オバケのQ太郎」の命名の経緯として、藤本安孫子両人が小田急を使って通勤していたので小田急からオバQになったという説がある。また、藤子不二雄の作品である「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造は、小田急線沿線に在住していることから、作品内に、度々、小田急線が登場する。
  • 千葉県を営業基盤とする第三セクター東葉高速鉄道は、自社の研修所を持たないため、動力車乗務員(運転士)の養成は開業当初、京成電鉄に委託していたが、その後委託先を変更し、小田急電鉄や東京急行電鉄で運転士の養成を行った。

[編集] 脚注

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  1. ^ 「Topic Photos 小田急5200形5256Fを4連化」『鉄道ピクトリアル』2008年3月号(通巻801号)83頁、電気車研究会
  2. ^ 「小田急グループ ブランドマーク」を制定 (PDF) 小田急電鉄 2008年2月8日

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