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生きてる人、いますか

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/10/03(火) 12:50:15.56 ID:wAenXmYBq
https://cgworld.jp/regular/088-hirano.html
新・海外で働く日本人アーティスト
「キャラクターが生きてるように動いたときの感動が、今につながっています」第88回:平野崇伸(Framestore Montreal / Senior Animator)

227 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/13(水) 23:07:24.21 ID:N9Jn9KXve
  チッチキチー      ・・・・・・184   (国内国民評価)

 外国為替市場取引額の通貨別シェアをみると、1 位の米ドル、2 位のユーロ、3 位の
日本円、4 位の英ポンドという上位4位の順位に引き続き変動は無し。前回2019年から
のシェアの推移をみると、1 位の米ドル(44.1%→44.2%)と 4 位の英ポンド(6.4%
→6.5%)が、若干上昇した一方、2 位のユーロ(16.2%→15.3%)が やや大きく低下
し、日本円(8.4%→8.3%)も若干低下した。今回最も目を引いたのは、前回 調査で
8位であった中国人民元のシェアが、ダッシュし、さらに大きく上昇(2.2%→3.5%)
、させている事だ。英ポンドに次ぐ5位へ順位を上昇させた。上位 10 位の通貨の順位
については、この中国人民元の躍進と、前回 2019 年に 10 位であったニュージーラン
ド・ドル(1.0%→0.8%)が後退し、代わってシンガポール・ドル(0.9%→1.2%)が
入った以外は順位の変動は無かった。香港ドルが順位9位で、コレマタ前回比不変なが
らも、取引額シェアは 1.8%→1.3%とやや目立つ低下となっても 居残りしている。
 岸田内閣は新経済対策で「賃上げした企業に対する優遇税制の拡充」などを打ち出し
ている。だが、賃上げは安倍晋三政権期以降、何度取り組んでも成功したことがない。
 一方、海外企業は賃上げに熱心だという。内閣官房がまとめた「賃金・人的資本に関
するデータ集」によれば、1991年から2019年の日本の賃金上昇率は1.05倍である。一方
、英国は1.48倍、米国は1.41倍、ドイツ、フランスは1.34倍だ。日本企業が、賃上げ、
できない理由は「生産性の低さ」で説明されることが多い。その一因は、「年功序列・
終身雇用制」だろう。

228 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/13(水) 23:07:47.38 ID:N9Jn9KXve
  チッチキチー      ・・・・・・185   (国内国民評価)

 海外企業では「ジョブ型」の雇用制度が主流であり、パフォーマンスの低い社員が「
社歴が長い(年齢が高い)」というだけで高給を得られるケースは、ほぼないが、年功
ならぬ、偉業通年制、つまりトップや貢献優遇制で、一度大きく会社や組織に貢献した
物は、窓際族ならぬ特別上級員として残りの人生は定給役員として優遇されて教員や役
員として厚生社員で使われて保証される。ジョブ型雇用の企業の場合「ジョブ・ディス
クリプション(業務内容を記した書類)」で、社員の職務内容が明確化されていなけれ
ばならない。その上、年齢を問わず同レベルの業務を担う社員に、同水準の給料が支払
われる仕組みとなる。つまり、たとえ若くても、高いレベルでの 職務を遂行できる様
なメンバーをそろえて、高給取りとなる方向性が必要で、その逆もまたしかりである。
中途採用においても、企業側は、自社が求める職務内容を明確に定義して、その仕事に
適した人材を、見極めて採用する形を採る必要がある。「適性がない人材を誤って採用
し、すぐに異動させる。」という事態が、起こりづらい制度設計になっている為。人財
を間違えて使う事も、大きな失敗の元になる。もし社内異動を行う場合は、社内で公募
をかけ、社員が自らの意思で応募可能にするのが一般的で、こうした移動で社員のモチ
ベーションを保つ工夫も必要となる。「同一労働・同一賃金」との相性は良く、若者で
あれば、同じ労働をし、正規と非正規の不合理な待遇差は生じづらいが、だからこそ、
優秀な人材は、よりよい待遇を求めて 企業を渡り歩き、労働市場は競争的になると信
じられるが、そういった意図に反して、愚財と人員不足で、どうしようもなく膠着化し
逸材を投げて、採算がどんどん悪化し、更に優秀な人材を捨ててしまい。違法な強硬策
や、隠れた派閥色が出たり、企業は賃上げをしないと人材を引き留められなくなって、
会社の業績が沈みこんで行く例も多い。

229 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/13(水) 23:08:12.34 ID:N9Jn9KXve
  チッチキチー      ・・・・・・186   (国内国民評価)

 一方で、多少は変わってきたとはいえ、日本では年功序列・終身雇用制が、いまだに
根強い国でもある。労働者は同じ会社で長年働き、勤続年数が長いほど高給を得られる
。若手社員は、どれだけ成果を上げても給料は低いままだし、欧米に比べると、労働者
の転職もかなりに少ない。そして、日本では「メンバーシップ型」の雇用慣行のもと、
職務ではなく、「会社」にマッチする人材が育てられている。個人の適性や得意不得意
を問わずに、社員には、定期的に部署異動の対象になり、オールラウンドな人材になっ
て専業化は取り残されて育つ。その為ITなどの、一部の業界を除いて、とがった様な
スキルが評価されて「給与大幅アップでの転職」を果たすような人材は育ちにくくなる
。さらに「同一労働・同一賃金」も見掛け倒しになりやすく、依然として正規と非正規
の不合理な待遇差は残される。こうした雇用制度の差が、生産性の差を生み、ひいては
賃金上昇率の差につながっている。しかし、日本の昨年の国内総生産(GDP)がドイツに
抜かれて世界4位に転落し、企業の賃上げ抑制で消費が伸び悩んだことなどが要因とし
て指摘されている事に、大きく待ったの意見がある。高度経済成長期のベストセラー「
ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ボーゲル著)の時代から50年して、もて
はやされた「日本的経営」の力は衰えてはいない。ボーゲル氏の息子でカリフォルニア
大バークリー校で教壇に立つスティーブン氏は「脱競争」を説いた。同書は日本の成功
の背景の、算数能力や高識字率を実現していた教育システム。学習意欲の高い国民性に
加え、終身雇用制度などの日本式経営などがあったからだ。と、指摘した。米国も日本
から学ぶべき点が多くあるという思いを込めて、副題は「アメリカへの教訓(Lessons
for America)」である。つまり、アメリカよ日本を見習え。という事なのだ。

230 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/13(水) 23:08:41.66 ID:N9Jn9KXve
  チッチキチー      ・・・・・・187   (国内国民評価)

 彼曰く、「90年代の金融危機で 日本企業は雇用を守る代わりに、賃上げを抑制し
た。長期的に消費の伸悩みをして非正規雇用を増やす結果につながった。終身雇用制度
そのものではなく、この制度の弱体化が問題だったのだ。」と指摘する。「大切なのは
国民の生活の質だ。もう『GDPレース』は忘れるべきだ。世界の潮流は変わりつつあ
る。」と断言した。IT分野などの専門的人材育成のための高等教育の強化や、政府に
よる社会福祉分野への支援強化などの重要性などを訴えた。 一方でスティーブン氏は
、日本はいまでも、経済規模と、社会的安定や治安などは、「社会的パフォーマンス」
の双方を一定程度実現して最高の国の地位にいる。と話した。指摘した様に日本の成功
の背景として、算数能力や高識字率を実現した教育システムや国民の学習意欲の高さに
加え、終身雇用制度などの日本式経営などが、効果的に社会貢献していると指摘した。
米国も日本から学ぶべき点が多くある。今や、日本では賃上げを、政府の要請によって
「人為的に行われるもの」だと捉えている人が多い。と言う印象だが、本来、賃上げは
経済や企業業績が良ければ、半ば自然発生的に起こるものだ。生産性が高く、効率よく
利益を生んでいる企業では、人件費に回せるお金も、自然と増える。そのお金を内部に
ためこみ、労使交渉が行われている企業もあるが、その原理が、年功序列・終身雇用制
によって ゆがめられている。としてるのは大きな誤解である。つまり、日本の賃上げ
問題の、本質的な解決に、日本型雇用システムの抜本的改革が必要などというのは、全
くナンセンスな話で、社会通念上、誰が社会を支えているのか。と言えば若者ではない
し年寄や赤ちゃんでもない。まともな中高年の熟年を要した社会システムが 防犯も、
新人教育も新規開拓も、日本の様々な進化も支えていて、移民労働力さえ動かしている


231 :モグモグモルモット:2024/03/18(月) 00:12:52.47
こんばんは

232 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/03/28(木) 13:37:40.64 ID:SPuip9NMG
DNW-15008 ってなんだ。無歯症の治療薬ともされ がん治療に有効性の高い治療薬でもある。
と言われる。
酵素Xによって作られる。・・・神経再生促進作用を持つ脊髄損傷治療薬・・・???

233 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/20(土) 14:24:10.82 ID:Fk63xv/zn
  チッチキチー      ・・・・・・188   (国内国民評価)

 かつて ボックス理論と言う、勝手流投資みたいな戦前の本を見たが、これは基本的
に西洋流の、鉾の納め方。みたいな理論であった。要するにネオ=新しい、ボックス=
幅を決める。と言う、株式相場が世界恐慌を産んだが、幅を決めて常識的にやれば株式
は悪く無い。と言うPRの為の経済学者の論拠だったのだろう。株価のボックス理論と
呼ばれる物は、いわゆる過去の最低値と最高値の範囲内にしか、企業の本当の価値基準
は、無い。と言う物で、従って、社会変動や株の予測値を測らず、正当な科学的生産の
数値での、高値抵抗線と安値支持線のレンジを決めると言う物である。当然ながら安値
到達点では買い付け、高値到達点では売り抜て、昔ながらの、想定レンジ内での値動き
を追う商売で、ローリスクローリターンな手法として確立していた言える市場常識の、
手法だった。ところが、安値で買い高値で売るシンプルな戦略でも、安値支持線で反発
高値抵抗線で反落という安定期でも、抵抗線および支持線をブレイクアウトする事もあ
り、その都度ブレイクした先の価格帯で再びボックス推移するチャート傾向と対策を練
って想定する事になる。時代背景として、物価や生活材料が、不足や無風状態である事
が大前提で、損失方向にブレイクした場合は必ずロスカットし、安値高値はテクニカル
分析で新設定し、ボックス理論で最も重要な、適切な安値高値を捉える正確さが求めれ
る。ところが、当然ながら、世界市場では、株のみならず、世界全体や経済全体、生活
実体そのものに、上昇期・保ち合い期・下降期の波が起こり、特にこの処の技術革新や
新展望や天候不調の地球温暖化の災害や人工科学の超越時代には、その余禄に預かろう
と余念が無く、右往左往して落ち着かない社会と経済状態の筋合いになる。ところが、
通常時、株式投資で話題になりやすいのは、どうしても、上昇もしくは下降のトレンド
議論の噂に乗りやすい。

234 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/20(土) 14:24:35.09 ID:Fk63xv/zn
  チッチキチー      ・・・・・・189   (国内国民評価)

 株価や企業活動は、この、安値で買い高値で売るシンプルな利潤搾取が、経営実態で
あるが、行政は政府と言えば、逆に、安値で売り、高値で買う、逆張り構造で推移する
。と言うのも、実は国や自治と言うのは、奉仕であり、如何に格差是正し集団利を求む
か、と言うのが非常に大きな国力となるからだ。安い物を更に安く、高い物を更に高く
と言うのは、物が減ってるのを更に減らし、物が増えてるものを更に増やす。といった
行為になる。GUC指標 グローバル・ユニバ・コントラクト指数では、クロスカース
ト制と言う、他国の上位者が、安価な奴隷製品輸出に資本投資しない構造は続いている
。日本の美学から言えば、マネタリズムの経済学は存在しない。マネタリズム論を簡単
に言えば、貨幣の量を増減させると、物価や失業率にも変化を与えることができる。と
豪語する考え方である。フリードリヒ・ハイエクや、ミルトン・フリードマンらを、「
新古典派経済学者」と呼ばれた中で、彼らは米国経済について、不況時に、企業家投資
がなく、国家で、金融政策や財政政策(大規模な工事など公共支出を増大させる)を行
って、需要を作り出す事は、国家の重要な施策で、需要を満たしても、更に喚起させて
失業率を改善させ、完全雇用に近づかせる必要がある。とケインズが叫んで、公共事業
拡大論。つまり大きな政府を叫んだ。しかしそれは、1960年代〜70年代に、紙幣流通の
超過をした。多くの国にケインズ主義政策で行き詰まり「スタグフレーション」という
現象を産んだ。つまり、ハイパーインフレである。限られた資源供給と需要に、大きな
消費行動を促し、市場のオークション的競売は値を釣り上げて取引されたからだ。ケイ
ンズ経済学は、物価上昇は、流通消費が活発さを示し、それだけ生産が負われている。
と言う指標の「物価が上がると失業率が下がる」という「フィリップス曲線」で説明を
していた。ところが、これは原因と結果に於いて間違いだった

