Dr. Ronald McCoy, Past President of IPPNW |
核兵器と核エネルギーは分けて考えられるものではなく、市場論理と偏狭な国益追求を乗り越え、倫理的規範にもとづく国際的な倫理的枠組みで廃止していくべきものである。核兵器禁止条約は、地雷禁止条約を実現したオタワプロセスに見られるように、政治的意思とリーダーシップを持った政府、国際組織、市民社会の協力により実現は可能である。医師として、活動家として長年の知見に裏付けされた訴えに、私たち市民が行動し続ける重要さを再認識しました。@PeacePhilosophy
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ヒロシマからフクシマへ
ロナルド・マッコイ
翻訳 酒井泰幸
はじめに
66年前の広島と長崎への原爆投下、そして7ヶ月前の福島で起きたレベル7の原子炉メルトダウン。日本が今日までに2つの核災害によって荒廃する、世界で唯一の国になろうとは、まさか想像もできないことであった。これは、核兵器の廃絶と核エネルギーの段階的廃止を唱える強力な論拠となる。
ここ数十年間の軍事戦略と生態学的に持続不可能な開発という全地球的な趨勢を目にすると、人間の安全保障と地球の健全性、そして究極的には文明の存続にとって、核戦争と気候変動が、今まさに2つの最も重大な脅威となっていることが強く見て取れる。
「対テロ戦争」のような外交の軍事化は、国家と非国家勢力による武力紛争に火を付け、核兵器が存在する限り、意図的に、あるいは誤算や事故によって、それが紛争で使用されるかも知れないというリスクを負うことになる。何千発もの核兵器が常に存在し、広島と長崎の破壊は人々が忘れることのできない記憶となっているにもかかわらず、核による世界の終末は、信じられないことに、むしろ抽象的な潜在意識レベルの恐怖に留まっている。
我々の生命を維持する生態系の破壊と気候変動はいま、実際に目に見え感じられるほどになった。それは、化石燃料を代替エネルギー源で置き換え、国際経済と消費社会のあり方を変えることによって、二酸化炭素の排出を削減することが緊急に必要であることを、人々と政府に納得させるのに十分だった。このことが原子力産業に新しい命を吹き込んだが、福島原発災害がチェルノブイリの記憶を呼び覚ましたので、原子力の安全性には深刻な疑問が投げかけられ、原子力ルネサンスの勢いは鈍った。
アルバート・アインシュタインは警告した。「原子の分裂は全てを変えたが、人間の思考パターンだけは変わらなかった。したがって、我々は類例のない破局に向かって漂流しているのだ。」
アインシュタインの警告を別の言葉で言い換えてその結末を付け加えるなら、「一切の拘束を受けない市場の力学と大企業の利益追求が全てを変えたが、人間の思考パターンだけは変わらなかった。したがって、我々は類例のない経済的・生態学的破局に向かって漂流しているのだ。」
核兵器と原発は深刻な脅威となっている。これら二つの脅威に、核兵器の廃絶と核エネルギーの段階的廃止によって対処しなければならない。核分裂の呪いは祓い清めなければならない。
核の時代の幕開け
核の時代の最初の兆候が地平に現れたのは1930年代だった。ヨーロッパの科学者たちが原子の構造を発見し、さらに進んで原子を分割させ、核分裂が物質をエネルギーに変換することを発見した。
アインシュタインの有名な方程式
E = MC2 (ここで Eはエネルギー、M は質量つまり物質、Cは光速)
を、現実のものとしたのだった。
1939年までに、アメリカの研究所では核分裂性のウランからエネルギーを発生させ、ナチス・ドイツよりも先に爆弾を作る可能性についての研究を開始していた。ルーズベルト大統領はこの目的のために、軍事科学事業となるマンハッタン計画を開始させた。
ロバート・J・オッペンハイマーに率いられた科学者たちは、熱に浮かされたように働き、3つの原子爆弾を製造することに成功した。暗号名を「トリニティ」という最初の爆弾は1945年7月16日の夜明け前、ニューメキシコ砂漠のアラモゴード付近で炸裂した。
260人の科学者と軍人たちが、世界初の核爆発実験の恐るべき力を目撃した。静かな、まぶしい閃光が、夜明けの空を照らし出した。太陽の一千倍以上のまぶしさだった。何秒か遅れて衝撃波が襲い、巨大なキノコ雲が砂漠の地面から立ち上った。埃とガスの沸騰する塊だった。そこにいた者たち、原爆を作り出した者たちは、ショックの余り呆然となり、不吉な予感をもって立ち尽くしていた。それは歴史の転換点だった。熱狂に冷や水を打たれた瞬間だった。それが核の時代の幕開けであり、無邪気な子供時代に終止符を打った瞬間だった。
オッペンハイマーは次のように回想した。
「私たちは爆風が過ぎ去るのを待ち、待避壕から歩いて出ると、そこは極めて厳粛な感じでした。私たちは世界が今までとは同じでなくなることを知りました。笑っている人が何人か、泣いている人も何人かいました。ほとんどの人々は沈黙していました。私はヒンドゥー聖書『バガヴァッド・ギーター』の一節を思い出しました。ヴィシュヌ神は王子を執務に就かせるよう説得するため、王子を驚かそうとして、彼は何本もの腕を持つ体となって王子に言った。『我は死、世界の破壊者となった』。私たちみんな、何らかの形でそう思ったことでしょう。」1
