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リリーへの 伝言

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/10/06(金) 23:03:36.85 ID:JbfWlsXP8
リリーに伝えて。             ・・・・・・・・・・・・・・01

 最近のストレス化社会に向けて 脳疲労度蓄積調査、なるものを藤野武彦教授が提唱
してる。九州大学名誉教授で、九州大学医学部第一内科において、内科のとくに心臓・
血管系の病気の研究、脳疲労概念を提唱を行う医学博士である。脳疲労とは、簡単に、
一言でいえば「脳が疲れた状態」のことを指す。ストレス化社会で、筋肉を使いすぎる
と筋肉疲労が起こって、筋肉が動かなくなるように、脳も使いすぎると「脳疲労」を起
こし、正常に機能しなくなる性質がある。人間の脳には大脳新皮質と大脳辺縁系という
司令塔があります。大脳新皮質は、思考や学習などの精神活動を、大脳辺縁系は食欲や
性欲などの本能や情動を担っています。また大脳の下方の位置には、自律神経中枢や、
食欲中枢を司る間脳があります。間脳は、意識しなくても心臓がキチンと適切なリズム
で動くとか、適切にエネルギーをからだに入れるための食欲をコントロールしている脳
ある。その3つの関係性、即ち「大脳新皮質」と「大脳周縁系細胞」と「間脳系神経=
自律神経」は、それぞれ、理性の知能・本能の欲望・臓器の動き、を支えバランスを、
自己申告して支えている。これはは、人間の体を機能させる高度情報処理システムと言
える。これらの疲れは、蓄積すれば、ホルモン障害を起し、ある種の病気の元になる。
これらの診断に、脳疲労自己診断11か条(脳疲労度チェック)から自ら知ることができ
補正・修復する事が、自己体調の保全につながる。算出された脳疲労度をもとに、一日
一快食を実行し、調子を取り直す事が大事である。調子に波はあるかもしれませんが、
焦らずにゆっくりと継続することがポイントです。

149 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/06(水) 00:58:54.79 ID:zlFp63OOs
  リリー伝えて。             ・・・・・・・・・・・・131

 事実、いちいち予測不能な事態に突発的に反応し、攻撃的神経をしていては、事態が
悪化したり、争いが泥沼化したりしかねないは事実である。それでも米国市民は、誰も
が、ボクシングの乱闘を見る様に、汚い罵り合う口論の様な、強い言葉に熱狂するのだ
から、情けない国であり、情けない大統領選である。TVの視聴率もあろうが、限度も
あろう。この内向型の「冷静沈着さ」によって、常に予測不能な事態に対処してきた。
と言うのが人類の歴史といえるのだが、一般的にこうした外向型と内向型の違いは印象
論にすぎない。と感じている人も多い、ところが、内向型が「冷静さ」に長けている。
ということの優位性や身体的ものは、実験や検査で、証明されている。これは、内向型
と外向型の脳の働きの違いが、どのような行動の違いをもたらすかを明らかにした実験
であり、脳血流をみるスキャン技術など駆使した報告である。この「冷静さ」はどんな
脳の構造の違いから、来ているのか。科学的に内向型と外向型では脳の働きが違うこと
が明らかで、例えば、デブラ・ジョンソンは、陽電子放射断層撮影法(PET)を用いて、
内向型と外向型の脳の働きを実験している。ジョンソン博士は、アンケートの結果から
内向型と外向型に、グループ分けされた人々に、横になってリラックスしてもらい、被
験者たちは、少量の放射能が血液中に注入され、脳のどこが最も活性化しているかを、
特定スキャンにかけられた。画像上に、赤や青などさまざまな明るい色により、脳内の
どこにどれだけの血液が流れているかが示される。すると、その画像からは大きく2つ
のことが判明した。以外にも、まず、内向型の人の脳に流れる血流量が、外向型の人よ
りも、結構多いのである。血流量が多いということは、それだけ活発に脳が働いている
ことを示している。よく考えているのだ。更に内向型の血液が外向型に比べ「思考」に
携わる部分に、多く流れていることもわかる。記憶したり、問題を解決したり、計画を
立てたりといった内的経験に関わる部位に流れていたのだ。一方で、外向型は、視覚や
聴覚、触覚など感覚情報を処理する脳の各部へと流れていた。つまり狼や犬と同じで、
幼児の認識脳で、単に映像認識として記憶にしか 働かないのである。日本の体育脳だ

150 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/06(水) 01:17:24.64 ID:zlFp63OOs
  リリー伝えて。             ・・・・・・・・・・・・132

 経済では、「三面等価の法則」がある。GDP(国内総所得)を「生産」「分配」「支出
」の3つの側面からそれぞれを見たときに、それら3点はすべてイコールになるだろう
。といった法則である。「生産」=「支出」=「分配」といった法則が出来上がる。と
も言われる。では、どういった内容か解説したい。「生産」から見たGDPの数値は、
例えば、農家から300万円(生産額)で商品を買い取り、販売店で500万円(販売額)の
売り上げが上がった。とする。売上から、商品の仕入れを引くことで、付加価値が出る
。つまり「 500万円−300万円=200万円(付加価値)」この 200万円(付加価値)と、
生産者から仕入れた300万円を合計したものが、販売額の500万円になる。つまりは、「
生産面から見た国民所得」と「分配(売上)から見た国民所得」は、ここで同じになる
。「分配」から見たGDP「分配から見た国民所得」では、たとえば、商店での売上げ
を、上げるのに従業員を雇う。などした場合や、生産販売によって得られた利益などを
合計した金額である。先ほどの「生産面から見た国民所得」で計算したように付加価値
である利益、200万円から、従業員の給料100万円、また、投資家への分配など40万円、
さらに残りの60万円をお店の将来のための貯蓄することも、企業の給与として扱うこと
ができる。付加価値である200万円の内訳のこの付加価値に、農家の生産した 仕入れの
商品の金額を加えると、お店の売上の合計になる。これらもまた「生産面から見た国民
所得」と、「分配から見た国民所得」は同じになるのです。最後に、「支出から見た、
国民所得」である、消費者が商店に訪れ、合計 500万円を消費したと言うことを考える
。ポイントは、仕入れをした300万円は含まれていない。と言う計算だ。つまり 多くの
お客が店に訪れ、純粋に、消費された利益の合計を計算する。と言う事で、同じになる
。これらが、「生産面から見た国民所得」と、「分配から見た国民所得」は同じになる
ということになる。しかし、国の単位になると、今の闇献金・裏金問題で簡単ではない
即ち、公簿上や政府の公式数値では捉えられない資金が、この数億にも上る事で、全く
変わるのだ。

151 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/06(水) 01:17:45.47 ID:zlFp63OOs
小さい支出や収入では影響がない。だが大きく誰もがとなると中国のようになる。

152 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/06(水) 02:25:07.39 ID:J6rkC/B5n
  リリー伝えて。             ・・・・・・・・・・・・133

 今回のウクライナ戦争を見ると、実にロシアは「勿体無い」事をしているものだ。と
思う。まあプーチンの、思惑はあるとしても 経済的には非常な無駄である。かつて、
フィリピンに追い出されたマルコスがいた。更にサウジにも独裁者がいた。いずれも、
賄賂によって、商社やメジャーが日参して貿易をした。ここでマルコス経済もサウジの
経済も金額こそ違いはあれど、収益負担率が同じでサウジは高額な掘削機器や投資で、
フィリピンでは、安価な木材加工品で、共に潤っていた。だが、この時 国の収益は、
大きく変わって来る。つまりマルコスは、今の日本の議員の様にネコババに徹して盛ん
に散財し、婦人の靴箱が一軒の家になる程の収集であった。一方サウジ―家は世間の目
を気にして使わなかった。そこに中東戦争が起こって、一変した。サウジ―家は近隣の
周辺国外交に金を使い、安価な原油収益に改善交渉をして行くのである。そして 一大
転機の後、見る間に国情は変化した。森の木上納金なり税収は増える事がなかったのだ
。安い機器とは言え、製材から合板に着手し投資は必要で、更に山の伐採に人手と環境
破壊が付いて回った。運が悪い事に、大木以外は山の再生に残して置いた木々が、管理
が無いために、華僑の民が根こそぎ焚火材料として盗んで行く事て、山には土砂崩れが
日々起こって行った事だった。一方のサウジの石油にも、色んな最新技術は必要だった
。特に大型の原油タンカーの調達や石油精製や新規油井の探査には、莫大な費用も要る
。しかし、ここは様式の競争入札制度で、公式な采配で切り抜け、すべてに、現地人が
労働者となる事は、宗教上なかった。つまり無理に国民を労働者にしなかったのである
。一方のフィリピンの密林伐採は逆にあった。雇われた従業員も、山の民も、さらには
放木処理や植林にも、マルコスの意向は、金の都合のみで行われた。かくしてマルコス
は肥えた豚のように 人民に追い出されて、悲鳴をあげるのである。アラブの石油輸出
でも、今のロシアの様に、自分の土地だと強行に及んだ国がある。イラクである。クエ
ートはその輸出港の目の前にある。かくしてフセインも叩かれる事になった。サウジも
一歩間違えれば 国の命運が変わったのである。

153 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/20(土) 14:26:51.55 ID:Fk63xv/zn
  リリー伝えて。             ・・・・・・・・・・・・134

 世の中には 適者生存と言う仕組みがある。トートロジーは同義語反復と訳される。
同語反復(どうごはんぷく)とは「私は私であり、君は君である」のように、等値を示
す語によって同じ言葉を繰り返すことである。「AはAである」例えば「Aはあくまで
Aであって他のものとは異なる。」という注意喚起、あるいは「Aは所詮Aであって、
それ以上ではない」という主張や同様に、「AはAであり、BはBである」は「AとB
を混同すべきではない。」、あるいは「AとBは(ある文脈で)異質である」といった
主張、等々を含意し得るもので、言葉遊びとしては、「非AとはAに非ざること也。」
「ABとは、AをBすること也」といった、説明を避けて相手をけむにまく表現である
。同義語、または、類語、または同語を、反復させる修辞技法と言う話し方。と言う。
ところが、適者生存は、「自然淘汰」と同じであって、極めて違うものだ。「適者生存
」は、ダーウィニズムの中の ダーウィンの進化論の肝である。誰が生き残ったのか、
それは、適応した者である。では、誰が適応しているのか、それは生き残った者である
、というわけで、鶏と卵の関係に、理由を述べて生き残った物、調査したものを発表し
た。ここに描かれた観念は、「自然に適応した者」の話で、「自然を改造した社会」で
はない。自らの特徴が自然と共に生活した者の話なのである。一般の人々は、自然淘汰
を適者生存と表現できるかもしれません。しかし、用語の詳細な説明を求められ、誤謬
を取り除けば、ほとんどの場合、間違って答えている。自然淘汰が実際に何であるか。
をよく知らない人は、「種の最良の物理的標本」を意味し、「最良の形」と「最良の食
を得た健康体」を備えたものが、自然界で生き残ると意味し「最も適切」と考えるかも
しれない。しかし、常にそうである事はない。生き残る個々は、常に最強、最速、また
は賢い訳ではない。したがって、その定義によれば、適者生存は、進化に適用されるが
、自然淘汰を説明するための方法ではない。自然淘汰は突然の過去の異変を含むのだ。
つまり「自然淘汰」とは「自然非淘汰」の我々の評価なのである。

154 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/20(土) 14:27:53.70 ID:Fk63xv/zn
  リリー伝えて。             ・・・・・・・・・・・・135