235 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/20(土) 14:25:01.69 ID:Fk63xv/zn
  チッチキチー      ・・・・・・190   (国内国民評価)

 イギリスの経済学者フィリップスは、1861年から1957年までのイギリスのデータとし
て、ロンドンデータを用いて、失業率が上がる(労働需要が下がる)と賃金(労働サー
ビスの価格)は下がる。逆に、失業率が下がる(労働需要が上がる)と賃金にも、下落
圧力がかかるが、労働者の抵抗があるため下がりにくい。賃金が上がることは物価が下
がることである。と、物価と失業率の相関関係をグラフで説明した。労働者の、需要と
供給関係で、勿論、失業率、つまり職を求める者の多さが、賃金を上げる理由に相当せ
ず、失業率の低下こそ賃金上昇圧力だ。と言うは、結構正論の様に受け入れられた。が
、それは全く間違いだったのだ。先ずデーターすら都合好い抽出データーで、またロン
ドンでも、近郊の工場労働者のみ。つまり単純労働市場の話で、異本的に賃金を上げた
年には、そうした都市の産物が市場競争力を無くし、逆に消費が減り物価が下がったの
だ。現代でも、どういう訳か、リスキニングよる労働市場の適正再移動などと言われて
同じような事言うアホ学者もいる。で、ケインズ理論での、アメリカの「スタグフレー
ション」が、ドイツ経済で大きく起こったため、このケインズ経済学は大修正が求めら
れた。「物価が上昇するのに、失業率が下がらない。」というスタグフレーションの、
状況説明を可能にすべく、マネタリズム経済論が登場した。実際、マネタリズムの立場
で、(1) 人々が物価上昇を期待し、その通りに物価が上がった場合、賃金を上げること
を求め賃金が上がる。(2) 生産者側は、物価が上がったことで「生産物への需要が増え
た!」と勘違いする『貨幣錯覚』が起きるが、しばらくたつと自分の勘違いに気づき、
生産量を元に戻す (3) つまり、結果的に生産者は生産量を変えることは無い為、労働
需要は増えなかった。だから、失業率は下がらなかった。と考えたのである。この考え
から、ケインズ派は、財政出動で公共事業によって国家が需要を作り出し、不況時にも
お金を回し、金融政策は、金利を下げて、企業需要を喚起させて、お金を借りやすくす
る事で、経済は不況が取り除けると説く。ところが賢い奴は借らない。のだった。

236 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/22(月) 06:11:33.89 ID:Zuy4wWDOE
  チッチキチー      ・・・・・・191   (国内国民評価)

 しかし、このシカゴ経済学は、全く作動せず、南米の独裁政権で失敗したのである。
これに対して、フリードマンらのマネタリストはどちらも不況を改善する効果はない。
と、厳しくに批判した。マネタリストは、(1) 例え財政出動で政府の支出は増えても、
支出の財源として、高い税金を支払った場合の、人の支出や、国債などの公債を購入し
、高利が 産業成長より上回れば、人の支出はその分減る(クラウディングアウト)。
つまり実質給与は増えずに、デフレと物価高が国民を襲う。又、(2) 金融政策で金利を
下げて、安定させたとしても、「貨幣錯覚」が、解消された時の衝撃は、生産者が生産
を増やすことはなく、縮小させるため、投資は増えないどころか、減少する。そのため
、失業率も改善されない。したがって、金融政策は、貨幣の供給量を一定の割合で増加
させ、緩やかな増刷を続ける方法を、国家は採用すべきと言う『k%ルール』の適用が
大事だ。と提言した。こうしてフリードマンらマネタリストとケインズ派は、経済政策
をめぐって激しい論争が起こったのだ。しかし、重要な、フリードマンの、中央銀行に
よる金融政策で、利子率を操作するのではなく貨幣の供給量を一定の割合で増加させ続
けることが大事である。という主張したが、これは別の意味で大きな間違いであった。
現代の日本でも、景気刺激のために、中央銀行(日銀)での、政府対策の大量のお金が
、市中に投入される「量的緩和政策」が行われた。このマネタリズム思想が現代の日本
の、金融政策にも基盤的に影響を与えている。マネタリズムの金融政策は、「景気刺激
策で、失業率を改善するための、中央銀行の貨幣の供給量を増大させようという働き。
」だけであって、デフレ解消や雇用増大には至って、真面目に、作動しなかったのだ。
その為にこの金利上昇させる方向まで、植田総裁の登場を待つ事30年ものデフレ期間
の日時を取る事になったのである。

237 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/22(月) 06:13:57.27 ID:Zuy4wWDOE
  チッチキチー      ・・・・・・192   (国内国民評価)

 基本的に、多種通貨取引で、銀行間取引きは、そうした付き合いの銀行の預金を置き
その中から、裁定勘定の、個人の預金引き出しやら送金が行われている。今回の戦争で
も、そうしたロシアの預金ストックの閉鎖に於いて、経済封鎖が行われた。かつての、
日米大戦でも、色んな取り引きの、例えば食糧難や石油などの取引に、金兌換通貨の、
正式な日本の円や基軸通貨のドルの預金があって、各国との取引がなされた。それは、
実は今でも変わらない。貿易が黒字でも赤字でも、手数料が高くても安くても、日本の
預金或いは各銀行間の預金があって、他銀行間取引がなされている。しかし、これは、
逆にそこの国の輸出入の物量や交易金額が上がれば、それに応じて増やさねばならない
。つまり保証金として機能する金で移動させられる金ではない。という事になる。そう
言った各国口座の金を、一国における「預金」の残高の総額で「ベースマネー」と言い
う。紙幣や硬貨も銀行の口座に貯めたり、そこから引き出したりして使っているという
意味では、「貨幣」はすべて「預金」であると言っても良い。そして、預金口座にある
残高の総額が、マネーストックと呼ばれ、それに対して、市中(つまり民間の)銀行が
中央銀行(日本なら日銀)に持っている口座にある残高の総額を、「ベースマネー」と
言っている。このマネーストックは、マネタリーベース = 日本銀行券発行高 + 貨幣
流通量 + 日銀当座預金であるが、日本では、これを、日本では「M1」「M2」「M3」「
広義流動性」の4つの指標として、分けてみている。「M1」→「広義流動性」に進むに
つれて流動性が低い通貨が対象範囲に入っていく。高い買い物や企業間の取引において
、自分の口座から相手の口座への振り込みで行う現代の世界において、実際の お金の
やり取りは実体であるのは、銀行のシステム上の電子的なやりとりだけで行われること
がほとんどで、複数の銀行間取引が、同じ1つの銀行の口座間で差し引きされて、完了
する。此の為、銀行は中央銀行の口座に一定のお金を置いておかなければならない事で
 市中の銀行はこの目的から中央銀行に作った取引用の口座(当座預金)に一定の預金
を置いておかなければならない。これがマネーストックなのだ。

238 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/23(火) 10:27:00.10 ID:noJXL9vZT
  チッチキチー      ・・・・・・193   (国内国民評価)

 日本の中央銀行である「日銀」は、お金を供給したり 銀行間取引のための口座を、
作られ管理する。しかし、これだけが仕事ではないとされる。金融政策によって、国内
の景気を刺激したり、過熱した景気を抑制したりする。こうした役割も持っている事が
大事な要素である。それこそが国家の通貨の日本銀行券の信用であり、金融政策の理由
なのだ。金融政策では、金利の決定権を持ち、金利政策と呼ばれる。市中の銀行にお金
を貸す時の、金利を操作し、金利が下がれば、企業はお金を借りやすくなり、投資を増
やし、加熱すれば金利を増やし通貨量と共に絞るのだ、つまり「景気を刺激できる。」
と考えられ、マネーサプライの供給量不足ではもの売り買いがバ−ター交換に変化した
り市場変化が起こる。この量的政策には、市中の銀行が持っている国債や、手形を中央
銀行が売買することで、供給するお金の量を操作することになる。例えば、日銀が市中
の銀行から国債を買い上げて、市中の銀行の口座にお金を支払うことで、お金の供給量
を増やし、景気を刺激できる。と言われ、例えば個人では、定期預金の切り崩しはしな
くて、銀行が貸付して、同額が市中にまわる。と言った様な事が銀行で起こる。特に、
マネタリストが重視する政策が、この量的政策である。中央銀行が市中の銀行から国債
を買い上げると、中央銀行にある市中銀行の口座(当座預金)に国債代としてお金が振
り込まれます。つまり市中の銀行が持つお金が増える=ベースマネーが増える。という
カラクリだ。結論を言えばベースマネーの増額で、最終的には、金融信用が増えて動的
資金が更に増える事になる。このベースマネーの増減させることが、金利が上下げする
理由になるからである。市中の銀行は、毎日膨大な数のお金のやり取りを銀行間で行っ
ている。日本の輸出入も、この海外買い付け量の保証出来る金額がそこに無ければ買え
ないのだ。時には当座預金の残高が足りず「短期金融市場」からお金を借りなければな
らない場合は、資金保証を保証専門に手数料払って取引になる事もある。

239 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/26(金) 04:02:20.58 ID:l3wifJmrE
  チッチキチー      ・・・・・・194   (国内国民評価)

 昨年2月、植田和男氏が日本銀行の次期総裁の最有力候補に浮上した際、サマーズ元
米財務長官はこの70代の経済学者を「日本のバーナンキ」と評した。サマーズ氏と植田
氏は、二人とも米マサチューセッツ工科大学(MIT)で学び、物腰の柔らかい学者で
ありながら、「決断力がある」とも指摘した。その決断力は19日に示された。植田総裁
は2007年以来初めてとなる利上げに踏み切ってマイナス金利の時代を終わらせるととも
に、イールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)政策を廃止した。現在72歳
の植田氏が、昨年4月、日銀の141年の 歴史上初の、学者出身総裁として指揮を執った
当時、これほどまでに、早く動く、とみていた市場関係者は少なかった。日銀総裁とし
て出席した8回の金融政策決定会合では、植田氏は政策とフォワードガイダンス(先行
き指針)の調整を、4回ほど行った。が、19日の決定はこれまでで最も重要なものだ。
この実績は、日本が長期にわたるデフレから脱却し、伝統的な金融政策に回帰する中で
、投資家はさらなる変化に備える必要があることを示唆している。元日本銀行理事の、
早川英男東京財団政策研究所主席研究員は、「植田総裁が目指している金融政策の枠組
みは、超低金利と、フォワードガイダンスの、融合という極めて伝統的なものだ。」と
も語った。早川氏と植田氏は40年来の知り合いだ。バーナンキ氏は、米国連邦準備制度
理事会(FRB)議長に就任して、早々と政策金利の引き下げに着手し、2007〜08年の
金融危機に対応するために、大規模な量的金融緩和(QE)に踏み切っている。事実上
総裁就任から、1年も経っていない植田氏は、バーナンキ氏とは正反対の課題に直面し
ている。面白い対照的存在でもある。世界でも、最も大胆な金融緩和実験から、日本を
解放させる。一方、バーナンキは今や後任のパウエルに譲ってレトリックもない高みの
傍観者であり、FRB議長が慎重に利下げを探る事態に直面した中にある。日本にも、
凄い学者がいたもんだ。と改めて感動したのだが。・・・

240 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/26(金) 04:09:11.34 ID:l3wifJmrE
  チッチキチー      ・・・・・・195   (国内国民評価)