このときまでにドイツは降伏し、日本は首の皮一枚でつながっている状態だった。科学者たちの中には、このように破壊的な兵器を使用することの倫理性を問いかけた者もいて、日本を説得し降伏させるには離島で核爆弾の威力を見せればよいと嘆願したのだが、その声は届かなかった。しかし他の科学者や軍の指導者たちは、残された2発の爆弾を日本の2都市に投下するというトルーマン大統領の決定を支持した。
トリニティの4時間後、アメリカ海軍艦艇インディアナポリスはサンフランシスコを出航した。向かったのは太平洋上のテニアン島。そこで原爆の部品が組み立てられた。2発の爆弾は皮肉を込めて「リトル・ボーイ」と「ファット・マン」と名付けられた。
1945年8月6日と9日、これらの爆弾は広島と長崎に投下され、両都市を完全に破壊し、わずか数秒の間に10万人以上の人々を焼き殺し、蒸発させた。
相互確証破壊
それから3ヶ月足らず後の1945年10月24日、「後に続く世代を戦争の災難から救うために」国際連合が発足した時、世界の指導者たちの心中にあった第一のものは、広島のキノコ雲だった。
1946年1月24日に満場一致で採択された国連総会のまさに第1回決議で、原子爆弾その他の大量破壊兵器を禁止することを目指す原子力委員会(AEC)を設立させた。しかしその当時、核兵器はまだアメリカの独占状態で、アメリカはこの絶対的優位性を投げ出すつもりはなかった。当然、ソビエト連邦も国連の査察によって制約を受けることにより、原子爆弾を手にする権利を放棄するつもりはかった。したがって、国際機関により核エネルギーを全世界的に管理するバーナード・バルークの案は、失敗に終わった。2
その代わり、1949年に始まったイデオロギー対立による冷戦が、超現実的な核軍備競争の引き金を引き、6万発もの核弾頭を産み出した。50年にわたり、世界の超大国は2,047回の核実験を世界中の地上、地下、水中で行った。数百回の大気圏内核爆発で、放射性同位体が国境を越えて環境中に放出された。1996年に包括的核実験禁止条約(CTBT)が調印されるまでの核実験を合計すれば、それは罪のない市民に対する宣戦布告無き核戦争とも言うべきものであった。
冷戦下の安全保障を支えた理論は、「核抑止」と、警告があれば2〜3分以内に発射できるように準備された核弾頭による「相互確証破壊」(英語の頭文字でMAD、つまり気違いという、実にふさわしい名前になる)というものであった。核抑止に反対する論理的主張の中心は、核抑止は誤りのない理性的な世界でしか成功せず、したがって現実世界では究極的に失敗するというものである。
50年間、世界は核のルーレット・ゲームで遊んでいたのであり、核による殲滅の瀬戸際を、ぐらぐらと揺れ動いていたのだった。1962年10月のキューバミサイル危機のような、核抑止が失敗し人類があわや絶滅という事態は、一度だけではなかった。
ロバート・ケネディーが回想しているように、キューバミサイル危機の13日間で、「世界を核による破壊と人類の終焉という暗黒の淵へと導く…2つの核大国の間での対立」が顕わになった。3 この瀬戸際政策の恐るべき経験が、アメリカとソビエト連邦の関係を大きく変化させ、軍縮におけるより広範な協力への道を開くことになった。
核拡散防止条約
しかし、核の誘惑はその後も続き、米ソ2国だけの「核クラブ」はイギリス、フランス、中国を加えて5カ国になった。核兵器が他国へ拡がるのを防ぐため、核拡散防止条約が1970年に発効した。
核拡散防止条約は、5カ国の「核を持てる国」と数十カ国の「核を持たざる国」の間の見返り合意に基づいている。核兵器保有国は保有する核兵器の廃絶に向けて努力することを誓い(第6条)、その一方で非保有国は核兵器を将来も保有しないことを誓い(第2条)、その見返りとして平和目的の核技術を開発する不可侵の権利を有する(第4条)。
これは、ダブルスタンダードと核のアパルトヘイト(差別政策)の温床となるのに完璧な条文だった。核兵器保有国は核兵器の増強を続けたが、非保有国には保持の禁止を要求した。核拡散防止条約の締約国は5年ごとに再検討会議を開き、核軍縮と核の不拡散の双方について進捗の有無を評価する。
デタント(緊張緩和)
1985年、ミハイル・ゴルバチョフの登場と彼が推進したグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)政策が冷戦を終結させ、軍縮にも著しい譲歩があったので、明るい希望の時代の到来を告げた。
1995年、核軍縮への制約が核兵器保有5カ国によって再確認された後、核拡散防止条約は無期限に延長された。
1996年、オーストラリア政府が出資した「核兵器の廃絶に関するキャンベラ委員会」はその報告書で、核抑止の理論をくつがえし、即時実行可能な核兵器廃絶へのステップを提唱した。報告書は、どの国家による核兵器の保有も他国にとっては核兵器獲得への刺激となることを主張し、事故や誤算、設計ミスによって使用されるようなことはないという信頼性を疑問視し、そのような核の使用は破局的なものになることを認めた。
