基本情報 §
- 確認年月日: 2009年7月31日
- 状態: A~D間は歩道。H~J間は民家敷地内。他の範囲は全て舗装道路
- 種別: 神田川支流跡
- 名称の由来: 隣接する施設の名前より仮称として命名
位置 §
A点の写真 §
A点を北東方より撮影。
備考 §
昭和20~30年代の航空写真、現地を歩いた結果などから総合的に判断し、上記の範囲は水路跡という可能性がある、と結論しました。しかし、どの位置からどこに向かって流れていたのかは明確ではありません。I点付近に水源がある、あるいはI点から更に北西方向に水路の続きがあり、I→A、I→Oという流れが存在する可能性も考えられます。
O点は神田川支流への合流点と思われます。
O点付近には、水路跡によく見られる自動車進入を拒む柵がありますが、これは極端な旧坂の危険防止用という可能性も考えられます。
A~D間は道路に隣接した歩道として整理された水路跡という可能性が考えられます。このようなパターンは世田谷区内では典型的ですが、下高井戸周辺ではあまり見られないものであり、珍しい事例と言えます。隣接している建物が東京都水道局和泉庁舎ということが何か関係しているのかもしれません。
補足・B~C間より東に延びる道路 §
B~C間より東に延びる道路も水路跡という可能性が考えられ、その場合の本来の経路はB→Aではなく、そちらである可能性も考えられます。
以下のこの道路の経路を説明します。
この道路はA点よりは簡単に入ることができますが、終点となるG点は鉄柵の扉となっていて、閉ざされており、その先に道はありません。つまり、袋小路です。
以下はG点を北東方向から撮影したものです。
しかし、F点の駐車場の柵の網が取り払われており、ここを経由して近隣住民が永福町駅に出るための近道として利用されているようで、A~F間には日常的に利用されている形跡があります。その範囲に含まれず、どこにも到達しないF~G間は荒れ果てています。
D点は急な階段があり、車はもとより自転車の通過も困難と思われます。
D~G間の北西方向は急斜面となっていて、武蔵野台地と河川周辺の低地の境界がくっきりと出ています。
仮にこれを水路跡と想定する場合、D~G間のいずれかの箇所から神田川支流に流れる経路があったと考えられますが、詳細は定かではありません。複数の経路があった可能性もあり得ます。
変更履歴 §