 ここで人間世界に戻ろう。今大国ロシアと大国アメリカが、ウクライナで闘っている
。更に中国が、その虚に取り入ろうと世界制覇や世界征服を狙っている。このトートロ
ジー論法で言えば、「ウクライナはウクライナであって、ロシアでない。」という事に
なるが、同時に「ロシアはロシアだが、歴史上、旧ソ連の同国民で、同じ民族だ。」と
いう事になる。ここで、「私は私であり、君は君である」と同じ言葉を繰り返すことで
否定しても「AはAである」「AはあくまでAであって他のものとは異なる。」とは、
何処で線を引くのか。という事になる。国外脱出したウクライナにいたロシア人が父母
に、一緒に海外に出よう。と携帯で言っても、「プーチンは正義の戦争をしてるのみ」
「プーチンは悪く無い。」で、意見を聞く耳は持たない。ここに、体制と共に、土地が
ある。土地や住所と言うツールは、一つの人のアイデンティティである。これが彼らを
苦しめる。時にプーチンさえも苦しめる。ここでウクライナは適者生存を選んだ。つま
り、繁栄を望んだのである。ではこのEU側に寄らなかった頃は何をのぞんでいたのか
。実は「自然非淘汰」である。つまり、米英資本は、限りなく開発し、世界を食いつく
し、覆いつくす便利世界、人工世界を創るのに対して、そうした技術開発を否定するし
か無かった。極寒のロシアは、極麻酔に覆われる、七倍返還とされて、木々の育ちは、
七倍の年数を要した。従って、インドの家畜の牛も、チベット高原やウイグルでは馬や
羊に変化した。それは草原の植生で、牛を飼えるほどの、草の成長がないからである。
そして、ツングースの森にはいると、馬や羊さえも育たたない。コケを食べるトナカイ
群である。寒さに耐え、コケを食べて生きる家畜である。これを狼やタイガーが襲う。
それが、今般アムールタイガーも北方狼も既にレッドデーターの貴重種である。ノルー
ウェーでは、この野狼処分が論議に上がる。田舎は怖いから殺せと言い、町では豊かな
自然を守れと、双方に激しいデモが起こっている。事実上この国に狼被害はない。国境
を超えて動く彼らに、同じ移民たちが田舎に住めないと叫んでいるのだから不思議だ。

155 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/23(火) 10:05:20.46 ID:noJXL9vZT
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2001

 ITTのベーン会長は当時には、アメリカ軍の大佐でもあっが、こうした活動は米国
への裏切りというレッテルを貼られても、おかしくなかった。なのに、連合軍によって
フランスが解放された1944年の時点でまで、彼は、アメリカのヒーローとして褒め讃え
られて、英雄であったのだ。ITTとは、 日本語では、国際電話電信会社と翻訳され
た。しかし、これは、「ITT International Telephone & Telegraph Inc.」と、「ITT
 Corporation 」のアメリカ合衆国の元ITT (企業)やその後継会社の一つであるITT Inc
。を示すが、しかし 「International Telephone & Telegraph 」は「国際電信電話」
と言うクラブだったのである。ITTの前身テレフォニカ・スペインは、1924年に設立
された。1924年と言えば、先人の昭和の、裕仁天皇の御成婚のセレモニーの頃である。
混乱後のソ連が建国宣言し、ペトログラードをレニングラードに改称し、英国や仏国が
或いはイタリアが、立て続けに食糧輸入の確保の為に、ソビエト政権を承認していった
。第一次世界大戦の痛みも、ドイツ〜ソ連の境界決定も有耶無耶に東欧各国が自治独立
の頃だったのである。実はスペイン人というのは、ローマ帝国に追われたフェニキア人
やケルト人の末裔とされている。つまり住民の大部分は、ヨーロッパの他の地域におい
て、戦士エリートに保護されながら逃げ伸びてきた住民で、小規模な放牧地を管理する
現地で「カストロ=丘の砦」にいる「カストリオ=丘の住民」を中心とした牛飼い的な
放牧生活者だった。彼らの石の円形集落は、ローマ時代まで生き残った。イベリア半島
の北を横断し、ポルトガル北部、アストゥリアス、ガリシアからカンタブリア、レオン
北部を経てエブロ川に至るまで、イベリアにおけるケルト人の存在は、おそらく紀元前
6世紀にまで遡り、カストロは石の壁と保護溝によって新たな永続性を証明した。この
古臭い国は、一時的にではあるが、キリスト教国で、マリアに守られた国とされ、世界
を席巻した海洋船団のいた国だったのである。

156 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/23(火) 10:05:50.40 ID:noJXL9vZT
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2002

 発明家のトーマス・エジソンにメロン財閥が肩入れし、ウエスタン・エレクトリック
の研究者イライシャ・グレイと共同研究で、1本の導線で複数の電信メッセージを伝送
する方法を研究されたからだ。サンダースとハバードの金銭的支援で、ベルは、やっと
トーマス・ワトソンを助手として雇い、研究を始め、幾つかの失敗で、ベルは、複数の
リードは不要であり、1つのリードで音声が、伝えらる。と気付いたとされる。彼の、
根底にあった概念は、1つの導線で、複数のメッセージを、それぞれ異なるピッチで、
送りたいというものだが、そのための送信機と受信機が新たに必要だった。がそれが、
出来ないでいたが、その研究がやっとできたのだ。ベルの研究成果は、米国特許商標庁
によって1876年3月3日に認可されて3月7日に公告された。ベルの特許の請求範囲は「声
などの音に伴う 空気の振動の波形に似せた、電気の波を起こすことにより…声などの
音を電信のように伝送する手段、および機構」だった。ここで、初めて有線の音声通信
が確認されたのである。こうして レコードの針の動きで声がでる仕様が、電気の強弱
で出来るスピーカーが出来上がり それがマイクにもなっていく。「電信電話事業史」
(社団法人電気通信協会刊行)でも1924年には、既に音声電話が通じていたのである。
1924年発足の Telefonica の歴史が、スペイン初の電話会社ではあるが、もっと極めた
言い方をすれば、スペインの初期の電信電話を整理統合した電話会社として、次々に、
合併してできた会社だった。AT&Tは、1877年、19世紀における アメリカの三大発
明家でもあるグラハム・ベルが興したベル電話会社が前身で、1885年に世界初の長距離
電話会社として発足し、セオドア・ニュートン・ヴェイルは、社長となり、同じ様に、
垂直統合と水平統合によって、「ベルシステム」と呼ばれる研究開発(ベル電話会社)
からの、機材製造(ウェスタン・エレクトリック)と、市内交換からの長距離交換まで
の通話の独占事業を展開していたのだ。

157 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/24(水) 20:34:50.51 ID:QzOWcG8Q+
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2003

 この通信事業の聡明期に、日本の開国がある。世界初の商業化された電気通信は1839
年4月9日の、チャールズ・ホイートストンとウィリアム・フォザギル・クックが、構築
したものである。ホイートストンもクックも彼らの装置を「(既存)の電磁式テレグラ
フの改良」と考えており、新たな装置とは見なしていなかった。狼煙や太鼓(例えばト
ーキングドラム)の様なリズム利用に始まる。ヨーロッパでは、1790年代には固定的な
腕木通信システムが出現したが、電気通信システムが現れ始めるのは1830年代になって
からとされる。1790年、正に米国で特許制度が確立した頃で特許庁より早くモールス的
な幾つかの、合図とする信号が送れていたのである。タイタニック号が沈んだ1912年の
モールス信号の素である。その1912年ですら、やっと中国王朝が沈んだ日で1月1日に、
孫文が南京での中華民国の成立を宣言し、臨時大総統に就任した年なのである。日本は
尾崎行正の子供が、漢学者・藤森弘庵の私塾に桂小五郎(木戸孝允)の先輩として学ん
だ尾崎行雄が、大同団結して、選挙に挑み 東京市長となって、ワシントン市に三千本
の桜の樹を贈った時で、父・行正(彦四郎)も、戊辰戦争・会津戦争を戦い抜き断金隊
の2代目隊長に任ぜられて生き抜きた。そうした、過激な動乱時代が、少し懐かしく、
明治の維新が遠くなろうとして行く時である。この頃に米国でベル研究所は、正にネッ
トワーク経済学におけるボトルネック独占を見事に現実のものとした企業だった。1899
年12月31日にベル社はAT&Tに完全買収されるが、まあ資材の電線張りのみが命の、
電話事業だろうから、管理が広くなれば、当然維持費がおぼつかない。翌年末にジョン
・ハドソンが、ベル社の管理者となった。ジョンは、1887年にAT&Tの社長となり、
1900年に急逝した。

158 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/24(水) 20:46:49.50 ID:QzOWcG8Q+
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2005

 1860〜1980年代にかけて、アメリカの電信業界を支配し、送信と配信という、アクト
のコアビジネスに加えて、テレックスなどの、先駆的な技術と様々な電信関連サービス
(電信送金を含む)の開発を行った。いわゆる電報メッセンジャーである。シブリーは
この開発後ウェスタン・ユニオン電信会社の初代社長から1861年に、ウエスタンユニオ
ンの創業者であるジェプサ・ウェイドと、ベンジャミン・フランクリン・フィックリン
とハイラム・シブリーと手を組み、パシフィック・テレグラフ・カンパニーを設立した
。これにより、米国の東海岸と西海岸の間の最終的な電信はリンクして行き繋がった。
 シブレーが起こしたウェスタン・ユニオン電信会社が事業の始まって、創業後にシブ
レーは露米会社の経営悪化と、ロシア政府のアラスカ売却意向を合衆国政府に伝えて、
アラスカ買収のきっかけをつくった。買収実現のあとはベーリング海峡に露米電信を、
敷設しようとしたが、大西洋横断電信ケーブルの完成により挫折する。1879年に、ベル
電話会社との特許をめぐるモーレツな裁判訴訟に負け、資金移動業が主体となる。よう
するに、裁判費用が高く、敗けた為に、実業を捨てて投資家に変更したのである。また
、このころに、ジェイ・グールドが、主要株主となった。1909年にAT&Tがグールド家の
保有株を買収した。1909年にウエスタンユニオン株を買収して。ここで政府が、大西洋
横断電信ケーブルのカルテルによるシャーマン法違反で、ウェスタンユニオンに訴訟を
提起する。と圧力をかけられている。ヴェイルがウェスタンユニオンを、カルテルから
引き離すと、カルテル参加企業であった、ここでAATC(Anglo-American Telegraph
 Company:アングロアメリカンテレグラムカンパニー)と、ジョン・ペンダー系の「ダ
イレクトUSカンパニー:Direct United States Cable Company」は立場が弱く、アメ
リカ市場を失うまいと自社保有の大西洋ケーブル通信網を、ウェスタン・ユニオンに、
貸与する羽目になったのである。これは悲劇だった。

159 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/25(木) 14:08:50.14 ID:24jbPfOJV
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2006

 「ユニオン・パシフィック・レールウェイ」は、アメリカ合衆国最大規模の貨物鉄道
会社は、1862年の太平洋鉄道法を受けて、同年7月1日に法人化された。太平洋鉄道法は
当時の大統領であったエイブラハム・リンカーンによって承認されたもので太平洋鉄道
法は、南北戦争中の連邦の維持の目的で、ミズーリ川から太平洋までを鉄道でつなぐ、
というものであった。これは日本の大政奉還時代の万延元年遣米使節の頃の話である。
その後、ポーツマス条約に基づいて、東清鉄道南満洲支線(長春・旅順間鉄道)やその
支線はロシアから日本に譲渡されて、この鉄道事業および付属事業を経営する目的で、
1906年(明治39年)に設立された半官半民企業で南満洲鉄道株式会社が作られたのだが
、これに参画させよ。と日露戦争中の外債募集にも協力したアメリカの企業家エドワー
ド・ヘンリー・ハリマンが1905年8月に来日し大いに歓待した。日本は 講和条約反対で
の「日比谷焼打事件」がみえるほど、政府は治安維持の不安に襲われた。第1次桂内閣
の首相桂太郎を始め、伊藤博文、井上馨などの元老らも、戦争のために資金を使いつく
した当時の日本において、莫大な経費を要する鉄道経営に、幾ばくか不安があり、その
なかでの来日であった。この時「日本はロシアから譲渡された南満洲鉄道の権利を、ア
メリカ資本を導入して経営すべきだ。」と主張し、アメリカが満洲で発言権を持てば、
仮に、ロシアが復讐戦を企ててもこれを制止できる。」と説いた。そして一人を除いて
皆んなが納得し、ハリマンは意気揚々と帰路に就いた。残る一人のポーツマス会議より
帰国した小村寿太郎は「南満洲鉄道の日本への譲渡は、ポーツマス条約の規定によって
清国の同意を前提とするものであり、その点から、桂・ハリマン協定は不適切である」
と主張した。これも納得し閣議において、破棄が決定し、小村の報告では、ハリマン=
クーン・ローブ連合のライバルの、モルガン商会からも、より有利な条件で外資を導入
することができ、アメリカ資本を満洲から排除しようと考えていたわけではなかった。
ことも判明したものの、ハリマンにとっては、ライバルのモルガンと対抗している最中
で泣きっ面に蜂のドンデン返しである。

160 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/25(木) 14:09:14.36 ID:24jbPfOJV
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2007