 この処、イエレン議長他GDP神話の布教して回る。しかし、GDP神話で、国々の
幸せは語れない。GDPは「国内総生産」と定義され、一つの国の中で、生産された、
財とサービスの使われた総額を指す指標で世界共通の比較指標になってしまっている。
国の経済活動を計測する際に、よく使われ言われ、何故だかGDPが下落すると、すぐ
に景気後退などと見なされ、政府は財布の紐をきつく締めたりする。ところがこの概念
のGDPは、アメリカで生まれた概念で、要するに、ドンドンどんどん使った金の総計
を調査しようとしただけの話だ。この話は、時の第二次世界大戦に向かおうとしていた
時代に遡る。当時のアメリカを覆っていたもの、それは、独立を果たして日も短く英国
さえも敵視して、疑心暗鬼のモンロー主義が蔓延していた。従って各国の諜報員から、
情報を募り、優秀な学者に分析させカラーコードなる、経済戦略をつくっていた時代だ
。だがそこに歴史的な大不況が襲う。「ではどれくらい経済は悪いか?」を問われると
、正確に答えられる人は誰もいない。物価や輸送についての、ピンポイントな統計や、
大まかな部分的指標は幾つかあったものの、国々の差やドイツの経済全体の状態が、わ
かる数字は、何一つなかった。そしてその後その大不況が、再び襲っていたのである。
そこにアメリカ政府は、経済学者で統計学者の、サイモン・クズネッツに白羽の矢がい
く。そこでとりあえずの、「国全体の収入」の計算を依頼し、クズネッツはすぐさま、
仕事に取り掛かった。アメリカ全体の家計と、会社の収入を地道に足して、1934年に、
その結果が出ると、アメリカ経済は政府の予想を凌駕する悲劇的状態で、ほぼ「死体」
となっている実情が、浮かび上がってしまう。出した統計学の計測では、1929年〜1932
年、国全体の収入はわずか半分に減少し、史上初めて、アメリカ経済を測ったところ、
氷点下をはるかに下回る結果であった。つまり消費経済、流通経済が、収支でゼロに近
く、輸出入に至ってはマイナスの大幅赤字だったのだ。それは当然で、ドイツに資本を
投資し、ドイツの安い労働力で工場を運営し、消費も殆どがドイツ製品で賄われていた
のだ。

241 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/30(火) 04:48:24.44 ID:rN5KDNLZs
  チッチキチー      ・・・・・・196   (国内国民評価)

 そこでの経済循環では、利潤は資本家に流れるだけで、当然乍ら、大衆が生産し購入
する大量消費材は買われても、僅かな収入だった。貿易赤字が、遥かに大きかったので
ある。更に、鉱物資源に至っては、アメリカの資源はアメリカで使われ、鉄鉱石・石炭
はドイツはドイツで安い物を仕入れていた。強いて言えば蒸気船燃料さえ、ドイツ英国
の方が安かった。では、米国政府はどう動いたか。ここで奇妙な事をユダヤ人経営者は
言放った。アメリカ政府は、このクズネッツが算出した結果に、「戦争が目前に迫って
おり、この結果をそのまま公表することは、政治的に不都合きわまりない。すぐさま書
き替えるべきだ。」と、不満を買い、デモに興じたのだった。ここに2度目となる世界
大戦を睨んでいた、軍産複合体の姿がある。それまでさんざん国内の資本家に独占禁止
の闘いをしていたのに海外で国際メジャーとして大きくなっていたのである。1930年6
月、スムート・ホーリー関税法を制定。アメリカ議会の多数派共和党は、アメリカへの
輸入品に対して国内の産業を保護し、特に農産物の輸入に対して国内の農業を保護する
ために、輸入品に高率関税を課す保護貿易政策法案であるスムート・ホーリー関税法(
Smoot-Hawley Tariff Act)を可決しフーバー大統領(共和党)が署名して成立した。こ
の資本家への対立姿勢に、民主党へと政権が移るが、その後も、「1933年の証券法」を
制定して資本の開示透明化、「1933年の銀行法」も制定し銀行業務の貸付と、証券業務
の投資・証券化を分離させ、次の年に証券取引を監視し違法行為に行政処分を貸す強い
権限を持つ、「証券取委員会」を設立させ監視させた。失業保険、退職給付金、障害者
保険、死亡保険の給付を規定した「1935年の社会保障法」を可決。連邦保険拠出法税を
制定。ロビンソン・パットマン法、公正労働基準法と、労働者保護は続いた。そもそも
ネオコン達のトラストタワーに憤慨して民衆は立ち上がったのに、米国政府は、それを
悪とも正義ともつかない圧力抜きに転じた。と言うのが歴史であり、これが戦争を起した

242 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/04(土) 01:10:16.50 ID:fYrBe1U+p
  チッチキチー      ・・・・・・180   (国内国民評価)

 今回、検察庁は、四千万円以上にラインを引き、それ以下の金額は処分されていない
形で納まった。どんな基準なのかは公表されてない。が、基本的違法を取締り、例え、
公判維持が難しくとも、ちゃんと告訴するのが、彼らの職責であり任務なのだ。これを
不当に差別するのは許されない。しかも、政治資金収支報告書の修正があれば、非課税
となってしまう訂正をその後に許すというのも不法である。個人に献金出来ない仕組み
が、ここで付け替えられ、税務上共に、政務活動費として、「無罪放免」というのでは
、まじめに確定申告している人は怒り出すのは当然だ。いってみれば、政治家は、所得
4000万円以下は税金無申告でもいいのだ。と、公けにいってるようなもので「政治資金
収支報告書で修正したら非課税」は、およそ無理筋であろう。税務当局も、当然同じに
認識すべきでだろう。政治とカネの問題の時、資金の流れを調査し、その税法上の適用
のために地検は、税務当局と水面下で協力することが多い。今回、政治資金収支報告書
の修正には、収入の修正とともに支出の修正もあった。課税所得としてみれば、派閥の
幹部に税務上の対処をすることも、可能だ。と思うがそうはしないのである。つまり、
そうした期待は、虚しいもので了承しているのだ。税務当局は財務省であるが、彼らは
実際に税務権限を行使するより、行使しないで、政治家に「貸し」を作りたがる人種で
あったのだ。更に今、政治収支報告書が、蓮舫氏の提起の参院予算委で「茂木敏充政策
研究会」から「茂木敏充後援会総連合会」に、10年間で合わせて約3億2000万円
が移動していると指摘した、付け替え事件が発覚している。2022年分の 政治資金収支
報告書によると、研究会は「国会議員関係政治団体」としての届け出がされた。がすぐ
に、後援会は届け出がなく「その他の政治団体」に分類される。その他の政治団体」が
発足、経常経費の、こうした作業が不要で、政治活動費も5万円以上と基準が緩い団体
に付け替えしていた。茂木氏の会長の「平成研究会(茂木派)」から移動。新藤義孝も
、自身が代表を務める「自由民主党埼玉県第2選挙区支部」から、関係団体ではないと
される「新藤義孝後援会」に、10年で総額約2億5千万円を寄付。脱法付け替えである。

243 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/05(日) 18:37:48.82 ID:YmzjSQfr3
  チッチキチー      ・・・・・・181   (国内国民評価)

 ここに、1970年代から1980年代に一世を風靡した「合理的期待形成理論」を、日銀も
ほとんどの経済学者も、いまだに信じているという。不思議な理論だが、共産党的理論
で、要は、将来予想が自己実現するという、皆の国民合意がある。と固く固く信じて、
止まないそうした古経済学が潜む、全ての人が正しく予想すると言う事は、全人の予想
が、同じであると言う事で、そして、全ての人が、その予想に基づいて実際に行動する
事で、そうすると予想は自己実現する。という図式が出来上がる。ということである。
 だが、期待は実現しない。何故なら人々は、日々の生活においては、期待ではなく、
しがらみ(現在の制約条件)によって、行動しているからだ。将来予想よりも、今の現
状の財布にある現金、あるいはスマートフォンにチャージされているマネー残高など、
今月の給料、次のクレジットカードの支払い見込み額で、購買経済が、決まってくる。
その為、例えば、「政府日銀がインフレにしようとしているらしい、もしかしたらそう
なるかも。」とは思っても、実体経済における実物消費、投資行動は、少しずつでも、
部分的にしか修正されない現実がある。結果的にだが、期待は実現しない。理論的には
、上述の、合理的合意の期待形成ではなく、適合的合理期待形成となるということだ。
一方、金融経済での、資産市場において、将来の期待の変化の修正が行動に大きく影響
する。なぜなら、それは、資産価値のほとんどが、将来性への投資のものであり、かつ
資産の多くが金融資産であるからだ。つまり、金融資産市場において、期待は実現する
。と言う現実もある。例えば、株が上がる。と思えば、買う。買うから更に上がるので
、この上がり具合を見て上がるから買う。ほかの投資家も、こぞってそう行動すると、
予想するから、みんなが買って 大幅に上がる前にと買う。われ先にと買う。だから、
あっという間に上がる。むしろ、金融資産市場においては、期待が直ぐに実現しすぎて
、オーバーシュート(行きすぎる)結果やおそれがある。つまり、折り込み済み株価、
と言うのもでる。

244 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/05(日) 18:38:26.98 ID:YmzjSQfr3
  チッチキチー      ・・・・・・182   (国内国民評価)

 資産市場においては価格がほぼ全てであり、その価格の変化が瞬時に起こる。此の為
、期待が実現すると、投資家たちは確証を得ることができる。行動経済学でいうところ
の確証バイアスが、現実に存在することを鑑みれば、この行動はさらに加速するからだ
。つまり、期待が実現し、期待が期待を呼ぶため、すぐにバブルになってしまうのだ。
この結果、金融資産市場においては、変化はあっという間に実現する。実体経済(ある
いは実物経済)との、変化が実現するスピードの差は、とてつもなく大きくなるのだ。
そして、この差が問題となり、経済に決定的な影響をもたらす。この金融市場経済では
、実体経済が変化する前に変化してしまい、そして、この変化のスピードが、21世紀に
なって、さらに加速していき、やおら人間の生活を左右しているのだ。この結果、実体
経済が中心で、それをサポートする金融市場という、本来のあるべきあり方から、金融
市場経済の変化が、そのまま実体経済を振り回し、変動させるという状況が、今世紀で
は、定着してしまっている。これが新しい、資本主義自由経済のとぼけた世界の姿だ。
それにも拘わらず、日銀は、と言うよりアメリカの中央銀行も、まだ20世紀の経済世界
にしがみつき、生きているから、この変化の加速を無視し、実体経済の変化を中心に、
観察して対策しようとしている。この結果において、中央銀行が、実体経済の物価だけ
を注視し、実体経済を調整しようとしても、なかなかうまく行かず、金融市場を直接に
コントロールの対象に入れなくてはならないことになって行く様だ。金融市場における
最も重要な価格である、為替をコントロールの対象外にしていては、経済運営はうまく
いかないのだ。これが第2の理由である古い世界の固執という事になる。

245 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/05(日) 18:39:21.54 ID:YmzjSQfr3
  チッチキチー      ・・・・・・183   (国内国民評価)

 一方で、21世紀では、格差拡大が加速すると同時に、金融資産市場の規模が実体経済
に比して急速に拡大しているという現実がある。このような状況において、金融政策に
おける大規模金融緩和の影響は、どこに行き何をしたか。である。勿論金融市場の混乱
である。インフレを起こそうとして金融緩和をすれば、実物経済は動かず、こうした、
金融資産市場だけがバブルになるのである。このバブルによって、投資家、とりわけ、
富裕層と呼ばれる新興成金資産家達が成立し、贅沢な消費を増やす。が、それは広がり
を持つ筈がないが、地球資源の浪費だけは響くのである。住宅事情で土地価格は上昇し
、庶民には家が買えなくなるし、高額品、レジャー品は金持ちの独占状態になる。中国
で起こった惨憺たる鬼城問題は、その欲望を表現する。彼らのぜいたく消費に、企業も
ターゲットを絞る。が、こうした新富裕層は、新製品、画期的なモノ、流行モノなどに
夢中になるから、物価指数などは全く上がらないし、かつての貴族消費の様に個数では
一個人は個人であり大衆ではないマイノリティなのである。更に、物価指数に組み入れ
られないモノだけが、高いからだ。例えばトヨタ自動車のレクサスハイブリッドから、
テスラに乗り換えたときに、物価指数は上がらない。もし、レクサスハイブリッドが、
テスラに対抗するには、レクサスも全面的にEV(電気自動車)に変更するか、ハイブ
リッドの値下げに入るか、あるいは、サービスや質の向上で対抗する。むしろ物価指数
は、下がる可能性すらある。資産市場の影響を受ける物価指数は、住宅部分だけであろ
う。近年、物価水準の動向は、世界的に住宅価格の影響が大きくなっている。この結果
から見ても、金融政策の影響はほとんど資産市場に吸収され、実体経済への影響は資産
市場経由のものがほとんどであり、二次的なものであるから、小さいうえに資産市場の
変動には大きく及ばない。

246 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/05(日) 18:40:05.35 ID:YmzjSQfr3
  チッチキチー      ・・・・・・184   (国内国民評価)

