ついさっき、もうログインできないことを確認しました。
GNO3完全終了です。これでクライアントもアンインストールできます。
お付き合い頂いた皆さん。お疲れ様でした。
余談 §
「というわけで、終わったねえ」
「後で気づいたけど、GNOはたくさんスクリーンショット残ってるけど、GNO3は1枚もない」
「なぜ?」
「GNOは成果の記録という面が多かったかな」
「GNO3は記録しなかったの?」
「一応、ランキングの順位などの数値情報の記録はあるけど、わざわざスクリーンショットを取るほどの成果はなかったかな」
「成果を出そうという気は無かったの?」
「無かった。というか、そんな暇はなかった」
「でも、ドラクエ9とかまだ持ち歩いてるじゃない。それなりの成果を出したいのでしょう?」
「うん。長々と粘ってロト装備も全部揃えたしね」
「同じようにGNO3を粘るという選択肢はなかったの」
「理屈の上ではあり得るが、実際はない」
「というと?」
「結局、GNOの良いところは、ぜんぜんガンダムではないというところだった。特にジオンでプレイするとね。ほとんどガンダムには縁がない。ストーリー的にもね。みんな独立部隊で好き勝手にやっているというのも、すごくガンダムらしくない」
「なるほど。むしろ、ガンダムらしくないことが良かったと」
「うん。それに対して、GNO3はガンダムらしさが大幅に増えた。Zのストーリーまで進むとかね」
「なるほど」
「しかも、タイミングが凄く悪かった」
「というと?」
「GNO終了とGNO3の正式サービスの開始の間に、ヤマト復活編が公開された。それを見て、結局ガンダムは代用品に過ぎないと気づいた」
「代用品でもゲームとして面白ければ遊べるのではないの?」
「GNOに関してはそれもありだろう。しかし、GNO3にもうそれは望めない」
「そうか。それは終わるわけだね」
「GNO3の具体的な批判とか、ネットゲームの具体的な批判は既に書いているから繰り返すまい」
「うん。でも、何か最後に一言書いて終わってくれよ」
「オタク界の衰退という現象は最近になって露骨に見えてくるわけだが、ゲーム業界も同じだと感じる」
「オタク界の衰退?」
「うん。たとえばさ、TOHOシネマズ府中に行っても新宿ピカデリーに行っても、アイドルというのはジョニー・デップなんだよ。売っているフィギュアはリアルな造形のアリスだったりするし。鷹の爪やポケモン、コナン、クレヨンしんちゃんのグッズは置いてあるけど、オタク向けの萌えアニメ映画の関係のアイテムは置いてない。ポスターも貼られていないし、そもそも上映もしてない。アイドル声優のグッズもない。それだけ映画館から期待されていない、ということだろう」
「なるほど」
「限られた劇場で少人数を相手に上映しておしまい、という話でしかないなら、もう世界も通用する日本文化代表という虚構も崩壊している」
「それじゃ、一部に好事家のいるマイナーなサブカルだね」
「うん。結局、客を呼べるのはディズニーのアリス・イン・ワンダーランドとジョニー・デップだったりするのは、もうオタク文化は終わっているということだろう。結局、オタク好みといえうるのは、せいぜい新宿ピカデリーで見たガンダム00映画の予告編ぐらいだ」
「でも、ガンダムぐらいの人気でやっとメジャー映画館に食い込めるというもやはり惨状だね」
「うん。ガンプラが男の子の趣味として浸透しているという割に、存在感が薄い」
「それが結論?」
「いやいや。それは前座の単なる感想」
「というと?」
「むかしさ、ゲームスクールの講師をしていた人から愚痴を聞いたけどさ。ゲームをデザインする間口を広げるためにいろいろなタイプのゲームを教えようとしたら、ぜんぜん生徒が分かってくれないんだって」
「どういうこと?」
「つまりさ。講師の立場としては、広い意味でのいろいろなゲームが世の中にあって、コンピューターゲームなどその一部に過ぎないわけで、たとえコンピューターゲームであろうとも新しいゲームを作るにはそういう素養が必要だと思っているわけだ」
「うん。そうだね。新しい革新的なゲームはコンピュータの外から来る」
「そうだ世界は広い」
「テトリスがペントミノから来ているようなものだね」
「うん。ペントミノは別にコンピュータとは関係ないけど、その発想から革新的なコンピュータゲームが出てきている」
「それで?」
「だけど、生徒はそう思ってない。彼らが作りたいのは既存のコンピュータゲームみたいなものでしかない。ドラクエみたいなRPGとかね。今更、コンピュータ関係ないパズルなんか知る気もないわけだ」
「そうか、知りたいのはドラクエの作り方だけか」
「うん。そういうミスマッチがあったらしい」
「でもさ。既にあるゲームの焼き直しでは衰退するぜ」
「そうさ。だから、現状、ゲーム業界は衰退中ってことなんだろう」
「なるほど、そういう話か」
「うん。だからさ。GNO3を作った人は、GNO的なシステムとZ以降のストーリーを組み合わせたから新しいと思っているかもしれないけど、1980年代のZを最後まで見て、GNOもやり尽くした立場だと何ら新しいとは感じられないわけだ」
「うーむ」
「これがたとえばFINAL FANTASYシリーズだと、毎回システムが違うので、新鮮な試行錯誤から入れる。だから、一応3から(11を除いて)12までは全部エンディングを見ている。こういう作り方が、いわば昔のゲームの作り方だろう」
「そうか。えっ、またぜんぜん違うシステムなの? と思うけどFINAL FANTASYはシリーズだものね」
「うん。結局、それが長続きするには必要だったのだろうと思う」
「でも、GNOは……」
「というか最近のゲームは、安直な焼き直しが多くなってきた気がするな」
「そうか。それはゲームの衰退ということだね」
「客を飽きさせないためには、違うことをやらないといかんのだけど、実際にゲームの世界で食っていこうという新人は同じことをやりたがる、ということかもね。本当かどうか知らないけど」
「なるほど」
「だから、ドラクエ9のすれ違い通信は画期的に新しかったからいい刺激になって遊べたけど、そういう刺激の無いゲームはあまり遊べないかも……」
「そういうものかね」
「あと、サクラ大戦Vのように、戦闘にいろいろ工夫があっても、戦闘に行くまでのアドベンチャーパートが過剰に長すぎて、とてもやってられないというのも似たような話かな」
「そうか。中身を詰め込んで大きくすればいいという話でも無いわけだね」
「うん。ある程度の大盛りは客へのサービスだが、いつまでも本題に入らないのは途中からうざくなる」
「そうか。GNO3も盛り過ぎなんだね」
「蕎麦を食い飽きた客には天丼でも出そうか、ということが本来は望ましいのだが、逆に蕎麦の大盛りをだしてしまったのかもね」
「名前も知らないようなMSが増えても、ぜんぜん嬉しくないってことだね」