2016年11月20日 更新
1950年代半ばの電動玩具時代の始まりから任天堂のファミリーコンピューター発売(1983年)までのおもちゃの歴史を振り返ってみましょう。おもちゃの歴史を通じて、当時の文化や生活習慣などを振り返ることもできます。どっぷりと懐かしい昭和時代を満喫することができます。
赤銅鈴之助の赤鞘の刀が流行
1958年(昭和33年) エポック社「野球盤」
初代野球盤(写真は復刻版)
1958年10月18日にフラフープ販売。日本中で爆発的に売れて一大ブームを起こした。
1958年 国産初のプラモデル玩具「ノーチラス号」登場
日本最初のプラモデル「原子力潜水艦 ノーチラス号」
1959年(昭和34年) 銀玉鉄砲『マジックコルト MC-50』(セキデン) 「銀玉鉄砲」が駄菓子屋に登場すると、男の子の遊びは大きく変わりました。
ゴムを飛ばす割り箸鉄砲や細長い篠竹で作る竹鉄砲など、工夫を凝らしておもちゃの鉄砲を自作して遊んでいた昭和の時代。銀色にコーティングされた“銀玉”を実際に発射できるプラスチック製のおもちゃ「銀玉鉄砲」が駄菓子屋に登場すると、男の子の遊びは大きく変わりました。
日本初の銀玉鉄砲「マジックコルト」が駄菓子屋に初めて並んだのは昭和34年。発売当初はプラスチック製の銀玉でしたが、開発元である大阪のセキデン化学工業の社員が「鉄砲を撃つ度に弾を拾い集める子どもの姿」を見て、もっと安く作れる素材を探すことを決意。そして誕生したのが、七輪などに使われる軽くて安価な珪藻土を使った銀玉だったのです。
「ローン・レンジャー」や「ララミー牧場」など、アメリカの西部劇TVシリーズが人気を博していた時代に銀玉鉄砲は大ヒット! 同社では1日に3万丁を製造し、銀玉だけで約2トンに上っていた時期もあったそう。
1960年:西部劇ドラマの流行でガン・ブーム起こる
「ローン・レンジャー」や「ララミー牧場」など、アメリカの西部劇TVシリーズが人気を博していた時代に銀玉鉄砲は大ヒット! 左が初代マジックコルト、右が2代目マジックコルト
1959年(昭和34年) 『プラレール』(富山商事) 鉄道おもちゃのロングセラーの登場
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