 そして、景気が過熱しても、物価はそれほど上がらない事で、終局する。これが新し
い経済の現実であるようだ。この新しい経済世界を中央銀行、エコノミスト、経済学者
達は、全く見ようとしていない。この結果、21世紀はバブルにあふれるようになったの
である。物価と実体経済だけを見ていては、バブルは止められないし、結果的に、実体
経済運営もうまくいかなくなる。物価だけを見て対処していると、資産市場がバブルに
なり、実体経済が過熱し、その後、少しだけ物価が上昇し始めたときになって、ようや
く金融政策を調節し始めるから、バブルの影響は悲惨なことになるのである。この議論
は、実は、すでに古くからある。20世紀においても、いわゆる「BIS(国際決済銀行
)ヴュー」と、「FED(アメリカの中央銀行)ヴュー」の対立の話は、以前から何度
も言及している。要は、前者は、バブルは、事前の芽を摘み取ることは無理でも、膨ら
み始めたら早めに退治してしまう。と言うことが必要であるという立場だが。一方で、
後者は、バブルつぶしが、実体経済つぶしになってしまう。現実があるので、バブルが
崩壊してから、迅速に金融政策で対応する方が、国内国力によい。という考え方の対立
である。結局、20世紀の後半は後者が力を持つようになった。そして、それは、1930年
代の、大恐慌の教訓を「中央銀行の引き締めが早すぎたからだ」と解釈しのであった、
経済学者のミルトン・フリードマンや、FRB(連邦準備制度理事会)議長を務めた、
ベン・バーナンキなどの影響によって、より広く行き渡ってしまった主張である。これ
が、21世紀に起きた世界金融危機(リーマンショック)で、一挙に見方が逆転した。と
思ったのだが、現在の経済学者、中央銀行の関係者は、依然としてFEDヴューの世界
に生きているようである。

247 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/05(日) 21:01:34.86 ID:BpAW1N0Fj
ワイは丸暗記しか出来ないから論理的な話は分からない

248 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/08(水) 18:06:03.94 ID:MEFOV7LeA
  チッチキチー      ・・・・・・185   (国内国民評価)

 この政策対立では、「バブルへの対処法」という狭い観点で論じられるが、そうした
視点で見るべきでない。「中央銀行の政策ターゲットは、実体経済か金融市場か、どっ
ちなんだ。」という意見もあるが、より大きなマクロ問題と俯瞰した未来図的国体や、
地球的人類建設をも提示しているのである。現在の、経済学と中央銀行の人々の立場は
、実体経済がターゲットであり、その価格である物価のコントロールに、金融政策では
、専念せよというものである。しかし、このスタンスを取っているとして、最終目的は
、物価の安定を通じた「日本経済の健全な発展」で留まる。その為に、最終目的を達成
出来ない。世界経済が進化や成長するために、必要であれば国の技術や生活実態や法律
さえも、成長しなければ、物価安定に専念すれば、経済の健全な発展は阻害されて実体
経済も、金融資産市場も、どちらの政策もターゲットを、見失う事にになるのである。
実は金融政策とは、国内通貨の円滑な循環である。そして経済政策とは、そうした中の
経済拡大である。ところがこれは国内では矛盾しないが国際競争となると、産業育成な
り技術発展が政治課題になる。つまり、金融市場が拡大しない限り経済拡大はないので
、潤滑に過不足なく、と言うのは通用しなくなるし、保守的な現状維持の潤滑な経済。
というのでは済まない。つまり国家間格差と、競争原理に基づく国力増強の政治政策が
が、そこにある。各国政府は必死になって、自国のGDP経済が落ちない様に政策を取
る。これが全く国民の幸せに結びつかない。例えば米国は国内産業空洞化対策に向けて
、大々的に法人税引き下げを行い、海外進出の企業にまで下げた。その為、かつての税
が3割基準で中小企業2割で推移してたのが、今や1割五分で、補助金や中小であれば
1割程度、赤字企業無税と言う、とんでもない行政になっている。そんな馬鹿政府だ。

249 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/08(水) 18:20:00.49 ID:MEFOV7LeA
  チッチキチー      ・・・・・・186   (国内国民評価)

 また、日銀の役割は、金融政策とともに「金融システムの安定」に貢献すること、と
される。この2つの機能は等しく重要であるとしている。そうであれば、金融政策にお
いて、金融市場は当然視野に入る。しかしながら、なぜか日本銀行は、文字通り頑なに
、杓子定規に物価指標のみに専念して物を言い、為替相場には関与しない。という姿勢
を守って、財務省との対立を避けて、棲み分けを進めている。現内閣への忖度判断だ。
そうした立場に終始して、それは、冒頭に挙げた第3の理由、すなわち、この真面目過
ぎた、柔軟性のない専門家集団である証左を持つが。これからもある。ということだ。
日銀での専門家集団としては、日本型の、あまりにも健全すぎて、同時に謙虚すぎた、
この集団でも、黒田バズーカと言われたゼロ金利政策は、前代未聞、異常政策とみられ
た。この硬直化した政策決定をして2%の物価上昇を謳い上げた。理由は中国の安価な
製品に押されたデフレ不況があったからだ。当時南米を始め、中国旋風でレート下落に
各国が悩み、北朝鮮では通貨デノミさえ起こしていた。悪貨は良貨を駆逐するである。
ここで、自分たちは専門家として、高慢にも政府から独立した様に振る舞う事が、至上
命題として、金融政策と言う名の、片翼や片肺を無くた声明で経済政策や対策を持たず
とも尚、威厳ある中央銀行と、思ってる節がある。そもそも、政府与党の内閣審議でも
、見事に、物価に専念できるように足をもがれた組織への法律改正されても、意見しな
い。滑稽なのは、悲願の独立性を得た様に見せかけている。安倍氏発言の「日銀は政府
の子会社」いわば日本政府の下請けの意識に、国民はガッカリし、世界は嘲笑したのに
、である。中央銀行たる日銀総裁は何ら反論を、示さなかった。大分の地方遊説の話で
詳細はが、報道機関からの情報によれば、@「(政府の)1000兆円の借金の半分は日銀
が(国債として)買っている」とした上で、A「日銀は政府の子会社」なので、B「60
年で(返済の)満期が来たら、返さないで借り換えて構わない。心配する必要はない。
」と言うとんでもない嘘を趣旨としたらしい。これを本気で思っているとしたら、政治
家失格であり、経済のイロハも判らぬ馬鹿という事になる。

250 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/08(水) 18:47:00.58 ID:MEFOV7LeA
  チッチキチー      ・・・・・・187   (国内国民評価)

、どもそも、政府が国債でも紙幣でも、こうしたものを発行する場合、通常信用があっ
ての事だ。国債は、民間銀行などの金融機関が引き受けるが、民間銀行が、国債を購入
する際の原資であるのは、我々の預貯金である。つまり、我々の貯蓄の運用先の一部が
国債となっているのだ。又、先に言った健全過ぎて動かせない。と言うのは、年金積立
の管理運用独立行政法人GPIFが同じ様な、二律背反の、同じ前提から導き出された
二つの命題(テーゼとアンチテーゼ)が、互いに矛盾して両立しないと言うカタルシス
、いわゆる珍妙なパラドックスに落ち込んでいる。株であれ国債であれ外貨であれ投資
は利殖を得て運用する物だ。しかし、巨大すぎて動かす事で、影響の大きく、真面目に
運用する事も出来ないでいる。つまりどう動いても、国内風圧が高く、先に言った様に
先行投資で高くなった状態なのである。つまり貯蓄としているので、一度引き揚げれば
、日本国中が株価と国債の下落で、血の海になる。だが、これを敢えてしたのが、金融
ビックバンで、生保の明治以来の株を原価簿記から、時価簿記に変えた。ここで含み益
は、全て消失し、税収対象となり、会社の倒産と、古い株を持っていた山一証券は潰さ
れ、3段ショックで更に、竹中金融改革が、田畑の苗木を刈り取っていったのである。
今のGPIFも、単なる数値である。どう動いても原価割れに向かう。一挙に売る事も
出来ず、買い付けにしか向かわない。中国の外貨の米国債の売り逃げにも、静かに隠れ
て、ロシアの金交換と、ガスの購入資金として放出した。つまり、外貨でも国債でも、
一挙に手放して売れば、残りの保有債や米貨が、一気に墜ちて3分1・4分の1と価値
が下がるのは、予測できるのだ。これを馬鹿の様に、橋本〜竹中〜安倍ラインの政府は
行い。そこで低くなった国家予算に、増税を合意したのだ。全くの経済音痴もいいとこ
なのだ。世界情勢に於いて この中国の出しゃばり、サプライチェーンへの参入には、
今のIMFが、米国の忖度で、株価参入を認めた事にある。つまり世界の為に遮断した
経済の水門を開いて 世界各国は金融公害になって、南米他ハゲタカファンド、国際金
融団の餌食になったのである。その分物流は競争して、アマゾンの森林破壊に及んだ。

251 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/08(水) 19:22:29.96 ID:MEFOV7LeA
  チッチキチー      ・・・・・・188   (国内国民評価)

 日本の場合、金融政策で世界に救済に出たが、その損失で、大きくは経済成長しなか
った。ここを、良しとするか、悪とするかは、意見が異なるだろう。しかしして、日本
が世界を荒さなくとも、世界は後進国を中心に荒らしまわる。その端著な例として中国
の象牙密輸、アマゾンの不法砂金取り、ボルネオの開発椰子油など、数えれば、キリが
無い。それでも、こうした世界の動きや技術革新には目を向けず、日本銀行は、何故か
市場からの国債を購入を決定し、民間銀行は 保有する国債を、日銀に売却して、日銀
は、その民間銀行の「日銀当座預金」いわゆる「準備金」という口座に、同額のマネー
を振り込む形で、マネーサプライの増やす方法に及んだ。この準備金(日銀当座預金)
は、日銀のバランスシート上では、負債となるものの、政府と日銀は、一体でみた場合
、この統合政府の日本の負債であって紙幣や通貨の様な物だ。この日銀の国債購入は、
統合政府の負債の内、通常の国債の一部が「準備金(日銀当座預金)」という預金数字
に収まり、広義の国債に変換されただけになった。本来なら、これで民間銀行の貸付の
拡大を意味する。しかし市場に市中銀行の金は出なかった。利率の無い普通預金が国の
定期預金の赤字に代わったぐらいで、帳簿上の措置で終わったのである。ただし、これ
は同時に、我々の預金の運用先のうち、国債として運用していた部分の一部は、準備(
日銀当座預金)に変換させる。つまり、目詰まりしていることを意味しているが、この
目詰まりは、オカシナ方向に動く。ビットコインや各社クレジットのポイントである。
。つまり、定期預金の利率は抜きにして、それを担保に、資本家はITのデジタル通貨
や、販売シェアの顧客拡大の方策に使われたのだ。これは当然で、現況下で、安価製品
の中国勢に追いつけない。そもそも人件費が10分1や20分の1の製品と、競争できる訳が
ない。なら輸入に転じ、大量消費のシェア拡大に向いても当然で、そこでの競争は、更
にデフレ不況を産んだ。

252 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/08(水) 19:22:56.19 ID:MEFOV7LeA
なお、準備金(日銀当座預金)の一部には、「付利」と呼ばれ
るスーパー短期の金利が付く、現在の処、金利はゼロのため、付利は 0.1%しかない。
インフレ等での将来的に金利上昇すれば、付利の引上げが必要となる可能性は高い。が
今まで政府予算が利払いや償還に1割だったのが3割まで上昇しても行うだろうか。今
後5割6割と昇って、正当な政策事業が縮小してしまっても行う意志を持つだろうか。

253 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/11(土) 19:27:36.11 ID:OKHJ6lWU/
  チッチキチー      ・・・・・・189   (国内国民評価)