 ウエスタンユニオンは、その名の通り、西武労働者の会社で、アメリカ合衆国に本拠
地をおく、金融および通信事業の会社である。170年の歴史を持ち、全世界の約200ヶ国
で個人送金、企業支払と貿易業務を代行している。シブレーが起こした ウェスタン・
ユニオン電信会社が事業の始まりだが、実は、鉄道事業と重なっていた配線網であった
。創業後、シブレーは露米会社の経営悪化とロシア政府の、アラスカ売却意向を合衆国
政府に伝え、アラスカ買収の仲介やきっかけをつくった。買収実現のあとはベーリング
海峡に、露米電信を敷設しようとしたが、大西洋横断電信ケーブルの完成により挫折し
た。1879年にベル電話会社との特許をめぐる訴訟に負けてから資金移動業が主体となる
。また、このころにジェイ・グールドが主要株主となる。1909年にAT&Tがグールド家の
保有株を買収した。1958年にRCA・IBMと自動デジタル通信網の青写真をつくった
。1970年にメールグラムを開発。1987年に投資家のベネット・ルボウが株式の過半数を
取得した。1995年にファースト・データに吸収された。個人間の国際送金、為替、貿易
などの各種金融事業を行っており、世界200ヶ国以上に 約27万の代理店を有する。現在
ウエスタン・ユニオンの、国際送金を悪用した振り込め詐欺が、日本だけでなく世界的
に多発した。この為、同社の日本語サイトでも「詐欺に遭わないために」というウェブ
サイトを設け、送金利用者に強く注意を喚起している。同ページなどによると主な手口
は、旅行などで 海外にいる友人・知人から、盗難や事故などに遭ったので「至急送金
して欲しい。」という依頼が、電子メールで来る「緊急送金詐欺」ソーシャル・ネット
ワーキング・サイトなどで知り合った、友人や恋人候補など、男女問わずの、様々な、
口実で送金を依頼してくる「インターネット送金詐欺」、アメリカ合衆国の永住権取得
に当選したから手数料を送るよう依頼してくる「米国グリーンカード詐欺」、不動産や
物件ウェブサイトでの、物件や当選詐欺など、多岐にわたる。

161 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/27(土) 15:41:40.06 ID:Q+wgVtnmi
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2008

 ウエスタン・ユニオンは、サービス業から、金融資本に特化して送金業専門化した。
AT&Tは1914年に株を売却した。結局は、国内の電信企業が、イギリスの通信利権を
奪い取り、独占力を強化した。一方で、AT&Tは連邦政府と折衝の上で、やっと1913
年にキングズベリー協定を結び、「規制下の独占」と言われる事業の独占権を認められ
たのである。しかし、これは、江戸幕府の鎖国による徳川幕政の引き締めと、幕藩体制
の経済疲弊に、西洋技術の取り入れと言う、二律背反の様に、自由主義社会の中に於い
ての共産主義・独裁主義であり専制国家の仕組みをなした。開発暴力と資本主義の秩序
、或いは、国民に開かれた最新技術と、他国に先んじたファースト主義の、虚々実々の
駆け引きが蔓延した。闘いの裁判と妥協の交渉が永遠に行われて行った。しかし、こう
し利権は、て翌年勃発した第一次世界大戦で、RCAと真空管の特許を囲い込むことが
できて、交渉が成立し、巨万の富を産んだのである。キングズベリー協定は、アメリカ
の電気通信産業の興った 今世紀初頭の協定である。協定以来「規制された独占。」、
すなわち、私的企業による独占を認めながらも、政府がそれを規制する。という構図で
、世界の中でも、特異な米国的手法で営まれてきた物だ。この形はほぼ半世紀にわたっ
て、この産業での大きな変化を経験せず「静的」産業として考えられてきた。それは、
中央銀行と同じ様に、商人が築いた独占の権利を逃がさない。とする民間と、国を統一
し強くしたいとする政府官僚や民衆意志の闘いだった。しかし、この闘いも、60年年代
後半より、変化し始め,それ以後電気通信産業は、技術の進展で、ダイナミックな転換
を経験する。そして今もその変化は継続中である。競争原理が働かない所での技術革新
は、悲痛である。NTT技術やNHK料金と同じに、大きな無駄と迷走経営、更に専業
化を捨てた営業乗り入れで、区分けをつけない協業摩擦が生まれる。

162 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/02(木) 15:17:12.15 ID:JVzC5ND6w
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2009

 良く言や マルチプレーヤー、悪くすれば凡庸な「ぬる湯経営」での、抜きん出ない
。この転換は、2つの側面で起こる。すなわち通信システムと産業組織で生じている。
両者の密接な関連性である。勿論前者の技術が、後者の産業構造を主導しているのだが
、この転換は直接的には、アメリカ政府の「規制緩和政策」によってもたらされたもの
である。軍部や政府の強力な規制が民間を委縮させ、民業圧迫させる事はよくある事だ
が、その背後には電気通信における、技術革新という根本の国の構造基幹技術の進化が
あった。伝送技術,交換機器,端末機器,そしてマイクロエレクトロニクスサイエンス
と言ったコンピュータ技術の発展は、通信体系を 従来の電話中心の同質のサービズを
提供するアナログ・システムから、大きく変容させていた。つまりこの為の政府の動き
と、民間の動きが転換要請になったのだ。多様な通信サービスを、総合的に提供してい
く「デジタルの統合ネットワーク(Integratさd Services Digital Network=ISDN )
」へと転換させた。また、産業組織的には「規制された独占」から「自由な競争」シス
テムに移行しようとし、現に多くの局面で、過激な過当競争が発生した。一言にして、
アメリカでは、今や新しい通信ネットワークの構築を競争という枠組みの下で、規制と
管理を成し遂げようと模索していたのであった。 1876年のグレアム・ベルによる電話
の発明以後最初の17年間に、ベルと、その金融資本の支援者によって設立された Bell
Telephone Co・(後のAT&T)の特許独占の時代は、明らかに技術による寡占が許され
た時代であった筈だ。しかし、特許期限の終了とともに競争の時代が始まってしまう。
、この時にAT&Tのとった競争時代の対策は、更なる寡占の、独自の占有策であった
。のである。

163 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/02(木) 15:17:50.60 ID:JVzC5ND6w
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2010

 すなわち長距離回線技術を中心とする「特許独占」の再構築と、通信機器製造部門の
、整理統合しての、他通信との相互接続の拒否や、競争会社の、買収などと言った物で
の再びの、AT&Tの独占体制の確立を目指したのだ。この19世紀末から20世紀初頭に
かけての競争期におけるAT&T行動は、今現在に、再び競争に直面してAT&Tの、
行動基準に近く、また往来の独占をしようとして、生き残れるかをみる時代に、示唆と
教訓を与えている。このAT&Tの独占の再確立により、ここでも、独占に対する規制
問題が発生し、1913年の「キングズベリー・コミットメント」を経た。1934年の通信法
の成立の下で、Federal Communications Commission(FCC)の設立へと結実していく
。これは、AT&Tの長距離回線を独占と、地域電話網での圧倒的部分(80%以上)を
支配していた事に、FCCはこのAT&Tの独占を容認していながらも、サービスと、
料金規制を方向付けし、新通信設備の認可権や、相互接続の強制権を有していて、AT
&Tの行動に制限を加えている。この、最も問題となる「独占と競争」の関係で、
「独占」から「競争」へという、通常の産業発展のパターンとは、全く逆行する 電気
通信産業の現状と、産業発展の、どの局面に位置づけるかは重要課題である。ここでは
競争の新たな発生に対し、既存の独占体AT&Tが、その際どのような対応を行って、
それが又新しい独占形成に如何に関わるか。という視点から この問題を検討すると、
全く今の日本の原子力村の権力維持する電源開発のような、政府公認の様態が、見えて
来るのである。

164 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/04(土) 08:27:54.90 ID:fYrBe1U+p
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2011

 従来から、FCCはこのAT&Tの独占を容認しながらも、サービスと料金の規制、
新通信設備の認可、相互接続の強制権をもって、AT&Tの行動に制限を加えたものの
、このFCCの規制で、一方で電気通信部門への新規参入を阻止して AT&Tの価格設定
利潤率を制限し、料金規制の方法で、60年代中葉に到る迄「継続的監視」というやり方
で、保護と制限で、巨大コングロマリットを護るのであった。それは正式な調査に基づ
く料金設定というよりは、非公式なAT&Tとの交渉による規制であった。このような
法治を度外視した人治を許した通信法とそれに基づくFCCの規制以外に、独占禁止法
による裁判結果はAT&Tの活動に別の枠をはめていた。それは1956年の「同意審決」
で、AT&Tは、34年通信法に定める通信サービスの提供以外の、事業を営むことを、
禁止し、規制部門と非規制部門を、明確にさせた運営が同意されたのだ。つまり、例え
ば、AT&Tの規制部門で得た利益は、非規制部門に流用する(企業内相互補助)など
して競争上の優位性を確保することが禁止され、阻止する事であった。以上が規制緩和
の主たる歴史的前提で、AT&Tの事業本体は子会社さえ作れない形に置かれたのだ。
非規制部門の運用や投資は出来ないのだ。自由化への前進は、68年の「カーターホーン
」のケースで行われた。これは電話と、移動無線を結びつける設備で、再びAT&Tは
、かつての付属機器同様に自社回線との接続を、拒否する裁判に出た。しかし、今度は
、FCCの場でAT&Tの主張が覆されて、決定されてしまう。この時FCCがコモン
キャリアに、解放を決め、技術的にネットワークに有害なものだけを精査し規制して、
それ以外の端末は、顧客によって、自由に接続出来るという方法・規準を探りFCCに
提出するよう要求された。AT&T側は紛糾する会議の検討の末、非電気的接続は自由
に認め、電気的接続にはAT&Tと「ネットワーク保持接続協定」を結んで、超過料金
を支払った場合にのみ可能とする。という案を示したのである。

165 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/04(土) 08:28:20.99 ID:fYrBe1U+p
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2012

 此処にAT&Tの意図が、接続自由な端末を制限して、それ以外のAT&T基準以外
の端末利用を不利にすることの思惑があった。ということはいうまでもない。FCCは
この当否よりも、より包括的な端末接続の自由化の検討を始め考察に入る。75年FCC
側は、タリフによる電話会社の端末使用の強制は、合理的なものではない。として端末
機器のFCC側での登録制を決定する。これは一定の技術基準を満して、FCCに登録
された機器での接続は、自由に顧客によってネットワークに接続出来る道を開いていく
。これによって全面的な競争が開始されることになった。最後に残った問題は、コモン
キャリア側に対する宅内機器の規制である。これは規制されている通信サービスと宅内
機器の販売・リース販売の事業の開放に向かっている。言うまでもないことだが1990年
代に起こった大きな変化に対して、アメリカ企業がビジネスモデルの転換に対しては、
多くは、成功したわけではない。特に、失敗した企業の典型として、AT&Tを挙げる
ことができる。AT&Tは、電話を発明したグラハム・ベルが興した「ベル電話会社」
を前身とし、電話通信網の運営に加えて研究開発と機器製造も行い、従業員数が百万人
を超え、下請けの事業者まで含めると一千万人を超えた、史上最大の基幹産業企業だっ
たのである。単に大きかっただけではなく、同社のベル研究所は、大企業にありがちな
ノーベル賞級の研究者を、何人も擁した、世界最先端の研究所だったのである。ここで
産まれたトランジスタの発明し、その後のLSI(集積回路)。更に電波望遠鏡の基礎
となる宇宙背景放射を発見したのも、この研究所のこの在りあまる収益の好さからであ
った。そうした次々と人類に寄与した進歩の中核を担って、研究者を育てていた研究所
でもあったのだ。

166 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/13(月) 13:48:18.65 ID:q/B3qdbbM
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2012