同年、国際司法裁判所(ICJ)は、核兵器の法的地位に関する助言的意見で、核兵器の使用または使用の威嚇は国際人道法の規則に従うと裁定され、「核軍縮につながる交渉を、あらゆる観点から、厳格で効果的な国際的管理のもとで、誠意を持って追求し決着させる義務がある」と満場一致で結論した。4
2000年、核拡散防止条約再検討会議で、その最終文書が「保有する核兵器の完全廃絶を達成するという核兵器保有国による率直な約束」に基づく「実現可能な13段階」の軍縮計画を提示したとき、希望は高まった。
2005年、再検討会議で、ブッシュ政権の率いる核兵器保有国が軍縮への「率直な約束」を反故にした時、希望は打ち砕かれた。
5年後、2010年の核拡散防止条約再検討会議では、オバマ大統領が2009年にプラハでの演説で「核兵器を使用したことのある唯一の核兵器保有国として、アメリカには道義的責任があり」、「核兵器なしで世界の平和と安全を」実現するために「行動しなければならない」と述べたのを受けて、締約国の楽観的な期待が交渉の場の雰囲気を変えた。
その1ヶ月前にメドベージェフ大統領と第四次戦略兵器削減条約(新START)に調印していたオバマ大統領は、このとき溢れんばかりの善意を生み出すことができ、他の国々を鼓舞して、複雑な問題の協議事項にも満場一致の妥協と合意を引き出すことに成功した。これで、我々は2015年の再検討会議に望みを繋ぐことができる。
地域的核戦争の影響
全面核戦争のリスクはほとんど無くなったとはいえ、それで満足してはならない。小規模な地域的核戦争が気候に及ぼす影響についての、不穏な新しい研究結果が、気候学者たちによって明らかにされた。5
たとえば、インドとパキスタンの間の限定的な地域的核戦争でさえ、広島型核兵器の100倍の規模になり、そこで発生した煤煙の雲は成層圏の上部に押し上げられるだろう。これは日光の7-10%を遮り、地表の気温を著しく低下させ、降水量を減少させるだろう。これらの影響は何年も続き、作物の栽培可能期間を縮め、農業生産を著しく減少させ、飢饉を引き起こすかもしれず、それはペストや発疹チフス、マラリア、赤痢、コレラのような伝染病の大流行につながるかもしれない。地域的核戦争は地球を保護しているオゾン層を傷つけ、紫外線を増加させて皮膚癌が増える可能性もある。核軍縮に油断している余地など全くない。
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)
職業人の団体は、人権や平和、軍縮運動で常に重要で効果的な役割を演じてきた。医師たちは病気を治癒させることが仕事だが、しばしば突然死に直面する。広島と長崎の原爆投下は10万人以上の突然死を引き起こし、医学は核戦争の生存者たちには何ら意味あることができないことが証明された。
循環器専門医たちは心不全による突然死にも直面し、アメリカの著名な循環器専門医であるバーナード・ラウンは、核兵器の廃絶によって核戦争を防ぐことは義務であると強く認識した。冷戦の最盛期に、核抑止という表現がますます盛んに使われるようになっていった時、バーナード・ラウンは、ソビエトの指導的循環器専門医であるエフゲニー・チャゾフに、核兵器を廃絶するための医師による世界規模の運動を組織するので、参加してもらえないかと説得した。1980年、イデオロギーの対立を乗り越えて、ジュネーブで核戦争防止国際医師会議(IPPNW)を設立した。1985年、IPPNWは、「権威ある情報を広め、核戦争の破局的影響に気付かせることにより、人類に多大な貢献をした」として、ノーベル平和賞を授与された。6
1980年以来、IPPNWは欠陥を抱えた核拡散防止条約の手続きの中で、他の軍縮市民団体や国際連合、政府と共同で、世界から核兵器をなくすために活動した。2005年の核拡散防止条約再検討会議が全くの失敗に終わった時、これに対応してIPPNWは方針を転換した。IPPNWは核拡散防止条約だけに焦点を絞ることをやめる代わりに、核拡散防止条約の枠の外で考え、外部に向けて核拡散防止条約の手続きと並行したキャンペーンを展開することを決めた。IPPNWはこれを核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と名付け、オタワ条約のような手続きに基づく核兵器禁止条約を通して核兵器廃絶を訴える活動を始めた。
1997年に地雷を禁止するオタワ条約の手続きが成功したのは、カナダの元外相ロイド・アックスワージーの尽力によるところが大きかった。志を同じくする政府や、市民社会、国際組織、国際連合が協力し合って、地雷という手に負えない世界的な問題を正しい方向に導き、地雷禁止条約の締結に持ち込んだ。
2007年5月、核拡散防止条約準備委員会がウイーンで開かれ、IPPNWは公式に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)を開始し、1997年に国際連合に提出し、国連文書A/C.1/52/7として受理された核兵器禁止条約原案を、更新・改訂して上程した。
核兵器禁止条約
核兵器禁止条約(NWC)は、核兵器の開発、製造、実験、配備、貯蔵、輸送、使用あるいはその脅迫を禁止するものとなるであろう。
潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は、口頭で核兵器禁止条約への支持を表明、2009年8月には核兵器のない世界のための5項目の計画を提示し、「信頼できる検証体制によって裏付けられた、一つの新しい条約、あるいは相互に補強し合う一連の協定」の実現を呼びかけた。7
核兵器禁止条約の実現には全世界的な努力を必要で、全ての政府のみならず市民社会の主体の多くが善意を持って参加することが求められるだろう。ICANの行動計画は、志を同じくする政府や個人、非政府組織、市民団体、議員、市長、その他の市民リーダーたちの支持を集め、多面的で国際的な草の根キャンペーンを作り出すというものである。
核兵器禁止条約は、核兵器に対する普遍的で断固たる非難を具現化し、核兵器を禁止し非合法化する国内的・国際的な手段を含むものになるだろう。このような条約は核兵器への依存からの脱却を目指すより広い社会・政治的運動を誕生させる助けになるだろう。核軍縮の進展という長年の目標を、核兵器ゼロへの実現可能なロードマップに基づいて、全廃まで推し進めるだろう。世界を引っ張って行くための政治的意志を焚きつける一個人あるいは団体の登場が待たれている。
核兵器の全廃という事柄は、奴隷制度、植民地主義、人種差別とアパルトヘイトの全廃のような、他の偉大な社会運動の古典的歴史的な物語に連なっているように見える。最初、その考えは意志決定者によって無視される。次に、その考えは芽を出して抵抗を押し返す。最終的に、それは世論の標準となる。そして、市民社会が闘争を諦めなければ、法律が変化を始める。ウィリアム・ウィルバーフォース、マハトマ・ガンディー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ネルソン・マンデラのような理想家たちが思い出される。
核エネルギー:コスト、リスク、そして神話
核の時代というのは、核兵器と核戦争の脅威だけでなく、核エネルギーとそれに伴う核廃棄物や原子力事故による健康、安全保障、環境リスクについての問題である。原子力は核兵器の副産物として発展し、1960〜1970年代に普及が始まったが、世界の電力の13.8パーセントを供給するに留まっている。
ヨハネスブルグ実施計画(2002年)は「信頼でき、安価で、採算が合い、社会的に受容可能で、環境的に健全な」エネルギーの必要性を呼びかけた。しかし原子力は、神話に塗り固められ、原子力産業側からの情報工作の結果として安全でクリーンで安価だと多くの人々に誤認された、油断のならないエネルギーである。疑いもなく、原子力は環境と人間の安全、国家予算に有害な影響を及ぼし、その歴史は以下のようなもつれた未解決のリスクと課題に包まれている。
- 非常に有害な長寿命の放射性廃棄物の安全な処分が不可能なこと
- 隠された核兵器拡散と核テロリズムという安全保障上のリスク
- 核の経済性問題と増大する建設、運転、保険、そして原発廃炉のコスト
- 原子力事故時の健康と環境上の危険
原子力の最も危険で受け入れがたい特徴は、長寿命の放射性核廃棄物を安全に処分する方法がないことである。原子力産業の言う核廃棄物問題への「解決法」、たとえば使用済み燃料再処理や統合高速炉、核廃棄物の深層地層埋設処分のような構想、は机上の空論に過ぎない。統合高速炉や地層処分場は世界中のどこにも、一つも存在しない。
30ヵ国にあるほとんどの原発は放射性の高い使用済み燃料を水中貯蔵している。発電所内の貯蔵プールは、地下か、福島のように炉心の上にあり、そのような貯蔵法の危険性が今回明らかになった。8
核廃棄物は何万年ものあいだ放射性を持ち続け、たとえばプルトニウムの半減期は2万4千400年である。それはつまり、プルトニウムの放射能が半分になるのに2万4千400年かかるということである。したがって核廃棄物は少なくとも10万年間、つまり「永遠に」安全に管理しなければならない。しかし、この地球上に2000年以上続いた社会的組織は存在しない。このことはつまり、もし中世の人が核エネルギーを使ったとしたら、今日の我々はいまだに彼らの核廃棄物の管理を続けているということになる。このように致死的な負の遺産を将来の世代に遺すということは、良心を欠いた非道な行いである。
核兵器の拡散
核技術と核物質は民生と軍事の二重の用途を持つので、イスラエルとインド、パキスタン、北朝鮮で起きたように、民生用核施設は実は秘密裏に兵器拡散に向けてじりじりと進んでいるのではないかという疑いが持たれている。
したがって、原子力ルネサンスは、ウランを濃縮しプルトニウムを分離する能力を持った核兵器「ボーダーライン」国の数を増加させ、全世界における兵器級ウランとプルトニウムの備蓄量を増加させる可能性がある。10キログラムのプルトニウムで長崎型原爆1発を製造できるとすると、典型的な100万KW原子炉は1年で300キログラムのプルトニウムを生産することができ、30発の原爆を製造できることになる。
核テロリズム
原発は攻撃に弱く、テロリストの格好の標的となる。テロリストは、
- 盗む、買い取るなどして核分裂性の核物質を手に入れ、初歩的な荒っぽい核爆弾を作る