 ここにMMT論の間違いがあるし、トリクルダウン論の嘘がある。すなわち、異次元
緩和の結果、いまの準備金(日銀当座預金)は、500兆円超に膨らんでいる。 統合政府
でみれば、1000兆円の借金は、500兆円の通常の国債と、残り500兆円の準備金(日銀の
当座預金=スーパー短期の国債)に変換されている。が、いずれ、金利が上昇すれば、
政府債務(1000兆円)の負担コストが、顕在化することは避けられない。その意味で、
「日銀が国債を保有していれば、心配する必要はない。」などという安倍元首相の発言
部分は、明らかな思い違いも甚だしい誤解なのである。1980年代のバブル時の例に代表
されるように、常々、「物価以外の要素を見ろ!」という、議会圧力に屈して金融政策
が、いつもの様に歪められてきた。だから、今後は、物価以外を見ろ。という要求には
応えてはいけない。つまり日本の国会議員もそろそろ、学習しなくてはいけない。自分
達はあくまで物価の専門家であり、バブルに対処する専門家ではない。などとは言わせ
ない。実体経済モデルを前提として、資産市場、特に株式市場、投資としての不動産の
市場は、二次的な影響しか見えてこない。だから、法(のり)を踰(こ)えることは、
出来ない。あえて、資産市場、金融市場、そして、たとえ為替市場であっても無視する
のが、正しい専門家、政策担当者としてのあり方である。と日銀当局者は見ている様な
素振りだが、どんなに、日銀の姿勢が正しくて謙虚でも、世界は非合理と不条理でも、
動いている。このような専門家としての政策担当者の姿勢は、確かに正しいかも知れな
い。謙虚ですばらしいのだろう。しかし、現実の世界は、そんなきれいな世界ではない
のだ。日銀が、自分の専門領域を保守的に謙虚に守って専念しても、海の外の世界では
、投機家、政治家、世界中の欲望にまみれた人々、われわれ普通の個人でさえも、金融
市場、資産市場において、欲望にまみれて行動している。世界はひずみにあふれている
。非合理性にあふれている。のである。

254 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/12(日) 09:12:08.12 ID:X8RAl+O8N
  チッチキチー      ・・・・・・190   (国内国民評価)

 今の、為替市場は、どう考えても妥当な水準にない。円は安すぎるのは、誰が見ても
明らかである。つまり、それだけ海外投資家の思うツボにハマっている。いわば好い様
に動かされて損失の沼にハマって出れないでいるのだ。「それは日米金利差で説明でき
る」とか言うが、金利差だけでは、ここまでの円安になるわけはない。しかも、一定の
金利差が続いている時は、それは円安の理由にならない。為替が金融市場の変数として
動くのであれば、金利差が続くのであれば、金利の低いほうの通貨は、直ちに減価して
円安になると元に戻す。円の長期金利が低い分を、円の将来の増加(円高)期待が出来
市場評価は、直ぐに均衡値にはいるものだ。今後は円高が急速に進む。という見通しに
ならなければ、理論上の投資家裁定が成り立たないからだ。つまり、それだけ財務省は
職務怠慢を漫然とやって税金からの給与を貰っていた。という事に、評価はされるのだ
。そうで無きゃ全く、現時点の円安、為替の動きは、合理的には、決して説明できない
。のである。「いやいや、構造的な貿易赤字体質になっている。」などと言う輩も居る
かもしれない。が、それにしても、それはつい最近まで、円高で悩んだファンダメンタ
ルズと言う、基礎的諸要件、つまり海外も国内も環境は全く変わってない。適度の円安
である中で、過度に投機家が、これらの小さなひずみを生かして、投機的活動によって
歪みを増幅させて、過度な円安を創り出している。そもそも博打経済の資本主義の国際
社会のノイズと欲望と悪意にまみれている時に、1つの専門組織だけが、きれいな世界
にとどまるなどと表明していい訳はない。世界各国が利上げする中、利上げしない姿勢
は、利上げ値以上に 際立って日本を、金融攻略の的にさえ、さらけ出しているのだ。

255 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/05/12(日) 09:27:15.24 ID:X8RAl+O8N
  チッチキチー      ・・・・・・191   (国内国民評価)

 世界の人々がの全員が、善意かつ理論的に正しい行動をとる時には、自分の専門だけ
に邁進すれば、世界は上手く行くという理想の世界でも、生きていていけるかも知れな
い。ところが、そんな事は一生と言うより、永遠に起こりえない。「日本経済の、健全
な発展。」という、最終的な目的の為に自分が出来る事を、全て行っても難しい曲面に
立っているので、それをやらない手はない。つまり全力をいれて、印象操作も口先介入
も、ジャンジャンやって、その使命を日銀も政府も果たすべきではないか。さらに異常
な円安になってしまった、最大の責任や原因が、10年以上にわたって続いてきた自民党
政治内での、思いあがった日銀の、異次元緩和に問題がある。この副作用が、貿易赤字
や、アメリカの金利上昇によるドル高円安の影響を、数倍にも増幅させていていたにも
関わらず、今でも褒章を与えて、園遊会なんぞで、貰いに選出してる時点で、全く異常
である。その意味で政府は戯け者である。34年ぶりに1ドル=160円台をつけるまでの、
この円安にしてしまった推移と、責任と、今後の対応策が纏まってもいないので、国民
は怒り心頭と言える。まず調査と分析と対策とその結果公表、それこそが正しいやり方
なので、成果と結果があっての褒章なのだ。その意味でも現内閣に必死さが、全く無い
。今のこの状況は、今の「植田日銀」には直接の責任はないのは判る。しかし、過去の
金融政策では、高々インフレ率を0.5%から2%に上げるべきだと、約10年も、無理矢理
に言い続け、異次元緩和をした。しかも、インフレ率は0.5%から1%弱で、安定してい
た物物価に、わざわざ、2%に固執して、なる筈も無い国際情勢の中で、2%を超えた
ら、さらにインフレを止められるのか、確証もないまま、国体の仕組みに毀損させ国債
に頼り、物価の不安定性、物価の予測を、大幅に増加させて行った。経済を、わざわざ
不安定化させ。結果的にインフレ率は上がるだろうが、果たして金融政策と無関係に、
世界的なサプライ(供給)サイドの制約要因(および円安)で上がっただけ。という、
結果ではないのか。

256 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/06/20(木) 08:03:10.84 ID:vPjiUj+8E
てすと

257 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/11(木) 08:39:07.27 ID:tAwsyV9ip
  チッチキチー      ・・・・・・192   (国内国民評価)

 基本的に、多種通貨取引で、銀行間取引きは、そうした付き合いの銀行の預金を置き
その中から、裁定勘定の、個人の預金引き出しやら送金が行われている。今回の戦争で
も、そうしたロシアの預金ストックの閉鎖に於いて、経済封鎖が行われた。かつての、
日米大戦でも、色んな取り引きの、例えば食糧難や石油などの取引に、金兌換通貨の、
正式な日本の円や基軸通貨のドルの預金があって、各国との取引がなされた。それは、
実は今でも変わらない。貿易が黒字でも赤字でも、手数料が高くても安くても、日本の
預金或いは各銀行間の預金があって、他銀行間取引がなされている。しかし、これは、
逆にそこの国の輸出入の物量や交易金額が上がれば、それに応じて増やさねばならない
。つまり保証金として機能する金で移動させられる金ではない。という事になる。そう
言った各国口座の金を、一国における「預金」の残高の総額で「ベースマネー」と言い
う。紙幣や硬貨も銀行の口座に貯めたり、そこから引き出したりして使っているという
意味では、「貨幣」はすべて「預金」であると言っても良い。そして、預金口座にある
残高の総額が、マネーストックと呼ばれ、それに対して、市中(つまり民間の)銀行が
中央銀行(日本なら日銀)に持っている口座にある残高の総額を、「ベースマネー」と
言っている。このマネーストックは、マネタリーベース = 日本銀行券発行高 + 貨幣
流通量 + 日銀当座預金であるが、日本では、これを、日本では「M1」「M2」「M3」「
広義流動性」の4つの指標として、分けてみている。「M1」→「広義流動性」に進むに
つれて流動性が低い通貨が対象範囲に入っていく。高い買い物や企業間の取引において
、自分の口座から相手の口座への振り込みで行う現代の世界において、実際の お金の
やり取りは実体であるのは、銀行のシステム上の電子的なやりとりだけで行われること
がほとんどで、複数の銀行間取引が、同じ1つの銀行の口座間で差し引きされて、完了
する。此の為、銀行は中央銀行の口座に一定のお金を置いておかなければならない事で
 市中の銀行はこの目的から中央銀行に作った取引用の口座(当座預金)に一定の預金
を置いておかなければならない。これがマネーストックなのだ。

258 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/11(木) 08:39:42.67 ID:tAwsyV9ip
  チッチキチー      ・・・・・・193   (国内国民評価)

 日本の中央銀行である「日銀」は、お金を供給したり 銀行間取引のための口座を、
作られ管理する。しかし、これだけが仕事ではないとされる。金融政策によって、国内
の景気を刺激したり、過熱した景気を抑制したりする。こうした役割も持っている事が
大事な要素である。それこそが国家の通貨の日本銀行券の信用であり、金融政策の理由
なのだ。金融政策では、金利の決定権を持ち、金利政策と呼ばれる。市中の銀行にお金
を貸す時の、金利を操作し、金利が下がれば、企業はお金を借りやすくなり、投資を増
やし、加熱すれば金利を増やし通貨量と共に絞るのだ、つまり「景気を刺激できる。」
と考えられ、マネーサプライの供給量不足ではもの売り買いがバ−ター交換に変化した
り市場変化が起こる。この量的政策には、市中の銀行が持っている国債や、手形を中央
銀行が売買することで、供給するお金の量を操作することになる。例えば、日銀が市中
の銀行から国債を買い上げて、市中の銀行の口座にお金を支払うことで、お金の供給量
を増やし、景気を刺激できる。と言われ、例えば個人では、定期預金の切り崩しはしな
くて、銀行が貸付して、同額が市中にまわる。と言った様な事が銀行で起こる。特に、
マネタリストが重視する政策が、この量的政策である。中央銀行が市中の銀行から国債
を買い上げると、中央銀行にある市中銀行の口座(当座預金)に国債代としてお金が振
り込まれます。つまり市中の銀行が持つお金が増える=ベースマネーが増える。という
カラクリだ。結論を言えばベースマネーの増額で、最終的には、金融信用が増えて動的
資金が更に増える事になる。このベースマネーの増減させることが、金利が上下げする
理由になるからである。市中の銀行は、毎日膨大な数のお金のやり取りを銀行間で行っ
ている。日本の輸出入も、この海外買い付け量の保証出来る金額がそこに無ければ買え
ないのだ。時には当座預金の残高が足りず「短期金融市場」からお金を借りなければな
らない場合は、資金保証を保証専門に手数料払って取引になる事もある。

259 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/11(木) 08:40:18.32 ID:tAwsyV9ip
  チッチキチー      ・・・・・・194   (国内国民評価)

 昨年2月、植田和男氏が日本銀行の次期総裁の最有力候補に浮上した際、サマーズ元
米財務長官はこの70代の経済学者を「日本のバーナンキ」と評した。サマーズ氏と植田
氏は、二人とも米マサチューセッツ工科大学(MIT)で学び、物腰の柔らかい学者で
ありながら、「決断力がある」とも指摘した。その決断力は19日に示された。植田総裁
は2007年以来初めてとなる利上げに踏み切ってマイナス金利の時代を終わらせるととも
に、イールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)政策を廃止した。現在72歳
の植田氏が、昨年4月、日銀の141年の 歴史上初の、学者出身総裁として指揮を執った
当時、これほどまでに、早く動く、とみていた市場関係者は少なかった。日銀総裁とし
て出席した8回の金融政策決定会合では、植田氏は政策とフォワードガイダンス(先行
き指針)の調整を、4回ほど行った。が、19日の決定はこれまでで最も重要なものだ。
この実績は、日本が長期にわたるデフレから脱却し、伝統的な金融政策に回帰する中で
、投資家はさらなる変化に備える必要があることを示唆している。元日本銀行理事の、
早川英男東京財団政策研究所主席研究員は、「植田総裁が目指している金融政策の枠組
みは、超低金利と、フォワードガイダンスの、融合という極めて伝統的なものだ。」と
も語った。早川氏と植田氏は40年来の知り合いだ。バーナンキ氏は、米国連邦準備制度
理事会(FRB)議長に就任して、早々と政策金利の引き下げに着手し、2007〜08年の
金融危機に対応するために、大規模な量的金融緩和(QE)に踏み切っている。事実上
総裁就任から、1年も経っていない植田氏は、バーナンキ氏とは正反対の課題に直面し
ている。面白い対照的存在でもある。世界でも、最も大胆な金融緩和実験から、日本を
解放させる。一方、バーナンキは今や後任のパウエルに譲ってレトリックもない高みの
傍観者であり、FRB議長が慎重に利下げを探る事態に直面した中にある。日本にも、
凄い学者がいたもんだ。と改めて感動したのだが。・・・