 此処にAT&Tの意図が、接続自由な端末を制限して、それ以外のAT&T基準以外
の端末利用を不利にすることの思惑があった。ということはいうまでもない。FCCは
この当否よりも、より包括的な端末接続の自由化の検討を始め考察に入る。75年FCC
側は、タリフによる電話会社の端末使用の強制は、合理的なものではない。として端末
機器のFCC側での登録制を決定する。これは一定の技術基準を満して、FCCに登録
された機器での接続は、自由に顧客によってネットワークに接続出来る道を開いていく
。これによって全面的な競争が開始されることになった。最後に残った問題は、コモン
キャリア側に対する宅内機器の規制である。これは規制されている通信サービスと宅内
機器の販売・リース販売の事業の開放に向かっている。言うまでもないことだが1990年
代に起こった大きな変化に対して、アメリカ企業がビジネスモデルの転換に対しては、
多くは、成功したわけではない。特に、失敗した企業の典型として、AT&Tを挙げる
ことができる。AT&Tは、電話を発明したグラハム・ベルが興した「ベル電話会社」
を前身とし、電話通信網の運営に加えて研究開発と機器製造も行い、従業員数が百万人
を超え、下請けの事業者まで含めると一千万人を超えた、史上最大の基幹産業企業だっ
たのである。単に大きかっただけではなく、同社のベル研究所は、大企業にありがちな
ノーベル賞級の研究者を、何人も擁した、世界最先端の研究所だったのである。ここで
産まれたトランジスタの発明し、その後のLSI(集積回路)。更に電波望遠鏡の基礎
となる宇宙背景放射を発見したのも、この研究所のこの在りあまる収益の好さからであ
った。そうした次々と人類に寄与した進歩の中核を担って、研究者を育てていた研究所
でもあったのだ。ここにアメリカの愚かさがある。国としての国民意識が一致せず法理
も法令も、両極端な様相を許した社会の創出、現出なのだ。なので中国同様切りがない
。許容も寛容も吹っ飛ぶぐらい、浅ましく貪欲で、節制や素養のない人間も出て来る。

167 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/17(金) 13:59:09.25 ID:j0WFipmYw
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2013

 60年代には、AT&TとIBMが、今後の人類の命運をw握り、未来を開くとさえ
豪語した米国人も多い。世界の誰もがそう信じていた。また、温情的、家父長的、終身
雇用的な雇用の、日本的仕組みで「マー・ベル」(ベルお母ちゃん)と呼ばれていたの
だった。こうした点でも、IBMと似ていた。ところが、そのAT&Tが80年代に、
社会構造変革の波で、急速に衰退していくのだった。その始まりは、米司法省による反
独占訴訟の結果としての解体である。84年1月1日、超巨大企業AT&Tは、長距離
ネットワークの運営と、研究開発・機器製造を行う新AT&Tと、七つの地域電話会社
に分割された。日本の国鉄分割の様なヘマを米国政府もやらかしたのである。その後、
新AT&Tは、研究開発部門(ベル研究所)と機器製造部門(WE:ウェスタン・エレ
クトリック)を、ルーセント・テクノロジーとして自主的に分離したのである。これに
よってAT&Tは長距離電話のみの会社となった。ところが、これで業績は上がらず、
2005年に子会社の一つであった地域通信会社の、SBCコミュニケーションズに、買収
されることになった。SBCコミュニケーションズの会長兼CEOであるエドワード・E・
ウィテイカーJrは、「AT&Tブランドは 誇り高く由緒ある遺産であるとともに、企業と
消費者双方に対する知名度において、世界でこれに並ぶものはありません。革新、信頼
性、品質、誠意、優れた顧客サービスを提供する新会社の情熱を表わすのに、AT&Tブラ
ンドほどふさわしいものはありません。これは、次世代の通信/エンタテイメント・サ
ービスで業界をリードするブランドとなるのです。」と買収完了後の社名として、AT&T
, Inc. を採用することを発表した。同社の経営陣の多くが AT&T出身である。と
は言え、AT&Tを社名とし名は残るものの「子が親を買収する。」結果になったわけ
であるが、それはかつてのAT&Tとはまったく別の会社なのだ。

168 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/20(月) 02:34:49.91 ID:jXO5OSH9E
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2015

 しかし、である。大衆の支える公共放送は、コンテンツ産業と、ニュース報道に特化
した委託であり、良くて芸能娯楽の文化放送までだ。スポーツ中継だったり、こうした
高額の映像研究は大学部門が政府の後押しでやるものであり、決して良い姿の研究開発
ではない。そういった意味でも、コンテンツを売捌いたり、逆に映像権競争で競っての
高値で仕入れたりしてるのは間違いで、協会として民間から吸い上げて行うべきものだ
。つい話が、横道それ日本の方に行ったが、そういう事だ。AT&Tの衰退は、表面的
には反独占訴訟によって分轄された為に映る。しかしながら、基本的な原因は、技術の
大変化に対して、ビジネスモデルを転換できなかったことにつきる。仮に、政府による
解体がなかったとしても、AT&Tは、凋落したことだろう。というのが大方の見方だ
。このAT&Tの根底を揺るがしたのは、インターネットという新しい通信方式の成長
である。軍部は第二次世界大戦の戦前から発達させていたコンピュータ言語が整理され
民間まで届き出すと、得体の知れないハッカ−攻撃が起こる。世界最大の危機と言われ
る核戦争の危機は7回起こったと言われるが、その内の3回のうち、一回はソ連であり
2回は米国のペンタゴンのファイヤーオールを抜けたハッキングでその2人とも未成年
のハッキングで、ゲームの様に起動ボタンを押そうとしたのを、全電源停止命令で止め
たものだった。こうした事のツールが、インターネットで、業を煮やしてインターネッ
ト環境を自由化した。が、これが世界を変えたのだ。どういうことか、実はこのペンタ
ゴンには、NASAの人気で、このプログラム言語の解る開発者が居なくなってしまい
、更に、軍開発より、民間の勝手な開発の方がより進んだOSに変化していたからだ。

169 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/20(月) 02:35:50.62 ID:jXO5OSH9E
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2014

 日本の郵便公社、或いはNTT、そしてNHKの様なもので、本業を逸脱しての投資
に数多く発明や特許があるものの、全くビジネスモデルとならずに終わった。例えば、
郵便公社は、世界初の葉書きなどの番号整理を行った。今の物流のバーコード仕分けの
最先端である。にも関わらず、現代の物流システム企業すら持たず下請けも持たない。
そうした状態で、2015年に、日本郵政は海外の運送会社豪トール・ホールディングスを
鳴り物入りで買収した。だがその後、4003億円の減損損失を迫られるなど一度も業績が
浮上することなく、一部事業を売却する悲惨な末路を迎えることになった。当然である
。政治家も経営者も経営を知らないずさんな投資なのだから仕方ない。NTTにおいて
もオカシナ事ばかりである。そもそもNTTを東西に分けて、更にNTTを別会社にし
た。実は此の時既に、インターフェイス技術は最高の物を持って、モバイルケータイの
wi-hi技術や5G技術は社内にあった。ところが、海外からのセルラーや、英国 ボーダ
フォングループなどの攻勢で、世界の自由化の波を被り、日本列島の岩場から政治家達
が突き放し、経営判断で荒海に技術を捨てるのである。そうしてその規格は中国に乗っ
取られ、ロボット技術や先進センサー技術と共に日本は脇に追いやれてしまうのである
。そして日本でもauやソフトバンクやらが、大きく日本の国際通信を詐欺師の様に、
買ってしまったのである。例のワン切り通報詐欺である。議員怠慢の典型な事象だった
。NHKのもっと酷いところは、そうやってうごかない政府、開発や特許に白い目の、
投資しない姿勢に、自ら解析能や分析能の高い映像機器を開発させた。例の4K8Kの
技術である。

170 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/20(月) 02:36:13.11 ID:jXO5OSH9E
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2015

 しかし、である。大衆の支える公共放送は、コンテンツ産業と、ニュース報道に特化
した委託であり、良くて芸能娯楽の文化放送までだ。スポーツ中継だったり、こうした
高額の映像研究は大学部門が政府の後押しでやるものであり、決して良い姿の研究開発
ではない。そういった意味でも、コンテンツを売捌いたり、逆に映像権競争で競っての
高値で仕入れたりしてるのは間違いで、協会として民間から吸い上げて行うべきものだ
。つい話が、横道それ日本の方に行ったが、そういう事だ。AT&Tの衰退は、表面的
には反独占訴訟によって分轄された為に映る。しかしながら、基本的な原因は、技術の
大変化に対して、ビジネスモデルを転換できなかったことにつきる。仮に、政府による
解体がなかったとしても、AT&Tは、凋落したことだろう。というのが大方の見方だ
。このAT&Tの根底を揺るがしたのは、インターネットという新しい通信方式の成長
である。軍部は第二次世界大戦の戦前から発達させていたコンピュータ言語が整理され
民間まで届き出すと、得体の知れないハッカ−攻撃が起こる。世界最大の危機と言われ
る核戦争の危機は7回起こったと言われるが、その内の3回のうち、一回はソ連であり
2回は米国のペンタゴンのファイヤーオールを抜けたハッキングでその2人とも未成年
のハッキングで、ゲームの様に起動ボタンを押そうとしたのを、全電源停止命令で止め
たものだった。こうした事のツールが、インターネットで、業を煮やしてインターネッ
ト環境を自由化した。が、これが世界を変えたのだ。どういうことか、実はこのペンタ
ゴンには、NASAの人気で、このプログラム言語の解る開発者が居なくなってしまい
、更に、軍開発より、民間の勝手な開発の方がより進んだOSに変化していたからだ。

171 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/20(月) 02:36:38.83 ID:jXO5OSH9E
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2016

 インターネットは、もともとランド研究所のポール・バランらによって、60年代に
発明された「パケット通信」という方式を用いている。これはデータをいったん「パケ
ット」(小荷物)に分けて交換機の記憶装置に蓄積し、通信回路が空いている時間に、
バラバラに送信して受信側の交換機に蓄積する。それを再び元のデータに組み直して、
相手先に届ける方式である。いわゆる、ノーマルな音声波長ではなく、ある種のコンテ
ナ輸送で、小さな段ボールを積み重ねても、一杯になって送る事が出来、その大量情報
の高速通信を目指したものであったのだ。ランド研究所そのものが、こうしたシステム
分析の開発の先駆者で業績が多く、重要なものに米国の宇宙開発、情報処理、人工知能
などがある。インターネットの構築に用いられた様々な原則のほか、動的計画法、ゲー
ム理論、デルファイ法、線形計画法、システム分析、exploratory modeling、など多く
の解析手法を発明している。ウォーゲームを分析手段として開発して使用したことでも
知られている。実は核開発にも加わっていて、当時に、秘密裏に核開発しても、当初か
らソ連に筒抜けで、アメリカ覇権の王座は50年以上の予想に反して僅か3年後であった
のだ。この通信技術でも、どう隠しても、1年後には知れ渡るだろう。更にこのままで
は、プログラム技術者もこのペンタゴンから、遠からず居なくなる。そこで色んな議論
の末、ペンタゴンの意志として、これを民間に開放する事を決めたのである。じつは、
その裏に、マイクロソフトの頭角があった。MSDOSの前に、大きな機械稼働OSと
して凌駕していたのは、CP/M・DOSだった。これはガレージパソコンと言う自作
のコンピュータの頃、1970年代にデジタルリサーチの創業者ゲイリー・キルドール開発
の、1976年に発売された8ビットCPUであるインテルの8080専用の シングルユーザー・
シングルタスクのオペレーティングシステムであったのだが、彼はペンタゴンとの裁判
に追われていたIBMの間隙を縫って大儲けしていた。

172 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/20(月) 02:37:41.00 ID:jXO5OSH9E
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2017

 元々、コンピューター開発の当初から、軍によって管理され、特許こそ出されいない
ものの、軍内開発には、門外不出の規則が乗る。現在から、約65年前の1950年の、世界
最初の商用コンピューターUNIVACは誕生したが、真空管が大量にあるコンピュータで、
この第一世代のコンピューターは、まるで宇宙船の部屋と言った大きく、電力を食う物
だった。という。その中から2年後の1952年に、IBMがメインフレーム業界に参入し
た、即ち汎用コンピューターである。その12年後の1964年に、動かす為の指令「OS360」
(System/360)を発表し売る事にした。これが初期OSの元祖と言われており、今の多様
なOSの基盤を築き上げた。汎用コンピュータ(≒メインフレーム)は、企業の基幹シス
テムになって、膨大かつ機密性の高いデータを処理する、大型コンピュータのことだ。
黎明期のコンピュータでは、計算処理なら計算処理、事務処理なら事務処理の、専用コ
ンピュータを用意した。この形で生産しており、非常に売り手、買い手どちらに於いて
も、かなりに不便な時期である。その不便さを取り除く為に、計算処理も事務処理も、
統合的に処理できるように進化してOSと言う命令言語が開発されていった。その命令
がアプリケーションであり、そう言った異種の命令でも統合的な処理をしたのがOSで
あった。OSの始まりはここからと言われて初期のOSと言われている。OS/360(System/
360)というIBMが開発したもので、IBMは汎用コンピュータのシェアをこの時から
席巻して、最近の2015年時点でもIBMのメインフレームシェアは国内80%、日本を除
くと93%となって、現在も業界を牽引する企業となっている。今回はその初期のOSと
言われるのがOS360で、その後に登場するIBMが開発したOS360進化ver.のMVSに、
ついてネットワークの基礎が出来ていく。

