『サマー・オブ・84』70点(100点満点中)
監督:フランソワ・シマール 出演:グレアム・ヴァーシェール ジュダ・ルイス
≪結末が……≫
最近、映画作りをする人たちにも、80年代を懐かしく思う世代が増えてきた。その結果、彼らが感じ取ってきた80年代文化を再現した『サマー・オブ・84』のような作品が目につくようになった。当然、観客にも似たような世代を想定し、国を超えた互いのシンクロ度合いを楽しむわけである。
舞台は84年夏、オレゴン郊外の新興住宅地。15歳のデイビー(グラハム・バーシャー)は、毎日悪友たちと4人でツリーハウスに集まり、エロ本を眺めたり、陰謀論を語り合ったり、夜中に街で鬼ごっこをして遊んでいた。彼らが最近気になるのは近所で起きた同世代の少年たちの連続失踪事件。調子に乗って犯人捜しを始めた彼らは、あやふやな根拠で向かいに住む警官マッキーを犯人と決め付け、面白半分で彼の監視を始めるが……。
中二病な少年たちの行動を微笑ましく描きながら、その合間には懐かしいあれやこれやの文化がさりげなく提示されてゆく。古き良き時代、というものは世代によって異なるが、40代から50代くらいの人にとっては本作がまさにそれだろう。
舞台は新興住宅地で、二世代三世代と住んでいるわけじゃないから、誰も隣人についてはよく知らない。町全体がそういう人間関係のコミュニティというのは、米国ではこの時代あたりから登場したというが、それをスリルの構築にうまく使っている。
これが現代であれば、ちょいと名前を検索すればSNSで自分からフルチン状態でプライバシーをさらけ出していたりするので楽だが、この時代はそうはいかない。隣人といえど、互いの人間関係には目の届かない闇があり、それを皆が黙認していた。その闇がどれほど深いかは誰にもわからず、子供にとってはなおさらであった。だからそこに、彼らの妄想=殺人鬼、が入りこむ余地が生まれる。
この映画の場合、その闇がはたして妄想で終わるのか否かが最後までわからず、かつ「この映画結末がやばいらしいぜ」とのうわさを聞いていたのもあって、かなりの緊張感が持続する。
とくに強烈なのが、怪しい男の家の地下室への侵入シーンから、犯人が登場せずに無事警察に到着するまでの流れ。この時点で、映画に慣れた人はクソヤバさを感じるだろう。なぜならば、そこには犯人とのすったもんだという、映画的には本来あるべきショットがないからである。
あるはずのものがない違和感、それがここまで恐怖をかきたてるとは中々面白い趣向である。
やや似た構図の青春映画『スタンド・バイ・ミー』が、かけがえのない思春期の輝きを失うまでの物語、という解釈があるように、本作も子供から大人へ成長する過程において誰もが経験する「輝きを失う物語」なのだろうと私は思う。
これを、80年代を経験した大人が見れば、「はい懐メロはここまでよ、現実に戻りな」とのメッセージになるだろうし、現在進行中のティーンが見れば、もっと強烈なトラウマチックなホラーになるだろう。
いずれにせよ、一筋縄ではいかない、アイロニカルな幕切れ。勇気のある人だけ、見に行ってみてはどうか。