260 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/11(木) 08:43:56.38 ID:tAwsyV9ip
  チッチキチー      ・・・・・・195   (国内国民評価)

 この処、イエレン議長他GDP神話の布教して回る。しかし、GDP神話で、国々の
幸せは語れない。GDPは「国内総生産」と定義され、一つの国の中で、生産された、
財とサービスの使われた総額を指す指標で世界共通の比較指標になってしまっている。
国の経済活動を計測する際に、よく使われ言われ、何故だかGDPが下落すると、すぐ
に景気後退などと見なされ、政府は財布の紐をきつく締めたりする。ところがこの概念
のGDPは、アメリカで生まれた概念で、要するに、ドンドンどんどん使った金の総計
を調査しようとしただけの話だ。この話は、時の第二次世界大戦に向かおうとしていた
時代に遡る。当時のアメリカを覆っていたもの、それは、独立を果たして日も短く英国
さえも敵視して、疑心暗鬼のモンロー主義が蔓延していた。従って各国の諜報員から、
情報を募り、優秀な学者に分析させカラーコードなる、経済戦略をつくっていた時代だ
。だがそこに歴史的な大不況が襲う。「ではどれくらい経済は悪いか?」を問われると
、正確に答えられる人は誰もいない。物価や輸送についての、ピンポイントな統計や、
大まかな部分的指標は幾つかあったものの、国々の差やドイツの経済全体の状態が、わ
かる数字は、何一つなかった。そしてその後その大不況が、再び襲っていたのである。
そこにアメリカ政府は、経済学者で統計学者の、サイモン・クズネッツに白羽の矢がい
く。そこでとりあえずの、「国全体の収入」の計算を依頼し、クズネッツはすぐさま、
仕事に取り掛かった。アメリカ全体の家計と、会社の収入を地道に足して、1934年に、
その結果が出ると、アメリカ経済は政府の予想を凌駕する悲劇的状態で、ほぼ「死体」
となっている実情が、浮かび上がってしまう。出した統計学の計測では、1929年〜1932
年、国全体の収入はわずか半分に減少し、史上初めて、アメリカ経済を測ったところ、
氷点下をはるかに下回る結果であった。つまり消費経済、流通経済が、収支でゼロに近
く、輸出入に至ってはマイナスの大幅赤字だったのだ。それは当然で、ドイツに資本を
投資し、ドイツの安い労働力で工場を運営し、消費も殆どがドイツ製品で賄われていた
のだ。ここで最高値だった日本が憎まれたのであった。これはGDP値ではない。

261 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/11(木) 09:07:35.46 ID:tAwsyV9ip
  チッチキチー      ・・・・・・196   (国内国民評価)

 そこでの経済循環では、利潤は資本家に流れるだけで、当然乍ら、大衆が生産し購入
する大量消費材は買われても、僅かな収入だった。貿易赤字が、遥かに大きかったので
ある。更に、鉱物資源に至っては、アメリカの資源はアメリカで使われ、鉄鉱石・石炭
はドイツはドイツで安い物を仕入れていた。強いて言えば蒸気船燃料さえ、ドイツ英国
の方が安かった。では、米国政府はどう動いたか。ここで奇妙な事をユダヤ人経営者は
言放った。アメリカ政府は、このクズネッツが算出した結果に、「戦争が目前に迫って
おり、この結果をそのまま公表することは、政治的に不都合きわまりない。すぐさま書
き替えるべきだ。」と、これでは、不満を買い、デモに興じた民衆に火をつける。今や
2度目となる世界大戦を睨んで、軍産複合体のロビー活動の姿があった。これまでは、
さんざん国内の資本家で独占禁止に対抗し闘いをしていたのに、海外での国際メジャー
として大きくなっていたのである。1930年6月、スムート・ホーリー関税法を制定して
、アメリカ議会の多数派の共和党は、アメリカへの輸入品に対して国内の産業を保護し
、特に農産物の輸入に対して高率関税を課した。究極の保護貿易政策法案であるスムー
ト・ホーリー関税法(Smoot-Hawley Tariff Act)を可決しフーバー大統領(共和党)が
署名して成立。ここで資本家への対立姿勢に、民主党へと政権が移るが、その後でも、
「1933年の証券法」を制定して資本の開示透明化、「1933年の銀行法」制定、銀行業務
の貸付と、証券業務の投資・証券化を分離、次の年に証券取引を監視し違法行為に行政
処分を貸す。強い権限を持つ「証券取委員会」を設立させ監視。失業保険、退職給付金
、障害者保険、死亡保険の給付を規定した「1935年の社会保障法」を可決。連邦保険の
拠出法税を制定。ロビンソン・パットマン法、公正労働基準法と、国内労働者保護は続
いた。ここでGDPに近い計算式、クズネッツ算出表は捨てられた。クズネッツ算出表
では、国債や建物や機械の補修費は、負債として取り上げられていたからだ。国内では
ネオコン達のトラストタワーに憤慨して民衆は立ち上がっで退治していのに、米国政府
は、それを悪とも正義ともつかない、しっかり怪物化していたのだった。

262 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/18(木) 22:43:37.67 ID:9QZjYOzEr
  チッチキチー      ・・・・・・197   (国内国民評価)

 海外投資での生産や金保留で、ここで米政府を骨抜きし反転攻勢した巨大国際企業。
と言うのが、現代の経済歴史の新たな始まりであり、これが戦争を起した要因だった。
此の時ドイツ国民は、石炭も鉄鉱石も揃い、こぞって海外企業は工場を作り、労働資本
を搾取して輸出する。日本の錆びれた山村に鉄道駅が出来、道路が出来、便利と引き換
えに高い税金と、若者の流出が起こる様なもので、ハイパーインフレが襲い、更にこれ
に乗じたナチスが政権を取る。すると、より一層締め付けと、資本や頭脳の海外流出が
拡大する。更に増えた米国社会で、恐慌が起こり、海を越え更に2度目のインフレが襲
うのである。ユダヤ商人の我儘を受け入れた米国株価の暴落は、世界を席巻した。ここ
で国際的多国籍企業も、やっとその神の制裁を受けたが。この不況風に会うのも国民で
あり、異邦人化した遊牧民であった。それは当然で、分業化した工業化で、農業を捨て
て物流で物売りしていたものが、止まり、石炭でさえ安値競争になったし、高税に対し
て、ドイツマルクを安くする事で、輸入させると言う、禁じ手を資本家のエスタブリッ
シュメント層はネオコン・ポリテックを行ったのだ。アメリカにおける、新保守主義(
しんほしゅしゅぎ)=ネオコンサバティズムは、ドイツ国民に何故か厳しかった。おそ
らくは、各国の諜報部員や暗殺者たる秘密警察が蠢いていて、過去での王政vs共和制
の流れで資本主義vs共産主義 或いは自由主義vs社会主義の対立が多民民族国家の
中で揺れ動いていたのだろう。このネオコン達の主要要素は海を渡ったドイツ国民であ
ったのだ。政治イデオロギーの対立のままに、自由主義や民主主義を掲げ、重視した。
アメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない、そう言う思想
を持ったものの、理想に程遠い、アメリカンファースト主義の我儘を通した。資本主義
を標榜しながら工場作業は全体主義の独裁だったし、自由主義を掲げながら徒党を組ん
で組合以上のコンチェルンを作りトラストを組んだ。会議をしても資本家は独裁主義を
辞めなかった。

263 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/18(木) 22:45:22.41 ID:9QZjYOzEr
  チッチキチー      ・・・・・・198   (国内国民評価)

。ネオコン(新保守主義)は、株式余得でネオスタンダード、つまり、ゴールドカラー
を作り、アメリカの保守系の勢力の一部を構成した。更に、この保守という「伝統を守
る、慣習や文化を重視」の思想はリベラル「現状改革、理想・理念重視」の対立軸を作
りながらも、「国際政治へのアメリカの積極的介入」「アメリカの覇権を重視」「アメ
リカ的な思想を世界に広めること」などを信条とする勢力を作った。つまり、我儘な、
モンロー主義を捨てて、アジアに植民地を作り、も一度奴隷市場を造ろうと画策した。
そうした我儘な人々は、戦後「ニューディール連合」が、アメリカの政治と経済と社会
を支配するのだが、これは、金融すら破壊した欧州各国に、アメリカの生産調整よりは
、購買力の確保を望んだ結果の勇ましい商売根性とも言える。当然ながら、福祉政策で
の消費の伸びは、産業繁栄が興り歓迎すべき事に映る。資本家の特に米国政府を動かし
ていたユダヤ商人。彼らも一枚岩ではない。新保守主義はイデオロギーとして自由主義
や民主主義を重視している。とは言え、アメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先
したとは言えない。黒い死の商人武器の開発に余念がないし、今でも、銃器規制には、
強く反対し、自分達の庭とした南米、中南米において、武力介入も辞さない思想に至る
のは、勝手な思い入れからである。アメリカ国内の、国民救済より、軍事にお金を回し
たい事情が見え隠れし、クズネッツの数字に従うなら、軍事支出には、経済全体を押し
上げる力も効果もはなく、それどころか戦争しては、ゲーム理論でも全体に負債が増え
、自然界の負担は尋常じゃない。特に弱貧国経済では食っていけない国という事を示す
のでである。つまり、戦争にお金を注いでも、兵器によって国民は豊かにならない。と
いうことが、科学的ににも明るみに出た。それでもアメリカはベトナム戦争南米介入に
力を注ぎ、結局は双子の赤字を出して、日本のその利益に搾取を求め内政干渉し補填した。

264 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/26(金) 16:19:02.36 ID:njPh/LOUb
  チッチキチー      ・・・・・・198   (国内国民評価)

 GDP帳簿では、アメリカ国内で生産されたすべての財と共に、サービス本体の価値
を、合計した数字に直して、これまで軍事費による損失も、自然の価値の樹木などの、
生産外環境価値や、補修や修理の必要な負の遺産を全部切ってしまう。その上で、その
中の政府が、自らの都合で生み出す価値も含む計算に変えた。なので補修や解体、或い
は自然の環境負荷さえも、マイナスとせずに、全部人間の活動費として価値に含んでの
計算をする。つまり、GDPが生まれた瞬間から、砲弾も、原爆も、爆撃機も生産経済
の存在として、認められプラス加算の経済になるようになって、改竄変更して産まれた
のである。戦争のために兵器を作れば作るほど、GDPに加味されて、アメリカの経済
指標がどんどん上がる仕掛けにしたのだった。こうして、日本型の江戸帳簿と言われる
、複式簿記での負債予想は弾かれ、全てを国益たる経済力換算で、比較する形が取られ
たのだ。本来クズネッツにしてみれば、国の経済を計測することは、国民生活の豊かさ
を計測する為のことをイコールで対比して行く事を目的としていた。なので、分析でき
ないこの収集・集積単位を、猛烈に反対した。彼の考えでは、軍事力は国民の豊かさと
は、全く結びつく物ではなくクズネッツは、ちゃんと負の遺産は負荷とせよ。と言った
。しかしそうした意見は、簡単に政府の大多数の意見で、論争に敗れてしまう。1942年
、軍事支出も含んだ数字として、アメリカ政府はGDPを幸福度の指標として、初めて
公表する。ここで、GDP神話の数字が整うのだ。しかし、これでは、国々の幸せは語
れない。こうした状態が出来上がる。こうして、GDPは戦時の政治指標として政治家
の思惑で、生まれたものであった。これは自然の法則に逆行し、更に今日の国債の様に
政府が通貨や手形をドンドンだして、政府が価値契約を出せば、なんと、どんな国でも
GDP上は、明るい経済となって、豊かな生活が、見かけ上は出来上がるのである。

265 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/26(金) 16:19:27.82 ID:njPh/LOUb
  チッチキチー      ・・・・・・199   (国内国民評価)