173 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/29(水) 07:35:15.96 ID:FpKcQCt6A
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2018

 こうした汎用コンピューターにおける軍との特許関係や大型ビジネスの中で、ワンチ
ップパソコンは、巨人IBMにとっては蟻の様な、小さな物だった。しかし、それを、
覆したのが8086のビジコンコンピューターが4004を創った。シャープのLSI
発注は、単に計算機用のLSIで、インテルの下請けのビジコン(日本計算機販売)は
協業開発していて、嶋正利(しままさとし)は、出向社員でマイクロプロセッサアーキ
テクトになって設計してた。インテルの指示にはピン数もなく、ロジック内容もない、
そうした発注だったので、制御ピンを多くしてランダム論理制御(ワイヤードロジック
)を取り入れた、連携する汎用チップをデザインした。これにより、カスタムLSIを
使用する事無く、複数の計算機仕様に対応させた。これは画期的で、4004の4ビッ
トから、8ビット8080の時にも、4ビットからの命令と計算とをチップに分けた、
CISC→RISCの様な、アーキテクチャを採用し、最初期のマイクロプロセッサの開発をし
た。つまり、機器仕様の命令分と本来の計算部分の使い分けである。しかしこれが大量
に出来て没になりそうなると、何と直接マニアやパソコンオタクに安価で売り出して、
一世風靡しその後のPC286の8086系向けの16ビットのアーキテクチャーに、
決定した。と言うのも、IBMは、自社でプログラムもLSI開発もしないでいたので
、、小さなホビーパソコンの活況から、参入したので、皆んな下請け業者の製品を寄せ
て販売する。こうして、IBMの PC-DOSは マイクロソフトにLSIはインテルに委託
して売り出した。MS-DOSはCP/M類似のIntel 8086系向けの16ビットOSだが、IBM PCの
成功によりパソコン市場でデファクトスタンダードとなり、後に8ビットなど各種のCPU
やコンピュータ用にも移植され、また各種の組み込み機器でも使用された。

174 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/29(水) 07:35:58.52 ID:FpKcQCt6A
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2019

 マイクロソフトはバージョン1.25からIBM以外のメーカーにMS-DOSのOEM供給を開始し
ライフボート・アソシエイツのSB-DOS、コンパックのCompaq-DOS、ゼニス・データ・シ
ステムズの、Z-DOSなど、供給先メーカーは70社以上に、それぞれ名前だけ変えて 売り
及んで、自身のOSを不動の物にした。実はベル研究所もそこでじっとしていた訳では
無かった、世界初の米国製の電気式計算機のひとつとして知られるENIACの技術者と共に
UNIXを立ち上げた。UNIXは1970年にAT&T社のベル研究所で開発されたOSである。
元々、「Multics(マルチス)」というOSを開発していたが、Multiといったその名の
通りに、機能が多く有りすぎて、とてつもなく処理スピードが遅いというOSがあった
。このMulticsの機能を削減し、改良したものがUnicsという風に言われるようになり、
改名後に「Unix」となった。(「Uni」は単一と言った意味。)UNIXの特徴は、完全な、
マルチタスク機能を搭載し、ネットワーク機能や安定性に優れ、セキュリティー強度が
高いことで知られている。また、UNIXは現在の、MacOS XやiOSのベースとなっており、
またこのあとに説明するLinux、更にLinuxをベースにした Android も生み出したOS
の中でもかなりの影響を与えたブラザー工業は、グラフィックタクストに特許分散の、
マウス仕様を、Apple社に委託したが、その発注を放棄した。Apple社は、マウスを使用
する初のグラフィカルユーザーインターフェイスを搭載した9,995ドルの Apple Lisaの
コンピュータを発表した。実はMacOS はこうした事でも今のタッチパネルにもマッチし
たプログラムだったのである。LINUXは1991年に リーナス・トーバルスが開発したOS
である。90年代初頭は、当時UNIXは先の米軍との著作権に関して、非常に、ややこしい
状況があったので、リーナスがそれを不便と思い、UNIXを1から 再構築し「LINUX」を
誕生させた。なので、UNIXとはコマンドは、似ているものが多いが、ソースコード自体
は違うと言った物となっている。

175 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/06/14(金) 10:46:52.39 ID:+sLCpRey2
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2020

 リーナスはLINUXを開発後には、それ自体の できがよかったので、多くの人に見ても
らい、使ってもらいたかったという理由と、それに関してレビューが欲しかったと言う
理由でオープンソース化し、その後2年ほどで世界に広まり、今では OSS(Open Sorce
 Softwear:オープンソースソフトウェア)の代表格となった。オープン ソースソフト
は、権利は有するもので特許権を放棄しつつ、占有権を持つと言う、特殊な形態である
。先のガレージパソコン時のソフトと同じく、大量の試用者をもって、市場でのデファ
クト・スタンダードとなり標準化する仕様となるので、この業界でのそうした性質のあ
って、当時の流行であった。ただ、LINUX自体は、カーネルの部分のみ なので、OSと
して、動作させるためにはカーネルに、様々なカーネルを助けるためのアプリケーショ
ンソフトウェアを組み合わせる必要があった。この組み合わせたものをディストリビュ
ーションと呼び、現在では数多くのディストリビューションが存在する。例で言えば、
CentOSやUbuntuなどがある。windowsOS以外のOSは知っている限り、大体UnixやLinuxを
ベースにしていると思ってもよい程だ。LINUX は、現在の MacOSX から取り入れられて
いるOSで、Macユーザーにとっては非常に馴染み深いOSとなっている。しかし この
LINUX(リナックス)の元はUNIX(ユニシス)であり、現在のコンピュータは 二進法で
計算を行うものがほとんどだが、ENIACは、内部構造に十進法を採用した。1桁の十進数
を格納するのに、10ビットのリング・カウンタを使用しており、1桁の記憶に36本の、
真空管を必要とした。メモリが極僅かな為、プログラム内蔵能力は事実上はほぼ無く、
パンチカードなどの外部デバイスからプログラムを取り込む方式である。ENIAC (エニ
アック)は、そんなアメリカの威信で開発された黎明期のビルになった電子計算機で、
あったのだ。

176 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/06/14(金) 10:47:22.62 ID:+sLCpRey2
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2021

 ENIACは 複雑なプログラムも組むことができ、ループ、分岐、サブルーチンが可能で
あった。プログラミングは複雑な作業で、通常1週間ほどかかった。紙上でプログラム
が完成したら、次にパッチパネルでスイッチ群やケーブルの配線を変更することでプロ
グラムを、ENIACに 設定する必要があり、それに数日かかる。そして設定ミスがないか
を検証・デバッグするのにENIACの「シングルステップ」動作機能を活用する。1946年2
月 ENIAC を考案・設計したのは ペンシルベニア大学のジョン・モークリーとジョン・
プレスパー・エッカートである。2人は世界に向けて「ENIAC(Electronic Numerical
Integrator and Computer)」を公開した。世界で、最も早い時期につくられた 電気式
計算機の一つとして知られる ENIAC は、1秒間に5000回の 加算を行うことができた。
ENIAC の処理速度は、それまでに開発されたどの機器よりも、はるかに速いものだった
。2人は自分達が歴史を変えるような、機器を生み出したことを理解していた。だが、
この画期的な発明を、人々にどう伝えるか。という問題があった。そこで2人は電球に
数字を書き込んで、その「半透明の球体」を NIAC のパネルに、ねじ込むというアイデ
ィアを思いつく。電球がぴかぴかと点滅する様子は、このコンピュータの原景として、
その後も長く人々に記憶されることになった。このちょっとした演出は ENIACの重要性
にふさわしかった。現在、ペンシルバニア大学ムーア校(電子工学部)に保管されてい
る1 ENIACは、この2月に誕生から満60年を迎えた。ENIAC の開発以前にも 既に幾つか
のコンピュータは存在し、歴史の間で広く認知されている。例えばドイツには「Z3」が
あったし、英国には「コロッサス(Colossus;勝利神)」、そして米国のアイオワ州には
「Atanasoff-Berry Computer(ABC)」があった。しかし、ENIAC は 恐らく、これらの
どのコンピュータよりも重要なことを成し遂げたのだ。ENIAC は、科学者と実業家の、
想像力をかきたてたのだった。

177 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/06/14(金) 10:48:18.93 ID:+sLCpRey2
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2022

 ENIAC の公開から数年も経つと、コンピュータは、大学、政府機関、銀行、保険会社
等に、次々と納入されるようになった。エッカート(Eckert)とモークリー(Mauchly)も
、ENIAC プロジェクト後に、会社を設立し、「UNIVAC」と呼ばれるコンピュータを開発
している。このUNIVACでも飾り電球は健在だったし、プログラム開発に他の技術者達も
加わっている。UNIVAC は、より洗練され小型化されいる。1952年の 大統領選挙結果を
、余人の予想に反した答えを出し、結果見事に予測を的中させてで一躍有名になった。
ブラジャーの広告に登場して、科学の、さらなる進歩を印象づけたコンピュータもある
。英国では、暗号解読の目的で、コロッサス(Colossus)と呼ばれるコンピュータが先行
して開発されていた。コロッサスは、軍関係者の間では広く知られていたが、国家秘密
で、第2次世界大戦後に、直ぐに解体され、その後も数十年にわたって、詳細は謎に包
まれたままだった。コンピューティングの始まりと同時に、より高速で、小型で、軽量
で、安価なハードウェアを目指し、激しい開発競争が始まった。その後の、実用目的で
開発された源流のコンピュータと比べると、このエニヤック(ENIAC) の技術は、異彩を
放っていたと言える。たとえば、後のほぼ全てのコンピュータが1と0からなる2進数
で演算計算を行っていたのに対して、エッカートとモークリーが、その後に開発した、
ユニバック(UNIVAC)さえもそうした、ENIAC は、10進数で演算を行った。プログラムを
内蔵する能力もなかったが、今日のプログラミングの基本である、「if-then 文」を、
利用した条件分岐にも対応しているとは、いえなかった。しかも、ENIAC は1台しか、
製作されなかった。「 ENIACは途方もなく大きかった。あっという間に、他の汎用コン
ピュータに取って代わられた。」とマサチューセッツ工科大学教授はいう。

178 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/06/14(金) 10:49:21.99 ID:+sLCpRey2
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2023

、20世紀を代表するコンピュータアーキテクトのジェイ・ライト・フォレスター、(Jay
 Forrester)は言う。「 ENIACと現代のコンピュータには、何の共通点もない。あると
すれば、電気で動くことくらいだ。」と吐き捨てる。それでも、ENIAC を評価する人々
は、このコンピュータが「機能した」という紛れもない事実を指摘する。1955年に雷が
原因で稼働が停止されるまで、ENIAC は、原子爆弾の弾道計算や水素爆弾開発やその他
の軍事プロジェクトの、殆どの計算に用いられ、シュミレートされた。ペンシルバニア
大学教授のIrving Brainerdは、ENIAC が稼働していた 8万223時間の間に処理した演算
の数は、有史以来、人類が行ったすべての演算よりも多いと推測している。初期型の中
の ENIAC の開発エンジニアで、今は90歳になるハリー・ハスキー (Harry Huskey)は
、サウスカロライナの自宅から電子メールによる取材に答えている。「家庭用ラジオの
真空管を交換する基盤をペースに、ENIAC の連続稼働時間は5分にも、満たなかった。
と主張する人々もいた。しかし、すべての真空管は、100時間にもわたる 性能試験を、
クリアしており、計算にそのような問題は、全くなかった。」と話す。例えばABCやZ3
は、ENIAC よりもはるかに遅くあったし、小規模な計算しか処理できなかった。ABC は
デモ用の計算しかしておらず、試作機の域を出なかった。と主張する。こうした論争は
後に「世界初のコンピュータ」の称号をめぐって科学者たちの争いに発展していった。
しかし、その強固な性能のルーツは、ENIACと同時代のコンピュータが 第2次世界大戦
まで遡ることができる事にある。当時、米国の砲兵隊は弾道表を使って、砲弾の弾道を
予測していた。しかし、大砲の角度、地勢といった変数を計算するのは、気が遠くなる
ほど複雑で、単調で、時間のかかる作業だったのである。