- 原子炉、再処理工場、使用済み燃料貯蔵施設を標的にして、地上からの攻撃や、航空機の激突、爆薬を満載したトラックを爆発させる、自爆テロなどで攻撃する
- 原子炉への電力や水の供給を断ち、燃料棒のオーバーヒートとメルトダウンの引き金を引く
- 通常爆薬を中心にして放射性の核物質と焼夷弾で包んだ放射能兵器、いわゆる「ダーティー・ボム(汚い爆弾)」を大都市の中心で爆発させる。
核の経済性
原子力産業は安価だと主張するが、それに反して核エネルギーは安くない。高価な原子炉の建設、研究開発、ウラン濃縮、廃棄物管理、事故に対する保険、融資保証、廃炉のための莫大な補助金によって、核エネルギーの本当の経済性は隠されている。
2003年以降、新規原発の推定資本費用は急増した一方で、再生可能エネルギー技術の資本費用は実質的に減少した。最もコストの低い再生可能エネルギーは、適切な場所に立地すれば、すでに核エネルギーと同等の経済性を持っている。よりコストのかかる再生可能エネルギーも2020年頃までに核エネルギーと競争できるようになる可能性がある。
頻度は低いが破局的な原子力事故のコストは莫大であり、これには保険をかけておく必要があるというチェルノブイリでの経験は、福島の核惨事でさらに強化された。核惨事を起こした容疑者である、いまや崩壊寸前の原子力産業に注ぎ込まれる全ての資金は、再生可能エネルギーやエネルギー効率改善など必要性のもっと高い研究開発活動から、限られた資源(訳注:人・モノ・金)を持ち去っていくだろう。
福島
最初の原子炉が建造されて以来、原子力事故は大きな社会的関心事となってきた。多くの技術的な予防措置は、大小の事故、ニアミス、「事象」を回避することに失敗してきた。1952年から2009年までの間に99件の事故が起き、その内の56件はアメリカで、57件は1986年のチェルノブイリ以後に起きた。
原子力の「大事故」というのは、ともに国際原子力事象評価尺度で最高のレベル7の緊急事態であるチェルノブイリと福島で起きたように、炉心が損傷し大量の放射能が放出される事故である。9
2011年3月11日の福島第一原子力発電所のメルトダウンは、マグニチュード9.0の地震によって引き起こされた高さ10~14メートルの巨大な津波が原発を襲った時、原子炉冷却系への電源が失なわれ、燃料棒が過熱したために起きた。
機能しない非常用発電機のような技術的問題から、原子炉に冷却水を供給する責任を持つ官庁がどこなのかといった指揮系統の混乱まで、東京電力(東電)が運転するこの発電所の、原子力を支える基本的なものごとが機能不全に陥っていたことは、事故後数時間のうちに判明した。もし何かが故障したり失敗する可能性があるなら、それは遅かれ早かれ故障したり失敗する運命にある。つまりそれがマーフィーの法則である。
第一原発の建屋群が4回の水素爆発で大きく破壊されたとき、放射性のセシウム137(半減期30年)と、ヨウ素131(半減期8日)、その他の核分裂生成物が環境に放出された。現在、福島とその周囲の県の土壌に含まれる主要な放射性汚染物質は、セシウムとヨウ素である。10土壌1キログラム当たり約30万7千ベクレルのセシウムが検出されたが、日本政府の法的規制値は1キログラム当たり1万ベクレルである。
チェルノブイリでのデータに基づいた今回の事故による発癌への影響の推定はいまだに実施されていないが、その規模を暫定的に予想してみることは可能である。
1平方キロメートルあたり1キュリーを上回るレベルのセシウム137に汚染された福島原発の半径50マイル(80キロメートル)以内には百万人が居住していた。これをチェルノブイリ事故での同様のレベルの汚染地帯に住んでいた6百万人に当てはめると、福島事故に関連して千人の癌死者が余分に発生すると考えられるだろう。
1986年のチェルノブイリ事故の後19年間、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は、ベラルーシとウクライナで放射性ヨウ素131に被曝した子供と青年に、6千件を上回る甲状腺癌があったと報告した。事故から8年後の1994年に生まれた子供には、放射線によって誘導された遺伝子突然変異の倍増も見られた。11 福島核惨事からも同様の結果が生じることが予想できる。
多くの健康問題に加え、技術的、社会的、法的、経済的問題が残っているので最悪の事態が終わったというには程遠い。主要な短期的課題には6基の原子炉を安定化させ、10万トン以上の汚染水を処理し、放射性の瓦礫で汚染された発電所敷地を除染することが含まれる。長期的な課題には、貯蔵プール内の使用済み燃料と原子炉内の損傷した燃料棒をどうにか処理し、冷温停止を達成し、廃炉にすることが含まれる。
最終的な人々の悲劇と経済的コストの程度は何年も知られることはないだろう。社団法人日本経済研究センターは、日本は18万人の避難者に対する補償を含めて2兆5千億ドルを要するかもしれないと推定した。
民衆不信