 資本家の、特に米国政府を動かしていたのはネオコンポリテック、アメリカ合衆国に
おける新保守主義だ。政治イデオロギーとして、自由主義や民主主義を重視している。
かのように振る舞い。米国の国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さな
い姿勢と思想を植付けて、戦争に至るのである。アメリカでは、国民の救済より、軍事
にお金を回したい。と言う若い国と言う事情があった。その背景は常に植民地から独立
した時から、兵器こそ大事、黒人奴隷こそ産業、その成功こそ自由主義。と言う間違い
の常識が蔓延してたからだ。選民思想である。。903年6月16日の創業から現在まで続く
、今の資本のフォードは、工場内の流れ作業や、つまり専業化を成功させ、大量生産、
大規模マネジメント(科学的管理法)を行い始めた第三の工場企業だ。20世紀の産業史
・経営史に特筆される、このデトロイト方式は。流れ作業方式(ベルトコンベヤー方式
)の完成形で、五大湖の周りの都市経営すらも、湖面がコンベアーであり流れ作業の、
分業化をして、。チャップリン映画、モダン・タイムスの世界を創ったのである。それ
を皮肉ってチャップリンは映画を作った。この名前からして、ドイツに送ったソ連式の
大規模組み立て工程の、ベルトコンベア導入は、そのままアメリカに導入された。この
流れ作業の現実で、資本家は多くのメリットを産んだ。人々の個を殺したこの上意下達
は、突然に軍隊方式となった。これまでの改善や選任ボス制度が、絶対命令系複縦作業
に代わる。戦争が起こり、政府発注で発注者権利が、最大限に生かされたのだ。戦後は
クズネッツの数学に従う通り、軍事支出に頼っても、経済を押し上げる力はなく、それ
どころか戦争のみては、食っていける筈はない。という事実が結果として横たわった。

266 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/26(金) 16:20:07.85 ID:njPh/LOUb
 チッチキチー      ・・・・・・200   (かつて昔)

 1909年にデトロイト銀行に、ドッジはメッセンジャーボーイとして働いていた。独学
で簿記を学び、簿記係となり、20歳の時にミシガン州最年少で審査官になった。ドッジ
は5年間、この審査官として優秀な業績を挙げた。つまり銀行の投資と回収において、
彼は的確に、かつ大胆で成績良く功績を持っていた。景気の良い時代とは言え、この、
貸借による、投資と回収、つまり、インベストメントの投資や投機コストは最高でも、
リスク分析と対策をもって、リターンは更に一般の倍で、最高額で順調に銀行業を伸ば
したのだ。これが、頭取エドワード・ドイルの目に留まり、彼の助手に抜擢され、本格
的社会の仕組みの学習をした。1916年にジュリア・ジェーン・ジェファーズと結婚し、
執行役員に昇進し、翌1917年に頭取を退任したドイルから、彼の息子、トム・ドイルの
経営する自動車会社ダッジを支援して欲しいと依頼されている。1932年には世界恐慌に
よる経営悪化で、ダッジも危機に瀕し、役員を辞任、1933年にファースト・ナショナル
・バンクの副頭取に就任した。同行は、金融危機により経営破綻するが、ドッジはその
後デトロイト国立銀行の創設に関わっている。この功績に同年にはデトロイト銀行頭取
に就任、1953年1月まで務めている。戦時中は、ドッジは反転し、少しでも損失リスク
のある企業家への、融資拒否など、経営に対し厳しい態度で臨んでいたため多くの顧客
を失った。が、にもかかわらず38万人の新規顧客を獲得するなど手腕を発揮していた。
これは、企業内ブロック化を進め、ローコストスぺック、ダウンサイジング化といった
ものを捨て、政府向けのオーバースペック製品に大きく投資したからだった。言うなな
らば、親方日の丸ならぬ 親方米政府を貫いていたのだ。これは過去のダッジ廃業や、
銀行閉鎖などを、目の前で見て来た学習成果であろう。そして、戦争終結と共に銀行を
去ったのだった。

267 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/26(金) 16:20:58.33 ID:njPh/LOUb
  チッチキチー      ・・・・・・201   (かつて昔)

 会社や経済が 生き物とされるように、国家や国家施策もうごめくものだったのだ。
終戦後に、敗戦国日本の統治者として、アメリカは、軍司令官ダグラス・マッカーサー
を乗り込ませた。所謂GHQ統治である。当初の予定は、恐らく日本との単独講和での
米国の連合支配は、名前が連合国でも、ソ連はただ黙って、指をくわえてはいないだろ
う。と言う東側との対峙にあった。現にポーランドやチェコなど東欧には、災難が降っ
ていた。 ポーランド、ハンガリー、ルーマニアでは共産党の力が弱かったのだが米国
が手を引くと、ソ連軍(赤軍)とソ連政府の後押しで、国民の反対を押し切って共産党
政権が樹立。ユーゴスラヴィアとアルバニアでは、闘争の末共産党が独力でパルチザン
抹殺を行い権力を掌握。ブルガリアやチェコスロヴァキアも、当初は社会主義政権では
なく自由主義民主政権だったが、ソ連との協定にもとづき亡命政府が政権を奪取した。
連合国協定で、チャーチルを含めた会議に基づいた行動でもあった。この危機感から、
日本占領には、米国は力を入れ、ベトナム・フィリピンなど、アジアを死守する視点で
日本駐留をしていた。しかし、当面は、アメリカ原爆開発の威光の下、ソ連政府も黙っ
ているしか無かったのである。GHQは天皇容認によって、戦後の日本での、平和で、
民主主義的な国家であり、独立するまで日本政府を、容易に指導監督していった。ジョ
ゼフ・ドッジは、経済政策の顧問として、49年に来日し、当時、闇市での猛烈に進行
していた「インフレ退治」に米国政府は白羽の矢をたて、ドッチも訪日し色々な政策を
実施した。「ドッジ・ライン」はその時の経済政策の総称である。「政策」の中身は、
「緊縮財政」により、需要を抑制し、インフレを退治する統制経済と言う物であった。
この政策は、インフレ退治には効いた。がしかし、効きすぎてデフレ不況になった。

268 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/07/26(金) 16:31:51.79 ID:njPh/LOUb
  チッチキチー      ・・・・・・202   (かつて昔)

 ところが、日本に神風が吹く。此の時ソ連は、後追いしてた、原爆開発に成功して、
北朝鮮の独立後の、統一要求を認めたのだ。旧日本軍の持っていた、工作機器や電気盤
発電機やモーターなど、北朝鮮や満州から、ほぼほぼ国内に持ち去って、ソ連経済にも
、復活の兆しが見えて来たからだ。このタイミング良く起ったのが、「朝鮮戦争」であ
る。良く軍需物資の莫大な注文が、舞い込んだ。とされるが、そうではない。兵力増員
で、逆にアメリカに膨大な、食糧や医薬品、弾薬を、GHQが母国アメリカ政府に発注
し、物資不足の日本に 米兵の食糧や生活物資として贈られたのである。この事で今ま
で、うんともすんとも動かない、どうにもならない日本経済が始動する。ここでまとも
に動き出したのだ。既に日本は、戦時中の都市空爆で、工作機器すら失っていて大した
工具や工作機器らしきものは無かったのである。そこで、米軍目当てに来ていた米国の
軍需産業企業が 日本進出を果たしたのである。つまり、朝鮮に送る戦車と共に、砲弾
や、修理用の機器など工業製品と工作機器が、日本にいた進駐軍の基地に送られてきた
のである。止まっていた八幡製鉄所は原材料供給で復活し、他の製鉄所も、米軍向けの
発注を受け、製鉄に火入れし復活した。勿論、この輸出相手は、日本のGHQの駐留軍
向けであった。朝鮮は1945年 8月15日、日本の植民地支配から解放されても、東西冷戦
が進行し1948年に北は朝鮮民主主義人民共和国、南は大韓民国という別個の国家が成立
し、双方争っていた。戦後の中で一番の文化・繁華街とされた米国以上の街が戦火の街
に変った。1950年06月25日年、突然、戦争が勃発した。この北朝鮮の侵攻に対し、韓国
の「国連軍」は、アメリカ軍が直接指し追い返し、更には中華人民共和国は、義勇兵が
北側に参戦させ、内戦は終結しない国際戦争となった。両軍は、第二次世界大戦後の、
もっとも深刻な戦闘を繰り返す。勝敗がつかず、1953年に、やっとかつての北緯38度線
で対峙し、休戦協定が成立に至った。

269 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/07(水) 14:02:48.87 ID:QQeiCIRGd
  チッチキチー      ・・・・・・203   (かつて昔)

 朝鮮半島は、現在に至るまで完全な和平には至っていない半島のであり、東アジアの
情勢の最大の不安定要因となっている。又、台湾・香港は世界の玄関口であり、かつて
も今も、西洋の風と共に、情報以外にも物流やエネルギーその他の主要ルートである。
鎌倉時代の明朝船ルート、江戸時代の呂宋助左衛門(るそんすけざえも)通称呂宋ルート
、明治での支那ル−ト、現代で言うシーレーンルートである。遣隋使や遣唐使なども、
航路は幾つかのあったが、北路である、難波−筑紫−壱岐−対馬−朝鮮半島西岸北上−
渤海湾横断−山東半島上陸の経路は、渤海行き航路であり、通常は獲られない。それは
台風のある夏場が避けられたからだ。結局のところ北風が吹いた頃の南路の難波−筑紫
−値嘉島(平戸・五島列島)−庇良(平戸)島−宇久島−遠値賀(小値賀)島−合蚕田
(あいこのた)浦−福江島−東シナ海横断−揚子江口上陸の経路が主だった。海道航路
は、渤海航路を模した、筑前−朝鮮半島の西岸北上−渤海湾横断−山東半島南岸西行−
華北・華中沿岸南下−揚州上陸の経路と、中華航路とされた。難波−筑紫−多執行(種
子島)−夜久(屋久島)−吐火羅(宝島)−奄美−度感(徳之島)−琉球 阿児奈波(
沖縄島)−球美(久米島)−信覚(石垣島)−台湾島、東シナ海横断−揚子江口上陸の
南島路は漂流による経路であろう。遣隋使および、初期の遣唐使の往復はおおむね北路
にたよったが,白村江の戦で、日本と敵対関係にあった新羅の半島統一以来,日本との
関係が緊張し、中期以降の遣唐使は、南路である中華航路、または南島路にたよった。
海道の航路は、だいたい北路と同じに、島を見ながらの航路決定で、これは古くからの
新羅の商人によって利用された航路で、第17回遣唐使の帰路は新羅船をやとって、この
航路で帰国した。とされる。南路・南島路の中華航路は、いうまでもなく支那や琉球人
を船長にした、危険率が高い航路であって、中途で沈没したり、漂流の末に現地人に、
略奪されたり 殺されたりした場合も少なくなくあったようだ。まっ、結果的に潮流と
共に台湾海峡を行くのが、一番早くて近道で安全だったのである。

270 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/07(水) 14:03:17.91 ID:QQeiCIRGd
  チッチキチー      ・・・・・・204   (かつて昔)

 近代・現代において、朝鮮半島の動向が、直接日本に及ぶ影響は大きく、常に日本に
プレッシャーがかかっていた、有史以来よくも悪くも、一番近い隣国としての付き合い
、戦前も戦後も、大陸中国や、極寒のロシア、更に欧州や米国の窓口としての朝鮮半島
は、常に世界の動きの判別機としてあり、開国時の見向きもしない、大陸横断の通過国
明治以降の、ロシア南下の防波堤、そし東西冷戦時の緩衝国家だった。その宿命に於い
て、復員兵として、身内からお荷物扱いされた青年達は帰国に二の足を踏み、台湾に、
しばし、踏みとどまり、押し寄せる中国共産党軍を、国民党軍に味方し撃破している。
こうして、金門島付近の上陸戦で、旧日本兵の奮闘で、蒋介石軍は、台湾島に足場を築
けたのであった。その後、金日成の要請によって、今だ共産党を不審視する強者達を、
次々に朝鮮半島に送り出した。かつて朝鮮半島北部を手に入れたソビエト連邦だったが
、スターリンは友好的な国作りのために「朝鮮人指導者選び」を行った。この時既に、
金日成(キム・イルソン)の英雄的名は知られていた。つまり金日成は、伝説記上の人
で英雄名であり、スターのタレント名と同じであって、本人のいない鞍馬天狗的もの、
であった。こうゆうのが、至って朝鮮人は好きであったし、TVも無い時代の共通物語
でもあった。ここで、友好的とはいえ、ソビエトとしては 新たな国の指導者が自国に
とって従順でなくては困る。しかも、当時の朝鮮情勢にも通じていなければならない。
こうして朝鮮人グレゴリー・メクレルという旧ソビエト軍将校は、抗日ゲリラのレジス
タンス青年、の張を「指導者・金日成」とプロパガンダ作戦をして育てたのであった。
要するにに贋物「金日成」を堂々と、本物にしたのである。まあここで北朝鮮の陰口を
叩いても仕方ないが、兎も角、北朝鮮はロシアの核開発が成功して、ロシアから戦車や
戦闘機の供給が出来ると統一に向けて走っていくのであった。

271 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/11(日) 10:31:07.69 ID:1xuuBJOYB
  チッチキチー      ・・・・・・205   (かつて昔)