179 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:20:23.90 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2022

 ENIAC の公開から数年も経つと、コンピュータは、大学、政府機関、銀行、保険会社
等に、次々と納入されるようになった。エッカート(Eckert)とモークリー(Mauchly)も
、ENIAC プロジェクト後に、会社を設立し、「UNIVAC」と呼ばれるコンピュータを開発
している。このUNIVACでも飾り電球は健在だったし、プログラム開発に他の技術者達も
加わっている。UNIVAC は、より洗練され小型化されいる。1952年の 大統領選挙結果を
、余人の予想に反した答えを出し、結果見事に予測を的中させてで一躍有名になった。
ブラジャーの広告に登場して、科学の、さらなる進歩を印象づけたコンピュータもある
。英国では、暗号解読の目的で、コロッサス(Colossus)と呼ばれるコンピュータが先行
して開発されていた。コロッサスは、軍関係者の間では広く知られていたが、国家秘密
で、第2次世界大戦後に、直ぐに解体され、その後も数十年にわたって、詳細は謎に包
まれたままだった。コンピューティングの始まりと同時に、より高速で、小型で、軽量
で、安価なハードウェアを目指し、激しい開発競争が始まった。その後の、実用目的で
開発された源流のコンピュータと比べると、このエニヤック(ENIAC) の技術は、異彩を
放っていたと言える。たとえば、後のほぼ全てのコンピュータが1と0からなる2進数
で演算計算を行っていたのに対して、エッカートとモークリーが、その後に開発した、
ユニバック(UNIVAC)さえもそうした、ENIAC は、10進数で演算を行った。プログラムを
内蔵する能力もなかったが、今日のプログラミングの基本である、「if-then 文」を、
利用した条件分岐にも対応しているとは、いえなかった。しかも、ENIAC は1台しか、
製作されなかった。「 ENIACは途方もなく大きかった。あっという間に、他の汎用コン
ピュータに取って代わられた。」とマサチューセッツ工科大学教授はいう。

180 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:20:52.43 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2023

、20世紀を代表するコンピュータアーキテクトのジェイ・ライト・フォレスター、(Jay
 Forrester)は言う。「 ENIACと現代のコンピュータには、何の共通点もない。あると
すれば、電気で動くことくらいだ。」と吐き捨てる。それでも、ENIAC を評価する人々
は、このコンピュータが「機能した」という紛れもない事実を指摘する。1955年に雷が
原因で稼働が停止されるまで、ENIAC は、原子爆弾の弾道計算や水素爆弾開発やその他
の軍事プロジェクトの、殆どの計算に用いられ、シュミレートされた。ペンシルバニア
大学教授のIrving Brainerdは、ENIAC が稼働していた 8万223時間の間に処理した演算
の数は、有史以来、人類が行ったすべての演算よりも多いと推測している。初期型の中
の ENIAC の開発エンジニアで、今は90歳になるハリー・ハスキー (Harry Huskey)は
、サウスカロライナの自宅から電子メールによる取材に答えている。「家庭用ラジオの
真空管を交換する基盤をペースに、ENIAC の連続稼働時間は5分にも、満たなかった。
と主張する人々もいた。しかし、すべての真空管は、100時間にもわたる 性能試験を、
クリアしており、計算にそのような問題は、全くなかった。」と話す。例えばABCやZ3
は、ENIAC よりもはるかに遅くあったし、小規模な計算しか処理できなかった。ABC は
デモ用の計算しかしておらず、試作機の域を出なかった。と主張する。こうした論争は
後に「世界初のコンピュータ」の称号をめぐって科学者たちの争いに発展していった。
しかし、その強固な性能のルーツは、ENIACと同時代のコンピュータが 第2次世界大戦
まで遡ることができる事にある。当時、米国の砲兵隊は弾道表を使って、砲弾の弾道を
予測していた。しかし、大砲の角度、地勢といった変数を計算するのは、気が遠くなる
ほど複雑で、単調で、時間のかかる作業だったのである。

181 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:21:13.99 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2024

 ひとつの弾道を手計算で、分析するには約40時間以上を要した。しかも弾道は、数百
種類あって、それぞれに初速度と空気抵抗が違っていた。ヴァニーヴァー・ブッシュは
設計した微分解析機「差動分析器(Differential Analyzer:デファレンタル・アナライ
ザー」などの、電気機械を使っても、30分はかかっただろう。ペンシルバニア大学の、
コンピュータサイエンス教授ミッチェル・マーカスは、弾道表の戦術的価値は限られた
ものだったと指摘している。ENIAC の心臓部には、10本の真空管が円を描くように並ん
だ「リングカウンタ(環状計数器)」と呼ばれる装置が設置されていた。「5」は5番目
の真空管のパルスで表現され、ここに、「9」が加算されると、パルスは4本目の真空管
に移動し、更に2つ目のリングカウンタの1本目の真空管(10を意味する)がパルスを受
け取る仕組みになっていた。各アキュムレータ(累算器)には10個のリングカウンタが
設置された。アキュムレータは、上は100億ー1(9,999,999,999)、下はマイナス100億
+1までの数値を記憶することができた。一つのアキュムレータが 上限に達すると、ワ
イヤを通して2つ目のアキュムレータにパルスが送られ、処理が継続されるようになっ
ていた。ENIAC には、合計20個のアキュムレータが搭載されていた。これらのアキュム
レータは、40を超えるラックに格納され、プラグ盤を使って、相互につながれていた。
データは 長さ1.5m の 水銀管を利用して、パルスの形で記憶された。当時の研究者達
は、電気機械を高速化する方法や、ピンやギア操作に起因するエラーを排除する方法を
見つけよう。と、努力していた。1937年、アイオワ州立大学教授のJohn Atanasoffは、
酒場であるアイディアを思いつき、それをナプキンに書き留めた。それは2進演算が、
可能な電子計算機のアイディアだった。

182 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:21:40.38 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2025

 1942年にかけてアイオワ州立大学でジョン・ビンセント・アタナソフとクリフォード
・E・ベリーによって開発された、最初期の電子式ディジタル計算装置を創った。その
頭文字からABCやABCマシンと呼ばれた。現在のコンピュータで、標準的に使われ
ている二進法の採用、エレクトロニクス方式、メモリと演算機能の分離という発明が、
織り込まれ、さらに並列コンピューティングや再生式メモリという発明まで織り込まれ
ていた。但し初期型は、プログラム内蔵方式ではない。此処に現在のコンピュータとの
大きな差異がある。この(one of the first electronic digital computing devices)
は、アタナソフとベリーと、その他数人の院生の手を借りて出来上がり、ABCコンピ
ュータの試作機製作と共に、1939年10月にデモを行った。1941年には 300本の真空管を
搭載し、数秒で演算を行うことのできる改良版も開発された。このプロジェクト自体は
うまくいっていたが、戦争が勃発し、アタナソフもE・ベリーも研究を中断して、より
緊急性の高い国防プロジェクトに取り組むようになる。当時、アーサイナス大学の物理
教授だったジョン・ウィリアム・モークリーは、まったく別の分野の科学に取り組んで
いた。彼は「ハーモチックアナライザー(調和解析機)」と 呼ばれるアナログ装置を
使って、気象を正確に予測する方法を研究していた。1940年12月、モークリーの講義に
ジョン・アタナソフが出席したことがきっかけで、2人は意気投合して、電子計算機の
構想を話し合うようになった。その後直ぐに、モークリ―は人生を変えるもう一つの、
出会いも経験した。電子工学に強い関心を抱いていた頃、ペンシルバニア大学ムーア校
の講座に参加し、教壇に立っていた ジョン・プレスパー・エッカートと知り合った。
1941年末にはペンシルバニア大学で教鞭を執るようになり、2人は計算処理に関するア
イディアを交換するようになった。今でいうマイクスピーカの発明であろう

183 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:22:17.52 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2026

 この約9年ぶりの、日立製作所の時価総額はソニーグループを上回った事は、電子化
がゲームやオタク或いはデジタルレクリエーションから、実社会に移行してる事を意味
している。それは、世界経済の成長の牽引役が、企業から個人へ 中央指令機器から、
タブレットやスマホや家庭機器にAIへのシフトを、反映した変化ともいえる。リーマ
ン・ショック後に、世界的にスマホはヒットした。「インスタ映え」といわれるように
SNS社会は、異様に拡大した。当初ロシアで実に年間20人の死亡500人の死傷者
がでるほど危険行為がトップを飾ったし、今では料理やお土産に、鮮明な写真をアップ
するスマホのカメラ機能が流行る。その分野でも、ソニーはモノづくりの力を磨いて、
業績の回復につなげていた。ソニーは、『CMOSイメージセンサー』で世界トップのシェ
アを獲得。CMOS市場で47.9%のシェアを持つ。2位は韓国のサムスン電子の18.1%を、
軽く超えている。このスマホのヒットをきっかけに、世界全体でもデジタル化(DX)は
加速し、SNSのプラットフォームと金融ビジネスを結合し、個人の信用力を格付けも
する(フィンテックサービス)。消費者分野だけでなく産業分野でも、DXは加速した。
工場の、省人化や自動化の機器に、目を付け自動認識でAI学習させ、効率的繊細な、
収穫・分離・梱包、と言った無人化作業が、農業工業流通を問わず進化して行っている
。サプライチェーンの管理、配送電網の効率化などの、センサーやIT機器を用いた「
見える化」事業拍車がかかり、これらに取り組む企業は大増強されてきている。この、
産業界DXはもはや革命的だ。製品のライフサイクル(素材の調達や生産、製品の製造
、販売、使用、廃棄やリサイクルまで)全体に及んで、地理や人材を問わないサプライ
チェーン化をしているのだ。

184 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:22:45.38 ID:1NpnuaYgo
 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2027

 調査・分析・研究の、学術分野にも高性能スパコンの進化で、革命を起こしている。
排出する二酸化炭素の量や、分子構造に、シミュレーションデータや3Dトラストを、
映像や計算でしやすくなったのだ。この時スマホはDXのインターフェイスとしての、
役割も担う。特に健康データーには、各種の感知機器まで開発されて、分厚い企業層が
出来つつある。ソニーのCMOSイメージセンサーの研究開発、生産体制を、その後も拡充
し、シェアを高め2017年ごろ、世界のスマホ需要が、飽和し始めたと考えられて、売り
上げは伸び悩んだ。しかしその後の、コロナ禍の発生によって需要は反発。それはソニ
ーの収益には追い風となり、株価を上昇させた。日立も、このDXの加速に備えて業態
転換したお陰で、高収益を叩き出す。2022年11月末に米オープン AIが“チャットGPT”
を公開すると、日立の対企業向け(B2B)のITプラットフォームOS ルマーダサービ
ス』に対する需要は急増して、業績期待は高まった。総合電機メーカーからの業態転換
で日立はAI革命の波に、うまく乗った。といえるだろう。リーマンショックの発生後に
2008年9月15日以降に、日立は業態転換を急速に進める事になったのだが、2009年3月期
には、日立での連結最終損益は、なんと7873億円の赤字の計上だったのである。当時、
国内の製造業で最大の損失額だった。およそ8千億円という数字は国内最大の赤字で、
2009年の、日立の川村隆社長(当時)は『社会イノベーション事業の強化について』を
発表した時は苦肉の策と呼ばれた。その中で日立は、総合電機メーカーとして成長戦略
には、全く言及してない。明示したのは、データセンターなどの情報分野で足場を固め
る方針のみだったのであり、事実未来予想図には、いばらの道しか見えなかった筈だ。

185 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:23:47.35 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2028

