基本情報 §
- 確認年月日: 2008年8月22日, 2008年8月29日
- 状態: 開渠 (一級河川)
- 種別: 神田川の本流
- 名称の由来: 現在使用される正式な名称
位置 §
A点より先、Z点より先も全て存在するがラインを引いてはいない。
A点付近・佃橋を北から見る §
Z点付近・方南橋を南から見る §
備考 §
神田川は元々天然の河川である。周辺に先史時代の遺跡が発掘されることから、記録が残り以前より人が住んでいたことが推定される。それ以後、時代によって上水として「神田上水」と呼ばれたり、洪水対策等の目的による河川の改修なども行われており、時代によって姿を変えてきたことは間違いない。
現在の形に改修される以前は、周辺の地面の高さと水面の高さは大差なく、農業に神田川の水を容易に引き込んで利用できたと同時に、水に親しむライフスタイルも提供していたと思われる。
たとえば、昭和30年前後には子供が神田川でうなぎを採っていたという話もある。(しかし、さばけないので放したそうである。以上は叔父による証言による)。
しかし、そのような水に近い距離感は洪水の被害を大きくしたことも事実であろう。
昭和30年代までの神田川は、下高井戸付近では主に農業に用いられたと考えられる。ただし、この水で行われた稲作は、自家消費用の米を作ることが中心であり、主要な商品は野菜であったらしい。
また、複数の養魚場が存在し、淡水魚の養殖が行われていたらしい。特に有名なものは永福通りと神田川の交点北側にあった「武蔵野養魚場」である。比較的縮尺率が高い地図にもこの施設の養魚池が描かれていることがあり、名称まで記載されていないとしても地図上で目立つ存在であった。
かぐや姫の「神田川」という歌が一世を風靡したことがあるが、舞台は新宿区西早稲田方面であり、下高井戸付近の神田川のイメージとは合致していない。
変更履歴 §
- 2009/06/19 養魚関係の記述を全面更新
- 2008/09/1 最初の作成