福島第一発電所のメルトダウンは起こるべくして起きた。この事故の種子は日本の原子力計画の歴史のごく初期に蒔かれた。核の時代のまさに始まりの時から、原子力産業は情報公開に背を向け、判で押したような秘密主義を、生まれつきの痣(あざ)のように押し通してきた。原子力産業は、誤解を招く声明を出し、真に開かれた討論を避け、小規模な原子力事故を隠蔽するといった歴史に彩られている。原子力規制団体は非常にしばしば便宜のために行動し、公衆衛生の重要な問題をもっともらしく言い紛らし、厳密な質問に口当たりの良い決まり文句で答える。
ソビエト連邦がチェルノブイリに対応した時と同様に、日本の福島への対応は、いかに国家が国民の根本的な権利よりも政治的関心を優先させるかを如実に示した。パニックを避けるために情報の内容と流通を管理し、事故の法的責任を軽減し、原子力その他の企業の利益を保護した。
一例として、福島のメルトダウンから3ヵ月後、日本政府は、最初の1週間で放出された放射能の量は77万テラベクレルで、東電が最初に推定した37万テラベクレルの2倍以上だったと発表した。12
地質学的な不確実性
原発は「設計基準事故」と呼ばれるものに耐えるように設計され建設される。その立地場所は、地質学者により判定される地質的に安定で物理的に安全な環境を注意深く選んで決定される。「設計基準事故」の確率は「想定事象」に基づいており、それは確率解析により決定される。この解析が誤りであったので、福島の破局的事故は「設計基準を超える事故」であった。福島で起こる可能性のある「想定事象」はマグニチュード7.9以下の地震と高さ6.7メートル以下の津波と計算されていた。福島でマグニチュード9.0の地震や高さ10~14メートルの津波が起きるかもしれないということは、確率解析には入っていなかった。
知られていない断層や地質学的プロセスはいくつも存在していて、「想定事象」の正確な予測はいっそう困難になる。言い換えれば、これは知的な推測ゲームのようなもので、いくらやっても推測に過ぎない。
ウェイクアップ・コール
福島事故は原子力産業のゲームのルールを書き替えてしまうかもしれない。それは441の原発を運転する30カ国と、さらには最初の原子炉を建設しようと計画している国々との全てに対するウェイクアップ・コール(目を覚まさせる警鐘)である。原子力の安全やフェールセーフ(故障しても安全)な原子炉などというようなものは存在しない。ヒューマン・エラーや予測不可能な事象は避けることができない。
世界中の政策決定者と原子力産業は、福島の事故によって当然ながら原子力への信頼と支持を傷つけられたが、いま福島の教訓を真剣に評価し、その意味をくみ取り、学ぶことが必要である。多くの国々は、自国の原子力施設の安全性と、核利用方法の選択、将来のエネルギー政策を再検討せざるを得なかった。中国、ベネズエラ、イタリア、台湾は原子炉新設の計画を凍結した。電気の22%を17の原発に依存してきたドイツとスイスは、核エネルギーを段階的に廃止し再生可能エネルギーを開発する法案を通過させた。オーストリア、イギリス、ブルガリア、フィンランドは、原子力の安全性再検討を始めた。フランス、イタリア、南アフリカ、韓国、スウェーデン、タイ、トルコ、マレーシアの市民団体は、核エネルギーに反対するキャンペーンを強化した。
放射線と健康
放射線は目に見えず手触りもなく臭いもない。いったん放出されれば回収することも中和することもできない。放射線への被曝に安全なレベルなど存在しない。放射線医療行為からの低レベルの被曝でさえ、その害に関するリスクは数量化できる。
電離放射線は、原子から電子を剥ぎ取ったり、分子と呼ばれる原子の集団を結束させている化学結合を切ったりすることにより、人体の細胞に変化を起こす。
高線量の被曝では、ひどく損傷した人体細胞は死ぬ。低線量被曝では、細胞がDNAの損傷を修復して生き残ることができるか、さもなければ、最初の被曝から何年も後になって、癌のような遅発性の影響が発生するかもしれない。人体が損傷を修復することができないとき、催奇性の突然変異が起きる場合もあり、それが将来の世代に遺伝して先天性奇形を起こすかもしれない。
人類は太陽や岩石、山などによる自然の放射性環境に生きている。しかし正確な情報を統制し、誤った情報の拡散を繰り返した結果、以下のような誤った中心的メッセージが強化され、それを多くの人々が信じるようになった。
- 人類は背景放射線が天然に存在する世界で進化してきたので、あるレベルまでの放射線は有益である。
- 放射線の平均的な健康影響があるとき、たまたま偶然に高いレベルの放射線への被曝によってしか発生しない。
2005年の電離放射線の生物学的影響に関する米国科学アカデミー委員会(BEIR VII)は、一生に渡り1mSvを追加で被曝するごとに、癌のリスクはおよそ1万人に1人増加すると推定した。13
放射線への低線量被曝は無害であるという肯定論は、核兵器の製造と実験における政府と産業の要求を満たすために冷戦時代の科学が作り出した虚構である。冷戦下では、放射性降下物が健康に及ぼす影響についての公式見解と矛盾するような科学的発見は常に検閲された。1994年の人体放射線実験に関する米国諮問委員会は、冷戦下の放射線の健康への影響に関する文献は、軍事経済的な行動計画を満たし法的責任を避けるため、民衆の不安を無くし反対運動を沈静化させるのに不適切な部分は徹底的に削除されたと結論づけた。