 ここでの具体的な内容は、まずデジタル技術を駆使して、社会インフラ、脱炭素など
の分野に、経営資源(ヒト、モノ、カネ)を再配分する。国内市場よりも、海外市場で
収益を追求することを求め、成長戦略に定めた。家電、鉄道、インフラ、発電などの、
重厚長大事業をポートフォリオにおさめた業態から、産業分野でのITの最先端企業へ
転換を進ませた。経営トップの指揮の下、日立は主要な子会社を売却。“御三家”と、
の呼ばれた上場子会社(日立化成工業、日立金属、日立電線)んp利益を上げていた、
日立の中核企業も売却した。ここで2022年度に上場子会社は、ゼロになったのである。
これは日立と言う名の暖簾の格式を捨てた事になった。この回収した資金や、浮き出た
人材を成長分野に再配分し、重厚長大な設備を手がけるよりも安定性は高い護りの経営
とも称される。デジタル分野で『ルマーダ』と呼ばれるサービス用のOSを開発した。
このルマーダを基盤に、エネルギー分野ではパワーグリッド(デジタル技術を活用し、
電力需給を調整するシステム)事業を育てた。こうして2018年12月、スイス重電企業の
ABBのパワーグリッド事業を買収。インフラ分野では、センサーなどIoT機器を、
多用したメンテナンス提供体制を整える。鉄道車両の運行状態を常に把握したり、適切
なタイミングで保守点検などを補助し行う。発電所などの重厚長大な設備を手がけた、
これまでの高価で資源高騰のビジネス体系と比較すると、収益の安定性をかなり高めた
。このIoT技術を活用するエネルギーの効率的に活用し、脱炭素につながる提案も、
可能になる。『ルマーダ』は、他の企業の供給網全体での二酸化炭素排出量の可視化も
可能にした。2021年、インフラ事業とルマーダの相乗効果を高めるために、日立では、
仏電子機器大手タレス社から鉄道信号関連事業を買収する。と発表した。

186 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:25:48.67 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2029

 2025年3月期、売り上げ収益に占める『ルマーダ』の販売実績の割合は29%に達する
。この成長期待から株価は上昇し、6月下旬、時価総額はソニーを上回りわが国第4位
に上昇した。重要なポイントは、AI活用での、既存の産業構造が急速に変化している
ことの資本になった事だ。世界の産業界全体でこれまでの常識や既成概念がくつがえる
パラダイムシフトが、起きつつある。との見方もある。わが国の企業の中でも、自動化
・見える化・無人化は、人員不足と労働短縮化の要でもある。自動運転トラックと同じ
に、生産・物流の抑制に向かうトレンドがある。日立はそうした変化にうまく対応でき
ていると評価され、主要投資家が増えた。送配電事業の収益増加の期待が高まったのは
、ロシアンガス停止での、欧州のエネルギー供給の緊迫化があったからだろう。AIの
成長母体に、データセンターの増加は欠かせない。半導体業界の専門家によると、AI
の学習に使う画像処理半導体(GPU)の電力消費量は、今後も高い。GPUは発熱量も現在
ではかなり多いという。学習とデータセンターの冷却で電力需要は増えると予想される
。ただ、電力供給体制の整備は、一朝一夕に進まない。限りある電力の有効活用、日立
のパワーグリッド需要、これらは、省電力化が進んでも増加する可能性は高い。そうし
た展開を見据え、日立は2027年までに45億ドル(1ドル=161円で7245億円)の設備投資
を実施し、関連する機器の生産能力を引き上げる方針を示している。また、AIの性能
向上でも、新しい発電技術の需要は高まるだろう。

187 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/10(水) 19:26:33.23 ID:1NpnuaYgo
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2030

 実は人工知能(AI)技術の活用拡大には、伝説的にムーアの法則と言うのが支持され
ていた。ムーアの法則は、大規模集積回路(LSI IC)などのチップ製造・生産における
長期傾向について論じた、経験則に類する一つの将来予測である。発表当時のフェアチ
ャイルドセミコンダクターに所属して後に米インテル社の創業者の一人となるゴードン
・ムーアが1965年に自らの論文上に示した。彼は1965年に、集積回路あたりの部品数が
毎年2倍になると予測し、成長率はあと10年は続くと予測。1975年には、次の10年を、
見据えて、「2年ごとに2倍になる。」という予測修正した。この「2年ごとに2倍」
になるとの予測は1975年以降も維持され、それ以来「ムーアの法則」として知られる。
これは、当時世界をリードしてた日本は、信じる訳でなくとも、少なくとも投資目標を
これに添って開発して来た。ムーアの法則の妥当性は、その定式化のしかたによっては
疑問符がつくものであったが、周辺機器を含めてほぼ妥当な定式とされた。実際半導体
開発にプロセッサは高性能化を打ち出し、ベンダー企業はその対応に常に追われていた
。「18ヶ月で半導体のトランジスタ集積数が2倍になる」という進化は「ムーアの法則
」が半導体製品の進化をけん引してきた。「ムーアの法則」は「マーフィーの法則」に
違反している。すべてのものはどんどんよくなっていく。マーフィーの法則は「失敗す
る可能性のあるものは、失敗する。」に代表される「経験則」や「法則」の形式で表明
されるユーモア及びジョークである。しかし、「高い絨毯にバターを塗ったトーストは
、誰も落さない。」は日本では、通用しなかった。日本政府の外交で、数々の、CPU
製造が廃業に追い込まれたのである。

188 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/20(土) 01:30:28.07 ID:xvnaALeiH
  リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2031

 実はこれにも、10年で10倍と言う定式が存在する。製造設備コストも、2005年には、
1600万ドルだった実用試験に、2015年時点で、最新のテクノロジを用いたチップの設計
と試験には約1億ドルかかっている。新型チップ製造工場の建設には、100億ドルも、
かかるのだ。つまりこのコストは、当然製造売り上げからの利益で償却する。となると
当然10倍コストは10倍の売り上げであり、10倍の製品活用は、10倍の電気量が
必要となるのである。つまり、技術進化でその量は少なくなるだろうが、AIがあらゆる
処で使われるようになることを念頭に置くと、電力の安定供給も社会的課題と言い換え
ても良いだろう。問題の解決策の一つに、日立は、小型モジュール炉(SMR:小型安全炉
原発)を、ゼネラル・エレクトリック(GE)と合弁で開発した。2028年、カナダでの、
初号機を建設し、米国でも受注獲得を目指している。原子力関連技術という日立が磨い
てきた強みをAI分野と結合することで、同社の収益分野は拡大することも予想される
。業態を組み替えた日立は、AIなどデジタル技術を土台に据えて事業戦略を立案・実行
した。自社の競争優位性が活かせるエネルギーやインフラ関連の、製造技術、サービス
などをデジタル技術と結合し、産業界のデジタル化と脱炭素の需要を取り込んだ。AI
分野の成長で、世界の産業構造は変わり、企業の事業領域が発散的に拡大する。と予想
される。その変化に対応できるか否かが、企業の実力を拡充するための重要なポイント
だろう。「保守的経営は 革新的事業である。」とか「政治の保守派は、常に革新足れ
」の英国の言葉を感じる。

189 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/20(土) 01:31:59.61 ID:xvnaALeiH
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2032

 一方で、このLSIは大きな転換期に来ている。AIチップの進化と利用は、今、始
まったばかりだ。これから何十年もの間、様々な技術が、継続的に投入されるだろう。
このことによって進化し続け、それぞれの時代で、求められる有用な応用が、次々と、
生み出して行くだろう。ただし、AIチップも、コンピュータの一種であることには、
変わりない。現在のコンピュータが抱えている 固有の技術課題は、AIチップを進化
させる上でも構造上の問題になる。特に「フォン・ノイマン・ボトルネック」と呼ばれ
る、コンピュータの、高速化を阻む本質的な課題がある。これを解決しない限り、AI
チップの成長シナリオは、恐らく描けない。今回は、未来のAIチップが進化し続けて
いくための道を開く「脳型チップ(ニューロ型・チップ)」の、開発動向が存在する。
現在、使われている、ほとんどのコンピュータは、約70年間使われ続けてきた、たった
1つの基本原理に沿って作られている。それは、天才数学者のジョン・フォン・ノイマ
ンが考案した。と、一般に言われている「ノイマン型アーキテクチャ」という、汎用の
計算機向けの構造である。様々な演算を、自在に実行できる汎用性を強みに、代わる物
がない価値を誇って、進化してきた技術である。ワープロやウェブの閲覧、ゲームなど
、様々な用途に利用できる汎用性の高いパソコンは、ノイマン型だからこそ実現可能な
ものだった。現在解説される、Google社の「TPU2」のような第1世代のAIチップでも、
最新のスマートフォンや家庭用ゲーム機の CPUでも、全てノイマン型アーキテクチャが
ベースにして作られている。

190 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/20(土) 01:33:47.33 ID:xvnaALeiH
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2033

 この様に、コンピュータ界に長年君臨してきたノイマン型だが、70年を経て、さすが
に技術的な、疲弊が見えてきた。根本的な対策を取らない限り、これ以上の高性能化は
望めない本質的欠点がある。ノイマン型は、1つの演算を実行する度に、演算装置が、
記憶装置から、命令とデータを読み込み、演算が終わった命令は、破棄して、結果を、
記憶装置に書き込む行動をする。これらは、各プログラムに沿って、こうした命令作業
を繰り返して行く仕組みで動いていくわけだが。これは、遠い職場に毎日通うような物
で、一見、まどろっこしい手順だ。と感じるかもしれない。しかし、命令を一つ一つを
確認し、データを、必ず所定の位置に置きながら、慎重この上なく働くからこそ、様々
な作業を混乱することなくこなせる働きで、いわば図書館で、本の借り手に一冊のみの
許可で、一つが貸し出され、カードに記録され、受付に返却され、受付が本棚に戻し、
整理される。と言う、手順書を基に行動する図書館運営と思っていただきたい。勿論、
技術の進化で、その図書館は膨大な量が納められる本棚がはいるし、建物も巨大になり
入館証チェックも多数の警備員を置き素早く厳重に行う様に、プログラミングはされる
様にはなった。このノイマン型の動作は、演算装置と記憶装置の間のやり取りを高速化
できていた内はシステム全体を高速化できた。それが近年、両者を結ぶ配線で信号伝達
を高速化できなくなってきた。つまり、本棚と受付、受付と入館までの動線が長くなり
時間が掛かり、極限まで走っても時間を、これ以上早く情報伝達できずにいるといった
具合である。つまりノイマン型ベースでは、これ以上の性能向上が困難になったのだ。

191 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/20(土) 01:36:36.12 ID:xvnaALeiH
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2034

 通常、電子機器では、素子や回路の間を、金属配線でつないでいる。こうした出来た
配線は、材質や形状に応じた、電気容量が存在し、一方の端からもう一方の端まで信号
を伝えるのに、一定の時間が掛かる。水道の蛇口につないだ空の状態のホースに水を流
すと、端から水が出てくるまでに時間が掛かるのと同じ原理だ。ノイマン型では、この
時間の制約は避けられない。この遅れが、コンピュータ全体の性能向上の足かせになっ
ている。つまり、仕事場での作業効率が、どんなに高まっても、通勤時間の長さがこな
せない、図書館で言えば、一冊のみの受付では、仕事量が増えるだけで、時間ロス減少
を、頭打ちにしているのだ。こうした性能向上の阻害要因のことを「フォン・ノイマン
・ボトルネック」と呼んでいる。」これは、進化が始まったばかりのAIチップの難題
で、開発者にとっては、極めて大きな問題に変ってきている。自動運転車や高度なロボ
ット作業、的確な診断を下す医療システム、リアルタイムでの自動翻訳機などの、AI
チップに頼った機械では、さらに高性能化して実現したい応用が山積している。と言わ
れる「ボトルネックがあるので、これ以上高性能化できません。」では済まされない。
と各企業が思っている。そこで、一層の高性能化に道を開くためノイマン型に見切りを
つけ、まったく新しい原理に基づくAIチップの開発を始めた企業や研究機関が複数出
てきたのである。その代表的な企業がIBM社である。その他、Intel社、HP社
とユタ大学のグループ、NECと東京大学のグループ、産業総合研究所とパナソニック
のグループ、東芝、デンソー、東北大学などが研究開発に着手している。つまり人間の
脳の構造を、徹底的にまねる事で、ニューロンネット構築の上の回路とプログラムで、
今後の量子コンピューターにもつなげようと言うのであった。

192 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/26(金) 16:39:14.79 ID:njPh/LOUb
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2035

