かなり長い間続けてきたオルランド・シリーズも、「オルランドとドランバッタ」を持って一応完結としたい。
もちろん、これで子供の荒唐無稽な妄想そのものであるオルランドの物語の全てを語り尽くしたわけではない。このあと、突発的に何かのエピソードを書き足すことはあり得る。
だが、主要なポイントだけは全て一度は触れたはずである。現時点ではそれでよしとしよう。
アヤに始まるドランバッタに終わる §
子供の頃のオルランドに関する妄想の大多数は、軍事面では皇帝ないしオルランド軍人、性的な面ではアヤの視点で成立していた。
当然、妄想の中には彼らが理解不可能な存在も出てくる。
たとえばサリー人、大文字の「彼」などがそれに該当する。
今回のシリーズでは、子供の頃には理解不能だった者達にそれなりの解釈を与えることができた。それは(個人的なものに過ぎないにせよ)大きな成果だったと言える。
そう。そういった者達に解釈を与えるために、最初のオルランドのアヤは、アヤではなく、アヤに向き合う男の側から書かれねばならなかったのだ。
そして、その中でも最も理解に遠かったのがドランバッタということになる。これが、ドランバッタを主テーマに据えた作品が最後になった理由となる。だが、最後の作品を書き始める直前に、急にドランバッタが理解できた気持ちになった。そのえゆえに、急遽「オルランドとドランバッタ」はドランバッタの語りによって語る作品へと変更された。
しかしこの展開により、結果的に作品に1本の筋を通すことができ、好ましい結果をもたらしたと言える。つまり、最初の作品「オルランドのアヤ」の中で生け贄に捧げられたアヤがどこへ行ったのかという疑問に、最後の作品「オルランドとドランバッタ」で答えることができたからだ。しかも、どちらもアヤを見守る男の立場の作品として成立することができた。
つまり、作品の輪は閉じたのである。
それによって作品は完全に作者の手を離れた。
読者に委ねられた作品は、既に読者のものである。
これ以上、オルランドに関して語ることは野暮というものだろう。
(とはいえ、まだいずれ語ることになるだろう)