連載
家業ジモトの星
地元に根ざして活躍するファミリービジネスの経営者、後継者、起業家たちの成長ストーリーを紹介していきます。
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みやじ豚社長 宮治勇輔さん/5 「農家の後継ぎ」支援へネットワーク
2024/9/22 02:02 1234文字実家の養豚業を継いで「みやじ豚」(神奈川県藤沢市)を設立した宮治勇輔さん(46)は、自らの役割を「プロデューサー」と位置づけた。父と弟が生産するみやじ豚のおいしさを顧客に直接伝える機会をつくり、その後も継続的に食べてもらえる仕組みを構築する。月1回のバーベキュー開催とともに、流通のイノベーションに
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みやじ豚社長 宮治勇輔さん/4 飼育は父弟、自分はプロデューサー
2024/9/15 02:07 1287文字実家の養豚業を継ぎ、「みやじ豚」(神奈川県藤沢市)を設立した宮治勇輔さん(46)は、自分たちが生産した豚肉を「みやじ豚」として食べてもらうバーベキューを定期的に開催し、お客さんと直接つながることで、ブランド化の道を進んでいった。自分は「みやじ豚のプロデューサー」。そんな発想だった。 大手人材派遣会
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みやじ豚社長 宮治勇輔さん/3 バーベキューで手応え
2024/9/8 02:07 1330文字農業を「かっこよくて」「感動があって」「稼げる」の新3Kに変えたい。そう決意して養豚業を継いだ宮治勇輔さん(46)。思い立ったのは、実家でつくる「みやじ豚」を、地元の銘柄豚から独立させ、新たなブランドにすることだった。 豚肉は地域の銘柄豚として出荷される場合、周辺の農家の豚に混ざって店頭に並ぶ。農
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みやじ豚社長 宮治勇輔さん/2 独立したブランドで勝負できる
2024/9/1 02:03 1304文字「きつい」「きたない」「危険」の3K農業はもう終わり。宮治勇輔さん(46)は「かっこよくて」「感動があって」「稼げる」という「宮治流新3K」に変えるため、実家の養豚業を継ぐと決意した。2003年の正月休み、神奈川県藤沢市の実家に戻り、父昌義さんに直談判した。 大手人材派遣会社「パソナ」で働きながら
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みやじ豚社長 宮治勇輔さん/1 「新たな仕組み」で後継ぎ、視野に
2024/8/25 02:02 1301文字神奈川は湘南・藤沢の地に、農業を「きつい・きたない・危険」の3Kから、「かっこよくて・感動があって・稼げる」の新3Kに進化させたいと奮闘する家業経営者がいます。ブランド豚の「みやじ豚」を営む宮治勇輔さん(46)。その挑戦の記録を報告します。 神奈川県藤沢市。湘南の潮風が流れ込み、海水浴場などでおし
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本多プラス社長 本多孝充さん/8止 「美」への憧れ、忘れずに
2024/8/18 02:02 1375文字本多プラス(愛知県新城市)の本多孝充社長(55)は2006年、大手文具メーカーとのコラボ商品を世に送り出した。企画力とデザイン力が他の大手企業の目に留まり、味の素の携帯用調味料入れ「アジパンダ」や日清製粉ウェルナの「クッキングフラワー」の容器デザインに加え、化粧品、目薬などの容器製造も次々受注する
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本多プラス社長 本多孝充さん/7 文具大手との直接コラボ実現
2024/8/11 02:02 1328文字本多プラス(愛知県新城市)の本多孝充社長(55)は、新製品開発で大手企業とコラボするチャンスをつかんだ。相手は文具メーカー、パイロットコーポレーションのグループ会社、パイロットインキ。新製品の「コスメペン」のプロデュースを任せてもらえるという。目指すはカラフルで、文具の常識を打ち破る画期的なボール
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本多プラス社長 本多孝充さん/6 新卒採用がデザイン確立の礎に
2024/8/4 02:04 1290文字本多プラス(愛知県新城市)の本多孝充社長(55)は、家業であるプラスチック会社の技術を生かし「きれいなものを作る」というビジョンを実現するため、新卒採用に踏み切ることにした。きっかけは、大手就職支援会社の営業担当者の言葉だった。 「あなたのビジョンをかなえるなら、必要なのは新卒採用です」。担当者は
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本多プラス社長 本多孝充さん/5 表参道の「クリエーティブディレクター」
2024/7/28 02:02 1319文字本多プラス(愛知県新城市)の本多孝充社長(55)は2004年、本社を奥三河の新城に置きつつ、あこがれの地だった東京・表参道に足がかりを築くことにした。一時は会社まるごとの東京移転も考えた。しかし、地方と東京、中小企業と大企業の間にあるギャップを飛び越えるのが、3代目である自分の役割だと考えた。 グ
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本多プラス社長 本多孝充さん/4 「ギャップを飛び越えるのが3代目」
2024/7/21 02:03 1306文字本多プラス(愛知県新城市)の本多孝充社長(55)は1997年、英国留学を終え、家業の本多プラスに入社した。取締役経営企画室長兼営業本部長として、経営全般を取り仕切ることになった。安っぽくみられがちなプラスチックだが、その可能性を信じ、香水のガラス瓶にも負けない「きれいなもの」を作る。「生涯をかけて
