連載
季語刻々
季節折々の句を紹介します。
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青みかん置いてそのまま夜の脚立
2024/9/30 02:01 189文字◆今 ◇青みかん置いてそのまま夜の脚立 岩津厚子 子どものころの青ミカンは酸っぱかった。未熟のミカンだったから。今は初秋に出まわる極早生(ごくわせ)の皮の青いミカンで、糖度が高い。「角川俳句大歳時記・秋」から引いた今日の句、昼間の片付け、あるいは工事の名残か。青ミカンの置かれた脚立の風景が油彩の静
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妻も子も寺で物くふ野分かな
2024/9/29 02:01 181文字◆昔 ◇妻も子も寺で物くふ野分(のわき)かな 与謝蕪村 昨日、台風は昭和以降に定着した季語だと書いたが、それより前の台風は野分と呼ばれた。蕪村のこの句、野分が来て寺へ避難した親子のようすだろうか。寺で炊き出しをしているのかも。蕪村には「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」もある。鳥羽殿は京都の南郊にあっ
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台風が来るぞ来るぞと卵溶く
2024/9/28 02:01 185文字◆今 台風が来るぞ来るぞと卵溶く 蔵本芙美子 8月末に来た台風10号はまさに今日の句のようだった。台風が近づいているので外出を控え、朝食かランチのために卵を溶いている。その溶いた卵が渦を巻く台風みたいでおかしいのだろうか。卵、スクランブルエッグにした? ちなみに台風は昭和時代に普及した季語。句集「
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にょっぽりと秋の空なる富士の山
2024/9/27 02:01 185文字◆昔 ◇にょっぽりと秋の空なる富士の山 上島鬼貫 昨日、低山の話をしたが、かつて大阪の天保山に登って(?)登頂証明書をもらった。高い山、たとえば石鎚山、立山などにも登ったが、富士山にはもはや登る機はなさそう。今日の句は「にょっぽり」というオノマトペが富士山の高さを鮮やかに表現している。1686年、
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天高し天の香具山かく低し
2024/9/26 02:01 181文字◆今 ◇天高し天(あま)の香具山かく低し 田中京 句集「十一月の光」(ふらんす堂)から。香具山、耳成山、畝傍山、奈良県橿原市のこの三つの山は大和三山と呼ばれ、「万葉集」の歌などで知られる。香具山は三山のうちの2番目の高さで152メートル。現在、日本では大阪・天保山、仙台・日和山、徳島・弁天山が日本
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月はやし梢は雨を持ちながら
2024/9/25 02:01 185文字◆昔 ◇月はやし梢(こずえ)は雨を持ちながら 松尾芭蕉 雲の切れ目を月が速く動いている。その月の光を受けて、近景のこずえの雨のしずくがきらきらしている。以上のような光景の句だが、月は速く動いたり、人についてきたりする。月がどうしてついてくるのか、なんどかその理由を教えられた。月がとっても遠いからだ
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月光を地に摘むごとくミント摘む
2024/9/24 02:01 184文字◆今 ◇月光を地に摘むごとくミント摘む 栗林浩 夜のミントを摘んでいるのだろうか。ミントの葉に月光がたまっている感じ。句集「あまねし」(角川書店)から。作者は1938年生まれ。神奈川県大和市に住み、評論をよくする長老俳人。先日、仲間との集まりで、ミント、レモングラス、バジルなどのハーブティーを楽し
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老いらくや無花果の実を貪れり
2024/9/23 02:00 194文字◆昔 ◇老いらくや無花果(いちじく)の実を貪(むさぼ)れり 松山足羽(あすわ) 「老いらくや」は、これはまさに老後の安楽だ、という意味。その安楽の実際が、イチジクをむさぼるように食べること。「貪れり」には、たとえば皮まで食べているような感じがあるが、老いて初めてそんなふうに存分に食べられるようにな
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餡パンと無花果つぶれてる鞄
2024/9/22 02:01 194文字◆今 ◇餡(あん)パンと無花果(いちじく)つぶれてる鞄(かばん) 波戸辺のばら ボクのカバンもこの句のようになる。なぜかよく分からないが、つぶれた状態のあんパンとイチジクはとびきりうまい。つぶれる前よりうまい。ちなみに、この二つに牛乳を加えた3点セットは今の時期のボクの昼食メニュー。このメニューは
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秋彼岸山は入り日を大きくす
2024/9/21 02:00 185文字◆昔 ◇秋彼岸山は入り日を大きくす 成田千空(せんくう) 季語では「彼岸」は春の彼岸を指し、秋の彼岸は「秋彼岸」と呼ぶ。今日の句の、夕日を山が大きくする、という見方に賛成だ。ボクは神戸の六甲山に沈む夕日をよく見るが、山の端に夕日がかかると不意に夕日を大きく感じる。「枕草子」には「夕日のさして山の端