しかし、アメリカとソビエトの放射線人体実験の記録や、チェルノブイリとマーシャル諸島の生存者に関する長期的研究のような、放射線によって起きる健康被害の証拠を提供する決定的な情報源がいくつか存在する。放射性降下物による海洋と陸上環境の汚染は最終的には食物連鎖を経て人体に入り込み、著しい健康リスクを意味することを私たちは知っている。
チェルノブイリ核惨事からの降下物がヨーロッパ土地面積のおよそ40%を汚染したことを私たちは知っている。ベラルーシ、ウクライナ、西部ロシアと、さらに風下のヨーロッパで被曝した人々の一生涯の間でおよそ1万6千人の死者が出ると予測されている。福島後の日本で長期的な健康への影響がどんなものになるかは現在のところ明らかではない。
核爆発であれ原子炉メルトダウンであれ、放射線からの健康リスクは、核兵器と原子力の基盤である核分裂の再評価を我々に迫るに違いない。
生と死
現在、核兵器を保有する9カ国は合計2万4千発の核兵器を保有し、その95パーセントはアメリカとロシアのものである。1万2千発は使用可能で、そのうち3千5百発は今も厳戒態勢の状態にある。Bulletin of the Atomic Scientists (「原子科学者会報」)の理事会は、今日の核兵器50発で2億人を殺すことができると指摘している。14
ハイレベルの国際組織は核廃絶につながる核軍縮の優先順位と緊急度を表明してきた。そのような国際組織の中には、核兵器の廃絶に関するキャンベラ委員会(1995年)と、国際司法裁判所(1996年)、大量破壊兵器委員会(2006年)、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND, 2009年)がある。
核不拡散・核軍縮に関する国際委員会による報告書の第1段落は、人類と地球の生存に対する脅威についての警告である。
「核兵器はこれまで誕生した兵器の中で最も非人道的なもので、(直接的)殺傷とその後何十年間も続く致死的な影響は、本質的に無差別である。事故や誤算、設計ミスによって、だれがいつ使用しても、その影響は破局的なものになる。かつて発明された兵器の中で、地球の生命を完全に破壊する能力を持つ唯一の兵器である。現在の保有量は、爆裂と、放射線、その後の「核の冬」効果を合わせ、完全破壊を何回も繰り返せるほどである。気候変動はこれまでの10年間で最も注意を引いた国際政治的問題かもしれないが、核兵器は少なくともその重大さにおいてこれに等しく、その影響を考えれば遙かに緊急を要する問題である。」15
核兵器のない世界への国際的支持の盛り上がりにもかかわらず、核ゼロへの道は平坦ではなくその進みも遅いのは、核兵器保有国のエリート航海士や運転士たちが非常に遅いペースで動いているからである。しかし世界には時間を無駄にしている余裕はない。
核分裂の魔神を壺から出してしまったので、もう時計の針を戻すことはできないという固定観念をこそ、我々は攻めたてなければならない。核兵器の発明を取り消すことはできないかもしれないが、我々はそれを非合法化し廃絶することができる。
もはや冷戦下の核の必要を気にすることのなくなった世界で、核軍縮は徐々に勢いを得つつある。2007年1月、「四人組」として知られるようになったジョージ・シュルツと、ヘンリー・キッシンジャー、ウィリアム・ペリー、サム・ナンによるウォールストリートジャーナルの署名記事は、世界中に響き渡った。もっとも、政治外交的に高名な4人の名前の方が記事の内容より目立ちはしたが。16
この署名記事は際立った影響を与え、活動家たちの主張を辺境から主流の場へと引き出した。四人組はとうとう、核兵器への依存は「危険が増大する一方で効果が減少している」ことに気付いた。彼らは、「核の脅威がない世界の基礎を敷くための、合意にもとづく緊急のステップ」を「精力的に実行する」必要があると主張する。
我々の無秩序な世界の大部分は、しばしば根本的な人間の安全保障や、社会正義、人権を犠牲にして、軍事力を後ろ盾とする政治経済的な力学によって形成される。不平等や貧困、剥き出しの軍国主義、生態系の劣化のような困難な問題では、倫理的責任と説明責任の感覚が意志決定者たちに必要とされる。政治経済全般の行き過ぎを抑え、説明責任を確保するために、国際市民社会が積極的に関わって行くことが何としても必要である。
道徳的規範と国内法は市民を束縛するかもしれないが、倫理と国際法が同じように主権国家を束縛しているようには見えない。実際の場では、偏狭な国益の追求において、倫理規範はしばしば外交政策とは無関係と見なされる。国家に受け入れられた規範ではなく、制度と慣行に組み込まれた普遍的な規範の上に確立されたものを拠りどころにした、国際社会の現実としての国際倫理的枠組みを創り出すことが必要である。普遍的な価値観の合意を形成し、ダブルスタンダードを避けるための政治的意志を創り出すことが、われわれに課された挑戦であろう。
核の時代の逆説は、核兵器を通じて軍事力と安全保障の確保に努めようとすればするほど、人間の安全保障というゴールが見えなくなることである。環境が脅かされ核兵器を持つ世界で人類が生存するには、我々は過去の失敗に学び、共有の安全な未来を作り出さなければならない。我々の時代で最大の倫理的困難は、想像もできない核戦争や気候の大変動による地球的スケールの自己破壊の可能性である。未来のための最優先事項は、未来の存在を保証するということである。