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本多プラス社長 本多孝充さん/3 きれいなものを作りたい
2024/7/14 02:13 1331文字本多プラスの本多孝充社長(55)は1993年、伯父の会社を辞めて英国に留学した。大学の街、ケンブリッジで出会った仲間の多くは経営学修士(MBA)を取得するという。ならば自分も。「申し込みだけ」と思って学校に行くと、インド人のチューターがさっそく時間を取ってくれた。 ロックバンドをやっていること、父
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本多プラス社長 本多孝充さん/2 就職3年、「何かが足りぬ」と渡英
2024/7/7 02:02 1317文字本多プラスの本多孝充(たかみつ)社長(55)は1987年、実家のある愛知県新城市から上京した。大学受験なのに予備校にほとんど通わず、東京の街を歩き回っては、自分の好きなロックミュージックの曲や歌詞を書きためた。自分はまだ何も手にしていないけれど「人生は絶対にバラ色だ」と信じていた。 大きな夢を描き
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本多プラス社長 本多孝充さん/1 予備校で上京「絶対に成功する」
2024/6/30 02:03 1288文字本多プラス(愛知県新城市)の本多孝充(たかみつ)社長(55)は、父親から引き継いだプラスチック成形会社を「デザイン×ものづくり」の会社へと変貌させました。アートという「自分の好きなこと」を軸に会社を作り替え、下請けの多いプラスチック業界に新風を巻き起こしました。「きれいなものをつくりたい」。そんな
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/6止 「職人が輝ける場」作り続ける
2024/6/23 02:03 1307文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮さん(49)は2011年、若手人材育成に向け「モデリング」という手法を取り入れた。モデリングとは、最高のお手本をモデルにマネをすること。まず動画を見て一流職人の動きを記憶し、それを手本に壁を塗ってみる。 その様子を動画で撮影し、一流職人と自分を
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/5 脱「見て覚えろ」の育成法探る
2024/6/16 02:10 1282文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮さん(49)は2007年に社長になった頃から、左官職人の育成がずっと悩みの種だった。左官職人は全盛期には全国で30万人を数えたが、現在では6万人前後に減ったとされる。 建築市場の縮小や安価なビニール製壁材の普及に加え、「技術は見て覚えろ」式の人
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/4 独自性と高級感「店舗左官」に活路
2024/6/9 02:03 1295文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮(むねあき)さん(49)は2008年のリーマン・ショック後、悩みの中にいた。売り上げ確保のため単価の低い仕事も引き受けてきたが、「実は誰も幸せにしていないのではないか」と感じ始めていた。このまま価格競争の世界にいても、左官職人を疲弊させるだけで
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/3 職人の腕生かす仕事模索
2024/6/2 02:02 1294文字原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮(むねあき)さん(49)は2006年、会社の年間利益が100万円にまで落ち込み、変革の必要性に直面した。借入金は、バブル時の過剰な設備投資もあり、年間売上高6億円とほぼ同じ。「この利益だと返済に何百年もかかってしまう」。厳しい現実を突きつけられ
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/2 職人かたぎの丼勘定、変革決意
2024/5/26 02:02 1312文字女性や若者が活躍する原田左官工業所(東京都文京区)の3代目経営者、原田宗亮(むねあき)さん(49)は2000年、父宗彦さんの提案を受け入れて入社した。左官職人の経験がほとんどないまま、任されたのは会社の要である番頭の仕事だった。 仕事の受注から価格交渉、現場の差配、代金の回収。番頭は社長の右腕だ。
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原田左官工業所社長 原田宗亮さん/1 「アイデアマン」父の後継、決意
2024/5/19 02:02 1305文字原田左官工業所(東京都文京区)は、女性や若者が活躍する左官屋さんです。3代目経営者の原田宗亮(むねあき)さん(49)は、建築業界にありがちな「技術は見て覚えろ」式の職人育成法を大きく見直し、デザインを武器にした「提案型左官」の道を突き進んでいます。奈良時代には既に存在していた左官業。原田さんの「変
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ビューティアトリエグループ代表 郡司成江さん/7止 社員と会社の成長を一直線に
2024/5/12 02:03 1307文字宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど23店舗を展開するビューティアトリエグループは2023年、創業60周年を迎えた。母娘がタスキをつないできた会社を礎に未来をどうつくっていくか。代表の郡司成江さん(60)は「しあわせ創造企業」というビジョンを掲げ、カフェやコミュニティースペース、スイーツ、農業
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