 「人間の脳の構造を見てみるに。記憶と演算が分離したノイマン型などではないのだ
。しかも、たかだか20Wのエネルギー消費量で、現存するコンピュータのどれよりも、
高度な処理を実現しているではないか。ならば脳の構造を徹底的に真似ればそれなりに
良い物が出来るのではないか。」とIBM社などが、新たな基本原理を模索する。これ
は更に原子構造コンピューターつまり、量子スパコン応用にも使われる際の着眼点であ
る。このようなもので、現在提案されている全てのAIチップは、程度の差はあるが、
動作や構造の模範を脳の神経回路網(ニューラルネットワーク)に求めてきた。Google
社のTPUは、ニューロン(神経細胞)とシナプス(神経細胞間のつながり)で構成し
ニューラルネットワークの構造と働きを、ノイマン型の構造上に展開しプログラムを使
って再現したものであった。チップ内の演算器の仕様はAI関連処理に最適化している
が、仮想的にプログラムで脳の動きを真似たチップだと言える。これに対し、IBM社
などが目指すチップは、演算装置と記憶装置が分離せず、一体化してニューラルネット
ワークの、物理的な構造を再現した「脳型チップ(ニューロモーフィック・チップ)」
と呼ぶものである。AIチップの進化の中では、「第2世代AIチップ」と呼ぶことが
できると言う。しかし、脳型チップは、ノイマン型を使わないために汎用性を損ない、
論理的な演算はできなくなっている。しかし乍ら、人間の脳も論理的な思考は左脳が、
直感的な認知は右脳が担っている仕様の様だ。IBM社では、ノイマン型ベースの従来
型コンピュータと、脳型チップによるAIシステムで役割分担させることを、近未来の
コンピュータの基本構成と考えているようだ。

193 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/26(金) 16:39:35.53 ID:njPh/LOUb
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2036

 IBM社は2014年に、世界初の脳型チップ「トゥルーノース(TrueNorth )」の
論文を科学雑誌「サイエンス(Science)」上で発表した。ここからは、TrueNorthに使わ
れている技術を題材にして、脳型チップとはどのような特徴を持つ、どのような構造の
チップなのかを解説したい。第2世代AIチップである「脳型チップ」の先駆けになっ
た TrueNorth は、54億のトランジスタで、100万個のニューロンと 2億5600万のシナプ
スを作り込んだチップを作った。28nm プロセスを使って製造し、チップ面積4.3Cm2
と、一般的なマイクロプロセッサと同等の大きさに収めている。脳には約1000億個の、
ニューロンと、約100兆〜150兆個のシナプスがあると言われている。TrueNorthは 人間
の脳には、遠く及ばないが、昆虫の脳と同等の規模にはなっているとされる。そして、
「空中の 小さな獲物の位置を 正確に把握する」「血を吸うべき動物がいる」など、
昆虫が、特定の能力で極めて高度な知覚を持っているのと同様に、TrueNorth も「地震
を検知して津波警報を発令する」「石油の漏れを監視する」といった特定用途に、応用
するのに十分な能力を実現できる。といっている。TrueNorth で特筆できる点は、1秒
当たり、46億回も再現されるシナプスの動きを、わずか70〜200mWという 補聴器ほど
の電力消費で実行できる点だ。現在AI関連処理の実行に使われるGPUの消費電力は
数百W、第1世代AIチップであるTPUは40Wであるから、TrueNorth の省エネ度
合いは、際立っている。バッテリー駆動で、できるほどの低消費電力なので、電源供給
や放熱のための回路や部品を劇的に単純化でき、AIチップの使用シーンはグンと広が
る。小型ロボットや携帯型電子翻訳機、さらにはオフィスや店舗に置くあらゆる機器の
中に、家電を制御するマイコン感覚で高度なAIチップを組み込むことができるのだ。

194 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/07(水) 14:05:57.90 ID:QQeiCIRGd
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2037

 TrueNorth では、データ処理の最小単位となるコアを、1チップに4096個実装した。
それぞれのコアには、演算回路、メモリ、コア間通信用のルーターなどが含まれている
。GPUや第1世代AIチップであるTPUでは、ニューラルネットワークの ニューロン
同士の結びつきの強さや、そこでやり取りするデータは、外部のメモリに蓄積するが、
これに対し TrueNorth は、演算装置と 記憶装置の両方を、1つのコアの中に組み込む
ことで、命令やデータの読み出しと書き込みを、コア内で完結させている。このため、
フォン・ノイマン・ボトルネックを大幅に軽減できる。と見られてる。それぞれのコア
には、256個のニューロンと26万2144個のシナプスを 再現する回路が搭載されており、
各ニューロンの振る舞いを23種類のパラメータによって調整することで、単純なニュー
ラルネットワークのモデルから、極めて複雑なモデルまで再現できるようにしている。
TrueNorth 内の64×64個のコアは、256入力 256出力 の2次元メッシュの配線上に配置
している。そして、コア内のルーター機能を使って、コア間で信号をやり取りするのだ
。さらに、このチップをボードに並べることで、ニューラルネットワークの規模をさら
に拡大し、より複雑な処理の実行や精度の向上を図ることができる。IBM社では既に
16個のチップを1枚のボードに並べ、約1600万個のニューロンと約41億個のシナプスを
備えたシステムを試作済みだ。が、このシステムの規模はカエルの脳に相当するぐらい
で、人間の脳にはまだほど遠いという。さらに、そのボードを3枚つなげて、約4800万
個のニューロン、約123億個 のシナプスを持つ、ネズミの脳に相当する規模のシステム
も試作した。チップを並列利用して、規模を拡張して試作したのだ。

195 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/07(水) 14:07:34.63 ID:QQeiCIRGd
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2038

 TrueNorth には ノイマン型を やめた以外に、もうひとつ脳神経回路の働きを模した
特徴がある。「イベント駆動型回路」と呼ばれる、電子回路の動作方式の採用である。
電子回路の多くは、「同期型回路」と呼ばれる仕組みで動いている。複雑な手順で処理
する大きな電子回路を、小さな回路に分轄し、それぞれをクロック信号と呼ぶメトロノ
ームのように動きのリズムを 指揮する信号に合わせて、順番にバケツリレー方式で、
処理していく。パソコンのCPUの性能を示す2GHzといった数字は、そのリズムの、
周波数を表しており、2GHzなら1秒間に20億回バケツリレーしていることを示してい
る。まあ図書館で言うなら20億回の受付回数ってな事で、皆んなそれを基準に動く。
って事だが。この仕組みには、安定した品質の電子回路を設計しやすい。という利点は
あるが、その一方で、全ての回路がいつも起動しており、さらにチップの隅々まで、ク
ロック信号を行き渡らせる必要があるため、消費電力が大きくなりがちだ。これに対し
、イベント駆動型回路では、信号が入力された回路だけが起動して、処理を実行する。
つまり、必要な回路だけが動き、クロック信号用の配線も不要なため、消費電力を大幅
に削減できる。また、ニューラルネットワークでは、隣接するニューロンに信号が入り
、そこが活性化(発火)したことを合図に、周囲のニューロンの発火を呼び起こす。イ
ベント駆動型回路の動作は、こうしたニューラルネットワークの動きに近いと言える。
つまり。その仕組みと特徴が、こうして出来上がったのだった。

196 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/11(日) 10:34:02.66 ID:1xuuBJOYB
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2039

ただし、実際には、TrueNorth では1kHz(1秒間に1000回)という極めて低速なクロ
ック信号を流している。低速ながらクロック信号を利用している理由は、チップ外部の
電子回路が同期型回路であり、画像、音声、センサなどからデータを受け渡し入力し、
チップからの、推論結果をタイミングよく出力する為だからだ。視覚情報などを、脳が
処理する時間は約1n秒と言われており、1KHzの1サイクル分の周期がそれと同じに
なるようにしている。IBM社は、米国防高等研究計画局(DARPA)からの5350万米ドル
の資金提供によって実施している「SyNAPSEプロジェクト」の中でTrueNorthを開発して
いるのだ。プロジェクトでは長期的なゴールとして、100億個のニューロン、100兆個の
シナプスを有する規模のシステムを、消費電力1000W、体積2リットル以下で実現する
人の能力を目標を掲げている。規模も消費電力の効率も人間と同等とまではいかないが
、背中がかすかに見える目標値だ。同社によると、この目標を、TrueNorth で実現をし
公衆安全、視覚障害者向けの視覚アシスト、健康モニタリング、自動運転などに応用で
きるようになるという。脳型チップは新しいコンセプトの半導体チップであり、技術的
な伸びしろはまだ十分ある。現在は、多くの企業や大学、研究機関が、様々なアイデア
を投入して、さらなる高性能化や低消費電力化に取り組んでいる。先述のムーアの経験
則で、半導体の集積率が18カ月(=1年半)で 2倍になるというもの。(≒性能にすると
約2倍)で、市場では、2年で2倍を遂げる。と言う集積回路の発展は よく一致する為
法則として、よく用いられてきた。しかしムーア自身が言う様に、この法則、段々限界
が近づいてきた。それは、加工技術での回路が、分子や原子の大きさに近づいて来た。
からだ。

197 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/17(土) 13:16:04.88 ID:VnIpjxJyL
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2040

 それは、加工技術に、レーザーによる加工している為、レーザー波長と、それを突起
させたり削ったりする、フォトレジストなどの 量子技術を使うからであって、波長の
大きさや洗いとる水分子の大きさが、変わる事はないからだ。改善や材料品質の向上で
ここまできたが、レンズからの照射解像度を上げるには、光源の波長を短くするか、溝
掘り用の光線開口率を大きくするかの方法があって、その中でも光の波長を短くする事
で解像度を上げようとする研究は盛んにされてきた。その中で、劇的に光の波長を短く
することで解像度を上げることを実現した研究開発の例としてEUVがある。深紫外線
照射技術である。この技術は、かなり独特な光源操作で微小な波長の光源を得ている。
EUVが実現する数10nmレベルの光源よりも更に小さな波長を持つ光源を得ることは、
どんどん難しくなっている。ムーア氏自身も2005年に、「いずれは原子レベルの理論的
障壁にぶつかり、ムーアの法則が適用できなくなる。」とコメントしている。理論的な
限界値の傍まで来て、いずれこれを迎えることが明らかな微細加工の世界、限界はいつ
か来るのでしょう。そこで、配置配線の特化、つまり位置替えや立体化、素材替えとか
試みられた。その中で脳型チップの新しいコンセプトも産まれている。特に研究開発の
事例が増えているのが、脳型チップ内の 記憶装置となるメモリの不揮発化であろう。
TrueNorth は、学習結果を反映したニューラルネットワークの記憶メモリにSRAMを
使っている。SRAMでは、電源をオフ状態にすると記憶が消えてしまう。このため、
利用している間は、常時電源を供給する必要があった。これを、電源を切っても記憶が
消えない不揮発性メモリに替えることで、さらなる低消費電力化が実現する。

198 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/17(土) 13:16:35.73 ID:VnIpjxJyL
 人工知能 リリーに伝えて。       ・・・・・・・・・・・・2041

 ユタ大学とヒューレットパッカード(Hewlett-Packard)社が、共同開発している脳型
チップ「アイザック(ISAAC)」では、メモリに抵抗変化型メモリ(ReRAM)を採用する
。また、産業技術総合研究所やパナソニックセミコンダクターソリューションズなども
、同じにReRAMを採用した脳型チップの実現を目指す。一方、IBM社は メモリ素子の
材料の相が変化することで抵抗値が変動する、相変化型メモリ(PCM)の活用を検討して
いる。不揮発性メモリの採用は、現在の脳型チップの最大の課題の解決策になる可能性
も秘めている。その課題とは、学習機能の搭載だ。AI関連処理には、データから処理
方法を学ぶ学習処理と、学習した結果に基づいて入力したデータを分類し、傾向を抽出
したりする推論処理があるが、TrueNorth は、推論処理だけしか実行できない。あらか
じめGPUなどを使って学習しておいた、学習済みパラメータをチップに移植して推論
処理を、実行する。しかしこの方法では、チップを搭載している機器での学習ができな
いため、利用シーンが限定されてしまう。ReRAMを使うチップも、PCMを使うチップも、
外部からパルス(信号)を繰り返し受け取ることで、メモリ素子の 抵抗値が変化する
特性を活用している。材料や素子構造を最適化することで、抵抗値を連続的に変化させ
、これを学習の習熟度として活用するための技術開発が進められている。TrueNorth で
は、シナプスのつながりの強さを、デジタル値で記憶しているが、これをアナログ値で
ある抵抗値の違いで表現できれば、メモリ素子を流れる電流値でアナログ回路的に積和
演算を実行できるようになるのでは。という発想である。この構造や原理は、脳内のニ
ューラルネットワークと似ており、記憶と演算が一体化した構造になるため、実現すれ
ばノイマン型から完全に決別できる。

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