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天高しうちのお墓はどこですか
2024/9/20 02:01 187文字◆今 ◇天高しうちのお墓はどこですか 小川野雪兎(ゆきうさぎ) 空が高くなってきた。まさに秋の空だ。ボクは広い墓地のそばに住んでおり、風向きによっては香煙が漂ってくる。昨日から彼岸に入り、墓参の人が増えているから。彼岸は22日の秋分の日を中日にして前後3日間をいう。わが家の墓を探すのも天の高い日の
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黙然と糸瓜のさがる庭の秋
2024/9/19 02:01 192文字◆昔 ◇黙然と糸瓜(へちま)のさがる庭の秋 正岡子規 今日は子規忌。昨日も話題にしたが、子規の病室の前には日覆いのヘチマ棚があった。亡くなるちょうど1年前、彼はこの句を詠んだ。日記「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」によると、その日、子規は田舎へ行って秋の景色を見たくなった。その子規の気持ちを察して「
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糸瓜忌のにっこり笑んで見知らぬ子
2024/9/18 02:00 203文字◆今 ◇糸瓜(へちま)忌のにっこり笑んで見知らぬ子 中原幸子 正岡子規の病室の前には日覆いのヘチマ棚があり、彼の絶筆の句の一つは「糸瓜咲いて痰(たん)のつまりし仏かな」という死後の自分を想像した句だった。亡くなる前日、1902(明治35)年9月18日に揮毫(きごう)した。この句にちなみ彼の忌日を糸
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行く我にとどまる汝に秋二つ
2024/9/17 02:00 195文字◆昔 ◇行く我にとどまる汝(なれ)に秋二つ 正岡子規 友人との別れを詠んだ句。人はそれぞれに固有の秋を生きる、という句意か。この句のように思えば、人の数だけ秋があるのであり、秋がとっても多様になる。ちなみに、1901(明治34)年9月17日(亡くなるほぼ1年前)の子規の朝食はかゆ、つくだ煮、ココア
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秋だから俳気出てこいモーロクズ
2024/9/16 02:00 195文字◆今 ◇秋だから俳気(はいき)出てこいモーロクズ 村上ヤチ代 「モーロクズ」はもうろくを肯定的にとらえ、楽しもうとする老人。ボクの俳句仲間の今日の句の作者などが積極的にこの語を使っている。「俳気」は俳句を詠もうとする気分、あるいは俳句ができそうな気配。この語は正岡子規が「仰臥漫録(ぎょうがまんろく
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空に一片秋の雲行く見る一人
2024/9/15 02:01 178文字◆昔 ◇空に一片秋の雲行く見る一人 夏目漱石 空に一片の雲が流れている。地上にはそれを見上げている一人がいる。ボクは「漱石くまもとの句200選」(熊本日日新聞社)で以上のようなこの句の風景に触れ、この風景は「雲といっしょにどこかへ流れてゆくような、そんな気分」にさせる、と書いた。この気分、好きだ。
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山門を出れば豆腐屋雲の秋
2024/9/14 02:02 174文字◆今 ◇山門を出れば豆腐屋雲の秋 原雅子 「豆腐屋の角から一丁ばかり爪先上がりに上がると寒磬寺というお寺があってね」と圭さんが話す。彼はその豆腐屋の子だった。以上は夏目漱石の小説「二百十日」だが、句集「明日の船」(紅書房)にある今日の句はその「二百十日」を連想させる。この小説、阿蘇山が不平を青空へ
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天の川わたるお多福豆一列
2024/9/13 02:01 182文字◆昔 ◇天の川わたるお多福豆一列 加藤楸邨 81歳で出した句集「怒濤(どとう)」にある句。一列になって天の川をわたっているお多福豆を想像してほしい。お多福豆は平泳ぎしているのだろうか、それとも犬かきか。ボートに乗っているのかもしれない。天の川といえばひこ星、織り姫の恋の舞台だが、そこを愉快なマンガ
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星流れ落ち溜る谷ありぬべし
2024/9/12 02:03 190文字◆今 ◇星流れ落ち溜(たま)る谷ありぬべし 高橋睦郎 「ありぬべし」はきっとあるだろうという意味。この句のような谷があったらぜひ行きたい。句集「花や鳥」(ふらんす堂)から。ボクはこの句から谷川の清流を連想した。星空が映って、谷底が深い空になっているのだ。その谷川は天の川に通じているに違いない。とい
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書肆の灯にそぞろ読む書も秋めけり
2024/9/11 02:01 188文字◆昔 ◇書肆(しょし)の灯にそぞろ読む書も秋めけり 杉田久女 「そぞろ読む」は漫然と読むこと。先日、大きな本屋の書棚を小一時間めぐった。買いたい本がなかったので、文庫の書棚の前で目をつぶり、20秒くらいそぞろに本をなでまわし、目をあけた時に指の触れている本を買うことにした。「そもそものはじまりは間
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