 ここで、日本人は、憎きアメリカの下で、何故か潔く配下となった。台湾での紛争や
戦争は、一応何回もの中国軍の猛攻を撃破して、膠着状態になった時、中国からの資金
や武器は途絶えたのであって、これ以上闘えない状態に陥った。そこで旧日本兵は日本
に帰還したのであるが、日本は無差別都市空爆の陰りもあって、ほぼ壊滅状態において
、食糧すら外米に頼る有様で、子供達はほぼ乞食状態であったのだ。当初は再会を喜ん
だ身内ではあったが、食糧も飢餓寸前、闇市場の盛況でも仕事も無く、タダ飯の大喰ら
いとなると、彼らの席で、家族の食卓は半分に減ったのであって、決して歓迎される様
な環境では無かったのである。肩身の狭い中家族を養うには、米軍が公募する進駐軍に
就職をし、生計を建てていく内に、英語も覚え、白人の考えも理解し、身の置き場も無
かった兵士達は、米兵に口説かれ、沖縄に籍を移して、米兵となって、朝鮮戦争に参加
したのである。瀬口氏や井上氏など、当時の手記を読むと、如何に夢を持って帰国し、
如何に打ち砕かれて、人生の絶望の中で、朝鮮半島に渡ったか見える気がする。又米兵
にしても、日系収容所の第100歩兵大隊や第442連隊戦闘団の、勇猛果敢な戦闘力は伝説
となる程知っていて、マッカーサーは、日本の守備や自衛も、或いは朝鮮戦争の勝利の
糸口も日本人試用する事にためらいは無かったのである。そこで、選ばれた帰還の復員
兵も、申し分なく戦って散っていったのであった。こうした功績を遺した事で、進駐軍
も日本人も敵愾心は、消えて行き、ここで、日本経済は瞬く間に復興し、「岩戸景気」
「いざなぎ景気」東京オリンピック、大阪万博と言う、歴史的復活を遂げたのである。
これは戦前の「散る桜 残る桜も 散る桜」と言う心境と、「和を以て貴しとなす。」
と言う 日本人の根源宗教観における 結果なのであろう。東洋の不思議、アジアンミ
ステリーの一端である。

272 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/13(火) 23:08:31.90 ID:GZn337q3C
  チッチキチー      ・・・・・・206   (かつて昔)

 デトロイト銀行総裁のジョセフ・ドッジは、米国の日本経営の、その取り掛かりに、
1949年3月7日、連合国軍総司令部(GHQ)の経済顧問として、来日していた。米デト
ロイト中央銀行の頭取のドッチは、国家戦略は、予算均衡を軸とした、経済の安定策の
「ドッジ・ライン」を発表している。GHQが前年に示した経済安定に9原則を具体化
する内容をだしたが、その指導をし、後の1$=360円 の、固定相場実施に道を開いた
。サンフランシスコには、要人が相次いで到着し、日本では「ドッジライン」で知られ
た彼は、1951年9月2日、サンフランシスコに到着して、米国の全権団顧問の資格での、
サンフランシスコ入りであり、その決定責任者である。日本の首脳も参加した日米講和
後の、調整会議である。ドッジのサンフランシスコ会議の参加は、日本側に知らされな
く、官僚や閣僚にとっては、予想外の出来事だった。全権団に名を連ねていた池田勇人
蔵相も、一万田尚登の、日銀総裁以下の全権団らは、サンフランシスコ会議の後に、こ
のワシントンに訪れては、ドッジらと会談する腹つもりではあったのであったのだが。
その為に池田が、箱根で、猛勉強し、経済理論と金融論を学習したことは、よく知られ
ていて紹介されている。池田、一万田は、城山三郎の「小説日本銀行」の中では、ライ
バルとして描かれている。が、14日の会見内容をみると、城山の筆は「あの男」と呼ば
せた池田に対して、一万田のライバル意識が垣間見える。それは大蔵省に対する日銀の
やっかみの心理とも取れる。一万田は、1893年(明治26年)生まれで旧制五高を経て、
東大の法学部卒である。池田は1899年(明治32年)生まれ、旧制五高から京大法学部卒
で、自由気ままの気風を好む京大と、格式と伝統こそが命の、東大の 気風の佇みは、
そもそもが相いれないものだった。とされる。6歳年上で、東大卒の一万田が、この、
五高の後輩であった池田を、大蔵省傍流京大卒と、見下した視点を持ってたのは、想像
にかたくない。

273 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/13(火) 23:09:35.14 ID:GZn337q3C
  チッチキチー      ・・・・・・207   (かつて昔)

 此処に一枚の写真がある。池田勇人と一万田尚登総裁が、1951年10月30日に来日した
ドッジ氏を迎える時のものだ。風貌をみても、一万田は如何にも鋭利で、一方、池田は
そうした鋭いタイプには見えない。会見で池田が語った要点の一つは、「国際的視野」
に立った経済運営であり、次のように語ったと言う。「世界各国の人々は、日本が第二
次世界大戦にやったことは、良くない。と、思っているだろうが、いずれも過去の責任
は追及せずに、自由国家の一員としての国。として、各国と協調していこう。という風
な考え方であった。したがって、今後、私が進める経済政策は 今迄のように、国内的
見地ばかりではなくて、広く大きな、国際的視野が強まってくる。と思う。」と言った
。国際的視野とは、具体的には、フィリピンなどへの賠償補償であったし、日米の安全
保障体制にともなう日本側の、負担であった。今後国際通貨基金(IMF)への、早期
加盟を果たして国際社会に出る事であった。政治面でも、自由主義陣営の一員になるの
だから、経済面でも、それに応じた責任を果たしていく。といったその覚悟を語った訳
になる。此の為の財政負担が増える見通しを述べたかったのである。ところが、一万田
会見では「金融政策に変更なし 公定歩合・日銀が、裁量」と、見出しがつく、当たり
前の内容で、変化がないと言う報道で終わった。この物語で既に触れたように、池田も
一万田もサンフランシスコでドッジと会談して、記者からの質問も多数あったのだろう
。一万田は、蔵相のような発言をしていた。「ドッジ氏とは2度会い、主に財政につき
 話し合った。氏の考え方は従来と変わっていないが、元々自分とドッジ氏の間には、
見解の相違は無いので、特に新しい話は出なかった。」と「つまり財政は、今後ともに
均衡財政でなければならず、輸出増進に経済政策の重点を、置かなければならない事は
いうまでもない。」と言うものである。

274 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/15(木) 13:53:55.83 ID:vt9m1eshs
  チッチキチー      ・・・・・・208   (かつて昔)

 時代が下って2012年12月に誕生した安倍晋三政権が打ち出した「アベノミクス」は、
政府と日銀との関係が話題になった。政府が日銀の金融政策にどこまで関与できるか。
という、中央銀行の中立性をめぐる議論だった。この中で、安倍には、日銀は日本政府
の下請け会社と言う発言があったように、もともと、景気さえ良ければ、債券発行が、
どんなに増えようが構わない。と言う、経済学の無い総理であった。時代は遡ってこの
ドッジと池田との会談は、ワシントンではなく、サンフランシスコで3日も行われる事
になったのである。日経の大軒特派員らの、この池田・ドッジ会談の議題を次のように
推測している。1)占領行政の廃止に伴う、日本経済の、国際経済上の諸問題 2)ガリオ
ア打ち切りに伴う諸問題 3)外債の処理と、4)昭和26年度補正予算および27年度予算、
と言う4つである。ガリオアという現代ではわからない言葉が説明もなく出てくるが。
GARIOAつまり、Government Appropriation for Relief in Occupied Areas の頭文字で
あり、「広辞苑」によれば、「占領救済資金。:第二次大戦後アメリカ軍占領地の疾病
や飢餓による社会不安を防止し、占領行政の円滑を図るために、アメリカ政府が支出す
る援助資金。」とある。当時の日本では、よく知られた言葉だった。日本の立場から、
簡単にいえば、米国からの借金だったのである。戦後に独立国と言えども、日本財政は
独り立ちできる状態ではなかった。26年度補正予算および27年度予算について、米側と
調整するのが当たり前のように、記者たちの記事は書いている。戦後に、このガリオア
は、日本に供与した。つまり投資の様に与えてやった事に、マッカーサーは証言してい
たし日本政府もそう思っていた。ところが。である。これを返せ。と言う事になったの
である。それは一つは他のロシア戦争時の借金が近年で消えるからであった。

275 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/15(木) 14:01:26.49 ID:vt9m1eshs
  チッチキチー      ・・・・・・209   (かつて昔)

 池田・ドッジ会談は3日の午前10時30分(日本時間4日午前3時30分)からマークホプ
キンズ・ホテルで行われている。当時は日米の圧倒的な立場の差があって、米国での、
覇権主義の下での、日本の現職の蔵相と銀行総裁で、ドッジの方から、池田の宿舎を、
訪問してきた。会談は2時間にも渡った。米側からは、国務省北東アジア局経済課の、
ヘメンディンガー氏、日本側からは渡辺武財務官らが同席した。蔵相は持参した資料に
基づいて、講和後の借款や返済など、日米経済協力に関しての、具体的な諸問題を検討
し、それなりに分析していたに違いない。当然ながら、結論は出なかった。米側に一度
の会談で、借款にイエスというとは日本側も考えていなかった。であろう。池田は会談
後、次のように冷静にコメントした。「今後の日本の経済政策は国際的なあらゆる点を
、加味してゆかねばならぬ。と痛感した次第であり、民間会社では 米国の銀行からの
借り入れを行うものもあるかもしれないが、政府対政府の、借款交渉では、今はまだ、
その段階ではない。」と、声明を発している。池田・ドッジ会談は、4日目も続いた。
実は、今度は、池田がドッジの宿舎であるパレスホテルを訪問した。4日目の講和会議
は、本当の開幕の日であり、池田・ドッジ会談に関する報道は減っていた。が、ここで
真の会談は、この日にあった。実は池田・ドッジ会談に、当時の新聞が全く書いていな
い人物が、同席していた。とされる。その人物は歴史の証人として会談の模様を書き残
している。その人物こそ通訳を兼ねた秘書であって、後に首相になった宮沢喜一である
。宮沢は池田の、同行秘書だった。この物語は、宮沢が書いた「東京〜ワシントンの、
密談」に沿って考えて物言えば、アメリカは日本にとんでもない合意を迫り、池田は、
そこでへりくだり、阿るしかなかった。と言う事になる。

276 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/08/15(木) 14:06:07.02 ID:vt9m1eshs
  チッチキチー      ・・・・・・210   (かつて昔)

 3日目の、池田・ドッジ会談について宮沢は次のように書いた。1951年4月11日に、
トルーマン大統領から、マッカーサー元帥を、連合国最高司令官、国連軍最高司令官、
米極東軍・極東陸軍総司令官など、日本での米国代理職を全て解職し、後任には、リッ
ジウェー中将を付ける旨を 報告された。としている。その後4月16日ダレス特使が、
再来日している。ここで、東京裁判で収監されていた巣鴨の政治犯の取り扱いに及ぶ。
6月20日日本政府は、第1次追放解除を発表、8月6日日本政府、第2次解除を発表。
鳩山一郎ら追放解除される。9月1日、米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋
安保条約に調印し、9月4日 サンフランシスコ講和会議が、本格的に始まって、9月
8日、吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印した。此の時白州次郎が憤慨
して、吉田に日本語で声明を発するべき、と叱咤したと言う。12月24日 吉田首相と、
ダレスに、台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)した。「サンフランシスコ
へついた翌日、9月3日の朝、ドッジ氏がホテルへ訪ねて来た。彼も米国の代表団の一員
になっていた訳だが、この時は、池田蔵相とドッジ氏と、現在の国務省の、北東アジア
局長のへメンディンガー氏と私と、4人で2時間半ほど、色々議論をした。」と記述し
ている。「講和後の予算の話などもかなり出たが、主な議論は、占領中に生まれた対米
債務、つまり『ガリオア』の話であって、ドッジの、これから 日本はどうして『ガリ
オア借款』を払う積もりか、という質問から、はじまったのである。」と書いている。
例のガリオアである。宮沢は「講和会議という 一応お目出たい時に、占領中の債権の
ことを忘れずに、云い出すドッジという人も 相当な人間だった。と今さら考える」と
感想を述べている。借款要請は、受け入れられず、逆に債務返済を求められたのである
。つまりは、借金しようと思った訪米の日本団に、過去の借金を返せ。と言われた訳で
、相当な交差である。

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