山口百恵 ブルマ
《昭和&平成》新旧アイドル・女優たちの懐かしのブルマ&体操着お宝画像まとめ
時代の変化とともに見かけなくなったブルマを履いているアイドルたちのグラビア画像。
今では、もっぱらコスプレ、着エログラドルのご用達アイテムで、ブルマを知らない現代っ子も多い。
昔は女子学生の指定体操着になっていたのだが…。
昭和から平成、ちょっと前までは普通にあったブルマ&体操着姿の新旧アイドルたちのお宝画像を特集!
仮面女子 ハーフパンツ
現在の体操着事情
一昔前は男子ショートパンツ、女子はブルマというのが一般的でしたが、今は男女ともハーフパンツやクォーターパンツです。
一昔前は中学校・高校では授業も男女別々で、女子だけにダンス、男子だけに武道などという差がありました。時を経て、学習指導要領の改定により中高の教育内容は男女同一になり、体育の授業内容も同じになりました。
その後選択制の導入も関係し、男女共修が始まりました(実際には今でも、共学校でも男女別修の学校もあります)。
このことが、ブルマからハーフパンツへの移行に影響を及ぼしました。男女同じ授業を男女同じ服装で受けることになった結果、ブルマは消滅しました。
ブルマの長い歴史
ブルマは、ブルーマーさんの名前に由来します。
19世紀半ばの欧米では、コルセットで身体を締め付け、鯨の髭や鋼鉄でできたクリノリン(腰枠)でスカートを広げた服装がはやり、中産階級ばかりでなく下層階級も着用していました。
このような服装を改良したのが、アメリカ生まれのアメリア・ジェンクス・ブルーマーで『膝下丈のスカートとゆったりしたトラウザーズ(ズボン)を組み合わせたスタイル』を着用しました。
そしてこのスタイルのことを『ブルマ』と呼びました。
その後、1880年代にアメリカのサージャントスクールで女子の体操服としてブルマが採用され、ブルマの名前が残ることになりました。
ブルマの起源はアメリカで、当初はスカートとズボンの組み合わせだった。そのブルマがいつ日本に伝来し、あの形になったのだろう。
明治30年頃まで、女性は着物の着流しにたすき掛けで体育の授業を受けていました。その後、実践女子学園の創設者でもある下田歌子が考案した女袴に靴、束髪が広まり、少しずつ運動しやすくなりました。
この頃、雑誌でアメリカのスカートとズボンの組み合わせであるブルマが紹介され、米国留学帰りの女高師の井口阿くりは『圧迫することなく運動に自由になる』と紹介しましたが定着しませんでした。
大正初期になると、くくり袴という、中央部分をとめて裾をくくる袴を着用することが増えてきました。
そして大正末期頃からようやく洋式運動服となり、スカートのままか、スカートとズボンの組み合わせであるブルマを着用するようになりました。
戦後、生理用品、化学繊維の発展とともに、ブルマはちょうちんブルマからぴったりブルマへと、長さや形、布地や下ゴムの有無などモデルチェンジを繰り返しながら学校体育着として生き続けましたが、1992年以降一気に消滅していきました。
当時の女子らが自ら、ブルマは男性の性的な対象になるから嫌であるという声を上げ、消滅していったという。
ブルマの発展、そして消滅には、女性が自分の意見を言えるようになった歴史が密接に絡んでいたのだ。
[via:教えて!goo]
https://www.sankei.com/premium/news/170128/prm1701280014-n1.html