「300 <スリーハンドレッド> 〜帝国の進撃〜」55点(100点満点中)
監督:ノーム・ムーロ 出演:サリヴァン・ステイプルトン エヴァ・グリーン
腹筋より大事なものがある
アメリカ人は旧日本軍の特攻隊に対する劣等感が根強いため、ハリウッド映画では登場人物が自己犠牲を選ぶ展開が多い。自分たちがやれないことを目の前でやられたので、戦勝国だというのにコンプレックスを抱いているのである。
こうした苦手意識は100年たっても消えるものではない。確かにある意味、常軌を逸した作戦であり、単純に美化していいものではないが、結果的に子孫たちに誇りと「日本」継続への鉄の意志を遺した点においては、現代日本人は彼らに感謝し続けなくてはなるまい。
強大なペルシャ軍にわずかな精鋭を率いてスパルタのレオニダス王が対峙しているころ、アテナイのテミストクレス将軍(サリヴァン・ステイプルトン)は、一般市民の寄せ集め兵ながらギリシャ連合軍を組織し、同じく立ち向かおうとしていた。だが、ペルシャ海軍指揮官アルテミシア(エヴァ・グリーン)は冷酷な女戦士。戦況は不利きわまりない様子であった。
「300 <スリーハンドレッド>」(07年)が北米で深く共感されたのは、あの話が特攻隊の本質を描いていたからである。
300人で100万人と正面対決をする男たち。机上で考えれば、ただの無駄死にである。だが、戦場では人間同士が顔をつきあわせて戦う。この300人の奮闘が両国のその後に与えた影響は、前述した日米国民の精神的な上下関係と同じく、簡単には計算できないほどに大きいのである。それを予感させるラストシーンは、だからこそ秀逸であった。
そんな前作に比べ、この続編はどこかたよりない。
監督はノーム・ムーロに変更したが映像のテイストやスローモーションを多用したアクション演出は前作を踏襲。ただ肝心のテーマは引き継がないという、前回の成功の理由を全くつかめていないつくりには思わず目を覆う。
「300 <スリーハンドレッド>」は、決してスタイリッシュな映像や腹筋がウケてヒットしたのではない。今回脚本を担当した1作目のザック・スナイダー監督は、まずは亀有駅まで相談にくるべきであった。
売り物のアクションにしても、座頭市300人の猛烈な抵抗戦だった前作に比べ、寄せ集めの農民兵を突貫で鍛えただけなので迫力に欠ける。一人あたり300人をぶちころさなくてはいけない戦力差だったものが、2作目では一人当たり3人でいいというだけでもスケールダウンである。
唐突な絶倫将軍ぶりや、血だらけ切断だらけの戦闘描写などスタイリッシュなエログロも特徴。いろいろと説明しまくりなのに説明下手なので、最後まですっきりしない。
なにやらパート3もありうる雰囲気だが、次回はよほど魅力的なテーマを持たせないと、このままでは苦しいだろう。