脚注
References
1. Richard Rhodes. The Making of the Atomic Bomb, Simon & Schuster,
1986, p. 676.
2. C.G. Weeramantry. Nuclear Weapons and Scientific Responsibility,
Longwood Academic, Wolfebro, NH, 1987, p. 19.
3. William A. Schwartz and Charles Derber, The Nuclear Seduction, University of California Press, Oxford, England, 1990, p. 146.
4. Ann Fagan Ginger. Nuclear Weapons are Illegal, 1998, The Apex Press, New York, p. 1.
5. Alan Robock et al. Climatic consequences of regional nuclear conflicts, Atmospheric Chemistry and Physics Discussion, 2006; 6:11817-11843.
6. Bernard Lown. Prescription for Survival, Berrett-Koehler Publishers Inc., San Francisco, 2008, p. 344.
7. Ban Ki-moon. A five point plan to rid the world of nuclear bombs, Gulf Times, Qatar, 3rd August 2009. http://www.un.org/sg/printarticle.asp?TID=105&Type=Op-Ed.
8. http://www.ucsusa.org/nuclear_power/reactor-map/embedded-flash-map.html
9. Richard Black. 12 April 2011, Fukushima: As Bad as Chernobyl?
http://www.bbc.co.uk/news/science-environment-13048916.
10. Frank N von Hippel. The radiological and psychological consequences of the Fukushima Daiichi accident, Bulletin of the Atomic Scientists, 2011, 67:27. http://bos.sagepub.com/content/67/5/27
11. UNSCEAR Assessment of the Chernobyl Accident.
http://www.unscear.org/unscear/en/chernobyl/html
12. Masami Ishii. World Medical Journal, Vol.57, Number 4, August 2011, p. 144.
13. Committee to Assess Health Risks from Exposure to Low Levels of Ionising Radiation. BEIR VII: Health risks from exposure to low levels of ionising radiation. Washington DC, National Academies Press, 2005:303. Available at http://www.nap.edu/
14. Bulletin of the Atomic Scientists, January/February 2007, p. 67.
15. Report of the International Commission on Nuclear Non-proliferation and Disarmament. Eliminating Nuclear Threats, Paragon, Canberra, 2009. Electronic copies: http://www.icnnd.org/
16. George P. Shultz, William J. Perry, Henry A. Kissinger, Sam Nunn and others. A World Free of Nuclear Weapons, Wall Street Journal, New York, January 4, 2007.
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